真実

吹雪は塔子を束縛するのをやめたみたいだった。意外だ。紫苑に破られた結界をもっと強固なものにするかと思ったからだ。吹雪に聞いたら「もっと頑丈な檻をリクエストする獲物って珍しいね」と笑った。


狐面の人型もいなくなった。だから私の髪は吹雪が結い上げてくれてる。小さい頃ママが髪を結ってくれていたことを思い出す。私だけを見てくれる短い特別な時間。


「髪が随分伸びるんだね、まだ1月しか過ぎていないのに」


憂いを帯びた声で吹雪が続ける。


「普段は退屈な長い時間でも、塔子といると不思議とすぐ時が過ぎてしまう」


(吹雪には寿命とかあるのかな)


4年経っても、吹雪も紅丸も雨汰も容姿が変わっていなかったことを思い出す。


「私だけ歳をとるのかな」


「そうだね、でもそれでいい。中庭の枝垂れ桜の時を操るのはやめたよ」


私が寝ている間に、邸には手を入れたらしい。確かに散々に破壊された中庭の残骸は、綺麗に片付けられてガラス窓も取り払われている。縁側になっていた。散らずに咲き続ける枝垂れ桜ではなく、今は牡丹が植えられていた。


「花は季節に咲くのが美しい。儚いものは散るままにすべきだった」


塔子は縁側に腰掛ける。吹雪は耳を出して膝枕をねだってきた。寝転ぶ白銀の長い髪や柔らかい耳を撫でながら、庭を眺める。牡丹が落ちる。


「私の時を巻き戻したのは、吹雪なんでしょ」

「塔子の時間じゃない。世界の時を巻き戻して君の魂を呼び戻した。儚いものは散るままにと言ったばかりなのに矛盾してるね」


吹雪は手を伸ばし、塔子の頬に触れる。


「塔子だけは失いたくなかった」

「なんで?」


素朴に疑問が口をついて出る。

長い白銀の睫毛は瞬き、金色の眼に困惑が浮かんだあと、一瞬の沈黙をおいて吹雪は呟く。


「そうか…」


起き上がり、私に向き合う。


「私が塔子を好きだからだよ」


突然の告白だった。

ケタケタと笑いながら、吹雪は続ける。


「生まれる前から塔子を知っている。儚くて脆弱な命にずっと前から私は恋しつづけてるんだよ、当たり前すぎて伝えていなかった」

「じゃあ、なんで…」


小さい頃、さびしくて泣いている怖い夜に側にいてくれなかったの、と言いそうになって堪える。


「どうした?」


言い淀んだ私を吹雪は引き寄せる。


「ううん。ただ小さい頃からずっと側にいてほしかったなって。ずっとさびしかったから」


私は吹雪の腕の中にすっぽり抱きしめられていた。

「まだ充分小さい」

そう言って吹雪は笑う。


「さびしい想いをさせて悪かった。人間の世界で暮らすのが良いと思っていたんだ。ただあの日泣いているお前を見つけて、我慢ならなかった。本当は抱きしめたかった」


言いながら、吹雪は抱きしめてくる。ちょっと苦しくて、もがいて抜け出す。


「だからね、山狗風情がお前にちょっかいを出すのも許せなかった。私の大事な塔子を子を成す為の贄としか考えないような奴らに渡したくなかった…」


金色の眼に怒りがみえる。


「塔子の大事な紅丸は、そんなことなかったかもしれないね。悪いことをした」


なんと答えて良いか分からなかった。


「初めて会った時にも奴に襲われただろう。彼が堪えられたのは、お前まだ子をなせないと告げてたからではなかったか?」


記憶を紐解くように、静かに話しつづける。


「お前が子供を産めると確認してから、あの男はお前を襲っただろう。まるで道具のように。記憶が戻っても変わらず犯された。お前の気持ちや身体の負担を考えることは無い。贄の女は死ぬまで、子供を産まされつづける。紅丸がお前を好きだということに嘘偽りがなくても、本能には勝てない。」


悲しそうに吹雪は続ける。


「お前から望んで贄になったのだったね。それが幸せだと感じているお前なら、私は何もできなかった」


「吹雪は…」


一呼吸おいて、勇気を出して聞く。


「吹雪は全部が見えるの?」


「そうだよ。全部見える。見たくなくても気にすると入ってきてしまう。お前と男の交わりも全てだ。私の縄張り内のことは全て入ってきてしまう。拐われた時に助けに行かず、わざわざ雲ヶ畑へ行き、紅丸と交渉したのはあやつらが2度とお前に手を出さないためだ。本当は鞍馬の大天狗なぞ引き裂いて殺してしまいたかったよ。天狗には男しか生まれない。男しか愛さない」

「紅丸も?」

「お前を可愛いとか好きだとか想う奴の気持ちが、嘘だとは言わない。だが、今、彼の愛は違う誰かに捧げているはずだよ。その誰かのために里を繁栄させたいがために、贄に子を生ませるのだ」


再び私を抱き寄せる吹雪の手が震えていた。


「私も割り切ろうとしたのだ、世の中にはそうゆう扱いをされても良いと感じる女は沢山いるからね。好きだと言われたら嬉しくなって、求められたら捧げることが愛で、乱雑な扱いでも脳内麻薬が出て気持ちがいい。塔子も体験したんじゃないかな」


私は俯いて、恥ずかしくなった。情欲に溺れた日々に快感を覚えなかったと言えば嘘だ。紅丸に支配され、組み敷かれる度に甘い声で応えてさたのは紛れもなく自分だった。


「人間の本能は山狗と根源は変わらない。だからこの、神域の邸に閉じ込めておくことが、お前の本当の幸せか問われたら、私も自信がないのだよ」


「吹雪は違うの?私に子供を産ませるの?」


「九尾の狐の花嫁はね、少し違うんだ。信仰が続く限り、神は永遠だ。天狗は信仰によって贄が捧げられて、子孫を増やし繁栄させる。天狗には寿命があるからだ。人間と比べれば随分長い寿命だが終わりがある。だが狐は九尾になると、神社に祀られ、信仰がある限り永遠を手に入れる。信仰によって力を得る点は同じだが、永遠不滅の存在に子供を作る必要はない。九尾は…」


吹雪は言葉を切った。躊躇っているようにみえる。吹雪は目を逸らす。


吹雪は静かに口を開いた。


「九尾の狐は死ぬ為に花嫁を娶る」

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