狼王達と怪人少女

「黄泉平坂が?」



 黄泉平坂がまた開く。


 秋がそういった時に、その言葉をすぐに理解することはできなかった。


 黄泉平坂開閉という事件については知っている。


 俺がまだ3歳にもならないときに起きたという出来事だ。


 そう思ったときに、


 いや、



「それがどういう意味かわかって言っているの?」



 その言葉と怒気が放たれた方を見てみるとそこにいたのは母さんだった。


 いつもは優しい母さんがこんなに怒りを見せているのははじめてのことだ。



りん、抑えろ」



 そんな中親父の声が響く。



「…ごめんなさい」



 張り詰めた空気が緩んでいく。


 それでも、まだ元に戻ったとは言い切れない空気が残っている。



「…冗談、ってわけでもないんだろうな」



 眼光を鋭くさせて親父が言う。


 母さんだけじゃなく、親父からも怒気が放たれていることに気づいてしまう。


 ふうっ、とため息をついた親父が言葉を続ける。



「燐も言ったが、それがどういう意味かはわかっているんだよな?」


「ええ、実際に体験はしていませんが、事前情報としてコルトからも話は聞いています」



 親父と母さんの怒気を受けても平然として秋が答えた。



「…そうか、そうなんだろうな」



 親父の怒気が静まり、それに呼応したのか母さんの怒気も収まっていく。



「悪いな、あれは俺達にとっても簡単に消化できるようなことじゃないんだ」


「ごめんなさい」



 親父と母さんが謝罪の言葉を秋に伝える。



「いえ、お気になさらず、当時のことを聞けば仕方ないことだとは思いますから」


「ああ、忘れられないし、諦めきれない…どうしようもないとわかっていても、自分達がどれだけ無力なのかを思い知らされた」



 親父の顔に浮かんでいるのはどうしようもないなにかなんだろう。


 俺にはまだ理解しきれないそれは母さんの顔にも浮かんでいる。



「…その黄泉平坂開閉ってのについて俺は聞いてもいいのか?」



 世界的に有名で大きな被害が出た事件だっていうのは知っていたが、親父や母さんがこんな顔をするような出来事だってことは知らなかった。


 忘れられないし、諦めきれない、それでもどうしようもなかった。


 親父達がそう言うようなことについて、俺は聞いてもいいのだろうか。



「守護者のひとりとして君は知っておくべきだと思う」



 そう考えているときに秋がそう言ってきた。



「あくまでコルトの予想の段階でしかなく、確定というわけでもないが、もしもこれから本当に起きるとするなら、それに君は立ち向かうことになるのだから」



 秋の言葉を聞いて、飲み込んでから、俺は親父と母さんの方を見る。


 母さんは親父を見て、親父はため息をついてから言葉を紡ぐ。



「…そうだな、ただあくまでこれは俺達の視点から見た話だってことは頭に入れておけ」


「あの事件に関わった人は数多くいて、人の数だけ現場があり、その結末も人によって解釈は違う、ということでよろしいですか?」


「ああ、俺達にとってはこういう出来事だったが、他の奴らにとってはそうじゃなかったってこともあるからな」



 親父の言葉に秋が質問し、それに親父が肯定する。


 立場や視点が違えば、捉え方は違うってことなんだろう。



「まずその前に健、お前は黄泉平坂開閉についてどこまで知っている?」


「どこまでって、世界的に見ても大規模な被害が起きた事件ってことじゃなくて、その内容についてってことでいいのか?」


「ああ、実際にどういうことが起きたのかってことをどこまで知っている?」



 そう言われて、少し考えてから俺は親父達に伝える。



「まず黄泉平坂っていうのは、現世と黄泉の間にある坂で、普段はそこは閉じられている」


「ああ、本来開いたりするもんじゃないからな」


「それが開いたことで黄泉から死者が現世に現れて、大きな被害をもたらしたってことだったよな」


「そうだな、ならどうしてそれだけの被害が出たのかはわかっているか?」


「それは…黄泉から出てきた死者の数が多かったからだろ?生きているやつよりこれまでに死んだやつの方がずっと多いだろうし」


「お前の言ってることは間違ってはいないが、被害が大きくなった理由はそうじゃない」



 そうじゃないってことは他になにか理由があるってことか。


 そう言われて考えていると、親父が答えを先に言ってくれた。



「黄泉平坂が開いたとは言っても、そこから出てこれる死者の数はそう多くはなかった」


「そうなのか?」


「ええ、開いたとは言っても、その門は最初はそんなに広いものじゃなかったの」



 ああ、そうか、どれだけの死者がいたとしても、門を同時に通れる数には限りがあるのは当たり前といえば当たり前だ。



「広くはないとは言っても、魔獣規模で言えば同時に千体程度は出現してはいたがな」



 魔獣が千体…。



「それは守護者だけで抑えられるもんじゃないだろ?」


「ああ、だからヒーローや魔法少女、陰陽師や霊術師、他にも色んな奴らと力を合わせて戦った」



 この街にもヒーローや魔法少女の支部はあるし、それはおかしいことじゃないんだろう。


 それでも、その物量に対するには足りないように思えた。



「黄泉平坂が開く前にも色んな事件が起きていてな、そうやって多くの力を持つ奴らがこの街に集まっていた」


「それは味方だけじゃなくて、黄泉平坂を開いた私達にとって敵側にも言えたんだけどね」


「実際に黄泉平坂が開いた後はそれまで敵だった奴らの中には想定外の事態だったという奴らもいてな、そいつらとも共闘することになった、というのもある」



 黄泉平坂を開いた奴らにとっても想定外?



「死んだ大切な人に逢いたい、そう思ってはいたが、実際には現世に被害を及ぼすようなものばかりが黄泉平坂から現れたと聞いている」



 顔に出ていたのか秋がそう補足してくれた。



「ああ、黄泉から現れた奴らのほとんどがそれまでに俺達やヒーローや魔法少女達に倒された大きな力を持つ、悪と言われる奴らだった」


「しかも元々死んでいるから倒しても、また黄泉平坂を通って現れる」


「どれだけ倒しても、黄泉平坂が開いている限り、何度でも、な」



 親父と母さんの言葉を聞いて、そのときの理不尽がもたらしたのはどれほどのものだったんだろうと思わされた。


 これまでに俺も大きな力を持った奴とは戦ってきた。


 俺一人じゃ倒せなかった奴もいたし、敵わなかった奴だっていた。


 そんな親父達やヒーローや魔法少女達にとっても大きな力を持った敵、と言わせるような奴らが何度倒しても現れる?



「門も時間が経つにつれ、少しずつ大きくなってな…出てくる死者の数も少しずつ規模が増してきた」


「…それでも黄泉平坂を閉じることはできたんだろ?」


「…ああ、だから俺達は今生きていられる」



 そう答えた親父とその隣に座っている母さんの顔に浮かんだ感情は俺には計り知れないものだった。


 それでも、俺は聞かなきゃいけない。



?」



 親父も母さんも答えない。


 いや、答えるのを躊躇っている?





 答えたのは秋だった。




「…どうして現世からだけだと閉じられないんだ?」


「現世からだけ鍵をかけても、その鍵を壊せば門を開けることができてしまうからだ」



 それはつまり…。





 世界は理不尽に満ちている。


 


 そうしなければ俺も親父も母さんもこの世界にいなかったのかもしれない。


 それでも、どうしても思ってしまう。



「…どうしようもなかったのかよ」


「ああ、どうしようもなかった」



 その言葉に俺はなにも言うことができない。


 他にどうしたらいいのか、俺にもわからないのだから。



「…黄泉の側から門を閉じたって人は、もう死んでるってことなのか?」


「黄泉から出てきたモノ達は当時と同じ姿をしていたと聞いている」



 俺の言葉に答えたのは、またしても秋だった。



「コルトが言うには黄泉は現世とは時間の流れが違うのか止まっているのかはわからないが、人柱になった人はおそらくまだ生きているということだ」


「「・・・!」」



 親父と母さんが秋の答えに息を呑む。



「ただ肉体は無事だとしても黄泉で過ごしていて精神がどれだけ保つのかはわからない以上、当時のままだという保証はない」



 親父から拳を握りしめる音が聞こえてくる。



「黄泉にはかつて黄泉から現れた奴らの他に、閉じてからも俺達が今生きているこのときまでに倒された奴らもいるんだろう」



 母さんが親父の手に触れながら、秋の言葉の続きを聞いている。



「そんな奴らの中には心を抉り、精神を病ませるような奴らもいて、そんな中で正気を保ち続けていられるかどうかはその人に逢ったことのない俺にはわからない」



 それはそうだろう。


 逢ったこともない相手の人間性はわからないのだから。



「その人柱になった人ってどんな人なんだ?」



 秋の言葉を聞いて、ふとそんなことを聞いてしまった。



「あいつは…黄泉の巫女となったあいつの名は宮藤 希くどう のぞみ


「宮藤?」


「御霊町の守護者が一角宮藤家の人間だ」



 これまでに街を守っている中で速水だけじゃなく一緒にいた宮藤 茜とも共闘したことがある。


 その関係者ってことになるのか。



「お前の同級生にも宮藤家の人間はいるだろう、茜という」


「ああ」



 間違いないようだ。



「それだけじゃないの」


「ん?」


「お前、燐の旧姓は知ってるか?」


「…いや、聞いたことないな」


「私の旧姓は宮藤、希というのは私の姉よ」


「は?」



 母さんが宮藤家の人間だというのも初耳だ。



「茜ちゃんのお母さんは私の妹だから、茜ちゃんは健の従姉妹ってことになるわね」



 少しだけ悪戯っ気を含ませて母さんは言う。


 それに少しだけ誤魔化されそうになるが、今言われたことを整理すると親父と母さんの反応にも納得が行く気がする。


 そして、今の話の内容から、嫌な想像をしてしまう。



「もしも、また黄泉平坂が開くなら、次に黄泉の側で門を閉じることになるのは宮藤家の中で門を閉じることができる異能を持つ誰かで…」



 俺の嫌な想像に親父の言葉が重なる。





「その候補には燐も含まれる」



 当たってほしくない想像ほど当たってしまう。


 これまでは正直過去の出来事で親父達の時代に起きたことだという気持ちが確かにあった。


 でも、そうじゃない。


 もし、コルトという人の言う通り、また黄泉平坂が開くというなら、



「あくまで候補なんだけどね」



 困ったような微笑みを浮かべて母さんは言う。



「ああ、確かに燐も門を閉じる力はあるが、力の総量自体は高くないからな」


「母さんよりも強い力を持ってる奴が人柱になる可能性が高いってことかよ?」


「そうだ、確実に門を閉じるためにはより強い力を持っている奴が人柱になった方がいいからな」


「…それでも、見知った誰かがそうなるってことだろ」


「その通りだ、そうして、あのとき希が人柱になった」



 そう口にする親父の表情はどこか暗く見えてしまう。


 隣にいる母さんの表情もだ。



「本当に黄泉平坂はまた開くのか?」



 これ以上親父達に聞けなくなって、秋に話を振ってしまった。



「あくまでコルトの予想では、の話だ」


「それってどこまで信用できるんだよ…」



 逢ったこともない知らない相手の予想と言われても、どう答えればいいのかわからない。



「コルトの予想はたいてい当たる、もし外れるとしたらそれ以上に厄介なことになるときくらいだ」


「なんだよ、それ…親父の言う通りなら開くのは確定だろ」


「ああ、だからこうして頭を悩ませてるんだ」



 どうしろってんだ。



「世界を揺るがすなにかが起きるときにはその前兆として、いくつものなにかが起きて、それが連鎖する」



 俺達が頭を悩ませていると秋が口を開いた。



「そして、そこにいくつもの力を持つモノが集まってくる、それが敵なのか味方なのかは流れ次第だが、世界の抑止力とでも言うかのように世界を揺るがすなにかへのカウンターとなりうるものだ」


「…つまり?」


「かつてヒーローや魔法少女達が集ったように、黄泉平坂が開くまでにいくつもの力を持つモノ達がこれからも集まってくるだろう」



 親父と母さんも黙ってその言葉を聞いている。



「君も知っているはずだ、これまでこの街で起きてきた事件を経て、仲間や友と呼べる存在が増えていったことを」



 秋が俺を見て、そう続ける。


 確かにそうだ。


 速水や宮藤、一ノ瀬に西宮、他にも色んな奴らと共に戦ってきた。



「コルトの予想が当たるかはそのときにならないとわからないが、そうなるかもしれないというのならそれまでにできる限りの準備をしておくだけだ」



 揺るぐことのない意志を宿したその目で俺達を見て、その言葉が紡がれ続ける。



「大きな力を持つモノ達が集まってくるというのなら、それを見逃さず、手を伸ばす」


「言葉が必要なら言葉を伝え、共に戦う必要があるなら共に戦う」




 そう言った後、表情を緩め、少しだけ微笑んで、こう続けた。



「たとえ後悔する結果になったとしても、なにもせずに後悔するよりはよほど良い」



 その言葉に毒を抜かれたかのように親父も母さんも息をついて微笑んだ。



「ああ、そうだな…そのときが来るなら、それまでにできることをやるだけだ」


「違いない、なにができるかを考えないと、な」



 親父は他の守護者と話をして、これからなにかしていくんだろう。


 それなら、俺はなにをできるだろうか。



「これからもなにか起きるだろうから、それを見逃さずに対応していけばいいだろう」



 考えていたら、考えを読んだかのように秋が言う。



「君がこの街の守護者として今日俺と出逢ったように、君がやると決めたことをやっていけばいい」



 そう言われると少しだけ気が楽になる気がする。


 空気が少し軽くなった気がしたからか、親父が話を進めた。



「そういえば秋、お前さんはこれからどうするんだ?」


「コルトからは現地では好きにすればいいと言われているので、しばらくは健君達と行動する予定です」


「そうなのか?」


「ああ、君達と関わっていれば自然と街の問題に関わることになるそうだ」



 これまでもなにかしら面倒事が起きたときには関わってきたから、これからもそうしていけば自然と黄泉平坂開閉のためのなにかに辿り着くってことか。



「そうか、それじゃ、これからよろしく頼む」


「ああ、こちらこそよろしく」



 重い話をわかりやすくしてくれた気がした。


 そして、これから共になにかをするというなら、まずはこうなんだろう。


 俺の伸ばした手を秋が握る。


 小さな手だ。


 それでも、積み重ねてきたものがあることがわかる手だった。



 これが俺達守護者と秋達との出逢い。


 やるべきことをやるために、共に戦うことになる大切な存在との始まりの物語。

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怪人少女は光の如く サトー @sato0302

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