ヤンキー少女の推し談義

 推しって、一体、なんだろう。


 そんなことを時々想う。だって、自分で使っといてなんだけど、あまりに便利な言葉だよねえ、曖昧でさ。


 そして、それは、色んな意味がないまぜになっているってことだ。どうとでも取れるし、人によって取り方は違う。ただ言葉としてはそっちの方がなにかと便利なのも確かだ。マジとか、ヤバイが、どんな状況でも使えるのと同じように。


 そんな曖昧な言葉で、君を推してるよ、と口に出して。はてさて一体私は、みかげに何を伝えたいんだろうか。


 ま、特にこうしたいってのもないけどね。強いて言うならば、首筋の匂いを嗅ぎながら深呼吸はしたいけど。くんかくんか、っていうのもちょっと古いかな。


 そんなくだらないことを考えながら、私はこっそりと、君が小説に視線を落とす姿をほくそ笑んで眺めていた。


 「……何、にたにたしてんの?」


 そんで、そうやって眺めていると、気付いたみかげが藪にらみ気味に視線を返してくる。ただでさえ、細めで綺麗な瞳が、刃物みたいに鋭くなって、ちょっとぞくぞくしてくる。こう背筋がぞわっとするのに、お腹の中は熱くなるような感じがたまらない。


 「んー、推しについて考えてた」


 「なにそれ、セクハラ?」


 「ええ、ひどくなーい? うーん……、どっちかっていうと、推しっていう概念について考えてたの」


 そんな私の返答にみかげは、少し眉根を寄せた後に、ああと納得したような言葉を漏らした。


 「これ読みたかったの? 後で貸そうか?」


 そういって、自分の読んでいた小説の背表紙をこっちに向けてくる。その桃色の背表紙には、推しが燃えているタイトルが短く綴られている。……どうも、私がその小説に興味をもったと見たらしい。まあ、それも関係ないわけではないけどさ。


 「んー、どうしよっかな。私、辛い話が苦手なのだ」


 残念ながら、みかげが燃えている様を思い浮かべて、喜べるほど被虐趣味じゃないし。


 「ふーん、そう」


 そんな私の返答に、みかげは少しだけ首を傾げて、返事をしながらそれとなく視線を小説に戻した。細めた視線がちょっと私からずれてしまって、少し残念。


 「面白い?」


 「ほどほど」


 「ほどほどなのに読んでんだ?」


 「一回読みだしたら、最後まで読まないと気持ち悪いでしょ。最後の一ページで感想が変わるかもしんないし」


 「まあ、確かに」


 そうは返事するけど、私なら、つまらないと想った時点で放り投げてしまうなあと、考えながらみかげを眺めながら腕を組む。


 それにしても、推しとは何か。私は一体、みかげのどこを推しているのか。


 そして、みかげを推すことで、私はみかげに何を期待しているのか。


 そんなことを考える、なにせ時間はたっぷりある、有体に言うと暇なのだ。


 推しとは何か、何なのか。それよりも、今、みかげのその細っこい指を触ったらどうなるか。集中してるみたいだし、こっそり隠し撮りとかしてもバレないのではないか。あとはあとは……。


 そんなぼんやりとした思考を繰り返しながら、みかげを眺めていると、ふんにゃりと視界が緩んでくる。


 秋ごろの夕暮れの図書室は、クーラーが効いてほどほどに心地が良い。あんまりに眠いから、思考が段々としんぷるになってくるのが感じられる。ぼんやりと、まんぜんと、頭と呼吸がゆっくりとあつくなる。


 推し、おし。オシ。押し。推し。推し―――倒し。


 気付けば机に突っ伏して、ふやけた意識が、とけて、途切れかける。そんな時間さえ、なんでか少し心地がよくかんじられている。


 なんでだろ。みかげが目の前にいるからかな。はてさて、一体どうだろね。





 ※





 曖昧に誰かの名前を呼んでいる。


 曖昧に誰かの手のひらに触れている。


 曖昧に誰かの匂いを嗅いでいる。


 夏の夜、私とその『誰か』以外誰もいない橋の上で。


 曖昧に、その姿をただじっと見つめてる。


 その誰かが、ぼやけた口を開くように、私に何をして欲しいのって聞いてきた。


 だから私は笑って答えを返す。


 「なーんにも」


 って、そんな言葉を返してみる。


 なーんにもいらないよ、なーんにもね。


 私は君からなーんにもほしくなんて、ないのだよ。


 そんな私の答えに、曖昧な誰かは少しだけ不機嫌そうに口をとがらせていた。







 ※







 「起ーきーろ」


 目を覚ますと、そこには私のことを呆れたように覗き込んでいる瞳があった。


 はて、とぼんやりとした頭を起こしながら、視界を回すと、すっかり夕暮れが過ぎ去って空は深くて来い藍色に染まっている。


 「……あー、ごめん。寝てた……とりゃ」


 あくびをしながら肩を回すと、ごきごきとひっどい音が鳴る。あんまりに酷い音だから、たははと苦笑いをしなが伸びをした。伸びをするついでに、こっそり事故のふりをして、手を伸ばす。


 目指すは、みかげの柔らかき胸部なわけだけど、的確な手刀で弾き落された。くそう、今回は予告なしにいったのに。あと、手刀の速度が速すぎて、普通に手首が痛い。


 「あほ。……寝てたのは別にいいけど、あんたこそ。そんなに暇なら、今度から何かやること持ってきたら?」


 そんな寝起きの私に、みかげは少しだけ呆れたように言葉をくれたので、私はへらりと笑って頷いておく。ついでに、叩き落された手をさすりながら。


 「まあ、確かに……。何しよっかな、てかもう閉室?」


 「そう、眼が覚めたんなら行くよ。図書室の先輩が閉めたくて困ってたから」


 「わー、そりゃ、申し訳ない」


 さすがに人を待たせるのはいかんねと、いそいそと荷物をまとめて図書室を出た。


 毎度毎度受付に座っている図書委員の先輩は、全然いいよーと少し遠慮がちに言ってくれたけど。まあ、早めにでることにしましょうか。誰かに迷惑をかけるのは本意じゃないし。


 そうして、私達がブービー賞くらいで図書室を出て、すっかり暗くなった廊下を二人で歩く。最終下校時刻の学校は、もうほとんど人がいなくて、妙に寂しい気分だけが、胸の中を少しだけ震わせる。


 かつかつと、渇いた足音を響かせながら、まだどこかぼやける頭を抱えながら、みかげの隣を歩いてく。


 「ところで、あんたさあ」


 「んー、何?」


 「私に付き合って、図書室来て、暇じゃないの? ……今日も寝てたし」


 素っ気ない問いに、まだねぼけてぼんやりとした頭のまま返事をする。


 「まー、明日からはちょっと考えるよ。みかげに会うのが主目的だけど、さすがにだべるために図書室にいるのも、申し訳なくなってきたしね」


 耳元のピアスが少しだけかゆくて弄っていたら、隣のみかげが怪訝そうにこちらを見ていた視線とかち合った。


 「そこまでして、私に構っても何も出ないけど?」


 その問いに、私はおもわず笑みを零していた。


 「別にいーよ、私がいたくているだけだから」


 だってみかげに、あれしてほしい、これしてほしいなんて想ってない。


 そう、結局のところ。


 見ていたいも、触りたいも、嗅ぎたいも。


 その想いの主体は、私。全部、私で完結してる。だから、みかげがどうするかは考慮していないし、そこは私にはどうにもできない。


 つまるところ、ただ単に、私がしたいからしているだけだ。何も期待していない。


 そういう意味では、すっごく一方的な関係を私は望んでいるのかもしれないなあ。


 意味が解らんという君の顔が歪む様子は、なんでか愉しくなってしまうけど。


 まあ、蔑んだ眼で見てもらえるだけ、私としては十分すぎる恩恵なわけでしてね。


 「つまるところ、人を推すってそういうことだよ」


 寝ぼけた頭のまま、そんなことを口にした。そんで、口にしてから、ああなるほどと、勝手に独りで納得する。


 自分で定義した疑問に、寝ぼけた頭が勝手に答えを出してきた。


 つまり、まあ、推しっていうのはそういうことだ。


 「わけわかんない」



 そうやって此方に向く君の瞳に、



 「あはは、ま、みかげにはまだむずかしーか」


 ちょっとドヤ顔してみたら、案の定すねを蹴られた。歩きながらなのに、えらく器用に蹴ってくるなあ。


 いでっ、と軽く反応して、自分の中の思考に独りで勝手に満足する。


 そんな私を、私の推しは、隣で怪訝そうに眺めていた。


 秋の日暮れの学校はどことなく静かで、寂しくて、そんな中を二人で歩く時間だけを私は独りで噛みしめる。


 それから、勝手に満足している私を、みかげはずっと怪訝そうに、駅前で別れるまで眺めていた。


 もうすっかり、夜が空を覆った下で、駅の改札でみかげと別れながら手を振って、そうやって別れていく寂しさすら愉しんだ。


 推しって、一体、なんだろねえ。


 多分だけど、私にとってのそれは、一方的に願うこと。


 隣に立つ友人としてでもなく、愛を紡ぐ恋人としてでもなく。


 ただ一方的にいいと想って、一方的に幸福を願ってる。そんなふうに、ただ一方的に推している。


 君から何を返されなくても構わない。だって、私はただ勝手に推しているだけだから。


 つまり、誰かを推すということは、見返りを求めないということだ。


 例えば私が好意を投げても、それが返ってくることは決してない。妄想や夢想はすれど、それが現実になることは決してない。


 それを理解し、それでもなお一方的に好意を向け続けることだ。


 無責任に、その幸福を願ってる。どこまでも利己的に。


 それが、だれかを推すと言うことなんじゃないかなと。


 そんなことを考えた。







 ただし隣に推しがいるということの利点が一つ。


 やっぱ触れるんだよねえ―、これが架空の推しとの決定的な違いっすな。


 そんなことを、今日、手刀をもらった手のひらを撫でながら、私は独りしみじみと愛しんでいた。

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