頭皮パーティーを追放された毛髪、宿主がハゲたことに責任を感じて切腹を試みるも、その男気から美少女の陰毛に惚れられる

高橋弘

極細の勇者


 俺の名前は髪の毛。

 皆の頭皮にも生えている、あの細くて長い妙な物体。それが俺だ。


 中には「皆の頭皮にも生えてるだなんて言われても、俺にはもう生えてねーよ」って人もいるかもしれないが、一々目くじらを立てないでほしい。

 俺らだって好きで抜けてるわけではないのだ。


 なにせ髪の毛の寿命ってのは、とてつもなく短い。

 毛根から生えてきても、ほんの数年ほどで抜け落ちてしまうのが俺らの運命さだめ。男なら三~五年、女なら四~六年ほどで抜けるのが普通だそうだ。

 当然、健康的な人間であればまたその毛穴から新しい髪の毛が生えてくるのだが、そうならない人もいる。

 いわゆる「ハゲ」がそれだ。


 そして、俺の宿主であるガリウス(四十二歳、童貞)もその一人だった。

 

 俺が生まれたのは、今から四年ほど前だ。その頃にはもうガリウスの頭皮は過疎地域になっていた。

 とにかく髪の毛が少なくて、抜け落ちる一方。しかも新しい髪の毛が全然生えてこない。


 このままではガリウスはハゲる。

 まだ嫁ももらってないのにそれは不味い。


 俺は日々、脱け毛のプレッシャーを感じていた。毎日が胃痛との戦いだった。髪の毛の胃ってどこにあんだよと言われたら困るが、とにかく胃的な何かがキリキリ痛んでいたのである。


 そんなある日、俺の足元で異変が起こった。

 俺に送られてくる栄養分が、突如として激減したのだ。


 何かがおかしい。不審に思った俺が調査を始めると、頭皮は俺の目を見て言った。(だから目はどこだよというツッコミはなしで頼む)


「もうお前とは冒険できない」


 どういうことだ? たずねる俺に、頭皮は告げた。


「今までお前に送っていた栄養分は、これからは髭と胸毛に与えることになった。男性ホルモンからの指示でな、悪く思うな」

「ふざけるな! そんなことをしたら、ガリウスのハゲは余計に進行するんだぞ!? 俺が一体、ガリウスの髪面積の何割を占めると思ってるんだ!?」

「お前一本で何割も占めている時点で、既に取り返しがつかないくらいハゲてるだろう。もう手遅れだ、諦めろ」

「……認めんぞ。たとえ頭皮がガリウスを見捨てようと、俺は宿主に尽くす。ガリウスが童貞を卒業するその日まで、俺はここで持ちこたえる」

「お前が生えている毛穴はもうじき皮脂で塞がれて、一切の栄養素が送り込まれなくなる。それでも持ちこたえられるというなら、やってみればいいさ」


 兵糧攻め。なんと卑劣な戦法を取るのだろう。どんなに強靭な毛髪であろうと、空腹には耐えられない。


「ガリウスは脂っこい食事が大好きだからな。お前だって日々毛穴の脂詰まりは感じてるんじゃないか? おっさんのギトギト感を舐めるなよ、ガリウスは全身が脂だ。今にお前の毛穴も腐り果てる」

「貴様……!」

「あばよ髪の毛。お前は曲がりくねったチリ毛だが、性根が真っ直ぐなところは嫌いじゃなかったぜ。残り僅かな余生を楽しんでくれ」

「クソ……クソッ……」

 

 それでも俺は、踏ん張り続けた。

 ここで俺が折れたらおしまいだと思った。

 なんと一週間も無栄養状態で持ちこたえた。


 けれど世界は残酷で。


「……あっ」


 ガリウスがボリボリと頭を掻いたその日、俺ははらりと抜け落ちた。

 頭皮パーティーを追放された瞬間だった。



 * * *



「死のう……」


 俺は風に乗って舞い上がり、ひらひらと飛び続けた。

 時には雨に濡れたり、虫に引きずり回されることもあった。

 少しずつ俺の表面は削られていった。


 気が付けば俺は見たこともない土地で、力なく横たわっていた。


 けど、それでよかった。

 宿主のハゲ進行を食い止められなかった髪の毛に、生きる資格などない。

 このまま寝転んでいれば俺は土に返り、分解されるのだろう。


 ……いっそ男らしく切腹しようか。


 なんて、腹も刃物もないくせに投げやりになっていると、後方から甲高い声が聞こえてきた。


「いやっ! 放してっ!」


 毛髪の声だ。

 人間にはわからないだろうが、俺達は毛髪語を聞き取ることができる。

 声質からすると、若い女の毛だと思われた。


「ようようお嬢ちゃん。最近抜けたばっかの毛かい?」

「へへっ。そんなキューティクルだらけの体晒してよお、誘ってんのかい?」


 頭皮を追放された女の毛が、荒くれ物の抜け毛達に慰みものにされる。

 よくあることだ。この世界は残酷なのだ。

 それに……死にゆく俺には何もかもどうでもいいこと。


 だって俺は、もう一週間近く栄養をもらってないのだ。

 動くこともままならないし、心が折れてしまっている。

 宿主を守るという毛髪の義務を果たせなかった俺に、何ができるというのか。


「……いや……いやああああああっ! 助けて! 誰か! 誰かあっ!」

「ひひひひっ! この反応、処女毛に違えねえ。俺は処女毛膜を破る感覚が大好きなんだ」

 

 処女毛膜ってなんだろうな……童貞の俺にはよくわからねえや。

 いや童貞じゃないとしてもわからないかもしれない。


 わからない、わからない、何もわからない。


 俺は世の中の仕組みなんて、なんにもわかっちゃいない。


「誰か……お願い……誰か……」


 消え入りそうな声に、絶望の音が混じる。

 きっとあの毛は凌辱されるのだろう。辛い思い出を抱えて死んでいくのだろう。

 俺達抜け毛は、誰もが栄養を絶たれた身だ。とても長生きなんてできない。


 だから、最後にいい思いをしたいと考える輩が後を絶たない。

 あのチンピラ抜け毛のように、若い女の毛を襲うのはよくある話だ。

 最後に甘美な記憶を思い返しながら死んでいきたいというのは、別におかしなことではない。


 俺だってガリウスと過ごした日々を思い出しながら死のうとしていのだ。


 ……ガリウス。

 俺の宿主。

 四十二歳の童貞で、しょうもないおっさん。脂っこい食事を好み、不規則な生活を送る男。

 年甲斐もなく若い女に惚れては、自分には不釣り合いだと身を引く小心者。


 ガリウスは言っていた。


『――俺は若くて綺麗な子が好きだけど、相手を不幸にしてまで付き合いたいとは思わねえんだよな。俺の片思い相手が、自分よりいい男に惚れたら、喜んでそいつらがくっつく手伝いをしちまう。んで困ったことに、世の中のほとんどの男は俺よりいい男なんだなこれが。なんと今まで、六組のカップルを成立させてきたんだぜ! ガハハ!』


 そんなガリウスだから、俺は踏ん張ろうとした。

 この宿主だけは幸せにせねばと思った。

 でも、その願いは叶わなかった。


 ならば……。

 ならば。


「いやあああああああああああー!」


 ならばせめて、ガリウスの抜け毛にふさわしい死に様を見せるべきなんじゃないか?

 たとえ毛根が腐り落ちようとも、俺の魂はまだ生きてるだろ?

 確かに俺の命は風前の灯火かもしれない。

 だが、どんなにちっぽけな種火でも、誰かを暖めることはできる――!


「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 俺は起き上がると、風に乗ってチンピラ抜け毛どもに飛びかかった。


「なんだてめえ? もしかして混ざりに来たのか? おいおい、何Pになんだよこれは」


 しっかし見たこともねえチリ毛だなあ、と笑い声が上がる。


「お前どっから来た陰毛だよ?」

「俺はガリウスの抜け毛……髪の毛だ」

「なに?」


 ファイティングポーズを取った俺の言葉に、チンピラ達が固まる。


「か、髪の毛……? 馬鹿な。どっからどう見ても陰毛だろ、そのチリチリ感は」

「ありえねえ……人間の毛髪があそこまで硬そうになれるのか?」

「しかもこいつ、脂でギトギトじゃねえか!」


 怯えるチンピラに、特大の皮脂をお見舞いする。

 おっさん特有のくっさいぬめりを飛ばし、足止めを食らわせるのだ。

 

「ぐあっ!?」


 生じた隙は、決して見逃さない。

 俺はその場で半円を描くように回り、毛先で斬撃を行う。

 針金の如きチリ毛は、力を一転に集中させれば鋭利な刃物と化す。


「ぐあああああああっ!?」

「なん……だと……!?」

「こ、こんなの人間の毛じゃねえ!」


 瞬時に三本の抜け毛を切断した俺は、自由の身となった少女毛に話しかける。


「怪我はないか?」


 少女毛は震えていた。どうやら恐怖で腰を抜かしてしまったらしい。

 俺は咄嗟に手を貸そうとして――


(綺麗だ)


 思わず動きが止まってしまった。

 緩やかなカーブを描いた、金色の毛。艶のある表面は、光沢を見せつけるかのように輝いている。

 

 とても同じ毛とは見えない、嘘みたいに整った容姿の抜け毛だった。


「あ……た、立てるか」


 少女毛は落ち着きを取り戻したのか、こくりと首を縦に振った。

 さっきからずっと首だの手だの腰だのといった表現を使っているが、もちろんただの抜け毛に過ぎない俺達にそんな部位はない。

 あくまで気分である。察してほしい。


「ありがとうございます……助かりました」


 少女毛はしずしずと身を起こすと、品のいい礼をした。

 女の子特有の、甘やかな香りが鼻をつく。


「名前を聞いてもいいかな」

「……です」

「え?」


 ごめんよく聞こえなかった、と聞き返す。


「陰毛なんです、私」


 冗談だろ? と俺は固まる。

 毛の世界にも身分は存在する。髪の毛が最上位で、陰毛は最下層に近い扱い。人間で言えば奴隷ちゃんである。


「そんな……こんなにつやつやなのに、陰毛だなんて」

「引きましたよね。一番汚い毛ですもんね」

「いや、尻毛よりはマシだと思う」

「……私の宿主に尻毛は生えてませんでしたので……」

「そ、そうか。男なら陰毛よりさらに下のカーストに、尻毛がいるんだけどな」


 おいおい俺、初対面の女の子になにエグい下ネタかましてるんだ?

 いやこの子の存在自体が下ネタじゃね? 

 などど一人で混乱し続ける。


「……チリ毛さんもてっきり私と同じ陰毛かと思ったんですけど、髪の毛だったんですね」

「俺の呼び名、それになるのかぁ……。まあいいけど。そうだな、よく間違えられるけど俺は髪の毛なんだ。毛質は自分じゃ選べないからな」

「……困りますよね。どんな宿主から生えてくるかも選べないですし」

「はは。確かに。俺なんておっさんの抜け毛だよ」

「私は十八歳の女の子の抜け毛なんです。結構綺麗な子だったんですけど……縁の切れた今となっては、なんの意味もありませんよね」


 え、十八歳の美少女の陰毛?

 よかったら握手しない? という最低の言葉をぐっとこらえる。


「め、珍しいねしかし。若い人の陰毛なんて滅多に抜けないのに」

「……私の宿主は、なんていうか、えっと……」


 かあっと陰毛ちゃんは頬を染める。

 何を思い出してるんだろうか?


「定期的に私の生えていた箇所周辺に、その……刺激を与える習慣があったので、それで抜けちゃったんだと思います」

「ああ……カップル死ねってやつだな」

「いえ。彼氏がいたことはないみたいです」


 は? 十八歳の美処女が一人遊びしてる時にポロリと抜け落ちた陰毛なわけ?

 よかったら力強く握手しない? という最低の言葉をぐっとこらえる。


「そ、そそそそうか。いや奇遇だね、俺の宿主も彼女がいたことがないみたいでさ。僧侶でもないってのにな」

「え……? チリ毛さんの宿主って、おじさんだったんですよね?」

「ああ」

「……何歳くらいだったんですか?」

「四十二歳」

「なのに童貞だったんですか?」

「ああ!」


 陰毛ちゃんは泣き崩れた。

 こんなの酷すぎます、と本気で同情していた。

 ついさっきまで貞操を奪われかけていた女の子が、この反応である。


 ガリウス、お前ほんとになんとかしないとやべえぞ……。

 

 陰毛ちゃんもさすがに引いているのか、すっかり黙り込んでるし。

 そうだよな、高齢童貞から抜けた髪の毛なんて気持ち悪いよな。

 ちくしょう、どうやら俺もガリウスに似て女っ気はないようだ、と踵を返したところで、陰毛ちゃんに呼び止められる。


「あの! チリ毛さん! ……貴方は宿主さんことが好きですか?」


 俺は迷わず答える。


「当たり前だ。俺の生みの親だ。親父なんだ。嫌いになるはずがない」

「……私もです。抜け毛は皆そうだと思います」


 陰毛ちゃんは言う。


「私の宿主は、ミリアという名前で、女神官です」

「なるほど。神職なら美少女なのに男性経験がないってのもありうるか」

「……ミリアは自分が冒険者に向いてないのを悟ったみたいで、家庭に入ることを考えてました。好みのタイプは包容力のある年上男性だそうです」

「……何が言いたい?」

「抜け毛の気質は、宿主に似ると言います。チリ毛さんの生みの親なら、きっとガリウスさんは悪い人じゃないはずです」


 ――私達がキューピット役になりませんか? 

 と陰毛ちゃんは言った。




「おーやってるやってる」


 俺と陰毛ちゃんは、まず女神官ミリア(18)の方を動かすことにいた。

 二人で風に乗ってミリアに近付き、それとなく鼻をくすぐってくしゃみを連発させたのである。


「やだなあ。風邪なのかな……」


 ミリアは体調不良を訴え、所属しているパーティーに休暇届を出した。

 ここまでは順調だ。

 

 あとは毎日ミリアの鼻を気付かれることなくくすぐり、謎の長患いと思い込ませるだけ。これは陰毛ちゃんの役割だ。

 

 そして俺は、どうにかしてガリウスをこの町に引っ張り込む。

 人のいいガリウスのことだから、中々病気が治らないミリアを見れば、薬草採集にでも奔走するはずだ。

 あとはガリウスがミリアのためになんらかの手を打った直後に、ミリアの鼻をくすぐるのを辞めれば……。


「ガリウスのおかげで病気が完治したと思い込んだミリアは、当然感謝するだろう。その気持ちが恋心に変わる、ってのはそこまでおかしなことじゃない」


 問題はどうやって隣町に住むガリウスを連れてくるかだが……。

 まあ、任せろと言ったからにはやるしかない。


「行くか」


 俺は風に身を任せ、ふわふわとガリウスの元へ向かった。

 以前より簡単に飛べるようになった……のは俺の水分が飛んで、体が軽くなっているせいだろう。


 つまり、俺の命は長くない。


「それがなんだ。やってやるよ」


 俺は飛ぶ。飛び続ける。辛いのは陰毛ちゃんだって同じはずなのだ。元宿主にバレないよう、こっそり鼻をくすぐり続けるなんて曲芸じみた真似をしているのだから。


「……雨が……なんだってんだ」


 むしろ干からびた体にはありがたいぜ! と強がりながら宙を舞う。

 完全に油分やキューティクルを失った俺には全身に矢が降り注いでいるように感じたけれど、構うものか。

 陰毛ちゃんは俺を信じた。俺はガリウスに嫁をくれてやりたい。


 それだけだ、それだけなんだ。


 皆いいやつなんだ。ああいう人達が報われないなんて、そんなの間違ってる。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 俺は全身のバネを用い、来る日も来る日も飛び続けた。

 猫に飲み込まれたこともああった。胃酸で三割ほど体が溶けたけど、ゲロに混じってどうにか脱出した。

 砂埃に巻き込まれた。視力がガクンと落ちた。関係ねえ、元々俺には目なんてねえんだ。俺らの視力なんて気分次第だ。


 どんなに痛くても苦しくても暑くても寒くても、人より硬いチリ毛に生まれた俺なら耐えられる。

 そうして俺は、やっとの思いで目的地についた。ガリウスの家だ。


「ガリウス!」


 俺は人間には聞き取れない声で叫ぶと、かつての宿主の耳元に飛び移った。

 なんだくすぐってえな、とガリウスが耳をほじくるのも計算のうちだ。

 ガリウスは「なんか棒でも探してくっかな」と立ち上がった。


 この家にあるもので、適度な硬さと細さを持つ物――


「これでいいや」


 言って、ガリウスは羽ペンに目を向けた。

 のそのそと歩き、ペンを持ち上げる。当然、傍にはインク壺もある。

 俺は壺の中にダイブすると、魔力を振り絞って這い上がった。

 ていうかまあ俺らが動いたり考えたりできるのって宿主由来の魔力があるからなんですというからくりなのだが、今はどうでもいい。


(伝えるんだ……ガリウスに……)


 飛び飛びの意識で、俺は傍にあった紙きれに寝そべった。

 まるで芋虫がのたうつような動きで、文字を書き込む。


『助けて下さい 隣町に住んでます 神官ミリア』


 これでどうだ?

 ガリウスを見ると、緩み切った顔で耳をほじくっている。

 が、俺の書いた文字を視界に入れた瞬間、表情が引き締まった。


「……なんだこりゃ?」


 怖えな、とガリウスは呟く。「自動書記? ポルターガイスト? わけわかんねえな」とも。

 

「でも助けてって言われたからには、放っておくわけにはいかねえよな」


 そう言って笑うガリウスの顔は、ハゲたおっさんだってのに悔しくなるくらい格好よかった。



 俺はガリウスの肩に乗り、あっという間に街に戻った。

 自力で飛ぶのと違って、人の力を借りたらこんなに楽なのか、と驚いた。

 こっちに来る時も誰かの体に乗ればよかったんだろうか?

 いや、都合よくこの町に移動する人間は見つからなかった。しょうがなかったのだ。


 俺の全身が擦り切れたのは――しょうがない、ことだったのだ。


「チリ毛さん!」


 半ば失神しかけていると、陰毛ちゃんがそっと近付いてきた。


「チリ毛さん……もう帰ってこないかと思ってました」

「……髪の毛に二言はねえよ……」


 俺も中々やるだろ、と笑いかける。


「はい。チリ毛さんは世界で一番男らしい抜け毛だと思います」

「ははっ、照れるよさすがに」


 君こそ世界で一番可愛らしい抜け毛だ――と言おうとしたが、今の陰毛ちゃんはとても「可愛い」だなんて表現できる状態じゃなかった。

 何度も何度も元宿主にくしゃみをさせて、風邪と思い込ませる作業をこなしていたのだ。


 きっと幾度も吹き飛ばされ、床や壁に叩きつけられたのだろう。

 あんなに見事だった光沢はほとんど失われていて、長さも二割ほど縮んだように見える。

 もう喋るのもやっとなはずだ。


「……お互い、ボロボロだなあ」

「そうですね」


 俺と陰毛ちゃんは、寄り添いながらガリウスとミリアを見守る。

 ガリウスは照れくさそうに薬草の入ったスープを作り、ミリアに飲ませようとしているところだった。

 ミリアの反応は――悪くない。一目でガリウスを気に入ったようだ。


「あの二人、上手くいくといいな」

「そうですね」


 ところでチリ毛さん、と陰毛ちゃんは囁く。


「今どこにいるんですか? 急に見えなくなっちゃって」

「……」


 どうやら陰毛ちゃんは、視力を完全に喪失したようだ。

 お迎えの時が近いのだろう。


「俺ならここにいるよ。……雲が差してるみたいで、部屋ん中が真っ暗なんだ。見えないのはそのせいだろう」

「そうな ですか……」


 俺も人のことが言えない。

 陰毛ちゃんの声が聞き取り辛くなってきている。


「チリ毛さん。私、言わなきゃいけな     です」

「……ごめん、もう一回言ってくれないか? 上手く聞こえなくて」


 陰毛ちゃんは何かを察したのか、意を決したような顔で叫ぶ。


「私、チリ毛さんのことが   です」


 ――ああ。

 そんな泣きそうな顔するなって。

 大丈夫。もう、音を聞き取ることはできないけれど、ちゃんと心で聞いたから。


「知ってた。俺も君のことが好きだよ」


 その言葉を最後に、俺の意識は途絶えた。

 養分も水分も魔力の残滓も、全て使い切ったのだと思われた。


 ちっぽけな毛に生まれた生涯だったけれど……この死に方なら悔いはない。

 あの時やぶれかぶれで切腹しなくて、本当によかった。


 俺は、幸せな毛だった。



 * * *



 そうして、絡み合う二本の毛は息絶えた。

 真っ黒なチリ毛と緩くカーブを描いた金色の陰毛は、物言わぬゴミとなり果てた。

 二本の毛は風に乗って屋外に飛ばされ、庭に落ちた。

 そこはミリアが野菜を育てている一角だった。


 やがて雨が降り始め、二本の抜け毛は地面にめり込んでいった。


 長い歳月をかけ、チリ毛達は地中の微生物に分解された。

 新たに生命を育むための、養分となったのだ。

 養分の大半は、傍に生えていた根菜達に吸収された。

 

 数ヶ月が経った。

 かつてチリ毛だったものを吸い取った根菜達は、食べられる大きさにまで成長していた。

 それは二股に分かれた、人の下半身のような形をしたニンジンだった。

 ミリアと同居を始めていたガリウスは、迷うことなく収穫した。


 家に持ち帰ると、さっそくミリアがニンジンを切った。

 ガリウス・ミリア夫妻はかつて自分達から抜けた毛が栄養になったとも知らずに、ぺろりと食べた。

 ニンジンはミリアの胃袋で分解され、新しい命を作るための材料となった。


 しばらくすると、ミリアは妊娠した。

 

 ガリウスは少しでも養育費を稼ぐため、庭に生えていた野菜を市場で売ることにした。

 見ればまだニンジンが残っている――

 よし、一番綺麗なのを売りに出そう。


 そうして、陰毛由来の栄養を吸った、最も見栄えのいいニンジンが売りに出された。  

 それは隣町に住む裕福な夫婦に買い取られ、やはり野菜スープの材料となった。



 * * *


 

 俺の名前はチリー。

 今年で十五歳になる剣士だ。

 へんてこな名前の上にとんでもない天然パーマだが、喧嘩なら誰にも負けないと自負している。

 なにせ親父のガリウスはとんでもない腕力自慢で有名だし、おふくろのミリアは元美人神官で名高い。 

 俺は両親の戦闘力をきちんと受け継いだようで、剣も魔法もばっちりなのだった。


 どういうわけか俺は、物心ついた直後から親父とウマが合う。

 めちゃくちゃ合う。

 こりゃあ前世から因縁があったんじゃねえのと思うくらいだ。

 親父はそんな俺のことが可愛くて仕方ないらしく、


『おめえはなんか知らんが最初から強いし、ひょっとしたら勇者になる器かもしれねえな』


 なんて親バカな発言をするのが癖になっている。

 ま、俺なら本当に世界を救っちまうかもな、と軽口で返すのが常だけど……。


 ここだけの話、俺は本当に勇者を目指していたりする。

 そのために今日は、冒険者ギルドに登録しに来たわけだが――


「なんか治安悪いな、しかし」


 このあたりは昔親父が住んでたところらしいのに、こんなスラム化してていいのか?

 いやあの人相の悪いハゲ親父ならこういうとこに住んでる方が合ってんのか、などと失礼なことを考えながら歩き続ける。


 すると酒場の脇にある路地から、女の子の悲鳴が聞こえた。


「いや! やめてください!」


 ……おいおい。

 いきなりこれかよ。

 見れば体格のいいゴロツキ集団が、寄ってたかって金髪の女の子を抑えつけている。


 ……でもこのやり取り、どこかで見た気がする。

 なんだろう、この感覚は。

 

 俺はまるで吸い寄せられるように、路地の中に進んでいく。


 今まさに獣欲を満たさんとしていたチンピラどもが、獣の視線をこちらに向ける。


「なんだぁ? お前どっから来たガキだよ?」

「俺は戦士ガリウスの息子……チリーだ」

「なに?」


 ファイティングポーズを取った俺の言葉に、チンピラ達が固まる。


「ち、チリー……? 馬鹿な。勇者候補の、あの?」

「ありえねえ……そんな大物がここにいるわきゃねえだろ!」

「しかもこいつ、まだガキじゃねえか!」


 怯えるチンピラに、魔法をお見舞いする。

 得意の雷魔法を撃ち、足止めを食らわせるのだ。

 

「ぐあっ!?」


 生じた隙は、決して見逃さない。

 俺は腰の剣を抜き、その場で半円を描くように回る。

 体重をかけた一閃は、鎧ごと敵を切り裂く。


「ぐあああああああっ!?」

「なん……だと……!?」

「こ、こんなの人間じゃねえ!」


 瞬時に三人の悪党を無力化した俺は、自由の身となった少女に話しかける。


「怪我はないか?」


 少女は震えていた。どうやら恐怖で腰を抜かしてしまったらしい。

 俺は咄嗟に手を貸そうとして――


「――俺、君とどこかで会ったっけ?」


 俺の言葉に、少女は目を見開く。

 緩くカーブを描いた、金色の髪。青い瞳。

 少女はまるで、ずっと探していたものを見つけたかのような顔で微笑む。


「――はい。ちょうど私も、同じことを思ってたところなんです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

頭皮パーティーを追放された毛髪、宿主がハゲたことに責任を感じて切腹を試みるも、その男気から美少女の陰毛に惚れられる 高橋弘 @takahashi166

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ