自由の丘の巡礼者たちⅡ

「お前みたいな若造が、なんでこの道にいるんだ」


 モネを待っていると、あんまりのだんまりさに耐えかねたのか男が少年に話しかけてきた。少年は例のごとく、わからない。


「若造?ってなんだ?」


「お前みたいに若い奴のことだよ」


「若いってなんだ?」


「生まれたばっかのケツの青いガキだってことだ!」


 男は我慢が弱いようだ。すぐに声を荒げる。少年はモネと会話することが大抵で、彼女が声を荒げることはないので耳が痛い。避けるように離れると、男はなおも詰め寄ってくる。


「なんだ?ほんとにガキなんだな。さしずめ、旅の途中でこさえちまったんだろうよ。だからろくすっぽ言葉もわからねぇんだ。とんだ災難だったな、ガキ」


 少年は耳をふさぎ、モネを一心に念じる。早くこの場から立ち去ってしまいたい。何も聞こえないように集中すると、水の音がした。それで目を開くと、モネが持ってきた水の樽をぶちまけている。水が終わると今度は食料を乱雑に投げる。通行止めの連中は呆気にとられ、身動きもしていなかった。


「ほら!あげたよ!これで満足だね!私も満足、君らも満足。うぃんうぃんだね!私ってば商売上手!」


 モネは少年が見たことがないほどに邪悪な笑みを浮かべていた。けれどもそれは気持ちを悪くするものではなく、月に掛かった雲を吹き飛ばすようだった。


「ほら、少年。戻るよ」


 少年はモネに手を引かれ、客車に戻った。そしてすぐにモネは窓から乗り出し、全体に命令を出す。


「さぁ、進め進め―!大丈夫。危なきゃ勝手にどくよ!行け―!」


 先頭車両が全速力で行き、集団を二つに割る。ついでにニンジン、ジャガイモ、タマネギも真っ二つだ。少年はすっかり腹を抱えて笑っていた。それを見、モネも喜ぶ。疲れ切るまで笑った。目の端の涙をぬぐうと、モネが口を開く。


「ごめんね。やっぱり面倒なことになっちゃった。君を置いていったのがよくなかったね。次からは私が残るよ」


 少年は首を振る。


「いいや。本当に、うれしかった。し、楽しかった。から別にいい。」


「そか。ならよかった。けど、うーん。まだたどたどしいね。そうだ、一人称について教えてあげるんだった。少年は男の子だから、オレかぼくか、自分なんてのもあるね。あと、私みたいに私とかもできなくはないけど、ちょっとかわいげがなくなるからヤダ。でも決めるのは少年だし、うん、少年はどの響きがよかった?」


「そもそも一人称ってなんだ?」


「自分を指す言葉」


 モネは自分を指さす。


「私。私はモネ。モネこと私。名前ほどに意味があるわけではないと思うけど、それでも自分にとって自分がどんな自分でありたいかっていうのを意識するには役立つと思う。で、少年はどれが気に入った?」


 少年は腕を組み首をひねりこむ。


「あんまりよくわからない」


「だーいじょうぶ。とりあえずは一番きれいだなって思った響きのにすればいいんだよ」


「じゃあ、ぼく」


「いいねー。ぼくちゃん」


「ぼくちゃんじゃない。ぼくだ」


 少年が抗議のために近寄ると、モネは手をひらひらとさせ平謝りをする。


「はいはい、ごめんごめん。そういえばさ。少年ってずっと呼んできちゃってたけど、少年は名前ないの?」


「モネみたいなやつか」


「そう」


「ない」


「どうする?お姉さんが名前つけてあげよっか?」


「名前は大事なのか」


「私は自分でつけたんじゃないならたいしてどうでもいいとは思うけど、一般的には自分の子供への願いを込めるらしいよ。まぁ、呼ぶときとか身分の証明とかでの利便性重視でもいいんじゃないかな」


 少年は窓から西の地平を眺める。


「仮に、モネが付けるとしたらぼくになんて付ける?」


 モネは少年の肩口から後方を眺める。


「リベルテ」


「なんか間抜けだな」


「そうかな。ピッタリになってくれるといいとは思うよ。気に入らないなら自分でまた考えてみなさい。決めたのならその名前で呼んであげるから」


 少年は「リベルテ、リベルテ……」と小声で続ける。数度頷いた。


「わかった。とりあえずはリベルテで良い。そんな悪くない気がしてきた。でもぼくで良い名前が思いついたらその時は言う」


 モネはささやかな微笑みを湛える。


「うん。楽しみにしてる。でもリベルテは語呂が悪いからリベルって呼ぶね!」


「だったら最初からリベルにしろよ」


 一転おどけた顔になるモネの百面相ぶりに少年は苦笑いを浮かべる。

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