第7話 大量出血とツンデレ男

 しかし、十八歳ってすごいね。

 全身の毛が逆立つほど怖かったのに、結局寝たらしい。

 だが、体がびっくりするほど重く、二日酔いかのように頭がずきんずきんと痛むわ、腹の奥も痛い。


 この痛い場所はどこだ?大腸でもないぞ、小腸でもないぞと思っていたら、股の間が濡れていることに気がついた。

 失禁したかと恐る恐る掛け布団をはいで見てみたのだが、そこはなんとも無残なありさまだった。


 血が広がっている。


 ここで目覚めてから二度目の悲鳴をあげたので、ドッと音を立てて入ってきた女は、歳の頃は五十といったところだろうか。

 

「娘子、どうなさいました!」


 俺は股の間を指差した。


「あら、月のものでございますね」


 女は落ち着き払っていた。

 どこに何があるのかわかっているらしく、テキパキと用意していく。

 そしてようやく髪の毛を振り乱して、海蘭が入ってきた。


「娘子ぃっ!」


 俺は海蘭の甲高い声に頭が割れるかと思った。


 女が口を動かして海蘭に何かを伝えた。

 すぐに海蘭は部屋を出て、水を汲んで戻ってきたのである。


「年頃の娘なら、あるものですよ。お嬢さまには毎月きちんとあります」


 女は俺を起こして、布を水につけて俺の物足りない股を拭いた。

 トイレに行きたいのに、昨日海蘭はおまるを持ってきて、股を拭いた。

 それだけで尊厳を削られるかと思ったのに、今度は別の女に股を拭かれている。


 ふんどしのようなものを履かせて布を折ったものを見せながら言った。


「この布を股に当てます。そう長くはもちませんから、日に何度か取り替えます」


 俺は気づいた。

 趙小瑶が自己を四十男だと思っていることをこの女は知っている。だが初めて生理が来た娘にでも言うように、教えて恥をかかせまいとしている。

 女が血のついたものを全部水につけて、海蘭が持って出ると、ようやく血生臭さが薄くなった。

 女は、俺の手を取り言った。


「お嬢さまは、大体頭が痛い、腹が痛いと伏せられたものですが、お加減は?」

「……海蘭の声が頭に響くようです」


 クックと鳩のように女は笑った。


「あの子に悪気はないのですよ。ただ元気が良いだけですから。少し日に当たりませんか?」


 俺は女に促されて歩くのだが、股に何かを挟んだまま歩くのって、気持ちが悪い。

 女に助けられながら外に出ると、白檀の香りも、血生臭さもないので女の体臭に気づいた。


 加齢臭だ。


 低からず高からず結い上げた髪の毛に白いものが大半だが乱れはない。ここの服装については、奈良時代っぽいなと思うが、あんまりよくわかるわけではない。

 どこかの奥さまというよりも、バリキャリの総合職ビジネスウーマンのような雰囲気がある。

 皮膚は少したるむが、はっきりとした目鼻立ちで、きゅっと口角が上がってるところに可愛げが残り、それが隙を生み、親しみを覚えさせた。


 年齢は五十過ぎだろうか。郡王よりもこの女の方が俺と年齢が近い。俺は四十で、いわゆる「現役」のつもりはない。だが、年齢が近い人の加齢臭にはショックがある。


 この人は、趙小瑶の何だろうか。

 娘子と呼ばずに、お嬢さまと呼ぶ。母親はもう死んでいるらしいし、そもそも母親が娘をお嬢さまと呼ぶこともないだろう。つまり、お嬢さま時代の……乳母だろうか。


「もう聞いておられるかもしれませんが、記憶がありません。申し訳ないですが、どなたでしょうか」


 女は俺の手を握って言った。


「しび、と申します。お嬢さまのお世話をずっとしておりました」


 どう書くのですか、と言う前に女は空中に字を書いた。紫薇。

 サルスベリか。

 そういえば、海蘭も花の名前だ。

 ここの人たちは、花の名前を持つのかと思ったが、「趙小瑶」に花の名前はない。

 そのことを聞こうとしていたのだが、回り縁に出る障子を開けるとそんな話は飛んでしまった。


 昨夜間男の周王に抱きしめられたその場所で、郡王が火鉢の上に土瓶と言えばいいのだろうか、何か煮詰めているのだ。


 なんでそんなところで?


 風向きが変わって、ぷんと中身の匂いが漂う。うっわ、漢方薬。しかもセロリが入ってるような、強烈なのだ。


「おけつの薬です」


 おけつ?

 瘀血と紫薇は空中に書いてくれた。

 郡王が言った。

「王太医が処方していってくれたものだ」


 昨日寝る前に飲んだものとは臭いが違うような気がするんだが。


「殿下、」


 紫薇が郡王にささやいた。郡王がギョッとした顔をして俺をちらっと見た。


「……ど、どうすれば、」


 紫薇は郡王に何か唱えるのだが、もはや聞き取れない。どうも、薬草の名前らしく、郡王はいちいち頷いた。


「その通り。それに、昨日の晩に新しい処方が届いた」


 郡王も薬草の名前らしい単語を唱えていく。

 今度は紫薇が頷いた。


「さすがは太医。名医といわれるだけあられますね。月のものが来ることを予期して、昨日処方を変えられたのでしょう。そもそも月のものの薬と打ち身の薬は血流の停滞を破る目的で同じものを使います。さらに、血を補うようになさったのですね」


 そう言われて、なんかわかったような気がする。

 落馬の打ち身の薬と生理痛の薬は近いが、生理が来るのを予想して生理痛に向けた薬の処方が変わった、と言ってるんじゃないかな。

 その間に、俺は海蘭が持って来させたロッキングチェアに座り、上に分厚いフェルトをかけられていた。


 郡王は紫薇に言った。


「じゃあ、このまま」

「もちろんですとも」


 郡王は、木の器にセロリ臭い漢方薬を入れて俺の前に持ってきた。


「本王がさっき、ここで煎じたばかりだ」


 木のお匙にすくってふうっと息を吹きかけかけてやめた。


「……夫人は、嫌なんだったな……」


 青いヤツめ。と思いながら、俺は手を伸ばした。


「……そのままいただける方が……」


 郡王は俺に器をくれたのだが、すぐにバツが悪そうに紫薇に聞いた。


「……夫人に処方されていたのは女人向けの薬なんだな、男が飲むと……」


 紫薇はクックと鳩のように笑って、答えた。


「殿下は普段から体を鍛えておられるので、打ち身の一つや二つありませんか」

「なくはない」


 紫薇は頷いて答えた。


「打ち身に効きますが、量にお気をつけあそばせ。男性には量が多くて、腹を下すことがあるかもしれませんね」


 郡王が俺をちらりと見て気まずそうな笑みを見せた。

 このガキは昨日一杯飲んだよな、俺の前で。その後……。

 俺は思わず、ヒッヒと笑ってしまった。

 郡王は笑いを堪えようと、俺にこんなことを言った。


「さっさとお飲み」

「だって苦いんだもん」


 郡王はロッキングチェアの横に跪いて、小さなツボを懐から取り出して見せた。中にあるのは、茶色っぽい丸いものだ。


「干したライチは好きだろう?」

「ライチを干すのかい?」


 郡王は一つ取り出してグッと親指と人差し指で丸いのを潰した。


 黒いのは、ライチの皮だったらしく、薄い皮が破れて、中身が見えた。郡王は中身を自分の口に放り込んで、しばらくして種を手のひらに出した。


「全部飲み終わったらあげる」


 俺はね、果物の中で一番好きなのがライチなのだ。冷凍食品のライチでもいい。でも、一番うまかったのは、台湾で食べた生のライチだ。干したライチは食べたことがない。


「ライチは、今のお嬢さまに良いものです。ただ、食べ過ぎるとニキビができてしまいますよ」


 紫薇はそう言って「また来ますからね」と去った。一緒に去った若い女がいたのだが、あれは紫薇の侍女だろうか。


 郡王は俺が薬を飲み終わるのを見届けると、手のひらを出せと合図をするから手を出した。

 三つだけ干したライチを出してくれた。


「太后宮と皇后宮へ行って、夫人が起き上がれるようになったと報告してくる。お二人ともそれはそれは心配しておられるゆえ」


 俺の手を両手で包み込むように握り、大きめの口を孤にして笑った。

 その顔の美しいこと。

 ツンデレめ。

 この男は青くてアンバランスでツンデレなんだな。


 多分趙小瑶も反抗期的な年齢かな。

 だがもう一人いるんだなあ。忠犬九ちゃんが。

 郡王の後ろ姿を見送って、ライチを割りながら、俺は不安に思う。


 他人の性的嗜好をどうこう言う資格なんてものは誰にもない。

 だが、受け入れがたいものはいくつかある。

 俺に受け入れがたいものの一つが、乱行。その一つに含まれるかな、寝取られ趣味は理解できない。

 そういう男は少なくないと思うのだが、泉北郡王はどうなんだろうねえ。


 ライチを口に入れてみた。薄くて乾燥したライチの皮の下には、ブニっとグネっとしたライチの実がある。俺は、こういうグネッとした食感のものがすごく好きだ。子どもでもないのに、たまにグミを買って食べてたくらいなんだから。乾燥しきっているわけではないので、そのまま食べられるし、タネ離れは生よりも良いような気がする。


 ぎゅっと濃縮された素朴な甘さに、思わず顔がほころんだ。



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