第56話 終わり

 晩御飯のパンを買いに、パン屋にやって来た。

 香ばしい匂いがする。

「このパン1つくれないかい?」

 と俺は店頭に並ぶ、フランスパンに近い物を指差して言った。


「あら、先生」

 すっかりパン屋の奥さんになったマミが言う。

 彼女はサリバン戦の後、冒険者を引退して結婚した。それ以来、魔物とも戦っていない。

 貯めていたお金で旦那とパン屋を営んでいる。

 昔よりも、ちょっとポッチャリしていた。


「マミは元気かい?」

 と俺は尋ねた。

「おかげさまで元気ですよ」

 と満面な笑顔でマミが言う。

 口は動いていても、手はちゃんと働いていて、袋にパンを詰めている。


「ネネちゃんが行って、もう一年になるんですか?」

 とマミが尋ねた。

「早いもんだよ。もう一年になる」

「先生、1人で国近辺の強敵を倒しているっていうじゃないですか? もしよかったら私も手伝いましょうか?」

「馬鹿言え。パン屋の女将に手伝って貰うほど落ちぶれてねぇーよ。それに、そのうち騎士団だって、若い子達だって冒険者として育つよ」

 と俺が言う。

 

 俺は騎士団の指導役と、子ども達を教える道場みたいな事をして、育成に力を入れていた。

 俺頼りでは、俺が死んだ後にこの国の防衛力が無くなってしまうからだ。

 愛着が湧くぐらいには、俺達はココに根付いていた。


「ウチの馬鹿はどうなんですか?」

 ウチの馬鹿というのは、6歳になる息子のことだろう。

「マミと同じで筋がいいよ」

 と俺が言う。

「本当ですか? それならいいんですけど、前に私が稽古を付けてあげた時は一瞬で泣き叫んで逃げたんですよ」

「君の息子はまだ6歳だよ。戦うことが楽しかったら強くなるんだ。それに本当に君の息子は強いよ。前は騎士団との模擬戦にも勝っていたほどに」


 息子を褒められてマミは嬉しそうだった。「やだよ、先生」と言いながら、凄い笑顔である。


「お代はいくら?」と俺は尋ねた。

「先生にお代なんて取れないよ」

「弟子の店には多めにお金を払いたいもんなんだ」

「それじゃあ金貨10枚」とマミ。

「金貨10枚!!!!!」

 金貨10枚は家賃の値段である。

「うそうそ。銅貨3枚」

 ケラケラと俺達は笑う。

「そうだ先生。アイリの店にも顔を出してあげてよ。あの子は誰よりも先生っ子だったから寂しがってるんだよ」

「帰りに寄ってみるよ」と俺が言う。

 ちょうど結婚記念日なのだ。帰りにアイリの店で花を買って帰ろう。

 お金を払い、「また来るね」と言って店を後にした。



「先生」

 とアイリが店先で俺を見つけて手を振っていた。

 俺も手を振り返す。

 アイリもサリバン戦で冒険者を辞めて、花屋を経営していた。

 草花に囲まれていると落ち着くらしい。

 彼女の店は、すごい美しい花に囲まれている店だった。


「久しぶり」と俺が言う。

「全然、私の店に来てくれないじゃないですか?」

 とアイリが言った。

 花を買う習慣が俺には無いのだ。

「これからは来る」と俺が言う。

「前に来た時も、そんなこと言ってましたよ」

「今日は結婚記念日なんだ。適当に見繕ってくれ」

「わかりました」

 とアイリが言って、花を選び始めた。

「そういえば、お前の彼氏という奴が道場に来てたぞ」

「誰ですか?」

「背が高くて茶髪の男」

「なんか言ってましたか?」

「アイリに振られそうなんですが、どうしたらいいですか? って言ってたよ」

「何て答えたんですか?」

「知らん、って答えたよ」

「今、私に彼氏はいませんよ」

 とアイリが言って笑った。

「なんで振られそうな男が俺のところに毎回来るんだよ?」と俺は苦笑いして尋ねた。

「私が先生の事が好きだから、私を魅了する秘訣を聞きに行ってるんじゃないですか?」

 とアイリが言って、妖艶に笑った。

 その笑顔は恋愛経験豊富な女性が作る笑みだった。


「アイリさん」と1人の男がプレゼントを持って、震えながらアイリに声をかけた。


 チラッとアイリが男性を見る。

「今、接客中だから、少し待って」

 と彼女が言った。

 男はモゾモゾしながら佇んでいる。


 結婚記念の花束を作って、アイリが俺に渡す。

「いくら?」

「先生からお代は受け取れません、って言ったら先生が困るんでしょうね。銀貨1枚ですよ」

 俺は銀貨1枚をアイリに渡した。

「私が先生を好きなのは」とアイリが俺の耳元で囁いた。「誰よりも優しいからですよ」


 そして彼女はプレゼントを抱えた男の元に行った。

「また来るね」と俺は言って、店を後にした。

 


 買った花束を美子さんに渡して、晩御飯を食べた。

 2人で始まった冒険かぞくなのに、ネネちゃんがいなくなって2人に戻ってからは何かが足りていないような気がした。

 1人分少なくなってしまった家は、今だに広く感じる。

 1人分少なくなってしまった家は、とても静かだった。

 ネネちゃんは今何しているだろうか?

 泣いてはいないだろうか? 苦しんではいないだろうか?

 あの子の事だから楽しくやっているんだろう。


「寝ましょうか?」と美子さんが言って、ベッドに入ろうとした。

 その時、部屋の中心に時空の歪みみたいなモノが出来た。

 慌てて、俺は美子さんの腕を掴み、自分の後ろに隠した。


 何が出て来てもいいように身構えた。

 その時空の歪みみたいな空間から現れたのは傷を負ったユキリンだった。


「ユキリン」と俺。

 ユキリンには1人専用のテレポートのスキルがあった。

 色んな事が頭に浮かぶ。

 ユキリンが傷を負っているってことは、ネネちゃんは?


「美子さん、ジュース持って来てあげて」

 と俺が言うと、美子さんは慌ててキッチンに行った。


「大丈夫か?」

 と俺はユキリンに尋ねる。

 何かを言いたそうだけど、喋るのも苦しそうだった。

「今、美子さんがジュースを持って来てくれる」と俺が言う。


 そして美子さんがジュースを持って来てくれた。美子さん特製の甘くないポカリスエットの味がするジュースである。


 俺はユキリンを座らせる。美子さんがジュースをユキリンに飲ませた。


「はぁはぁ」とユキリン。「生き返った」


「どうしたんだ?」と俺は尋ねた。


「時間が無いの。皮袋にジュースを入れて、もらえる?」

 とユキリン。


「ネネちゃんに何かあったのか?」

 と俺は尋ねた。


 ポクリ、と申し訳なさそうにユキリンが頷いた。

 美子さんは立ち上がり、キッチンに行った。話を悠長に聞くより、早くジュースを用意しないといけないと思ったんだろう。


「魔王軍の四天王の1人と戦ったの。倒したわ。でもネネちゃんのスキルが封印されて……大怪我を負っている」


 苦しくて息が吸えない。


 美子さんが皮袋に入れたジュースを持って戻って来た。

 ユキリンは、それを「ありがとう」と言って受け取り、またテレポートしようとした。


「ネネちゃんに伝えてほしいことがある」と俺が言う。


 ユキリンが俺に振り返る。


「魔王を倒すまでは戻って来るな、って伝えてくれ」と俺は言った。


 自動回復があるおかげでネネちゃんは初めての大怪我だった。

 もしかしたら心が折れるのかもしれない。夢を半ばに諦めるのかもしれない。

 だからこそ、魔王を倒すまでは戻って来るな、と伝えてほしかった。


「わかった」とユキリンが言って、時空の歪みの中に入って消えた。




 本当は魔王を倒さなくてもいつでも帰って来てほしい。


 父と母は世界で1番、君を応援している。


 君が世界中の人を敵に回しても、父と母は君の味方である。


 君が幸せであることだけを、いつも願っている。


 もし本当に本当に本当に、頑張れなくなったら、いつでも家に帰っておいで。

 魔王を倒しても、倒せなくても、君が元気であることを願っている。がんばれ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界に召喚されたが勇者ではなかったために放り出された夫婦は拾った赤ちゃんを守り育てる お小遣い月3万 @kikakutujimoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ