第29話 お、お、お、おっぱい

 10歳の子どもをお姫様抱っこで抱えていると腕がパンパンになったけど、休憩することなく走った。

 クロスの呼吸音が徐々に小さくなっていく。彼は意識が無く、骨が無いタコのようにダラリとしていた。

 気を抜けば手を放してしまいそうだった。

 彼はミノタウルスにお腹を切られてしまった。

 傷口からは水源のように血液が溢れている。

 もしかしたら間に合わないかもしれない、と思った。


「クロスは大丈夫だ。絶対に助かる」

 と俺は言った。

 不安そうに付いて来ている2人の少女に向かって言ったけど、実際のところ自分に言い聞かせていた。

 クロスを助けるために1秒でも早く美子さんの元へ行かなければ……。



 ようやく家に辿り着く。何百年も時間がかかったような気がしたし、一瞬で辿り着いたような気もした。

 彼は三途の川を胸元あたりまで浸かっている状態だった。だけど、まだ息はある。

 

「美子さん」

 家の扉を開けて俺は叫んだ。

 叫んだ声は震えていて、今にも泣き出してしまいそうだった。


「どうしたの?」と美子さんがネネちゃんを抱っこして現れた。

「美子さん」と俺は不安な顔して、彼女を呼ぶだけで要点は伝えれなかった。

 パニックで言葉が出てこないのだ。


 美子さんはクロスを見た。

「……まだ生きてるの?」と彼女が尋ねた。

 うん、と俺は頷く。

「ソファに連れて来て」と美子さんが言って、家の奥に入って行く。

 俺はクロスを抱えて、美子さんに付いて行った。

 彼女がソファに座る。

「ネネちゃんを預かってくれるかしら?」と美子さんが言う。

 アイリが赤ちゃんを抱っこした。


 美子さんはボタンを外して、胸を出した。ピンクの乳首が露わになった。

「クロスをちょうだい」と美子さんが言った。

 俺は彼女にクロスを渡した。

 美子さんは血まみれのクロスを大きな赤ちゃんのように抱え、おっぱいを飲ませた。


 大きな赤ちゃんは、美子さんの乳首を口に含んだ。

 初めは乳首を口に含んでいるだけだった。

 だけど次第に乳首を吸うようになった。

 クロスの血は止まり、むさぶるように乳首を吸い始めた。


 ネネちゃんが自分のおっぱいを取られたと思っているのか、ママに手を伸ばして泣き出した。

 クロスは完全に回復した。

 目を開けて、目の前のモノが何かわからず、揉んでいた。

 そしておっぱいから口を離し、美子さんを見上げた。


 そして時間が止まったようにクロスは固まった。

 みるみるクロスの顔が真っ赤になっていく。

 クロスは慌てて美子さんから離れて、アワアワした。


「よかった」と俺は言って、床に座った。

 クロスが死にそうで生きた心地がしなかった。本当に回復して、良かった。

 美子さんはおっぱいをしまって、泣いてる赤ちゃんをアイリから受け取った。


「お、お、お、おっぱい」と真っ赤な顔をしたクロスがアワアワして言った。


 俺は立ち上がり、クロスのところへ行く。

 無鉄砲に魔物に突っ込んで行ったバカクロスのことを怒るつもりだった。もう2度としないように説教するつもりだった。


 だけど俺が発した言葉は説教じゃなかった。

 俺はおっぱいを飲んだ事に気づいてアワアワしているクロスを思いっきり抱きしめて生きていることを確認した。


「お前が死んだら俺は悲しい」

 と俺が言う。


 なんだったら、おっぱいが出てきて涙は似合わないシーンになっているのに、俺は泣いていた。……本当にバカクロスが死ぬ、と思っていたのだ。


「死ぬような事はしないでくれ。あんな命を捨てるような事はしないでくれ。クロスが死んだら俺は悲しいんだ」


 俺は俺の感情を彼に伝えていた。

「……ごめんなさい」とクロスは震える声で呟いた。

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