幻の財産

「どうも、嫌な予感がするな」

 岩の上に記された黄色いペンキの文字を処理しながら、俺は思わず呟いた。

「嫌な予感?」携帯端末を弄っていたニセノが顔を上げる。

「この呪文は動作してない。少なくとも今現在は」

「そうなんですか? じゃ、建物の方にあったのと同じく、過去に使われていたお店の設備か何かでしょうか」

「いや、有効ではあるんだよ。何らかの条件が揃って一時停止が掛かっているだけで」

「へえー。わたくしにはあんまり、違いがわかりませんけど。そういう状態だとまずいんですか?」

「まずくはないけど……想定と違うな、というだけで」

 そもそも、隠し財産など出てこない方が穏便に済むはずだから、俺が気にすることではないかもしれない。ただ、少なくともこの呪文には「金庫」らしい特徴が見られない。これを解呪することで新しい問題が生まれなければ良いのだが。


 パソコンに取り込んだものを睨んでいると、ニセノが「あ、おーい」と手を挙げた。

 林の入口にあの少女がいて、木の幹に半分隠れながらこちらを見ていた。


「見る?」ニセノは手招きした。

 少女はぴょんぴょんと雪の深いところばかり踏みながら近寄ってきた。

「あれ? さっきと違う」少女は枯れ池の縁から呪文を見下ろして言った。


 一度俺が「逆写」をしたので、呪文の一部が書き換わっているのだ。


「よく覚えてるね」とニセノは言った。

「だって、さっきは一文字ずつ書いてあったけど、今は英語みたいになってる」

「呪文、好きなの?」

 少女は黙って首を傾げた。「……わからない。やったことないし」

「そっか。ねえ、中学受験するの?」

「……まだわからない。財産が出てくれば、伯父さんが私たちを引き取るって」少女は少し俯いて言った。

「そしたらここに住んで、この町の学校に行くの?」

 少女は黙って曖昧に頷いた。

「そうなんだ。ここじゃあちょっと田舎すぎる気がするけど……普通に親元で受験して都会の学校へ行った方が良くない? 親が嫌なら、寮に入るって選択もあるし」

「親が嫌なわけじゃなくて、学校が嫌」少女は低く小さな声で言った。

「へえ。どこ受けるの?」

「ニジオミの附属? 結構遠いねえ」

「本当はが良かったんだけど、母親がダメだって。不祥事があったから」

「ああ……ニュースになってたやつかな。まあ女の子だし、親は避けるか」

「でも、中等部は関係ないし。あっちの方が校舎が綺麗だし、偏差値も高いのに」

「まあね、せっかく頑張るなら少しでも高いとこに行きたいよね……勉強は得意?」

「うーん、普通だけど……塾の先生はセンカレの方がいいって」

「偏差値的には良いセン行けてるのかな。塾は塾で、ノルマがあったりするからね……。ねえ、もし、呪文に興味があるならだけど、って知ってる?」

 少女は首を少し傾げながら横に振った。

「偏差値的にはパッとしないんだけど、特進クラスは外部進学にも熱心だし、なにより、高等部と合同の呪術研究部がある。よく、メディアの取材を受けているよ」

「ええ?」少女は少し表情を変えて目を上げた。

「呪術関係のスキルを子供に教えてくれる場所って、今のところほぼ無いんだよね。習い事とかワークショップ程度だと、実用的なものには程遠いし。若いうちから真剣にやってみたいなら、マルガクはかなりお勧め。あとは公立で、そういう部活を持ってるところは幾つかあるけど、公立だと学区の縛りがあるし、顧問の先生次第なところがあって、先生の転任で急に廃れちゃったりするからね」


 少女はぽかんとした表情になり、まじまじとニセノを見上げた。


「興味あったら、マルガク、調べてみて。先生や親にも聞いてみるといいよ。伯父さんと暮らす話は、それが済んでからでもいいんじゃないかな。受験は将来のことに響くから、できるだけ多くの選択肢を見ておいた方がいい」


 ニセノのくせに常識人みたいなこと言ってるな、と俺は横で聞きながら思った。しかし、これくらいの年齢の子にとっては、親が候補に挙げなかった学校を探すというのはなかなか思いつかないことかもしれない。それに、あの伯父夫婦もこういった話題には疎そうだ。


 俺はここまでの処理をいったん区切り、デジカメを枯れ池に向けてフラッシュを焚き、もう一度した。


 黄色い呪文がまた少しだけ変化する。通常の文章ではないが、辞書的に意味のある単語が散見されるようになった。

「すごい」少女は目を丸くして呪文を覗き込んだ。


「動作してないのは、水が無いからだな……」俺は呟いた。

「何か出てきそうですか?」ニセノが聞いた。

「まだわからん。元はここに湧水があって、いつも水が溜まってたんだろうけど。水があることが前提の呪文だ」

「ひと財産ってことだから、やっぱり現金なんでしょうか?」

「現金を池に沈めるかな。金の延べ棒ならまだわかるが」

「はあ……まあ、純金なら腐らないでしょうけど。屋外に埋めるのはなかなか勇気がいりますね」

「けど、火事や地震には強いかもしれない」

「なるほど。非常用ですか」


 少女は無言で自分の携帯端末を出し、今朝撮った呪文と今の呪文を見比べていた。

「後で、俺が撮った画像をあげようか?」と俺は言った。「昨日のも含めて、最初の状態から全部撮ってるよ」

 少女はすぐに頷いた。目の変化が少ないので表情が読みづらいが、嬉しそうな時はわずかに口角が上がることに気づいた。

 少女はデータ受信用のコードを俺に共有し、それから来た時と同じようにぴょんぴょんと雪を踏んで駆け去っていった。


「最近の子供って忙しいですね。物心ついたときから、受験だの進路だのって」ニセノは少女の背中を見送りながら言った。

「お受験なら、昔の方が凄かったんじゃないのか? 俺は知らんけど」

「地域によっても違うんですかねえ」

「というか、お前が今どきの受験事情に詳しいことが意外だけど。ニジフがどうとか、どこそこの不祥事とか、よく知ってんな」

「さっき検索して、調べただけです」ニセノは携帯端末を持ち上げて言った。「今日初めて知ったし、明日には忘れます」

「ええ……。それで偉そうに助言してたのかよ」

 こいつに何か相談するのは絶対にやめよう、と思った。自分で調べた方がマシだ。


「ふと思ったんですけど、この、こごみ荘って一通りの設備はありますけど、大浴場が無いんですね」ニセノは急に言った。

「風呂なら厨房の奥にあったぞ」

「そうですか? でも、あの奥なら身内用ですよね。宿泊客は、部屋のお風呂ですか?」

「シャワーが付いてたな。かなり狭いけど」

「シャワーだけですか……県道まで戻れば温泉施設とかありそうですけど、ちょっと不便かも」

「昔は栄えてたっていうから、この近くにも温泉とかあったんじゃないか」


 それから俺もニセノも、目の前の岩に囲まれた窪みを見た。

 以前はいつもここに水が溜まっていて、その底に呪術が掛けられ、何かの機能を果たしていた。

 建物の裏手から近い。しかも木々に隠れていて、目立ちすぎない。以前は簡単な衝立でも設置して、履物や服の置き場を備えていた可能性もある。


「え、なに、これ温泉? の跡地?」

「……かもしれないなって、ちょっと想像しました」ニセノは岩場を見回した。「ここが、もし、こごみ荘の設備の一部だとしたら、欲しいのは水よりもお湯かなという気がします。特にそうだという根拠はありませんが」

「うーん。言われるとそうとしか見えなくなってきた」


 俺はパソコンに取り込んだものを見直し、呪文の解釈を再検討した。水質や水温の管理に呪術を使えば、景観をほとんど損ねないし、コストカットに繋がる可能性もある。もともとあった湧き水か温泉を利用していて、水道を引いてはいなかったのだろう。だから、何かの理由でそれが枯れた後は、使われなくなった。こごみ荘がある時期から宿よりも「レストラン」を前面に出すようになったのも、もしかしたらこれが理由のひとつだったのかもしれない。


「……給湯器みたいなものとして考えると矛盾は無いかもしれない。水を実際に入れてみれば確実だけど」俺は言った。「でもさ、だとしたら財産ってのはどこに消えた?」

「さあねえ」ニセノは無責任な口調で首を傾げた。「お婆さんの心の中とかじゃないですか?」

「はあ……昨日あんなにキレてたのはなんだったんだよ」

 俺は頭を抱えたくなった。

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