謝罪会見 28

 矢庭、オーガの巨体が宙に浮かんだ。


「えっ?」


 全く想定していなかったのだろう。

 呆けたように口を薄く開いて立ち尽くしていたブロ子さんの背中が不意に強く引かれた。そのあとスローモーションのように感じる浮遊があり、直後、凄まじい地響き、そして同時に右半身が地面に叩きつけられた衝撃で一瞬息が止まった。


ッ」


 顔をしかめながらうっすらと目を開くとすぐそばにワインレッドのビジネススーツから露わに突き出た太腿があった。

 もちろん片膝立ちになった烏丸氏の肢である。

 ブロ子さんはドキリとした。

 言葉遣いや態度は性別など超越した百戦錬磨の鬼将校といった感じなのに、その肌の白さと滑らかな筋質の流れは同性からしても匂い立つほどに艶美で、思わず逸らすように目線を上げると切長の瞳が自分を見下ろしている。


「大丈夫か」

「あ、はい」


 少し声が裏返りそうになって咳払いで誤魔化した。

 次いで体を起こそうとしてみると右肘に鋭い痛みを感じて止めた。

 折れてはいないだろうけれど、投擲は無理かもしれないと直感する。

 もう一度上体を起こそうとしたそのとき頬に小さな雫が弾ける感触があった。 

 目線を戻すと烏丸氏のフェイスラインにいく筋かの赤い血が滴っているのが見えてブロ子さんは跳ね起きる。


「ち、千弦さんこそ大丈夫ですか」

「ああ、問題ない。砕け飛んできた小石がかすっただけだ」


 慌てて体制を立て直し、段上を見上げると濛々とした土煙にオーガの巨大な影が霞んでいた。

 その場所はどうやらさっきまで二人が立っていた場所に違いない。

 オーガは跳躍して自分たちを踏み潰そうとしたのだろう。

 あのままぼんやりと立ち尽くしていたら、今頃は奴の足の裏で紙のようになっていたはず。そう考えると急に身震いがして、ブロ子さんは両腕をクロスさせて自分の肩を抱いた。


「あ、ありがとうございました」

「礼など無用だ。それより警戒しろ」


 首肯いたブロ子さんは背後に一瞥を向けた。

 すると数段下の狭い踊り場で七倉氏が歯を食いしばってオーガを睨んでいた。

 その背中にはぐったりとした緋雪氏の身体。

 あれでは七倉氏といえど、オーガの攻撃を避けられるほど疾くは動けないだろう。

 背筋を冷たいものが走る。

 私の右腕が使えず、七倉氏も動けないとなれば武器は烏丸氏が持つ銃しかない。

 しかもその銃弾も眼球にヒットさせることができなければ全くの無効ときている。

 つまりこちらにはもはやオーガに対抗できる武力は残されていないということだ。

 この場合は当然、退却して体制を立て直す他はないが、石段の下にはまだゴブリンや死神の残党がいくらかあり、ジリジリと自分たちを挟み込もうとしていた。

 

 これは詰んだかも。

 

 ゲームの世界ならば倒れてもセーブポイントからやり直しが効くが、もちろんここではそういう訳にはいかない。


 ゴクリと喉を鳴らすとその時、烏丸氏が空気を切り裂くような鋭い声を発した。 

 

「来る!」


 素早く目線を向けるとオーガがその太く短い脚で屈み、今まさに跳躍しようとしている。

 その距離はおよそ10メートルほど。

 先ほどのことを考えるとここにいる全員が奴の足裏の射程範囲内だ。


 とりあえず下へ逃げるしかない。


 そう判断して右足の爪先で石段を蹴ろうとしたところだった。

 刹那、オーガの背後、黒摩天のふもとに黒い影が過った。

 と、感じたときには、すでに影はオーガの真後ろにある。


 えっ?


 残像さえほとんどとらえられない疾風の如き凄まじい速さ。

 

 なに?


 そう疑問に思う間もなく次の瞬間、オーガが大口を開け咆哮を上げた。

 そして見るとその丸太のような首に影が張り付いている。

 

「ふっ、あいつめ。相変わらず美味しいところを持っていく」


 そばでグロックを構えた烏丸氏が少しばかり苦い顔つきで笑み、そう呟くと地鳴りのようなオーガの声が徐々に小さくなり、やがて掠れて消えた。

 同時にその巨体が前のめりに倒れ、地響きを立てて石段に打ち付けられる。

  

 一部始終を呆然と眺めるしかなかったブロ子さんの目の前に気味の悪い黒い斑がある緑色をしたオーガの頭部が横たわっている。

 そしてうなじの背にはやはり黒っぽい迷彩服をまとった小柄な人物が立っていた。

 

 女?


 髪は短いが女性的で色白の可憐な容姿がその下にある。

 それにしても先ほどの動きは人間離れしていた。


 いったい何者なんだ。

 そしてどうやってあの一瞬でオーガを倒したのだろうか。

 

 その手には緑色の滑る液体が滴る大型のサバイバルナイフ。

 

「遅くなりました」


 その人が息絶えたオーガの頭部の前に跪くと烏丸氏がふんと小気味よく鼻を鳴らした。


「久しぶりだな、松本」



 つづく


 ああ、ようやく松本さんに再登場していただくことができました。

 長かったなあ〜(いや、おめえが長くしたんだろうよ)


 次はとりあえず緋雪さんに復活してもらいましょう。

 そしてあの方も再登場……?


 ではでは。

 

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思いつくまま、覚え書き 那智 風太郎 @edage1999

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