恐山トリップ 5

 そのイートインスペースの座敷には広めの和テーブルとその両側に三枚ずつ藺草いぐさのラグが敷かれていた。

 おぼつかない足取りで那智がそこにたどり着くとラグを寄せ、それを頭と背にして体をまっすぐ硬直させるようにしてうつ伏せに横たわっているK君がいた。

 那智にはそのうつ伏せの意味が悲しいほどに理解できた。


 そうなるよな、K君。

 だって俺たちには今、床に着地させられるケツがないのだから。


「おい、K君、生きているのか」


 まさかとは思ったがボロ雑巾のように哀れな姿にそう声を掛けずにはいられなかった。

 那智はその声にも微動だにしないK君が、けれど一定のリズムで呼吸をしていることを確認して安堵し、自分もまたスニーカーを脱いで和テーブルの反対側へと倒れ込んだ。そしてK君と同じ直立不動うつ伏せの安定姿勢になり束の間の休息を取ったのだった。


「おい、どないしてん、お前ら。二人とも冷凍マグロみたいになって」


 数分後、盆を片手に現れたD君の声に那智はゆっくりと体を起こした。

 冷凍マグロはだいたい横向きになっているものだぞ、たとえるなら死後硬直したワニが正解だと教えてやりたかったが、那智はあえて口をつぐみ、それからおもむろにラグの上に正座を決めて席に着いたばかりの二人に頭を下げた。


「すまない、キミたち。我々が不甲斐ないばかりに給仕を押し付けてしまった」


「いや、いいよ、これぐらい。後ろは大変だったね。次は代わるよ」


 S君の言葉に一瞬、唖然としてしまった。

 そしてその奇特過ぎる言葉に目を潤ませると、目の前でK君が拳で目尻を拭き、鼻を啜り上げた。


 S君、キミはなんていい奴なんだ。

 けれど、それではこの厳しい世の中を渡っていけないんじゃないか。


 そんな心配まで口に出してしまいそうなほどに感動していた我々の前でD君が思わぬ提案をしたのはその時だった。


「まあ、そういうことならここはひとつ勝負で決めよか、座席を」


 ……勝負?


 混乱した。

 何を言っているんだD君。

 別に勝負なんてしなくても……。


 そこで那智はようやくD君が言わんとする勝負の意味を悟った。

 どうやらジムニーくんの振動は那智の脳を揺らし一時的な機能不全に陥らせていたらしい。

 愚かにもちょっと考えればすぐに分かる道理に気がついていなかったのだ。


 そうだ、S君が席を譲ってくれたとしても那智かK君、どちらかはまたあの地獄に立ち戻らねばならないのだ。


 ならば確率は二分の一。

 那智とK君の勝負になる。


 ごくりと唾を呑み込み、目線をゆっくりと正面に向けるとK君が恐れ慄くように目を瞠いてやはりこちらを見ていた。

 そして彼はふた呼吸ほどおいて、おもむろに逆手を組み上げ、その拳の間を覗くポーズを作った。


 そうだろう、そうだろう。


 確率が半分ということになれば、古今東西、勝負の方法は決まっている。


 である。


「三回勝負……な」

 

 那智も同じように拳を組み上げ、中を覗き込みながらそう呟くと、その視界の端でK君が小刻みにうなずくのが見えた。

 そしてほぼ同時に拳を解いて、老若男女、誰もが知るあの掛け声を放った。


「さぁいしょはグー、じゃぁんけぇん……」


「ちょっと待てぇ」(千鳥ノブ風に)


 その緊張感のない制止に、けれど二人を差し出そうとしていた拳を止めた。

 声はD君のものだった。


「な、なんだよ。俺たちは今から生死をかけたジャンケ……」


「おもんない」


「……はあ?……オモンナイ?」


 那智は思わず思い切り間の抜けた声でそう聞き返したがD君は至極真面目な顔をしてその那智に詰め寄った。


「ジャンケンとかおもんないわぁ。なんかこうもっと手に汗握る勝負せんと。なあ、K君」


 振られたK君はきっとなにも考えていなかったのだろう。

 チョキを出しかけていた二本指を目の前にかざしてしばらく見つめたあと、

「そうだねぇ。まあいいよ、僕はなんでも」

 などと腑抜けたセリフを吐いた。


 そうなっては那智ももう「いや、ジャンケンでいいじゃないか」などと場を白けさせるわけにはいかなくなった。


「ま、まあ、いいよ。俺だって別に……」


 そう強がって見せたものの、不安が胸の中で渦巻いた。

 勝負っていったいなにをさせるつもりなのだ。

 早口言葉とか演説などは勘弁してもらいたい。

 喋るのはあまり得意ではないのだ。

 そんなことを鬱々と考え始めているとS君がそのとき信じられないことを言い始めた。


「いいねえ、じゃあ俺もやるよ」


 お、おいS君、キミいったいなにを……。そんなことをしたら確率が……。


「よし、ほんなら四人でやろ」


 D君だった。

 四人?

 おい、さすがにそれには異論を挟まざるを得ないぞ。

 だって運転は……。


 那智が言いかけたその前にK君が口を開いた。


「それは意味ないよねぇ。だって運転免許はD君しか持ってないんだからさぁ。キミが勝ったら勝負は無効じゃないかぁ」


 のんびりした口調の中に那智は殺気めいたものを感じた。

 そりゃあそうだろう。

 これはなんと言っても生死を賭した勝負なのだ。

 やり直しなどもってのほかだろう。

 那智が激しく同意してウンウンと首をボブルヘッド人形のように振ると今はまだ戦友のK君はサムズアップで弱々しく微笑んだ。

 けれどD君はその反論にミリも動じなかった。


「大丈夫や。ワシが勝った場合は助手席ナビを三人の中から指名するんや。これならフェアやろ」


 思わず那智は唸った。

 なるほどそういう手があったか。

 けれどそうなると彼が勝ってしまった場合は、D君の覚えがめでたい人間が優遇されることになる。

 こんなことなら普段からD君の肩でも揉んでやっていたものを。

 しかし今更どうなるものでもない。

 那智が人知れずほぞを噛んでいるとS君が尋ねた。


「でも勝負ってなにやるの。ジャンケン以外だとあみだくじとか」


「そやからそんなんおもんないって。勝負はな、これや!」


 そう云って彼が指さしたのは丸盆に載せてテーブルに置かれた山積みのおからドーナツだった。


 つづく


 みなさん、そう簡単には始まりませんよ、ふっふっふ。


 



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