人を捨て、人を失う。


「——なんてザマだよぅ、お前」


懐かしい、声がした。


ふわふわと浮いているような感覚と、己のことすら定かではない曖昧な意識、明るいのか暗いのか、上なのか下なのかすらも一切が不明だ。


だが。


「のたうち回ってよぅ、血泥にまみれて、かわいい顔台無しにして、腕まで失くしちまってよぅ、片目も潰れちまってるみてぇだし……」


この声だけはハッキリとしている。


——コンコンコン。


キセルの灰を落とすような音色が聞こえる。


「お前さん、お前さんや、俺の為にそんなになっちまってるのかい?俺がお前さんに下らないモノを残して逝っちまったから、苦しんでるのかい?」


胸を引き裂くような悲しい音、声を張り上げて叫びたい、だけど私はなにも出来ない、干渉することなどただの一度たりとも。


「だとしたら申し訳ねぇことをしたなぁ」


煙が、もくもくと、思い出の香りは思い出を呼び起こし、不思議と当時のことが蘇る。


拾い子の私には大きすぎたあの背中、あんなふうにありたいと願った姿、戦争に親を殺されたった一人ぼっちだった私を育ててくれた恩人。


貴方のせいなどであるものか!私が全て至らないから、全て私が未熟だったから、こうなったのは全部私のせいで貴方は……!


どんなに熱を込めても、河の向こうの者には伝わらない、あれはぼんやり陽炎のように揺らめいて、この手で掴める事など決してないのだから。


「始めて会ったのは市場だったよなぁ、お前ぇ俺から盗みを働いてよ、それを俺がとっ捕まえて


話を聞きゃ住むところも面倒見てれる大人も居ないってんで、俺んとこに連れ帰ったんだったなぁ、なんて懐かしい話だよぅ……」


だからこれはきっと幻で、現実なんかじゃなくて、一時の病みたいなものなのだ、存在もしない質量もないただの。


「お前」


——だけど。


「立派になったなぁ」


——でも、これは。


「背も伸びて、剣の腕も磨かれて、あんまし女相手に言う台詞じゃあ無いかもしれねぇけど、老いぼれた俺なんぞよりよっぽど剣士だ」


やめてください……!


そんなことを言われる価値は私にはありません、ただ壊して殺して血を流して、なんもかんも滅茶苦茶にしただけの、私はただの……!


「頭ぁ撫でてやりたいけど、ちょいと遠すぎるみたいだ、俺はそっちにはもう居られないからよぅ」


ダメ、何も伝えられない、たとえ幻の中でも沢山謝りたいことが、それに何の意味もなかったとしても私はやらなくちゃいけないのに。


「だから、な」


師匠は立ち上がった。


まだ中身の入った酒の瓢箪を持って。


「俺にお前の頭、まだ撫でさせんじゃあねぇぞ」


遠ざかっていく、追いかけ続けたあの背中が、一度もこちらを振り返ることなく離れていく。


「お前さんのやってきたこと!そいつが正しくとも間違っていようとも俺は知らん!なんせ俺自体ただのロクデナシの人斬りだからなぁ!


俺ぁ弟子には甘いんだ、それもかわいいかわいい娘と来たらな、粗相のひとつやふたつ笑って見逃してやりたくもなるもんよ!


だから俺が言いたいことはひとつだけ、頼むからまだこっちにだけは来るなよ、もしそのツラ俺の前に見せようもんなら……」


立ち止まり、ほんの少しだけ、こちらに顔を向け。


「夕飯は抜きにしてやる」


そう言って、豪快に笑いながら歩いていく師匠、後にはただ煙の軌跡だけが残されたいた、まるで導のようにひょろひょろと。


後を追いかけたいが、そのための足がない、あたりは真っ暗闇でどっちが前か後ろかも分からない、道は完全に閉ざされてしまった。


そして私は、このもくもくと焦げ臭い『匂い』によって目を覚ました——。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


「——死体を運べ!さっさとしろ!さもなくば今日も明日も灰まみれだ、基地内の死体は全て燃やせ!ノロノロちんたらしてる暇は無いぞ!」


やかましい声が、やかましい物音と一緒になって私の耳に届く。


非常ひ焦げ臭い、人の肉が焼ける匂いだ、幾度となく戦場で嗅いだことのある匂いだ、空気が灰と死に汚染されている。


私は床に倒れている、薄目を開けて外の様子を確認すると、そこには大量の軍服を着た兵士が居た。


彼らはそこかしこに死体を積み上げ、そして薪をくべるように大火の中に彼らを放り込んでいる。


「英雄の反逆なんて笑い話にもならん!証拠は全て消しされ!ここは正体不明の流行病によって全滅したということにする!いいな!」


なるほど、お得意の隠蔽か。


「英雄の死体、焼却しました!」


「よし、奴の装備は荷車の中に放り込んでおけ、あれだけは残しちゃマズイ」


聞こえてくる音声から、彼らの素性や目的を測ろうとしていると。


「隊長!こっちの女どうやら我々の仲間ではないようなのですが、いかが致しましょう!」


頭上からそんな声が響いた。


「燃やせ、例外は無い」


「了解です!」


体が持ち上げられる。


不思議と痛みはなかった、それどころか大変いい気分だった、まるでよく寝た日の朝のように。


あれだけの重症を負ったはずの私は、何故かすこぶる調子がよかった。


およそ一度の死では足りぬだけの損傷を受けながら、未だ存命であることの奇妙さもさることながら、この異様な気力の湧き出方はいったい。


力が溢れて止まらない、片腕はやはり無いようだが、それでもよう抵抗をするにはそれだけで十分であった。


「こいつ、いやに暖かいな、まるでつい数分前まで生きていたみたいな……」


「——その通り」


ギョッと、男が驚き悲鳴をあげる、私は担ぎあげられたまま男の喉を打ち、気道を潰してやった。


「ご、は……」


膝から崩れ落ちる兵士、それに追従して地面に投げ出された私は、彼の腰に吊るされた剣を引き抜いて立ち上がった。


「……な、なに!?」


戦慄、驚愕、雷に打たれたような衝撃が彼らの間に走る、そして目の前のありえない光景に向き合う。


「馬鹿な!死んでいたのを確認したはずだ……ッ!」


体のバランスが狂っている、腕を失くした影響は思いのほか大きい、重心を保つのがひと苦労だ。


——しかし。


「あぁ、なんて良い気分なのじゃ!」


手を広げ、声を張り上げる。


その私の姿に、兵士共がざわめく。


まるで新たに生まれ落ちたかのよう、気分も良ければ体の調子も良い、こんなにも清々しい気持ちになったのは旅を初めてから一度も無かった。


「……なにをやってる!さっさと殺せ!」


兵士が飛び込んでくる。


彼はまだ若い、未来もある、私が彼を殺す理由は無いしそれが許される道理もない。


——振り下ろされる剣、そして。


走って切りかかってきた男はすれ違いざまの私の剣を受け、そのままの勢いで床に倒れ込み、ピクリとも動かなくなった。


「な……」


後退る司令官、それと対照的に殺意を膨らませる兵士たち。


「貴様——!」


一斉に抜剣、鉄の擦れる音が火炎を切り裂く。


「……もう命の尊さなどに惑わされはしない」


赤く染った剣を見下ろしそう呟く。


私にとって殺しとは楽しむ為のものだった。


師匠と剣の稽古をしていた時は分からなかったが、ひとたび戦場に出てしまえば嫌でも実感した、私は自分の技が他者を打倒する様を見るのが心の底から楽しかったのだ。


そうでなければ。


そうでなければ私はここまで来れなかった。


苦痛にまみれた贖罪の旅、もちろんそれも嘘ではないだろう。


しかしその中に『あの歴戦の強者と剣を交えたい』という思いが無かったとは決して言えない。


私は英雄を『殺すべき存在』と見ると同時に『技試しの為の人形』とも思っていた。


これまで目を背けていた、思わないようにしてきた、だが戦う度私の心は高揚していた、人を切る感覚は気持ち悪いがしかし。


——ある種の快楽だった。


顔を上げ、叫ぶ!


「さぁ、誰から死にたい!?命を捨てたい大馬鹿者から順に掛かって参れ!皆まとめてあの世に送ってやろう!私を楽しませてみせてくれ!」


今の私はさぞ瞳を輝かせているのだろう、片腕でどれだけ戦えるか知りたい、私の頭の中にあるのはそれだけだ。


もはや私は人ではない、人であろうとするのは止めにしよう、どうせ誰もかも切り伏せてしまうのだ、今更道徳を語ったところで意味は無い。


人間ぶるのは終いだ!


ゾロゾロと突っ込んでくる兵士達、彼らは復讐に胸を燃やしている。


「ま、まて!ソイツは——」


上官の静止の声も耳に入らず、奴らのうちの一人がとうとう私の間合いに踏み込んだ。


「死にたいのはお前か?」


そして、空高くに首が飛んだ——。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


「……話にならん」


ひゅっ。


血みどろになった敵の剣を振り、血を落とす。


「ば、馬鹿な……」


この場で生きているのはアイツだけ。


私は首を抑えて蹲っている『隊長』の元に行き、上から見下ろしてこう尋ねた。


「私の刀はどこだ」


彼は私のことを知っているようだった、何度も部下たちに撤退を命令していた、それはそれは怯えた表情で、必死に喉が張り裂けんばかりに。


「あ……あ……そ、こ……の……」


男は赤い指を伸ばし、遠くの方に止められている荷車を差した。


「お役目ご苦労」


——ドスッ。


脳天に剣を突き立て、一撃で絶命させる。


聞きたいことは聞けた、もう用はない。


サクサクと歩いていき、武器が大量に積み込まれた荷車をガシャガシャと掻き回す。


「あった」


お目当ての物を見つけ、片手で腰に括って留める。


果たして左手だけで扱えるのか、という不安はあるものの、何事も練習だ、きっとどうにかなる。


「さて……早々に立ち去ってしまおうか……」


ここに長居しても良いことはない、荷車から飛び降りた私はさっさと離れようとして、そういえばここが基地であったことを思い出す。


「なにか使える物があるやもしれぬな」


食料、医療品、武器、きっとなんでも揃っている、今ならなんだって取り放題だし、絶好の機会のように思える。


荷物は洞窟の中に置いてきてしまった、このまま旅を続けて餓死なんて御免だ、そんな間抜けな最期を迎えては師匠に顔向けが出来ぬ。


「——む」


と、物色の選択肢を選んだところ、彼方に何かの気配を感じて立ち止まった。


集団だ、鎧を着た集団だ、どうやらこの兵士達の装備とは違うようだが、さては援軍か何かか?


初めはそう思ったのだが、その考えはすぐに、彼らの先頭に居る者の姿を見てすぐに変わった。


「あれは……」


馬の蹄の音が近付いてきて、その者は私の前で立ち止まった。


「よう!やっぱりテメーか女剣士!」


女らしさよりも男らしさの勝つその喋り方、やたらと圧力のある声質に豪快な物言い、見覚えのある鎧と見覚えのある顔。


「ストランドか!」


反英騎士団、団長ストランド=リーリア。


そして。


「あんた、いつ見ても傷だらけのオンボロですねぇ」


彼女の右腕であるキリアが、懐かしい見知った顔がそこにあった。

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