コンコン
警備隊の鳴らす笛の音を背中に聞かせながら、屋根から屋根へと飛び移り騒ぎの中心地から離れる、今のところ食らいついて来てる追っ手はいない。
——振り切ったか。
人目に付かない場所を選んで地上に降りる、そして通路や物陰など、誰かが潜んでいてもおかしくない場所を警戒し周囲の安全を確保する。
「……ホントに逃げ切っちゃった」
ロイを地面に降ろしてやる、彼女はまるで狐につままれた様な顔をしてキョロキョロと辺りを見回していた。
「まったくやってくれるな」
グリグリと肩を回しながらロイを見る、人ひとり担ぎ上げてこれほど激しく飛び回ったことは無い、おかげで肩が凝ってしまった。
「あら、お褒めに預かり光栄でございますわ」
彼女は実に大袈裟な礼をして見せた、図太いと言うか面の皮が厚いと言うか、この手の人間が最もしぶとく生き残るということを私は知っている。
「元気そうじゃな、ではその調子で隠れ家まで案内して貰えるか」
「お安い御用で」
彼女はやけに流麗な身振り手振りでお辞儀をしたあと、私に背を向けて通路の先に進んで行った。
「調子の良い奴よの」
こんな様子では最早怒りも湧いてこない、むしろこの女に都合よく利用されてしまっている自分の軽率さ愚かさに辟易する。
通路を進んで、曲がり角を曲がって、十分も経たないうちに目的の場所には辿り着けた。
「……ここか?」
が、私の足は進むどころかその逆、己の目撃したものが現実の事なのか信じられなくて固まってしまっていた。
「その反応も無理もないわ、でもここがそうよ」
何故ならそれは『隠れ家』という言葉からは到底想像もできないような、見上げても見上げきれない程の巨大な建造物であったからだ。
「よもや´ホテル´を使っているとは」
「廃墟だけどね」
見渡しもよく、占拠されにくく、物資があって頑丈、相手の意表を突くという意味では確かにある種『隠れ忍んでいる』と言えなくもないか。
パッと見、人が使用しているような気配は見受けられない。
入口の扉には板が打ち付けてあり、ノブには鎖が厳重に巻き付けてある、窓にも鉄格子がはめられており、なおかつ向こう側の景色は塞がれている。
「これじゃまるで人類最後の砦だ」
この建物は明らかに、中に居る者を守るようにして補強されている、外からの脅威を跳ね除けるための措置があちらこちらに施されている。
「私がやったんじゃないわ、元からこうなってたの、この町じゃ昔大規模な暴動が起こって、コレはその時の名残りみたいな物よ」
「暴動?」
詳細を尋ねてみようとしたが、どうやら彼女はそれを説明するつもりはないようで、一人足早に建物の方へと駆け寄りこう言った。
「こっちよ、裏口があるの」
気にはなるが今はあえて言及するほどの事でもないだろう、もし知りたければきっと後から機会はいくらでもあるはずだ。
「あまり私から離れるでないぞ、万が一の時に守りきれなかったら困る」
ひとまず、落ち着く場所を手に入れよう。
※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※
ホテルの中はなんというか、外見から受ける印象そのままの姿であった。
薄暗い廊下、消えた電球、ひび割れた壁に剥がれた塗装、倒れたコンテナや階段を塞ぐように積み上げられた大量のバリケード。
異様な静けさとは裏腹に、かつてここで起こった事の激しさを思わせるような飛び散った血痕、明らかに人為的と思われる床の破壊の痕。
流石に死体は無いようだが、しかしそれがあってもおかしくないような殺伐とした雰囲気だ、私ひとりならば絶対に立ち寄ったりはしない。
それなりに入り組んだ構造だが、記憶力が良いのか頻繁にここを利用しているのか、ロイは迷うことなく道を突き進んでいく。
とうに電力は途絶えているようでエレベーターは使えない、階段も一部が封鎖されていたりボロボロに崩れていたりと通行不可な場所が多々ある。
初め私は道を覚えようとしたが、どこを通っても変わり映えのしない景色に加えこの薄暗さだ。
五回六回と繰り返される進路変更によって途中からすっかり道順を忘れてしまった。
いっそ外壁をよじ登りでもした方が早かったかもしれないな、等と身も蓋もないことを考えている間に我々はある部屋の前にたどり着いた。
「えーと鍵はどこにしまったかしら」
ゴソゴソゴソ、彼女は身に付けた衣服のポケットのあちこちに手を突っ込んだのち、銀色に光る小さな部屋の鍵を取り出した。
「私が開けよう」
彼女の方に片手を差し出す。
「あら、随分気が利くサービスですこと」
キーを受け取って扉の前に立つ、そして鍵穴にそれを差し込みカチャッと音が鳴るまで回す。
この行為自体には明確な理由が存在した訳じゃない、ただいつも作戦行動を行う際には私が先陣を切る役目だったというだけだ。
敵地に飛び込む最初の一人、危険地帯を切り開く矛の役目、何より人任せにするという発想自体があまり私には無かったのだ。
だが結果として、その判断は正しかったと言える。
何故ならそれは、この扉を貫き飛び出してきた銀剣から彼女を守ることが出来たからだ。
「……ッ!」
間一髪、反応するのがあと少し遅れていたら私は串刺しにされていただろう。
仰け反らせた上体を引き戻しすぐさま抜刀を行う、鉄製の扉を易々と貫通してきた剣は既に扉の向こう側に消えていった。
……手練!
「ロイ!隠れてい——」
私は彼女に逃げるように警告しようとして、この場における最悪のパターンについて思い至った、すなわちそれは『裏切り』
「——」
反射的に真後ろを振り向く。
しかしそこには、突然の事に驚愕する彼女の姿があっただけだった、その手には武器はおろか殺意の欠片も握られてはいなかったのだ。
私に向けて振り下ろされる刃はそこには無かった。
ガバッ!
と、背後から誰かが飛びついてきた。
背に重みが増える、後ろから拘束が仕掛けられる、私は投げ技を行おうとするも、力を分散させられ上手くいかなかった。
そして首元に剣が回される、あと一秒も経てば私は首を掻っ切られて致命傷を負わされる、この距離では右手の刀は役に立たない。
だから私は真後ろに飛ぶことにした。
——ドンッ!
背中に組み付いた襲撃者ごと、背後の壁に思い切り突っ込む、さほど加速が行えたわけではないが狭い通路においては効果的だった。
拘束が緩む、苦痛の声が背後から漏れ聞こえる。
生まれた隙を逃さず背後へと肘打ちを行う、感触を考えるに防がれたようだがおかげで相手の意識が一瞬防御へと回った。
私は奴の、中途半端に残った剣の持ち腕を片手で取り、崩しを加えて今度こそ投げ技に移行する。
回転の力、遠心力、二人分の体重により加算された墜落速度、肩と腰を回してまるでお辞儀をするように上体を折り曲げ敵を振り落した。
投げる際に捕まえた腕は離さない、そのまま関節を固めつつ襲撃者を腹這いにさせて、獲物を逆手に持ち上から刺——
「……!まって、ダメ!」
叫ぶような制する声、意図は図り兼ねるが敵の殺害を止めるにはそれで十分だった。
彼女はツカツカと歩いていき、私に制圧されている襲撃者の元へ近寄りこう言った。
「ちょっと!アンタここで何やってんのよ!」
「そいつはこっちのセリフ……だ……」
「すまないが事情を説明してもらえるかの?」
どうやら、この襲いかかってきた男とロイとは知り合いであるようだった……。
※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※
部屋の中に充満する消毒用アルコールの匂い。
「お前一体何やってんだ!街はえらい騒ぎだぞ!?」
そして響き渡る怒号。
「しょうがないでしょ死ぬとこだったんだから!ていうかなんでアンタがここに居んのよ!ここは私の隠れ家よ!」
……怒号がふたつ。
「俺たちのだろ!?お前のじゃない!毎回毎回面倒事を持ち込んできやがって!今度はいったい何なんだえぇ!?」
「お互い様でしょ!それにアンタ死んだはずじゃなかったの!?生きてたならなんで一言の連絡も寄越さないのよこのアンポンタン!」
私はその様を、腕を組みながら壁にもたれ掛かり、落ち着くまでの間眺めている。
見たところしばらく冷静な話し合いは出来そうに無いからの、こういう時は余計な口を挟まずに大人しくしておくのが一番なのじゃ。
「黙れ黙れ黙れ!そんなことはどうだっていい!俺が言いたいのは、そこのクソ女は一体誰だって話だ!」
おっと、飛び火した。
「ちょっと!私の命の恩人に向かってそんな口を利くことは許さないわよ!」
「命の恩人だと?はっ!どうせ我が身可愛さに巻き込んだんだろうがこの疫病神!」
なんとも痛烈じゃな。
「アンタ喧嘩売ってんの!?」
「へぇ、あぁいいぜ?ほらやれよどうした、掛かってこいよ決着を付けよう、お前はナイフとバットを持て、俺はトイレットペーパーで戦ってやる」
「あーあー止めじゃ止め!おしまい!二人とも冷静になれ、そうでないと外の警備隊にまで聞こえ兼ねない始末じゃぞ?」
黙っていてもよかったが、いよいよ争いが激化してきたのでそうも言ってられなくなった、火に油を注ぐ結果にならねばよいが。
「……ち」
「ふん!」
うむ、結果は良くもなく悪くもなく、ひとまず争いは一旦の鎮火を見せたが、しかし未だ水面下で火種が燻っていることには間違いがない。
「ともかく、敵ではないのだな?」
まずはゆっくり話を進めていこう。
「えぇ残念なことにね、コイツの名前はウェイン、なんて事は無い姑息で卑怯で適当で小狡いこそ泥、覚える価値のない底辺の三下ね、こんなの雑魚よ雑魚」
「こそ泥はお前……こほん」
ウェイン、と呼ばれた男は一度咳払いをすると、懐から眼鏡を取り出してそれを掛け、それまでとは違った様子で喋り出した。
「それは自分もおなじだろう?」
そんな彼の姿に面食らっていると、私の疑問に答えるようにロイが言った。
「普段はこうして猫被ってんのよコイツ、さっきの粗暴で乱雑なのが本性ね」
本人は『なんのことか分からない』といった様子で、私が付けた傷の処置を行っている。
「怪我をさせてすまなかったな」
「謝ることないわ、突然レディに襲いかかる無礼者ですもの、いっそ片腕のひとつでもぶった切ってやれば良かったのよ、きっと良い薬になる」
「いやいいんだ、お互い様だよ」
聞き流している、ように見えてこめかみがピクピクしている、なるほど彼は随分と短気な性格であるようだ、発言には気を付けた方が良いかもな。
「で?アンタなんでここに居るのよ?」
ロイが本題に切り込んだ。
私からすれば本題に入るための準備、だが。
「どこかの誰かさん達のせいで街が騒がしいからな、おかげでせっかくの仕事がパァだ、この埋め合わせは必ずしてもらうぞ」
「女の子を脅す気?みっともなぁーい」
クスクスと笑ってみせるロイ。
「おい貴様、黙って聞いていれば調子に乗りやがってこの野郎」
「——すまないが!」
今にも殴り合いの喧嘩が始まりそうな雰囲気になったところで、私は両手をパチンと叩き合わせて二人を制した。
視線がコチラに集まる。
「とりあえず、現状について話し合っても?」
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