血乱れ凶珠


ロイ=エスメラルダ=ハートウッド、そう名乗った彼女とは食事を終えたあともしばらく世間話の様なものをして過ごした。


「——で、そいつは言ったのよ


`お前の嫁さん寝室の壁紙が気に入らないって愚痴ってたぜ`ってね!」


「なんてことじゃ」


なんてことはない、景気の話だとか前勤めてた職場の同僚の面白い話だとか、どこの街中でも繰り広げられている益体もない時間というやつだ。


ある時、グラスの氷が音を立てた。


ふと時計を見上げると随分といい時間になっているのが見えた、いい加減そろそろ明日に備えて休まなねばならないだろう。


と、ちょうど彼女も同じことを思ったようで、手に持っていた酒のグラスを一気に傾けると、テーブルの上に豪快に置いてこう言った。


「ご馳走様!いやぁ楽しかったわ、まさかこんな出会いに恵まれるだなんてあたしは幸運ね、寝る前にお祈りをしなくっちゃ」


「こちらこそ、楽しませてもらった」


皿を纏める、荷物を持つ、店員を呼んでそれぞれのお会計を済ませたあとで席を立った。


「……ん?まだ残るのか?」


ロイは席を立たなかった、空になったテーブルに頬杖を着いている。


「ちょっと会う人が居るの、どうやら遅れてるみたい、実は言ってなかったんだけど今日は元々その人とディナーを楽しむ予定だったのよ」


「そうであったか」


待ちぼうけ、忘れられてしまったのだろうか、だとすれば気の毒なことじゃのう、では妙に強引に相席を押し進めてきたのはそういう事だったのか。


「おかげで助かったわ、あのままじゃ一人で寂し〜い夜を過ごさなくちゃいけないところだった、あなたのおかげで気が晴れたわ」


こんな仕打ちを受けながら尚もその者を待つというのか、途方もなく忍耐強い女なのかそれ程までに大切な相手であるのか。


どちらにせよここでお別れなことに変わりは無い。


「では、私はこれで」


「またね〜」


そんな彼女の見送りの言葉を背中に聞かせながら、私は食堂を後にした。


「……さて、部屋に戻るとしようか」


ラウンジもかなり人が減った、片手で数えられる程度しか残っていない、あれ程までに騒がしかった船内はしんと静まり返っている。


ドアを潜り外廊下に出る。


「冷えるな」


薄着をしたつもりはないが、流石に夜の海は気温が落ちる、あまり長く外に居ては風邪をひいてしまうかもしれぬな。


外套を羽織り直し、手を袖の中に隠して足早に廊下を進む、その間他の乗客とは一切すれ違うことは無かった、道に迷うこともなかった。


鍵は無くしていなかったよな?と、胸元を着物の上から叩いて所在を確認、一瞬頭をよぎった不安は物の見事に打ち砕かれることとなる。


「……」


部屋の前につき、懐をまさぐり鍵を取り出す、外気により金属製の鍵は冷えきっていた、扉を開いて滑り込むように中に入る。


バタン。


内と外、境界線が引かれシャットアウトされる、今ここは自分だけの空間であり、他者が侵入する術は無い。


トン。


——閉じた扉に背を預け、天井を見上げる私の体重は、つい先程食べた分量を差し引いたとしても僅かに増加している。


電気を付けるよりも前に、背負った荷物を降ろし外套をフックに吊るすよりも前に、まず私がしたことは着物のポケットに手を突っ込むことだった。


そこには本来何も入っていない、研いだ小石は収納されていないし髪をとかす櫛でさえも隠されてはいない。


……だが。


——指先に触れる硬い感触。


それは小さく、きめ細かで、ともすれば砂利や砂粒と間違えてしまうほどの微細な違和感、しかし私はそれのを暴いていた。


指先でつまむようにして取り出す、ポケットから手を出して拳を開く。


窓の外から射し込む月の明かり、それは部屋中を駆け巡り、ある一点を燦然と輝かせた。


私の手のひらの上に載ったそれは月の光をキラキラと反射させ、小さいながらもその圧倒的な存在感と高貴さによって空間を支配していた。


「ダイヤだ」


私はいつの間にか一粒の小さなダイヤモンドを、着物のポケットに入れられていた。


どのタイミングで仕込まれたのかは分からない、気が付いたのは先程部屋の前で鍵を取り出そうとした時であった。


これにどんな意味があるのか?誰がダイヤを私に仕込んだのか?謎は深まるばかりだがいずれにせよ、今はハッキリしていることが一つだけある。


『私は恐らく何らかの面倒事に巻き込まれている』


そのことだけは確かだ……。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


——翌日、早朝。


トトン。


頬杖を着き。


トトン、トトン、トトン。


小指から順に机を叩く、窓の外の明るい水平線には目もくれず、変わりに輝く机の上の小さな輝きに視線を落として唸り声をあげている。


「どうしたものか……」


悩みの種は宝石にある。


昨晩何者かに仕込まれたダイヤモンドをどう扱うべきか?寝起きの私の頭はその議題によって埋め尽くされていた、結論は出そうにもない。


犯人探しはするだけ無駄だ、現状の証拠ではとても断定出来ぬ。


あのロイとかいう女が最も怪しく思えるが、しかしそれも単なる決め付けに過ぎない、全くなんの根拠もない勘頼りの結論だ。


少なくとも私は入れられた瞬間を認識していない、乗船前の街中で入れられた可能性すらある、悪戯に視野を狭めても真実は見えん。


ひとまずは保留としておいて、今最も取り組むべき問題は『ダイヤモンドをどうするか』だ。


「気付かぬフリをして入れておくべきか?


……だがどうにも嫌な予感がする、コレを持っていればまず間違いなくトラブルに見舞われるという確信がある」


却下だ、そんな選択は許容できない、どんな馬鹿でも分かるだろうコレがとてつもない危険性を孕んだものであると。


「ではいっそ何処かに捨てるべきか?


……論外だ!コレを私に預けた者は確実に私の顔と風貌を把握している、もし手放せば私は`秘密を知ってしまった消すべき者`になってしまう」



部屋に隠しておくなんて事も出来ない、そんなことをすれば私がダイヤモンドの存在に勘づいていると教えているようなものだ。


どんな事情のあるどんな品にせよ、この手の品物が絡む事態というのは大抵ろくなもんじゃない、裏に荒っぽい連中が居てもおかしくはない。


そもそもいつ仕込まれたのかも分かっていないのだ、入れられた時と同じように私に気付かれる事無く`仕事`を済まされる可能性は十分にある。


その時ダイヤの紛失に気付かれたなら……。


「やはり、初めから選択肢など無かったか」


大人しく元の場所にしまっておくしかない、記憶から消し去ってあたかも初めから知らなかったかのように振る舞うしかない。


手放すのは危険すぎる、最悪の場合死角から刺されることになるだろう、そんな末路は御免こうむる、私に残されたのは保持しておくことのみ。


……まだ遠いが陸が見えてきている、あと数時間もすれば船は目的地に到着するだろう、ここに引き篭っている訳にもいかぬ。


意を決し、ダイヤを掴み取りポケットに仕舞い、立ち上がって体を伸ばして深呼吸をする。


「……よかろう、何者か知らぬが相手になってやる、二度もこの私の目を欺けると思うたか、今度こそ尻尾を掴んでみせようぞ」


机のそばの壁に立て掛けてある刀を取り腰に差す、昨日の晩のうちに手入れは済ませてある、いつ出番が来ても問題は無い。


いざ出陣の時だ——。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


朝食は食堂で摂った。


その時またロイが接触してきたがこれといって変化は見られず、疑念が確信き変わることは無かった。


無論その他の『脅威』についても感知していない、ポケット内部の僅かな重みは未だ健在だ、何人もこのダイヤには触れていない。


食事が終わる頃になるとアナウンスが入った、どうやら間もなく到着のようだ。


彼女とはご飯を食べる少しの間だけ共に居た、彼女も彼女で準備があるらしく、アナウンスを聞いた途端に慌ただしい様子で去っていった。


彼女と別れた後私は、すれ違う者の様子に注意を向けながらデッキへと向かった。


今日は風が強い。


強風に煽られた外套がバサバサとはためいている、幸いにして気温は低くないが、百点満点の天気とは呼べないだろう。


やがて船の速度が落ち初め、この途方もなく巨大な化け物のような豪華客船は、ゆっくりと確実に港へと到着した。


作業員の手によって柵が取り払われ、陸へ続く橋が降ろされる。


それからしばらくして、係員の案内に従って続々と客が船を下りていった、私も列の後ろの方に並んで自分の番を待つ。


橋の向こう側には多くの人々が居て、海を越えやってきた知人、家族、恋人を出迎えるための分厚い壁が形成されていた。


海鳥が鳴いている。


やや強めの潮風は乱暴に頬を肌を撫で付けていき、雲ひとつない空は実に眩しい。


外面だけを捉えたなら、これ程までに平和な瞬間はないだろうと言えるかもしれないが、私にとってはまさしく`戦場`に等しい緊張の空間であった。


「……」


前後左右、斜め、ありとあらゆる場所に人が居る、そのどれもが敵足りうるし、あるいは物陰に何かが潜んでいる可能性すら捨てきれない。


刀はいつでも抜ける状態にしてある。


押さえ付けられる、組み付かれる、背中を押し飛ばされる、あらゆる状況下においても迅速な対応が可能なよう一秒たりとも気を抜かない。


ひとり、またひとりと向こう岸に渡っていく、私の番もそろそろ近い、流石にこの人混みの中では仕掛けてこないのだろうか?


……そう、思い始めた時。


——パシッ。


突然、なんの前触れもなく肩が叩かれた。


「ようやく見つけた、探したのよー?」


それは幾重にも重ねられて建造された鋼の城壁を、まるでそこには何も無いかのように通り抜けられたかのような不気味さであった。


警戒網が突破された、この私が気配に気付くことが出来なかった、接近を察知出来なかった、これは偶然でもなければ私の油断でも決してない。


——視線が吸い寄せられる。


瞬間。


脇を通り抜けていく人影を見た。


咄嗟に手を伸ばし捕まえようとする、だがその手が何かに触れることは無かった。


いや、妨害された訳では無い。


これはあくまでも自分の意思だったのだ、すれ違っていった何者かを追うことよりも、『遥かに優先すべき目標』が現れた為の決断だったのだ。


「——」


気が付けば体が動いていた、私は差し迫った危機に対し咄嗟に行動を起こしていたのだ。


そしてそれは、『自分を』ではない。


私の伸ばしかけた手は別のモノを掴んでいた、筋肉質で強靭な怪腕を。


「——なにっ!?」


肩を叩いてきたのはロイ=エスメラルダ=ハートウッド、私の腕は彼女の背後へと伸び、を止めていたのだ!


「よっしゃ!ビンゴ!」


大きな声をあげるロイ。


「てめぇ、なにしやが」


掴まれた腕を振りほどこうとする危険人物。


——ゴギッ。


「はぐっ!?」


刀を握り込む際の強烈な握力、それは例え人間の骨だろうと容易に砕くことが出来る、一度止められた凶器が二度振るわれることは無かった。


——周りには人が多い、だがやるしかあるまいな!


私は掴んだ腕を離さずそのまま引っ張りこみ、反対の手で男の喉に強打を叩き込んだ、気管が潰れる嫌な感触が返ってくると共に男の動きが止まる。


乗客が異変に気が付いた、騒ぎの火種が生じ間もなくこの場は混乱に支配されることになるであろう、だがそれにはもう少しようだ。


次が居た。


ロイの前に立っていた男が突然振り返り、何か注射器のようなモノを彼女に向けた。


——チャキ。


体を捻って空間を作り、決して関係の無いものに当たらぬよう調整しながら抜刀一閃、赤い飛沫と共に男の右腕が飛んでゆく。


「ぐ、ああああああ!」


負傷、苦悶、叫び、苦痛に苛まれながら男は転げ回り床に大量の血液をぶちまけた。


そしてそれに呼応するように、乗客が一斉に悲鳴を上げ走り出した!


「いやああああああ!」


生まれるは混沌!入り乱れる人海!荒れ狂うは波のみならず人間なればこそ、右往左往と辺獄地獄のような大混乱が幕を開ける!


この場で冷静なのは私と。


「やっば危な!今の絶対死んでたわ!やっぱりアンタを見込んで正解よ!さすが私の観察眼は正解だわ!」


この状況を狙って引き起こしたであろうロイ。


……そして。


「クソが!テメェこのアマ!いつの間に用心棒なんか雇ってやがった!?」


ゾロゾロ、ゾロゾロと、流れる濁流を強引に押し退け逆らって、何人もの男達が行く手を塞ぐように立ち並び凶悪な視線を向けてくる。


……そうか。


「ごめんなさい巻き込むわ!あたしに目を付けられたのが運の尽きと思って諦めてね!」


……そういうことか。


「お前よくも、よくも俺の腕を……があああああッ!てめぇ許さねーぜ!地獄に落ちやがれクソッタレ!直ぐに借りは返してやるよ、お前の家族でなァッ!」


いきり立って襲いかかってくる片腕の男。


「——喧しい」


ヒュッと風音が鳴り、舞い落ちる枝葉の如く頭部が空中に投げ出される、それは床に激突しコロコロと転がり海へと吸い込まれていった。


「お主」


視線を向けずに。


「覚えておれよ」


血に濡れた刀を構え直して。


「ヒュー、おっかないおっかない」


奴らと向かい合う。


圧倒的閉所にて、圧倒的物量差を以て、隣のお荷物という名の護衛対象を抱えた。


「ふー……」


気を落ち着かせる。


「てめぇら何ビビってる!さっさと殺せアホ共が!」


まんまと嵌められたこと、己の不注意、大幅に狂うことになるであろう今後の予定、目の前の不愉快極まる集団、積み重なってきたストレス。


それにより私は。


「二度と囀れぬようにしてやる、かかってこいッ!」


感情のコントロールを、かなぐり捨てていた……。

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