五倍の薬物投与に意味は無い。


てっぺんが見えないほど高い建物、薄平べったく広大な豪邸の数々、背広姿の男や女がキラキラとした宝石を身に付け大手を振って歩いている。


舗装された道路は美しく、まるで鏡面のごとく光り輝いている、道行く人々は尽くが裕福な身なりをしており、そこからは彼らの暮らしぶりが伺える。


ここは世界最大の賭場街エレゴーラ、住む人間は尽くが富裕層で、いずれも唸るほどの金を所有している、道楽を極めた者達が最後に行き着く場所だ。


「……話には聞いていたが」


ずっと山育ちで来た人間にとっては、それはあまりにも刺激的で目も眩むような光景であった。


金だ。


醜悪な金の匂いが充満している、身分や格式、名誉に威光権威、人間の最も愚かで醜い部分が寄せ集まっている、あまりの歪さに鼻が曲がりそうだ。


一悶着ある事を覚悟していた検問は、私がストランドの連れであることが分かるや否や驚くほど物分りが良くなり、身分を証明する必要すらも無かった。


オマケに帯刀許可証も発行して貰えた、どうやらこの街におけるストランドは影響力が高いらしく、それは対応してくれた門番の態度を見れば明らかだ。


そうして街の中を歩いて行く。


彼と彼女が歩く後ろを着いていく、何処へ向かっているのか、これからどうするのか、それらは現状知らされてはいない、ここからどうなるかでさえも。


一行はやがて日の当たらぬ脇道へと逸れて行った、人通りの無い寂れた場所、万一にも他の者の介入が起こり得ない秘密の会話が出来る所へ。


ある時ストランドは立ち止まり、背中を向けたままこう言った。


「街に到着した今、オレたちの協力関係は終わった」


彼女はゆっくりと振り向いて、私の目を真っ向から捉える、そこには森の中や岩場で見たストランドとは全く別の人間が立っていた。


「キリア、この女の武器を取り上げろ」


抵抗はするなよと念を押して、私の腰に差している刀を奪い取る。


「貴様の身柄を拘束する、発言の真偽が確かめられるまでの間一切の自由は与えない、場合によってはそのまま貴様を処刑することになると覚悟をしておけ」


ストランド=リーリア、彼女紛うことなき組織の頭、部下の命と責任を背負った指揮官であった。


「逃げも隠れもせぬとも」


直後、私は目と耳を器具によって封鎖され、手枷をはめられた上で腕を引かれ、何処かへ案内されていくのだった……。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


——バサ。


目隠しと耳当てが外される。


私の眼前に広がっていたのは薄暗く狭い石造りの部屋、机と椅子と寝床があるだけの、質素で簡素でまさしく『牢屋』と言って差し支えない場所だった。


恐らく何処かの地下だろう。


部屋の天井の隅に不自然な穴が幾つか空いている、あれは空気穴なんかじゃあ無さそうだ、穴の周りの黒ずみがそれを証明している。


壁に着いて両手を上げろと指示される、冷たい石の温度が伝わってくる。


ガチャン。


ストランドによって手枷が取り除かれる、硬い金属に固定されていたおかげで手首が痛む、ズキズキと感覚が残る患部を揉みほぐす。


「勝手に動くな、見えるように後ろで腕を組め」


カチャカチャと足枷がはめられる、それは鎖で地面と繋がっており、脱出されることがないよう私を拘束している。


背中から声が掛けられる。


「まずは治療を受けろ、調査過程で死なれでもしたら事だ、なんせ通って来たルートがルートだからな、何らかの感染症を貰っていてもおかしくはない」


何か言っておきたい事はあるか?とストランド。


「刀を大切に保管しておいてくれよ、でないとお主らは全員人間の首が飛ぶということを知る羽目になる」


「減らず口を叩きやがって、オレが部屋から出ていくまでその姿勢のまま動くんじゃねぇぞ」


コツコツと足音が遠ざかる。


命令に従って大人しくしていると、彼女の気配は突然歩みを止めた。


そして——。


「こいつは礼だ」


ぼふんっ、と恐らく机の上に何かを放り投げてそのまま部屋から出て行った。


ギィィィ……バタン……。


重く分厚い扉が閉ざされる、アマカセムツギは晴れて囚われの身となった、この先に待ち受けているのが死かたるいは更なる茨の道であるのか。


「ふー……」


ジャラジャラとやかましい足枷を引きずって、彼女が残していった物を拾い上げる。


『激録!世界の刀剣大全集ッ!』


「これは、退屈せずに済みそうじゃな」


足元の楽器を贅沢に鳴らしながら歩き、椅子に座って雑誌を開く、彼女は治療を受けろと言ったがそれはいったい何時頃の話になるのだろう?


ペラ、ペラと。


初めは穿った見方をしていたものの、思いの外興味をそそられる内容に私の目は釘付けとなっていた、久方ぶりに戦い以外のモノに没頭出来た気がする。


チクタク、壁掛け時計すらないこの部屋では時間経過という概念は非常に曖昧な個人の感覚でしか計れず、正確にはどのくらいの間があったかは不明だが。


ある時。


——ガタガタガタガタガタッ!


「み゜っ……!」


思わず体が数ミリ浮いてしまう程には大きな音が、突然扉の向こうから鳴り響いた!


手に持っていた雑誌は弾みでぽーんと飛んでいき、遠く離れた石の床の上に落っこちる、いったい何事かと目を丸くしていると。


「……ああっ!まったくもう!鍵がどれなんだかゴチャゴチャしてて分かんないよ何なんだこれ、誰がこんな機能美を損ねる`束`を作ったんだ?後でそいつ私が見つけ出して細切れに切り刻んでやるぞ……!」


などという。


一枚隔てた向こう側に居る何者かが、その顔を確認するまでもなく『激怒している』事がありありと伝わってくる声が、鉄の扉を貫通して聞こえてきた。


しばらくの間ガチャガチャバタバタ鳴っていたが、やがて`カチャッ`という質感の違う音が聞こえた。


「やったぁ!ようやく開いたぞぅ!ひゃっほーい!」


そのまま、まるで体当たりをしたかのような勢いで開け放たれる鉄の扉、本来その重さのモノはそんな挙動をしないと思うのだがのう……。


かつーんかつーん、軽快な足音を立てながら部屋の中に踏み入っきてたのは。


猫背の長身で、病的なまでにビッシリと整えられた穢れひとつない白衣を身にまとい、痩せ型で、ちょちと吹けば飛んでいっちまいそうなほどに貧弱で。


「初めまして、私の名はトルテナ=マリィ、医者だよ」


ツギハギ状の皮膚をしており、とても健康的とは言えない顔つきで、その一挙手一投足に『正気とは掛け離れた何か』を感じさせる。


まるで。


「それで君ィ!がっ!騎士長様から聞いた自称英雄を名乗る、人並外れた身体能力を保有した凄腕の剣士アマカセムツギ!で、間違いはないのかなぁ……?」


まるでこの世全ての地獄をそこに集めたかのような、創世の混沌を思わせる目を持った男だった。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


寝台に寝かされて、麻酔をかけられて、医者と名乗ったあの頭のおかしそうな男は、私の制止や説明を求める声を全て無視し、半ば強引に施術を開始した。


男は素人目には全くもって理解不能の手際と作業速度で、恐らくは同業者が見れば目玉が飛び出すであろう難易度の独自手法を用いて治療を行いながら。


「それで貴女は何処からやって来たんですか?」


まるで犬の散歩がてら鼻歌でも歌うかのような気軽さで話しかけてきた。


どうしたものかと悩み、とりあえず当たり障りのない事を答えようかと思ったその時。


「山生活が長かったみたいですね、栄養素の偏りも見られます、きっと迷信に囚われた頑固な年寄りの元ででも育てられたのでしょう、剣術はその時期に?」


「——は」


思考が、停止した。


なんという、なんという、ことだ。


私は何も言っていない、身の上話など一切、そうストランドにでさえひと言も喋っていない、必要な情報だけを渡して私個人の情報は全く開示してない。


にも、関わらず。


「脈が早まりましたね、正解ですか」


この男は会話すらなく、またお互いの人となりを知るよりも前に、私の過去について言い当てた。


「ある時期を境に食生活が変わってますね、大体三歳か四歳頃でしょうか、その時期に必要な栄養素がどうやら不足してしまっていたようです、肉体に成長しきれていない箇所が見受けられます、残念ですね」


「ま、待て、待て待て待て……」


理解が追い付かない、そんな馬鹿な、いくら医術が優れていてもそれはおかしいだろう。


いくら何でもそんな占いじみた、いや超能力じみた真似が出来るはずは無い。


出来るはずは無いのに実際こうして目の前で起きてしまっている、これは何だ何なのだ!


「おや成人直前でまた食生活が変わっていますね、それどころか生活環境もガラッと変わっている、あぁその時期に山を降りて人と暮らし始めたんですね?」


ベラベラと、私の過去が暴かれていく、全てが白日の元に晒されている訳では無いが、その事が逆にこの異常事態に説得力を産んでいるようで不気味だ。


「筋肉の使い方が無理やり変化させられている、長い年月をかけて肉体に教え込まれた術理が、数多の負傷を積み重ねるうちに歪み洗練され、進化している」


私にはどうする事も出来ない、力づくで止めようにも麻酔が効いていて思うように体が動かせない、そもそも今は施術中であり下手に動ける状況でない。


「貴女人間じゃないですよ、これまできっと幾度となく繰り返し聞かされてきた言葉だと思いますが、パッと見の肉体構造が似ているだけで本質は全く別のなにかです、分類不可ですが少なくとも人では無い」


化け物。


何度も言われてきた、化け物と。


怪物、鬼、悪魔、羅刹、死神、人でなし、ありとあらゆる人外蔑称を戦場では呼ばれていた、それがかつては嫌で嫌で堪らなかった。


「傷の治りが早いのは決して異常ではなく、貴女の身体構造を考えるとごく普通のことです、寿命も普通の人間より長いでしょう、筋繊維もかなり頑丈ですね」


「……ふ、つう?」


「ええそうですよ」


普通……?


私が普通?


「この目はどうしようも無いですね、完全に視神経が死んでいます、やはり一定の許容量があるみたいですね、無尽蔵かつ無制限という訳では無さそうです」


普通。


この男に言われたその単語が、頭の中をグルグルと駆け回って離れない、今まで続いていた酷い動揺も、何故だかこの瞬間は落ち着いている。


「足は、うん、多分明日の朝には治っているでしょうね、人間の尺度で考えれば間違いなく死んでいる怪我ですが、貴女の体の基準では治る程度のモノです」


「……そう、か」


顔の上にパサッと布が掛けられた。


「それ使ってください、手は動かせないと思うのでただ乗っかっているだけですけど」


「かたじけ、ない」


目の奥が熱い、熱くて熱くて堪らない、なんという事だ、私は会ったばかりの正気では無いイカれた医者に、ただの二文字で泣かされる事になろうとは。


普通。


そんな言葉を、よもや掛けられるなんて。


「ただ治るからと言って軽傷という訳じゃありませんからね、酷い傷を負えば負うだけ内臓に負荷が掛かっている事を忘れないで下さい」


「……わか、った」


もう、何がなにやらさっぱりだ。


トルテナと名乗った男は、私がどれだけ頭の上に疑問符を浮かべていようとお構い無く話し続けるし、人の過去を言い当てた原理を説明する気は全く無いようだし、このほんの一瞬のうちにドッと疲れた。


だいたい。


だいたい連日の野宿続きで、怪我もあって、戦って疲れて、そう精神的に疲れている、ここしばらくずうっと休まることを知らなかった、いい加減限界だ。


あとなんだが、非常にだるい。


「はい、治療完了、それじゃ私はコレで行くので後は安静にしていて下さいね、興味深いデータも貰った事ですし薬の投与量は何と通常の五倍にしました!


特に意味はありませんけどね、でもきっとよく効くはずですよ、私が保証しますとも」


「ああ、分かった……分かった……」


頭がボーッとする、なんにも考えれられにゃい、視界もボヤけてきたし世界が分離して増殖して反転して回転してグルグルグルグルグルグルグル……。


「じゃあ!処刑されなければ、また会いましょうね」


バタァン、でっかい音が脳みそを貫いた。


「あーーーー」


そして間も無く、私の意識は地表を破って彼方の彼方へぶっ飛んで落ちていく事になるのだった……。

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