Ⅴ 後篇(上)


 湖に小舟が浮いている。その小舟はすいすいと近づいてきて、城の近くの船着き場に接舷した。

 小舟から降りてきた若い女は皇女エリーゼだった。瓦礫の上に影が落ちたので空を見ると皇女の護衛の魔法使いが数騎、箒で上空を飛んでいる。

「テオ」

 俺を見つけたエリーゼが手を振る。その手の動きは降りて来てという合図に変わった。

 俺は放棄されたまま崩れるに任せてあるザヴィエンの古城址を探検しているところだった。城壁から踏み切り、城址からまっすぐにエリーゼの待つ湖畔へと箒に乗って降りて行った。

 俺が小舟を漕げることが分かるとエリーゼは漕ぎ手を降ろして、俺と二人きりで湖に出ることにした。

「わたしも漕げるのよ」

 そんな皇女さまも珍しい。

「先日のこともあり護衛は外せないの。我慢してちょうだいね」

 上空を飛んでいる魔法使いについてエリーゼは断った。

 エリーゼが案内してくれるままに、小舟で湖を一周した。水と緑の湖畔は青々として、妖精の国に来たかのようだ。

「それで、選帝侯から詳しく聴けて?」

「うん。エリーゼが教えてくれた通りだったよ」

 マキシムから話を聴く前に、舞踏会でのあの騒動の後、少しだけエリーゼからザヴィエン家について俺は教えてもらっていたのだ。


 歴史にその名を刻む『偉大な魔法使い』。

 そして彼らの名に比肩するはずだった、アルバトロス・フォン・ザヴィエン。

 アルバトロスの婚約者だった、グィネヴィア姫。


 アルバトロスが白銀しろがねの魔法使いに追い払われたあの舞踏会の夜、朝を迎えた冬の宮殿の一室で皇女エリーゼは地図を出してきた。

「病弱な姉と暮らしていた湖畔のお城は、ちょうど対岸が侯爵の領地なの。だから侯爵家にまつわる怪談話を聴いて育ったわ」

 皇女エリーゼは皇族なだけに、詳しかった。

「数年前に選帝侯が領主に就くまで、シャテル・シャリオン領主代行を引き受けてくれていた方をテオは知っているかしら」

「全く」

 俺は首を振った。マキシムの家の人といえば、執事のホルストさんしか知らない。

「領主代行を務めてくれたのは、マキシムの師匠にあたる魔法使いなの。今は異国を放浪しているわ。その彼が、人間界で棄子と暮らしているマキシムに代り、シャテル・シャリオン地方を立派に治めてくれていたの」

 知らなかった。師匠にも師匠がいたのか。当然いるのだろうけれど、想像しにくい。

 多分、その領主代行は最初から、棄子の俺たちが大きくなるまでという約束だったのだろう。その人がいたお蔭で、俺とアルフォンシーナはマキシムと一緒に暮らすことが出来たのだ。

「ザヴィエン家は呪われているの。血の呪い」

 エリーゼは難しそうな顔をして言葉を継いだ。

「はるか昔から、ザヴィエン家は『偉大な魔法使い』を世に輩出してきたわ。それは百年に一度、偶然に生まれてくる突然変異の魔法使い。でもその強大な力の持ち主は必ずしも、良い魔法使いとは限らなかったの」

「悪いということ?」

「そうね。そう云ってよければ。善悪の定義とは時代に左右されるものだけれど、悪の側に極端に振れているものは、悪い魔法使いと呼ぶしかないでしょうね。

 でもとても素晴らしい魔法使いもいたのよ。その力をよく抑制して正しい方向に使える者たちが。『偉大な魔法使い』の中には、自ら隠遁して山奥で暮らす者や、家名を棄てて外国に行く者も多いけれど、どの偉大な魔法使いであっても血脈を辿れば彼らの源流はザヴィエンよ。いわんや、魔界とも人間界とも歩調を合わせることが出来、双方に恩恵をもたらしたトリスメギストス、パラケルスス、アンブロシウス、ランツェレット、バルトロマエウスの威光ときたら。だからザヴィエン家は存続を許されていたの」

 湖面を渡るそよ風が心地よい。真っ白い雲は巨人が吹き寄せる蒲公英の綿毛のようだ。小舟を湖の真ん中に浮かべて俺は櫂をおいた。俺が舟を漕げるのは邑の湖で子どもの頃から人間の友だちと舟を浮かべて遊んでいたからだ。

 昨日マキシムから聴いた話の中から確認したいことをかいつまんで皇女エリーゼに話した。

「グィネヴィア姫。ああ、その方はね」

 エリーゼは小舟の縁に手をかけて半身を乗り出し、雲を映す青い湖面の下を指した。

「この真下の底に沈んでいる方」

 俺は小舟から腰を浮かした。冗談だろ。

「本当なのよ。グィネヴィア姫の遺体を納めた石棺はこの湖底にあるの。子どもの頃乳母からそれを聴かされたわたしと姉は、しばらくこの湖で泳げなくなったくらいよ」



 起きて。

 かくれんぼをしましょう。



 ザヴィエン家の花嫁となるために、遠い孤島からグィネヴィア姫はやって来た。その当時ザヴィエン家には二人の男子がいた。年長者が領主の弟アルバトロス。そして年少者が領主の子マキシム。

 年齢のつり合いから考えても、グィネヴィア姫と結婚するのは領主の弟アルバトロスがふさわしかった。彼らは婚約した。

「偉大な魔法使いの中でも悪に偏った者のことを、『黒金くろがねの魔法使い』と呼んで区別しているわ。この世に伝え残されるものは、善いほうの偉大な魔法使いの名だけなの。何故なら、黒金の魔法使いはザヴィエン家の者たちが総力を挙げて滅ぼしてしまうからよ。壮絶な同士討ちにより、本家の血が根絶やしになり断絶の危機を迎えたことも、何度もあったそうよ」

 身内から出現する黒金の魔法使いに立ち向かう、ザヴィエン家の魔法使い。

「黒金の魔法使いに対抗する力を持つ魔法使いのことを、白銀しろがねの魔法使いと呼ぶの。ザヴィエン家の白銀の血統は大切に保存されて継承されてきたわ。テオの師匠のマキシムも、その白銀の魔法使いの一人なのよ」

「冬の宮殿に助っ人に来てくれたあの三人の魔法使いたちも、師匠の家の人たちなの?」

「いいえ違うわ」

「でも、白銀の魔法使いなんだろ」

「白銀の魔法使いはザヴィエン家以外から生まれることもあるのよ。きっと大昔に分岐して外に出ていった血の名残りなのでしょうね。白銀は先祖返りしてくる。だから魔都にも白銀の魔法使いがいるの。数がとても少ないから皇帝の保護下にあるわ。

 でも黒金は違う。黒金の魔法使いだけはザヴィエン家から生まれるの。強大な力を有しながらその本性はとても残忍で強欲で同胞を喰らう。他の魔法使いに害をもたらす良くない存在なのよ。

 そしてザヴィエン家は、黒金の魔法使いが出現するたびに身内の手で始末してきた。白銀がやらなければ、他の誰が黒金を退治できるかしら。

 でもそのことに気が付いた黒金の魔法使いは、やがて、怖ろしいことを考えるようになったのよ」

 エリーゼが言葉を選びながら語っているのが俺にも分かった。

「先代領主は末弟アルバトロスの上に黒金の血の発露を見たわ。そして領主は誰もが試みるように、手を尽くして末弟の黒金の力を魔法と投薬と教育で抑えようとした。それは成功したかのように見えたの。でも違った」

 偉大な魔法使いの亜種である黒金の血は望ましい鋳型に嵌るようなものでは到底なかったのだ。

「アルバトロスは兄領主の眼を欺くために、白銀を装っていたのよ。アルバトロスは無垢な弟だった。兄に懐く素直で可愛い弟。長じてからもアルバトロスは非の打ち所のない貴公子として振舞っていたわ。魔都での評判も高かった。兄領主も末弟への愛情から、きっと胸に沸き上がる疑いを打ち消していたのね。だけどついにその正体を看破した者がいたの。領内と魔都で惨たらしい死体が発見される不審な事件が続いている頃だった」


 『あそこに黒金がいる』


 見抜いたのは領主の息子のマキシムだった。先代領主はついに決断した。一族の白銀しろがねの魔法使いを召喚して弟アルバトロスを滅することを。

「それはとても辛い決断だったことでしょうね。テオ、あなたならマキシムやアルフォンシーナを殺せる? そういうことなの」

 エリーゼは哀しそうな顔をしていた。

「なり損ないとはいえ偉大な魔法使いである黒金くろがねに対して白銀しろがねは複数であたらなければならない。領主が白銀の魔法使いを呼び寄せたことを知ったアルバトロスはすぐに動いたわ。その夜のうちに兄領主を殺し、夫を救おうとした領主夫人を殺し、そして城に滞在中だった婚約者グィネヴィア姫もアルバトロスは殺したの。許嫁グィネヴィア姫は彼女を誘拐しようとするアルバトロスに抵抗したから殺されたのだと云われているわ。姫の遺体だけは湖で見つかった。すべて一晩のうちのことよ」

 惨劇の夜が明けた。湖のほとりで見つかったグィネヴィア姫の遺体は、元の形が分からぬほどに細切れになっていた。水辺を朱く染めて散乱する魔女であったもの。幼い頃に乳母からその話を教えられたエリーゼは、『怪談』として聴いていたそうだ。

 白銀の魔法使いが集まって来る前にアルバトロスはこの地を立ち去った。

「幼いマキシムは城の中で見つかったの。世継ぎだけが無事だった理由は分からない。立ち去るアルバトロスはかなりの深手を負っていたというからそのせいかもしれない。黒金に手傷を負わせて追い払うことが出来るような剛の者があの夜あの城にいたのかしら。今でも分からないわ」

 俺はエリーゼに訊いた。

「アルバトロスは白銀の魔法使いのふりをしていたと、そう云ったね」

「そう。黒金くろがね白銀しろがね、アルバトロスはその双方の顔を使い分けて生きていた。兄領主に殺されないようにするための生存本能がそうさせたのでしょうね」

 冬の宮殿でバルトロメウスに化けていたアルバトロスは、確かに生まれながらの貴公子にしか見えなかった。声を掛けられたら誰でも疑いもせずに脚を停めるほどの、完璧な紳士ぶりだった。


 エリーゼが云っていた、『黒金の魔法使いは、やがて、怖ろしいことを考えるようになった』とは何だろう。

 エリーゼはそれも教えてくれた。

 黒金の繁殖よ。

「ザヴィエン家が白銀の血統の保全に努めてきたように、黒金の魔法使いも白銀に対抗してそうしようと考えるようになったの。これは淑女の口から語るような事柄ではない。でもわたしは皇女だから、開示すべきことから逃げるべきじゃない。嫌な話だけど聴いてちょうだい」

 裁判記録でも読んでいるかのような口調でエリーゼは続きを語った。

「秘密にされているけれど、昔から被害報告はたくさん上がってきているのよ。黒金の魔法使いがこの世にいる期間は、目立ってその被害件数が増加するの。黒金は魔女を襲っては着床を試みている。でもそれは全て失敗に終わっているわ。黒金の魔法使いとつがいになった魔女たちはみな流産や死産をしてしまうから。黒金の血はあまりにも強く、胎児は生き延びることが出来ないの。だから黒金の魔法使いは今のところ、いつも一代限り」

 違う。

 アロイス。

 皇女エリーゼは湖面をすべって飛び過ぎた鳥の影を眼で追った。

「成功例がないのに、いまでも黒金の魔法使いは種の保存のための試みを止めようとはしない。冬の宮殿にアルバトロスが潜り込んで来たのも、気に入った魔女を攫う為だったのよ」

 ホーエンツォレアン家の養子になるにあたり、俺は魔都に血を納めた。実はあれがひじょうに重要なものだったそうだ。

「あの血にはたくさんの情報が詰まっていて、ザヴィエン家は特権で閲覧できるの。ザヴィエン家に嫁ぐ魔女は、設計図のような交配記録に沿って血で選ばれる。マキシムを生んだ母君もそうやって選ばれた魔女。少女の頃からすでにザヴィエン家に嫁ぐことが皇帝のお声がかりで決まっていたような方だった」

 選ばれた魔女たちは本人の意志には関係なく、シャテル・シャリオンに嫁がされていった。

 行きたくないという娘もいれば、ほかに恋人のいる魔女もいた。白銀の魔法使いを産めなかった女は離縁もされた。幾つもの悲劇や悲恋が乙女の涙と共に湖に刻まれてきた。魔法界とザヴィエン家にとって最も重視すべきことは、悪魔の力を抑え込む白銀の魔法使いを途切れなく生み出すことだけだったのだ。



 島からやって来たグィネヴィア姫には母王妃も附き添っていた。王妃は娘が血で選ばれ、名家に嫁ぐことを大層歓んだ。

「島の王族の家系は、廃嫡されて島流しにされた皇族を祖先に持つの。正当な皇脈は島にあると唱える者が今でもいるほどよ。こんなのは大昔の話」

 しかしグィネヴィア姫の母王妃だけはそこに拘っていた。娘が侯爵家の嫁となることを誰よりも歓び、そしてついには心の底に巣食うさらなる欲望に母王妃は蝕まれていった。

 グィネヴィア姫がアルバトロスに殺されてしまうと、期待をかけていた娘の死に王妃は発狂した。

 王妃はザヴィエン家と皇帝に訴えた。

「アルバトロスが失踪したからには、グィネヴィア姫は後継者マキシムと結婚するべきです。もとより領主の弟が婚約相手だったことが間違いなのです。皇帝の血をもつグィネヴィアは領主夫人となるべきです。最初からそのお話だったではありませんか」

 狂乱した母王妃は頑として、愛する娘の死を認めなかった。王妃に長年仕える腹心の侍女も女主人を支持し、さらに輪をかけて妄執を助長した。次代領主の近くにいる若い魔女はすべて姫の仇と二人は見做した。

「わたくしの娘は選帝侯の奥方になるのよ。マキシムさまはそこに生きておられます。それならば娘のグィネヴィア姫だって生きているはずです。姫を何処に隠したの。返せ、わたくしの姫を返して」

 島に連れ戻されて軟禁されてからも、狂った母王妃は娘の行方を捜し、その怨念を飛ばし、生霊となりマキシムにまとわりついた。その血統の為せる業なのか、母王妃の魔力は正気を失ってからも強く、諦めたかと見えて、ついにその怨念はマキシムの傍にいるアルフォンシーナを『気狂い箒』で処刑しようとするまでに至っていた。


 下賤者、痛い目に遭えばいい

 棄子のくせに


 俺は小舟の櫂を操り、桟橋に舟をつけた。従者の手を借りて小舟から降りた皇女エリーゼは、対岸に帰るために箒を舟から降ろしている俺に云った。

「何千年もの間にわたって花嫁になった魔女たちはこの湖のほとりで涙を流してきた。だからこの湖はこんなにも青く澄んでいるんですって」

 グィネヴィア姫の遺体を沈めた湖。

 ザヴィエン家に嫁いだ魔女はこの湖に祈る。生まれる子どもたちが殺し合うようなことになりませんように。どうか生まれる子が黒金くろがねでも白銀しろがねでもありませんように。



 赤銅色をした細い雲が空に流れている。夕陽に照らされた城の応接間だった。シーナの背後にまたもや、あれが現れた。ザヴィエン家によって姫を殺された母王妃の怨念。マキシムにも憑りついていた生霊。

「わたしは泥棒猫ではないわ」

 振り向いたアルフォンシーナは魔法杖を生霊に突きつけた。

「グィネヴィア姫が泣いているわ。お母さんに逢いたいと。どうして独りにしておくの。あなたがそこに行ってあげないと」

 魔法杖から流れ出た光が女の幽霊を包んでいく。

「もう苦しみは終わりよ」

 水晶珠を透して視るようにシーナは魔女の姿を見ていた。母のいないシーナが何を考えていたかは分からない。魔法杖を下げたシーナは振り向きもせずに去って行った。

 太陽が落ちて、城が夜の帳に呑み込まれていく頃、グィネヴィア姫の母王妃が島で息を引き取ったことをホルストさんが告げに来た。



 こっちよ。

 しーっ。

 静かにしていてね。

 ここに隠れていて。眼を閉じて。今からあなたに魔法をかけるわ。少しのあいだ眠る魔法。

 白銀の魔法使いたちが城に駈けつけるまでの間の辛抱よ。

 わたしは魔女。強い魔女。これでもね。

 知っていたかしら。魔女の中にも『偉大な魔女』がいるのよ。

 ザヴィエン家から悪魔を追い払ってあげるわ。そのためにわたしは来たの。

 もしわたしが敗れて死んだら、あの湖にわたしの亡骸を沈めてね。青い湖底からわたしはいつまでもこの地を見守るでしょう。

 さあ来るがいい、黒金の魔法使い。次代の領主はわたしが護ろう。

 わたしは偉大な魔女。

 魔女の女王。



》後篇(下)

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