Ⅴ 中篇(下)


 それは城だった。どこからどう見ても。

 お伽話に出てくるような高い塔のある城だった。領主がお城に暮らしていてもべつに愕くことはないのだが、平生俺たちは山小屋で質素に暮らしているだけに、重厚な外壁からして圧倒された。

 魔法使いの城と人間の城の大きな違いは、崖の上に築城され城へは空から入城するということだ。

 その城へ俺たちはホーエンツォレアン家の馬車で辿り着いた。箒で乗り付けてもよいのだが、初めて領主の家を訪問するにあたっては礼儀上、やはり馬車がよいとベルナルディから勧められたのだ。

 次いで、さらりと云われた。

「初日は正装で」

「正装で……」

 それで俺は、正装に身を包み、シーナもドレスを着て、そこになぜかブラシウスも附いて来て、みんなでシャテル・シャリオン城の空中庭園に降り立ったというわけだ。

 一張羅を着てみると俺はまた少し背が伸びていることが判明し、取り急ぎ、街の仕立て屋ではなくホーエンツォレアン家お抱えの仕立て屋で一着作ってもらってそれを身に着けた。人間が何日もかかってちくちく縫うところを魔法ならあらゆる工程があっという間なのだが、魔法使いの裁縫師たちは人間の技に感心することしきりで、「魔法も使わずにどうやってこのような整った細かな針目が縫えるのだ」と俺の持ち込んだ街の仕立て屋の技術を褒め称えていた。

 出かける前に俺は兄に訊いてみた。ベルナルディはハンスエリに高い高いをしたり、赤子と顔を合わせてにこにこしていた。

「ベルナルディはマキシムの家に行ったことがあるの」

「あるよ、学校の休暇の折に」

「どんな処。領主の家だからそりゃあ大きいとは想うけど」

「湖を見下ろす岩山の上に建っている小さな可愛い家だよ」

 ベルナルディの嘘つき。

「どう見ても城だろ、これ」

「城よね」

「白鳥の騎士でも住んでそうだよな」

「ホーエンツォレアン子爵さまの所領は広大で、城も大屋敷も幾つもお持ちですから、小さいように想われたのでございましょう」

 師匠の執事のホルストさんが迎えに出て来た。本当は執事ではなく家来なのだが、俺たちの前では執事ということになっていたようだ。

「ざっと五千年近く前の、王国時代の古い城の名残りがあちらにございます」

 見れば、少し離れた崖下に、半ば崩壊しかかっている古城址があった。

「新城を築城するにあたり放棄されましたが、あちらがザヴィエン家発祥の城でございます」

 ずっと大昔からこの地にいた一族なのだ。

 空中馬車から城の屋上の庭園に降りた俺たちは、城主が迎えに来るまで空中庭園で待っていた。

 ザヴィエン家が統治するシャテル・シャリオン領。

 師匠の領地には初めて来た。緊張で俺とシーナは口数が少なくなっていた。ザヴィエン家は今はマキシムが当主であり領主だが、つい数年前までは、領主代行者が治めていたのだ。

「わたしたちのせいね」

 シーナが俺に囁いた。

 マキシムは俺たち棄子の面倒をみる為に辺境の邑にいた。幼い頃は付きっ切りだった。ここ数年になって目立って外出が増えてきたのだが、おそらくそのあたりで、領主代行者と交代したのだろう。

「すごい庭だな。初夏の魔法がかかってる」

 ブラシウスが感嘆した。

 塔に囲まれた上空の空中庭園には花々が咲き乱れていた。邑の森に咲く花ならば全てそこにあった。

「菫、谷間の百合、あちらはリラの花だわ」

 シーナが薄紫の花を見て喜んだ。美しい色をしたリラの花が一隅を飾っている。

「こっちからは湖が一望できるぞ」

 反対側の城壁からブラシウスが呼んだ。なだらかな丘と森に囲まれた真っ青な湖が空を映して眼下に広がっている。対岸は、皇后の実家の領地だ。此処からは森に隠れて一部しか見えないが、皇女エリーゼ・ルサージュが幼少期を過ごした城は多分あれだろう。

 涼しい風が吹き、静謐な湖面にさざ波が立った。とても静かな場所だった。夜になれば銀河の星々が夜空いっぱいに煌めき、月が森を蒼く照らすのだ。

 俺たちが黙って湖を眺めていると、マキシムが空中庭園に現れた。

「テオ、アルフォンシーナ。そしてブラシウス。わが城にようこそ。正装して来たのだね」

 俺たちは少し気恥ずかしい想いで、高貴な人に対するお辞儀をした。マキシムは家に居る時とさほど変わらないような略装のままだったが、その上から裾の長い上着を羽織り、それがお城とぴったり合っていた。

「テオ。また背が伸びたのか」

「そうなんだ。だからベルナルディが新しい一着を作ってくれたよ。魔法だから、はいどうぞってすぐに出来上がってきた」

「せっかく来てくれたのに、面白いものは何もないのだよ」

 作法どおりアルフォンシーナを腕につかまらせて先に立って歩きながら、若き城主は城を案内してくれた。

 綴れ織り、甲冑、宝物庫。どんな城にもあるような豪華な室と年代ものの宝飾品があった。配色や重たげな家具のせいか、どちらかといえば男性的な城だった。領主夫人にあたる奥方がこの城には永いあいだ不在のせいでもあるのだろう。

 俺とブラシウスが眼を耀やかせたのは歴代城主の箒をずらりと展示してある間で、そこに飾られた箒たちは今にもザヴィエン家の当主たちを乗せて、甦った彼らと共にこのシャテル・シャリオン地方の空を飛び回りそうだった。いずれはマキシムの箒もここに納められるのかと想うと、少し変な気がした。

「愛用の箒は主と共に棺に納めて埋めてしまうから、ここにあるのは予備か複製だ。気に入った箒があれば持って行ってもいいよ」

 先祖を彩ってきた歴史的遺物には何の興味もないのか、マキシムは俺たちの方が慌てるようなことを平然と云っていた。多分、師匠は空を飛ぶための箒が骨董品のように陳列されることを好ましく想っていないのだろう。

「七剣星の箒ならば、魔都の殿堂に飾られることになるだろうけどな」

 展示されている箒を眺め廻してブラシウスが憧れの溜息をついた。

 湖を見下ろす気持ちの良い露台にも木陰が設えてあった。

「ルクレツィアとハンスエリは」

「ルクレツィアはもう大丈夫。ハンスエリも元気だよ。寝返りが出来るようになって少し眼を離すとごろごろ転がっていってしまうから、俺も一緒に転がって遊んでいるんだ」

「アロイスはまだそちらに」

「ううん。アロイスはすぐにお父さんの許に帰ってしまった。通いの家政婦はいるけど基本的には二人暮らしだから、父親が往診している時は患者が来た時のために留守番をしないといけないんだって」

 偉大な魔法使いアロイスは、人間の父親との生活の方がはるかに大切のようだ。

「美味しいわ」

 贅を尽くした晩餐の席で、シーナは少し機嫌が悪かった。

「いつもこんなに素晴らしい食事をしているのなら、家の食事なんか、きっと物足りなかったでしょうね」

 だからといってこれを再現するのは無理だろう。銀器と最上の料理をずらりと並べたところで、それが毎日だとすぐに舌が慣れて飽きてしまうことは魔都で体験済だ。いいじゃん、何でも煮込んでしまうシチューや何でも入れて焼いてしまうシーナのパイ。魔女らしくて。

「おやすみなさい」

 小さな花束を持って、シーナは先に寝所にさがっていった。

「君たちは葉巻はやらないだろうし、お酒もまだ? 軽食を用意しよう」

「呑めます。果実酒でお願いします」

 俺とブラシウスは師匠にくっ付いて談話室に移動した。この機会を逃すかとばかりにブラシウスの眼はぎらついていた。とことんまで箒競技について師匠と語り明かしたいのだ。飛ばし屋ならそんなもんだよ。

 どうやら今晩のうちは肝心な話は何もきけなさそうだ。



 翌朝、俺が目覚めた時には、すでにブラシウスは箒で夜明けの空を飛んでいた。昨夜遅くまで師匠と語らっていた昂奮がまだ覚めやらぬように、薄れかけている星を追いかけて湖の上をひゅんひゅんと流し飛んでいた。

 俺も顔だけ洗うと露台から箒で飛び立ち、ブラシウスの後を追いかけた。ついでに俺は魔都で勝負した折にブラシウスが見逃していた俺のガリレオ滑降を再現して見せつけた。さらには「あの時はパキケファロに止め立てされたけど、こんなことも出来るんだぜ」と云って、尻から落ちて湖面を見ないまま水のにおいを捉えて着水を逃れ、後ろ向きのまま着岸して見せたりした。

「凄いじゃないか。もう一回やって見せてくれ」

 ブラシウスが頼むので、もう一度、同じ方法で滑降すると、箒の傾きを変えようとしたところでブラシウスが上から乗って来た。

 俺は湖に落っこち、ずぶ濡れのままブラシウスを追いかけてやり返し、『オケアヌスの槍』競技のように水中で追いかけっこをした。

 ようやく陸に上がると、師匠が城の露台から俺たちを見ていた。

 朝日の中で俺たちが手を振ると、師匠も微笑んで片手を挙げた。多分、師匠もこの湖で箒の練習をしたのだろう。

 後で聴いたが、二人の若者が空から箒ごと落ちて湖に突っ込んだまま浮き上がって来ないものだから、死んだのではないかと、近隣の館に仕える下級魔法使いたちのあいだで大騒ぎになっていたそうだ。


 新鮮な野菜と肉と卵料理の朝食をたっぷり食べて、食べ終わった頃に、ようやくシーナが起きてきた。

「二人とも元気ね」

「どうしたの、シーナ」

 シーナは寝不足のようだった。部屋付きの侍女の手で凝った編み方にされた髪はともかくも、顔色が悪い。

「夜中、夢を見たの」

「どんな」

「幽霊が枕元に立ってこう云うの。『痛い目に遭えばいい。泥棒猫め。下賤者、棄子のくせに』何度も。うっとうしいから魔法で追い払ったけれど、わたしのような素性の知れない棄子が由緒正しいお城に入るのがよほど厭だったのね」


 痛い目に遭えばいい

 棄子すてごのくせに

 下賤者、痛い目に遭えばいい

 泥棒猫め


 俺とブラシウスはひそかに目配せした。シーナは知らないことだが、それは、シーナを『気狂い箒』に乗せて殺害を企てた女が毒入りの手紙に篭めていた呪いの文言と一字一句同じだった。

「アルフォンシーナ、その幽霊の姿は見たかい」ブラシウスが訊いた。

「女だったわ。ドレスを着ていたし女の声だった」

 ちょうどそこにホルストさんが来たので、俺たちは今のことをホルストさんに伝えてみた。

「申し訳ございませんアルフォンシーナさま。すぐにお部屋替えをいたしましょう。水晶の結界を張れば大丈夫でございます」

「こちらのお城の幽霊なの?」

「幽霊といえば幽霊。生霊でございます」とホルストさんが応えた。

「生霊」

 生霊ならば、本体は生きていて、魂だけが抜け出してうろついているということだ。随分と念の強い生霊だ。

 口ぶりからホルストさんには心当たりがありそうだったが、「お部屋はすぐにご用意いたします」と頭を下げて、お茶の用意を整えると広間から退いてしまった。

「アルフォンシーナ、すまなかった」

 ホルストさんから話を聴いた師匠がすぐにやって来た。いつものように裾の長い上着を羽織っている。真似をしても俺がやると寝巻姿にしか見えないだろうな。

「それは魔女の霊だ。幽閉されて遠い島にいる。長患いの病に侵されて先は長くない。しかし死期を悟った魔女は、腹心の侍女の力を借りて悪あがきをしたようだ」

 先日のアルフォンシーナ殺害未遂事件は、その狂った魔女と腹心の侍女が企てたことだというのだ。

「アルフォンシーナが昨夜聴いたその呪いの言葉で、ようやく確証と関連付けができた」

「遠方の島に幽閉されているその魔女が、わたしに何の恨みがあるの」

 さっぱり分からないという顔をしてシーナが訊いた。

「狂った魔女とは誰なの。わたしのことを泥棒猫と呼ぶのはなぜ」

「魔女の正体は、王妃だ」

 島の王族の王妃なのだという。

「アルフォンシーナでなくとも、この城の当主の近くにいる魔女ならば、王妃の恨みの対象になる」

「何の恨みがあるの」

「王妃は実の娘を殺されている。殺された姫の名はグィネヴィア。この城の客人だった」

 滞在中に、王妃は愛する姫を失ったのだという。

「グィネヴィア姫は叔父上の婚約者だった。花嫁となるために島からやって来た。そして眼の前のあの湖で殺された。叔父上がその手で殺した」

「叔父上というのは……」

「アルバトロス・フォン・ザヴィエン」

 マキシムはついにその名を打ち明けた。

「冬の宮殿に現れたあの男。わが父と母、そしてグィネヴィア姫。一夜のうちにすべて彼がその手にかけて殺した。アルバトロスは当家が生んだ『偉大な魔法使い』だ」

 アルバトロスは偉大な魔法使いではない。断じて。

 以前、シェラ・マドレ卿はそう断言した。



「ザヴィエン家の血筋からは偉大な魔法使いが生まれるの。でも残念なことに、稀に『黒金くろがねの魔法使い』としてこの世に出現してくるものがいるのよ」

 冬の宮殿で皇女エリーゼは俺に語った。

黒金くろがねの魔法使いに対処できるのは、白銀しろがねの魔法使いだけ。白銀。これは、偉大な魔法使いを意味してはいないわ。ただ黒金の魔法使いと闘える力を持っているというだけなの。白銀だけが黒金を抑え込む。ザヴィエン家からは、偉大な魔法使い、黒金の魔法使い、そして白銀の魔法使いが生まれるの」

 歴代城主の肖像画がずらりと並んだ先祖の回廊。俺はマキシムの城の中で、エリーゼの言葉を想い返していた。

 それを俺に語るあいだ、エリーゼは顔を曇らせていた。

「偉大な魔法使いを輩出してきたザヴィエン家。それは呪われた血の歴史でもあるわ。彼らは代々、白銀の血統を死守してきた」

 一族の中からいつか必ず生まれてくるであろう、黒金の魔法使いを滅ぼすために。



》後篇(上)

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