Ⅴ 中篇(上)

 

 ヘタイラとばったり廊下で顔を合わせた。皇女エリーゼの勧告を受けて早々に帰ろうとする俺たちとは反対に、彼女は少し休憩するために大勢の魔法使いを振りほどいて会場を出て来たところだった。舞踏会に招待されていた二人のうちの一人だ。

「アルフォンシーナどうしたの。冠がないわ」

 ヘタイラはシーナの頭を見て云った。

 バルトロメウスが偽バルトロメウスを魔法で奇襲した時に、俺とシーナは地面に伏せたのだが、その時に花冠は潰れてしまっていた。それでなくとも偽バルトロメウスの手の触れた冠など見るのも厭わしいとばかりに、頭から外してシーナは棄ててしまっていたのだ。

 親切にもそのヘタイラは「花冠には予備があるのよ。わたしの冠も熱気で萎れて来たから取り換えるわ」と云って、すぐ近くの控えの間から花冠を取ってきた。

 ヘタイラは、二つ持ってきたうちの一つをシーナの頭に載せてくれた。

 間近でよく見ると微妙に違う。

「同じ白い花でも、見習いと正規の冠は編み方が違うの」

 若いヘタイラはシーナの頭に正式な冠を載せてくれ、自分の頭には見習いを示す花冠を載せた。夜だから誰にも分かりっこないと云って若いヘタイラは微笑んだ。

「もう帰るなんて残念ね」

 ヘタイラは正式な冠をつけたアルフォンシーナの姿をしげしげと眺めた。

「貴女はヘタイラにぴったりよ。今夜限りだなどと云わず、本当にヘタイラになってくれると嬉しいわ。十代の頃から中心にいた『耀けるルクレツィア』がついに抜けるかも知れないのだもの。考えておいてね」

 そう云うと、親切なヘタイラは休憩するために上階へ繋がる階段をのぼっていった。

「帰ろう、シーナ」

 俺たちはシーナを真ん中に挟んで冬の宮殿から出て行こうとした。

 バルトロメウスは終始、男らしかった。

「偽物とはいえ、わたしの姿を模した男に乱暴をはたらかれた以上、わたしの顔を見るのもお厭でしょう」

 そう云って自分の方からアルフォンシーナと距離をおき、決してシーナに近寄ろうとはしなかった。

「ブラシウス、必ずアルフォンシーナ嬢を伯爵家に送り届けるように」

「任せて下さい、兄上」

 外套を羽織ったシーナを連れて俺とブラシウスとシーナは玄関に行き、そこで馬車を待っていた。シーナの乗る馬車は警護を増員した上で皇女の馬車を出してくれることになっていた。

 玄関といっても端から端までが広い。円柱が建ち並んでいるさまは神殿の入り口のようだ。

 夜も更けていた。同じように早めに帰る貴族たちが他にも馬車を待っていた。初めて舞踏会に出て舞い上がっている学生とは違い、慣れている者にとっては冬の宮殿の舞踏会もいつもの舞踏会の一つだ。懇意の相手がいるのでもなければ、明け方まで長居をする理由もない。

 白い月に薄紙のような雲がかかっている。偽バルトロメウスがもう遠くに行ってしまっているといいのだが。


 誰か来て。

 誰か。


 悲鳴だ。宮殿の奥から聴こえてきた女の叫び声に俺たちは顔を強張らせた。衛兵が走って行く。玄関にいる若い貴族たちも顔を見合わせた。

「女官が魔犬でも見たのでは」

 ブラシウスと俺は魔法杖を手にした。騒ぎは収まりそうにない。

「シーナ、警戒して」

 俺たちだけではなく周囲にいる者たちも、不安そうにみな魔法杖を取り出した。玄関は吹き抜けになっている。騒ぎは上階からだ。

 ヘタイラが襲われたぞ。見習いのヘタイラが襲われた、衛兵を呼べ。

「無事か」

 そこへバルトロメウスが走って来た。シーナを見るなり、バルトロメウスは安堵の息をついた。

「無事だな。ということは」

「兄上、アルフォンシーナ嬢と花冠を交換したヘタイラがいます。見習いというのならば、そちらに何かあったのでは」

「分かった。お前たちは予定どおり帰るように」

 すぐにバルトロメウスは騒ぎの起こっている上の階に向かって階段を駈け上がって行った。それと入れ替わるようにして空中馬車が護衛を揃えて馬車回しにやって来た。ブラシウスがせかした。

「乗って、アルフォンシーナ」

「ブラシウス、わたしと冠を交換したせいでヘタイラが襲われたのならば、このまま帰ることは出来ないわ」

「今は君のことが優先だ。さあ乗って。テオも」

 そこへ今度こそ、物凄い音が聴こえてきた。闘っているようだ。最上階の四階から激しい音がする。

「魔法使い、魔法使いを呼べ」

「衛兵がやられたぞ」

「お気をつけあれ」

 響く声をはっているのは、バルトロメウスだ。

「皆々お気をつけあれ、その男は『黒金くろがねの魔法使い』だ」

「黒金の魔法使いだと」悲鳴が上がった。

 バルトロメウスの力強い声はなおも続く。

「皇后と皇太后は既に宮殿からご退出だ。しかしこれ以上の狼藉を許してはならぬ。ヘタイラを取り戻せ。魔法使いを集めよ」

 統括しているバルトロメウスの声に応えて一階の舞踏会場からも上着を脱ぎ棄てた魔法使いが四階に向かって走っていく。彼らの靴音が轟いた。冬の宮殿は戦場と化した。

 黒金くろがねの魔法使い、黒金くろがねの魔法使いが出たぞ。

「おそらく先刻の、偽バルトロメウスだ」

 ブラシウスが緊迫した声で俺に告げた。

「兄上の魔法は強攻の攻撃型なんだ。凄腕の剛の者だ。その兄上の魔法がほとんど効かなかった。だから兄上はその結論に達したのだろう。『黒金くろがねの魔法使い』。兄上でも敵わないのならば俺たちにやれることは何もない。今はアルフォンシーナの安全の方が急がれる。さあ馬車に」

「前にもこんなことがあったな」

 近くにいる貴族たちが声を潜めて恐れていた。

「十年近く前の舞踏会だったか。あの時は、ザヴィエン侯爵が居合わせていた」

「そうだ。あの時は彼が侵入者を冬の宮殿から追い払ってくれたのだ。『冠』にして『白銀しろがねの魔法使い』が」

 え。

 師匠のことかな。

「テオ、何処に行く」

「ブラシウス、シーナを頼む」

「テオ」

「気になることがあるんだ」

 走り出して空中から少し浮いていた馬車から俺は跳び下り、怪我もなく着地すると、宮殿に走って戻った。

「あっ、テオ」

 玄関の前でエリーゼとすれ違った。

「エリーゼ。じゃなくて皇女」

「呼び名なんてどうでもいいわよ。何処に行くの。逃げないと駄目よテオ」

 侍女と護衛に囲まれたエリーゼは、舞踏会場にいた令嬢たちに紛れて宮殿から向かいの音楽堂に避難するところだった。

「魔女だけなら収容できるわ。あちらで固まることにしたの」

「エリーゼ、黒金の魔法使いが出たと皆が云っているけど」

「情報はまだ錯綜しています。でもその可能性は高いわ」

 叫び声が上がり、四階の窓を突き破って魔法使いが吹き飛ばされるままに落ちて来た。俺より早く皇女エリーゼが魔法を走らせて地面と激突するのを防いだが、落ちてきた若い魔法使いは大怪我を負っていた。

「今、『白銀しろがねの魔法使い』を呼んでいるところなの」

 エリーゼはすぐに護衛兵を呼んで落ちた魔法使いを搬送させた。

「もし侵入した賊が黒金の魔法使いならば、対抗できるのは白銀の魔法使いだけなのよ」

 その、黒金くろがねだの白銀しろがねだのは何のことだろう。

「エリーゼ。『白銀しろがねの魔法使い』とは、俺の師匠のことかな」

「呼んだのは選帝侯ではないわ」

 エリーゼは首をふった。

「あなたの師匠は、自領のシャテル・シャリオンにいて魔都に居ないから間に合わないわ。見て」

 月をよぎり、三名の魔法使いが箒に乗って冬の宮殿にやって来るところだった。

「白銀だ」

「白銀の魔法使いが来た」

 庭に避難していた今夜の客人たちも夜空を仰いだ。その間にも宮殿の上の方からは魔法使いたちの怒声や悲鳴が入り乱れて聴こえてくる。

「エリーゼはこのままみんなと一緒に避難して」

「何をするつもりなの、テオ」

「襲われたヘタイラが心配だ。シーナと間違えられたんだと想う」

 エリーゼを侍女たちにあずけて、俺は冬の宮殿の中に入った。



 玄関のある中央の棟は四階まで吹き抜けになっている。四階といっても天井がとても高いので、実際よりも高い感じだ。階段は奥にあり、周囲にぐるりと室がある。

 魔法杖と箒を手にしたヘタイラが一階と二階のあいだの踊り場に立っていて、心配そうな顔をして上を見上げていた。舞踏会に招待された二人のヘタイラのうちのもう片方だ。

「危ないよ」

 俺はすれ違う時に、その魔女を階下に逃した。ヘタイラは云った。

「見習いが襲われたというからアルフォンシーナかと想ったの。でもあれは、ヘタイラ・ベアトリーチェだわ」

「白銀の魔法使いが来るそうだよ」

「白銀の」

 白銀しろがねの魔法使いについて絶大な信頼があるのか、眼に見えてヘタイラは安堵を浮かべた。

「それならもう安心だわ」

「君は逃げて。向かいの音楽堂にみんないるよ。そしてその箒をもらってもいいかな」

 女物の箒を受け取った俺は、それに乗って吹き抜けを一息に抜けて、四階まで辿り着いた。

 『黒金くろがねの魔法使い』とは、やはり、偽バルトロメウスのことだった。

黒金くろがねの魔法使いは片腕にヘタイラ・ベアトリーチェを抱えていた。シーナと花冠を交換した親切なヘタイラはすでに意識がなく、その頭にあった冠も通路に落ちて、乱闘の中で踏みにじられていた。

 金と黒の衣裳はそのままでも、黒金くろがねの魔法使いはバルトロメウスの姿を借りることをもう辞めていた。そこに居るのは秀麗にして酷薄な顔立ちの、際立って美しい男だった。シェラ・マドレ卿よりも年上に見えたが、年齢不詳の容貌だった。そして否定したくても否定できないほど、師匠と少し似ていた。

 そんなことは後から気づいたことだ。

 俺は箒で乗り込んでいった。

「その人を放せ。ヘタイラ・ベアトリーチェを放せ」

「テオ。なぜ来た」

 本物のバルトロメウスは何人かの魔法使いと力を合わせて闘っていた。冬の宮殿の衛兵や、舞踏会に招待されていた若い魔法使いが続々と駈けつけており、吹き抜けを巡る四階の通路にぎっしり詰めて、黒金の魔法使いを取り囲んでいる。

 これだけの人数から果断なく強烈な魔法を浴びているのに、その悪魔、『黒金くろがねの魔法使い』はびくともしていなかった。僅かばかりの傷も負わず、大勢の魔法使いたちをせせら笑いながら眺めていた。

 黒金の魔法使いは魔法杖すら使っていなかった。時折指先を鳴らす。それだけで、何人か吹き飛んだり、後退を余儀なくされた。

 バルトロメウスは防御魔法に特化した魔法使いたちを集めて陣を組んでいたが、黒金の魔法使いには近寄ることも出来なかった。

「ヘタイラ・ベアトリーチェを放せ」

 俺は俺で、今晩こいつがアルフォンシーナにやったことについて、かんかんに怒っていたから遠慮なく箒で殴り込みをかけて魔法を投げ落とした。最上階の天井は高く、箒で飛び回れるだけの空間は十分にあった。

「魔女を放せ」

「これはこれは。噴水の後ろに隠れて盗み聴きをしていたお行儀の悪い騎士ではないか」

 黒金くろがねの魔法使いは俺に気づくと笑みを浮かべた。俺は怒鳴った。

「その人はアルフォンシーナじゃないぞ」

「間違えたわけではない。手ぶらで帰るのも癪なので、見かけたこの魔女を頂いて行こうとしただけだ」

「ヘタイラを返せ」

 黒金くろがねの魔法使いは哄笑を上げた。その指先が上がったかと想うと、俺の箒は方位磁石の針のようにぐるぐる回りながら吹き飛ばされていた。

 反対側の大きな天窓を突き破る。そう覚悟した時に、逆に外から窓が割れ、三人の魔法使いが箒のまま建物の中に飛び込んできた。魔法使いが歓声を上げた。白銀しろがねの魔法使いだ。白銀しろがねの魔法使いが来てくれたぞ。

 俺は箒ごと建物の外に出てしまい、宮殿の外から割れた窓越しにそれを見ていた。

「黒金の魔法使いよ、去れ」

 やって来た三人の白銀しろがねの魔法使いは箒から降り立つなり、声を合わせて魔法杖を黒金くろがねの魔法使いに向けた。

「黒金の魔法使いよ。その魔女をおいて、去れ」

 白銀しろがねの魔法使いの攻撃を受けた黒金くろがねの魔法使いは、今までの無風状態が嘘であったかのように、顔をしかめた。

「邪魔が入った」

 四階にいる大勢の魔法使いが叫んだ。悪魔の手からベアトリーチェの身体が階下に向けて投げ棄てられたのだ。意識のないまま魔女が落下する。

「支えろ!」

 パキケファロが周囲に一声かけて手すりに立ち上がり身を乗り出した。その腰に魔法使いたちが飛びついて落ちるのを防ぐ。ヘタイラが階下に投げ落とされたのを見た俺は、天窓から宮殿の中に斜めに滑降して入り、半身を乗り出したパキケファロが魔法の力でベアトリーチェを浮かせているあいだに箒で回って受け止めて、彼女を抱えて一階に着地した。焦るあまりにちょっと引っ掴むようなかたちになってしまったけれど、ベアトリーチェは無事だった。

 冬の宮殿が振動している。壁が揺れている。人質のベアトリーチェがいることでそれまで想うように魔法が使えなかったバルトロメウスだが、黒金くろがねの魔法使いがヘタイラを棄てたその瞬間、間髪入れずに飛び出して黒金に強襲攻撃を浴びせていた。彼が鞭のように繰り出す魔法の威力は宮殿全体が揺れ動くほどだった。

 年齢もばらばらな三人の白銀しろがねの魔法使いも手を緩めなかった。彼らの魔法杖から出る光は冬の宮殿の隅々まで照らし出した。

「黒金の魔法使いよ、魔都から去れ」

「魔都から立ち去れ」

「黒金よ、去れ」

「去れ」

 バルトロメウスと三人の白銀しろがねの魔法使いの力がよほど強いのか、遊ぶのに飽きたのか、黒金くろがねの魔法使いは箒を呼び寄せた。かと想うと一瞬のうちに白銀しろがねの魔法使いたちを飛び越して、彼らが来た時に破った大きな天窓の外に出ていた。

「去れ、黒金の魔法使い」

「去るとも」

 夜空から黒金くろがねの魔法使いは云い捨てた。

「シャテル・シャリオン領の他にも白銀しろがねの魔法使いがいるとは。実に煩わしいことだ」

 悪魔は箒に乗って魔都の夜空に消えていった。



》幕間(skip可)

》中篇(下)

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