第22話 百年早い!

 八月二十一日。

 東名高速道路を抜けて、車は藤枝市にたどり着いた。

 今回は、非戦闘員である渉とりこは留守番。たばこのにおいのする黒いワゴン車に乗るのは、牙人を含めた戦闘要員の四人だ。

「てか、車あるなら、新城を事務所に連れてくときにタクシー使う必要なかったんじゃ……」

「あん時は、ちょうど車検に出しててなあ。ちゃんと経費で落としといたから心配すんな」

 有悟は、ハンドルを切りながら、「すまんすまん」と豪快に笑った。


「これおいしいね! 人狼くんも食べる?」

 後ろの席からぬっと伸びてきた手には、球形のお菓子が乗っていた。さっき千春の要望で購入した、サッカーボールの形をした最中もなかだ。サッカーで有名な藤枝市の名物なのだとか。

 千春の隣に座る栞は、すでに口いっぱいにほおばって幸せそうだ。シート越しに目が合うと、力強くうなずいてきた。

「んじゃ、一個もらうか」

 牙人は苦笑して、千春からピンポン玉サイズのサッカーボール型菓子を受け取った。

「食ってみ? 飛ぶぞ!」

「プロレスラーか」

 包み紙を取って、かじる。

「ん、うまいな」

「でしょー」

 ざくりと音を立てた最中の皮が、口の中でしっとりとした食感に変わる。続いて広がるあんこの上品な甘みを、その皮がしっかりと包み込み、甘すぎない上品な味になっていた。

 形が特徴的なこと以外は、特に変わったところはないのだが、お菓子としてもしっかりおいしい。これは、帰りに買ってもいいかもしれない。


 そんなやり取りをしながら、ワゴン車は工場の集まる地域へと入り込んでいく。

 窓の外は、田んぼか工場だ。小さめの工場の方が多いような気がする。いわゆる町工場というやつだろう。

「そういや、一個気になることがあってな」

 視線は前を向いたまま、有悟が口を開いた。

「情報屋からの追加リークで、“宵闇”に新しい戦力が入ったっつーのがあった」

「新しい戦力?」

「“暴食”だったか? 強力な能力者とかだろうな。詳しくはまだ調査中って言われたが」

 有悟は、「まあ、耳に入れとけってだけの話だ」と苦笑した。

 確かに、少し不穏な感じのする情報ではある。とはいえ、知ったからどうというわけでもないのだが。




「ここだな」

 砂利の駐車場にワゴン車を停め、しばらく歩いた先。周りに建物の少ない郊外の閑静な地域に、目的地はあった。

 もともとは機械部品を作っていた工場だったそうだが、近年の不況で運営していた会社がここを売却。そのまま解体されることもなく放置されているらしい。

 敷地はブロック塀で囲まれている。牙人たちは、入口の脇のところに身を隠すように集まった。

 塀越しに、錆びついたシャッターが見える。

 栞が、オレンジ色の西日に目を細めた。この時間帯でも、冷房の効いた車内から出ると、一段と外が暑い。聞こえてくる虫の声は、どこか寂しげだった。

 塀に寄りかかった牙人は目を閉じて、意識を集中させる。数秒してから、ゆっくりと目を開けた。

「……何人か見張りがいるな」

「わかるのか?」

 独り言のように言った牙人に、栞が怪訝そうに尋ねる。

「においと音でなんとなくな」

「犬みたいだな」

「そこは狼にしといてくれよ」

 変身していなくても、常人よりも感覚器の鋭敏さには自信がある。もっとも、変身した方が精度は上がるのだが。


「んじゃあ、見張りは寺崎が無力化してから、突入っつー感じでいこうか」

「了解」

「うす」

「らじゃ~!」

 有悟の簡潔な作戦説明にうなずいてから、牙人は「変身」と呟いた。光とともに“ウルファング”へと姿を変える。

「さて、狩りの時間だ」

「おお~! ほんとに変身した!」

「うお」

 千春がずいっと近づいて、牙人の体をべたべたと触ってくる。

「ちょっとごわごわだけどもふもふだ!」

「やめい」

「えー」

 ふおお、とか言いながらまさぐってくる千春の肩を持って押し返した。

 なんというか、もふられるとさすがにちょっと変な気分になる。

「……」

「寺崎もちょっと興味示してないか?」

「……気のせいだ」

 気のせいらしい。不自然な間とともに顔を逸らされたが。

「話には聞いてたが、見んのは初めてだな。なんか、ヒーローってより悪役みてぇだ。なんてな」

 顎をさすりながら朗らかに笑う有悟に、棒読みで「ソウデスネー」と同意しておく。表情が見えない状態で助かった。


 ともかく、これで準備はできた。

 塀の内側に入ると、正面にいた三人の黒ずくめの男が反応した。

「君たち、今ここちょっと使ってるからさぁ。立ち入らないでもらえると嬉し……っ!?」

 ひときわ高身長の男がへらへらと言い終わるより先に、栞の手の先から“黒影”が伸びた。漆黒の煙は、そのまま下に進む。

 地面を這うように伝った黒い帯は、そのまま男の体を駆け上り、素早く縛り上げていく。

「くそが!」

「っ!」

 焦った様子で何かを構える残りの二人。

 拳銃だ。なるほど、違法組織というからには、こういうのも標準装備らしい。

 が、栞の方が速い。“黒影”は瞬く間に黒服たちの腕に巻き付くと、ミイラのようにぐるぐる巻きにしてしまった。丁寧に口元までふさいで、声も出せないようになっている。

 牙人が早業に感心していると、横から彼らに近寄った有悟が手刀を叩き込んでいく。がきん、と、人体から出る音にしては硬めの音がして、男たちはうつむいて沈黙した。

「これでよしと。……さて、こっからが本チャンだぞお前ら」

 ぱんぱんと手を払った有悟の視線は、ぼろぼろのシャッターに向けられていた。


「いつもなら俺の仕事だが……今回は狼谷、お前に頼む」

「え?」

「このシャッター、

「なるほど、そういうことなら……」

 牙人は、肩をぐるぐると回しながらシャッターに歩み寄った。

「お安い御用——だっ!」

 時計回りに腰を捻り、大きく振りかぶってから右拳を前に投げる。

 爆音。

 空気を振動させて、ただの金属塊と化したシャッターが、思い切り前方に吹っ飛んでいく。向こう側の壁に激突して、もう一度金属音が響いた。同時に、中からは混乱の声がどよめきとなって聞こえてくる。

「何者だ!」

「やべ、ちょっとやりすぎたか」

 差し込んだ夕日を背に、牙人は頭を掻きながら建物の中に足を踏み入れる。

 戦闘開始とばかりに駆け出そうとするも、違和感から足を止めた。


「ん? なんか多くね?」


 ざっと、五十人はいる。

 間抜けな声を漏らした牙人に対して、中にいた黒ずくめたちが一斉に銃を構える。

 さすがに、銃火器での攻撃は結構痛い。しかも思ったより数が多い。

 というか、牙人の後ろには生身の人間がいるわけで……。

「ちょ……!」


「——は~い! お邪魔しまーす!」


 と、牙人の目の前に、背後から人影が躍り出た。小柄な体に、揺れる赤髪。

「泉!?」

「っ! 待て! 撃つな!」

 誰かが焦ったように言い終わる前に、引き金が引かれる。

 それと同時に、牙人の前で、千春が右手を前に突き出した。

 いくつもの銃声と悲鳴が、建物の中を駆け回り……。


「……なんじゃこりゃ」

 痛みはない。着弾の音も、なかった。

 それより、前方の歪すぎる光景の方が問題だ。


 まるで、そこだけ円形に景色が違う。具体的には、本来奥まで続いているはずの場所に、これまた本来壁際に置いてあるはずの鋼材が見えている。

 円の縁は白いもやで覆われていて、どこか幻想的だ。

 千春が右手を下ろすと、「空間の穴」はふっとかき消えた。

 代わりに現れたのは、半数近くが倒れ伏した黒ずくめたちの姿。


「わたしに銃撃だなんて百年早い!」

 不敵な笑みを浮かべた千春が、振り向いて親指を立てた。

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