第15話 万事屋のお仕事

 牙人と栞は、一万円弱のタクシー代を犠牲に、英司を連れて事務所へ戻ることに成功した。

 タクシーの運転手のおじさんには、「体調が悪いみたいで……」と笑ってごまかしたが、特に詮索はなかった。というより、あの様子だと、あまり乗客に興味はないタイプだったのだろう。支払いの時以外、一言も口を利かなかった。それはそれで気まずいのだが……。


 タクシーの走り去った方角を見ながら、栞が口を開く。

「事情は“思念伝達”で伝えてある。とりあえず拘束して寝かせておくそうだ」

「それ、便利だよな。俺も使えたりしないのか?」

「さてね。五十嵐に聞いてくれ」

「えー」

 言いながら階段を上がり、栞が前に出て扉を開ける。

 扉の向こうでは、ここに初めて来たときのように、りこが無表情で待ち構えていた。

「じゃあ、私は向こうにいるから」

「うす」


 りこがぺこりとお辞儀をすると、栞は奥の部屋に消えていった。

 奥の部屋は事務室——メインの仕事場になっていて、各々のデスクがしっかり用意されている。なお、牙人のデスクはまだない。当面は、隅のソファが居場所である。

 牙人は体を揺すって、背中で眠る英司の位置を直した。そのまま、りこに続いて別の部屋へ入る。

 見覚えがある……というか、先日異能力検査を受けた「ラボ」だ。あの時は会議室の方から入ったが、どうやらもう一つ廊下側にも入り口があったらしい。

 隅に置かれた簡易ベッドへと移された英司を、りこが黒い手枷で固定した。妙に慣れた手つきだ、と思いながら、できることのない牙人は、突っ立ってその様子を眺めていた。

 大げさにも思えるが、目が覚めた時、万が一また暴れられても困る。念には念を、というやつだろう。


 それはそうと、中学生くらいに見える少女が、無感情に人間を拘束する様は、なんだかシュールだ。

 実年齢は自分より上、というのが、やはりいまだにしっくりこない。

 下手したら、その辺の現役中学生よりも着こなしているのではないかと思ってしまうセーラー服の襟が揺れるのを、なんとも言えない気持ちで見つめる。

「……何か?」

「いや、何も」

「そうですか。これでしばらく様子見ですね。“異能力暴走剤”は持続時間が短いので、もう効果は抜けていると思いますが」

 英司に薄い毛布を掛けてやりながら、りこが言った。

 それならば、英司が起き抜けに暴れることはない……というか、できないだろう。牙人たちが見た彼の異能力の出力が、本当のものならば、だが。

 まあ、そこに関しては、あまり心配はしていない。


「では、ここは私が見ておきますので、狼谷さんは休憩なさってください」

「ありがとう。んじゃあ、お言葉に甘えて」



 牙人がラボを出て、ふう、と息を吐いたタイミングで、外につながる扉が開く音が聞こえた。

「おっ、人狼くん!」

 入ってきた人物は、振り向いた牙人を見つけると、無駄に大きく手を振ってくる。

 ほんのりと赤いセミロングヘアを揺らして小走りで駆け寄ってきたのは、千春だ。一緒に別のものも大きく揺れている。

「お疲れぇ!」

「いっ!?」

 不覚にも、とある部位に視線を奪われ、ばちこーんと背中に力強い一撃をもらってしまった。恐るべし、二つの山。

 背中のじんじんとした痛みに少し顔を歪めながら、「おつかれ……」と返す。

「どうしたんだい、元気がないよ!」

「そういう泉は元気だな」

「え、別に普通だけど」

 きょとんとした千春に、嘘つけ、と出かかった言葉を飲み込む。今のはボケでもなんでもなく、素の発言だからだ。

 恐ろしいことに、千春は普段のテンションがこれなのだ。

 どうしたら、真夏の外出から帰ってきた直後に、こうも暑苦しくなれるのだろう……。きっと、牙人とは異なるエネルギー機関で動いているに違いない。


「どっか出かけてたのか?」

「よくぞ聞いてくれた! 話すと長くなるんだけどね?」

「ほう、ならいいや」

「引っ越しのお手伝いをしてきたのだよ!」

「話すんかい。そんで長くもないな」

 鼻の頭に突き付けられた千春の指先をのけぞるようにして避け、右手でやんわりと払いのける。

「引っ越しの手伝いというと、『万事屋』としての仕事か」

「いえーす」


 この「中村万事屋事務所」は、“国家特殊現象対策管理局”の支部であるとともに、一般の万事屋——便利屋としても活動しているらしい。というか、普段の業務はそちらの方が多いくらいだ、とは、栞の言葉である。

 正直、有名な某探偵事務所にここまで近い立地にありながら、なぜ「探偵事務所」でないのかと思ったのだが、どうも探偵と便利屋では業務内容も違ってくるらしい。

 探偵は調査専門で、便利屋は純粋ななんでも屋。活動の範囲として、便利屋の方が、的にも、いろいろと便利なのだとか。便利屋だけに。


「知り合いが東京に引っ越すらしくてね~。その荷造りのお手伝い!」

「へえ。……東京ね。家賃高いんだろうな」

「ううん。家賃は二万円って言ってたよ?」

「……」

 それは……大丈夫なやつなんだろうか。

「なんか前住んでた人が急に入院することになっちゃったらしくて、ちょうど部屋が開いたんだって!」

 大丈夫じゃなさそうだ。

「いや~、ラッキーだよねぇ」

「……そうだな」

 腕を組んで神妙な顔をする千春に、乾いた笑みとともに適当に返しておく。

 深くは聞かないようにしよう。関わってはいけないにおいがする。

 顔も知らない人物だが、どうか気を付けてほしいものだ。具体的には、オカルト的なものにオカルト的なことをされないように。

 心の中で合掌。


 二人並んで事務室の方へ歩き出したタイミングで、千春が「あ、そういえば」と呟く。

「人狼くんは栞との仕事終わりだよね? 聞いたよ~、ターゲットの子が“異能力暴走剤”飲んじゃったって」

「ああ。なんとか確保して連れてきたけど、聞いてた難易度と星二つくらい違ったな」

「どんまい! よくあるよくある!」

「よくあると困るんだが」

 

 勢いだけでしゃべる千春に苦笑しながら、事務室の扉を開ける。

「たっだいまー!」

 千春が、牙人を押しのけるようにして、元気よく中へ駆け込んでいった。「今回のお仕事の記録付けるぞー!」と叫びながら。

 ああ見えて、仕事はしっかりするのだから不思議なものだ。

 そんな千春を横目に、牙人は一番奥の机に向かう。

 座っているのは、ここ中村万事屋事務所の所長たる有悟。その前に立っているのは、栞だ。

 牙人は栞の隣に並ぶと、芝居がかった調子で敬礼をしてみせた。

「狼谷牙人、ただいま戻りました」

「おう、お疲れさん」

 有悟は椅子の背もたれを小さく軋ませて、ゆっくりと太い腕を組んだ。

 栞が少し体を寄せてくる。

「新城は?」

「ラボの方に浅沼さんが手錠付きで寝かせたよ」

 うなずいた栞が、有悟に向き直って「だ、そうです」と告げる。


「よし。なら、ひとまず一件落着ってこった」

「はい。あとは新城が起きたら事情聴取ですね」

 栞の言葉に、有悟は難しい顔をする。

「お前らの話を聞いた限りだと、新城は巻き込まれただけだろ? 情報らしい情報ってぇもんは知らねえだろうな」

「まー、そうですね」

 実質的には利用されただけの一般人に過ぎない英司が、有力情報を持っているはずがない。

 あの黒い飴を渡した何者かともともとグルだった可能性がないわけでもないが、それにしては牙人たちへの警戒の色は見られなかった。


「ま、それでも“宵闇”が関わってるとなると、上がうるせえだろうしな。一応形だけでもやって報告は上げねえとなあ」

 そうぼやいて頭を掻くと、有悟は大きなため息をついた。

 「隊長」というと偉そうな感じがするが、その実ただの中間管理職と変わらないようだ。

 “Blood”戦闘員の中にも、上司である幹部らと他の戦闘員とを中継するリーダー的な存在がいたが、それに似たようなものか、と牙人は勝手に納得した。

 ちなみに、牙人のような怪人は戦闘員とは別枠で、個々が独立した存在として扱われていた。待遇はそれなりによく、任務で一緒になった戦闘員には、しばしば羨まれたものだ。


「んじゃ、新城が起きるまでしばらく待機だな。休んどいてくれや」

「はい」

「うす」

 栞が自分のデスクに座るまでをなんとなく目で追うと、牙人はぐぐっと伸びをした。

 結構な時間ができてしまった。どうしたものか。

 しばらくぼんやりと壁を眺めて考えていた牙人が、ふいに「あ」と漏らした。

 そういえば、気になっていたを試してみようか。

「よし」

 うなずいて歩き出す。向かう先は、扉から見て左奥に位置する場所。

 猫背気味で座る灰色のジャージの背中に、牙人は声を投げる。


「五十嵐、頼みたいことがあるんだが」


「へあ?」


 間の抜けた声とともに、びくりと肩を震わせて振り返った渉の顔は、これまたなんとも間の抜けたなものだった。

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