第2話 悪役だよ

「……何だあれ」


 かすかな悲鳴を聞きつけた牙人が、声のする方向をたどってやってきたのは、薄暗い路地裏だった。

 この辺りは、この時間帯には人通りも少なくなり、きな臭い雰囲気がこれでもかと出ている。

 街の灯りのほとんど届かない住宅街や商店街から少し外れた、さびれた建物が並ぶ地域に並ぶ建物同士の隙間。幅は三メートルほどだろうか。壁には、立てかけられた何かの資材のようなものが散見され、上の方にはさび付いたパイプが何本か見える。塗装の剥げた室外機の上には、誰かの忘れ物だろうか、中身の入ったままのように見えるコンビニのレジ袋が、無造作に置かれていた。


 建物の陰から少しだけ顔を出す牙人の視線の先には、四つの人影があった。

 路地裏に集まる複数人、となれば、そこで行われるのは後ろめたい行為と相場が決まっている。

 現に四人の男女比は、男三対女一。女性一人を男三人で寄ってたかって……といった様子だ。当然女性もそれに抵抗し、乱闘のようになっているわけだが……。


 ——問題は、彼らのにあった。


 女性の背後で、墨で描かれたかのような深い黒が、意思ある煙のように、うねうねと不気味にうごめく。数本の帯に分かたれたそれぞれの先端には、死神の振るう大鎌のごとき三日月状の鋭刃が形作られていた。

 絶えず形を変えるそれは、黒光りする硬質の金属のようにも、黒く濁った流動体のようにも見える。

 漆黒の三日月と踊るように激しく打ち合っているのは、人の頭ほどの大きさの光球と、火の粉を飛ばしながら渦巻く炎。こちらは男たちのうち二人の手から出ているようだ。

 そんな中、霧を払うように、光の玉が黒い塊の一部を打ち消す。霧散、という言葉通りといった様子で、夜色の鎌の刃が欠けた。


 「くっ、さすがにこの数と狭さでは分が悪いな……!」


 黒い刃を操る女性が、焦ったようにそう漏らす。

 髪型はショートカットだろうか。スラックスを穿いた、女性にしては高い方に思える背丈。

 暗くて顔はよく見えないが、落ち着いたトーンの低めの声だ。


 逆に、襲っている方は、某探偵漫画に出てきそうな黒ずくめの集団だ。

 体を縮める薬を持っていて、酒の名前をしている彼ら。よく似ている。

 そんな怪しさを具現化したような三人の男が、ポンポンとわけのわからない現象をまき散らしている。

 ……よもや、あの女性は彼らに幼女化されそうになっているわけではあるまい。


「……」

 とりあえず、テンプレに沿って頬をつねってみることにする。二本の指に、右頬の皮膚がむにりと歪められた。

「……痛いな」

 痛覚は正常に動作しているようである。すなわち、これは夢ではなく現実だ。リアルだ。残念なことに。

 しかし、そうなるとあれは何なのだろうか。

 幻覚や見間違いという線も考えたが、生憎としぱしぱと瞬きを繰り返しても、その光景が消えることはなかった。

 こんな状況で映画の撮影だと思うほど、幸せな頭はしていない。

 第一、こういった類の映像の大半がCG技術を活用したものであることを、牙人は知っていた。


 こんな場面を見せられたら、やることは決まっている。


「逃げるか」

 こんなファンタジーな連中に付き合ってやる義務はない。

 ここはさっさと退散するのが賢い人間の選択である。

 お約束? そんなの知るか。命大事にだ。

 こんな面倒くさそうな香りが顔をしかめたくなるほど漂うものなんて、見なかった。そう、見なかったのだ。明日から、また平穏な一日が始まる。明日のバイトは何時からだったか——。

 牙人は、顔をのぞかせていた建物の陰から、ゆっくりと後ずさりをして……。


 ——パキ。


 ——あ、と口の隙間から声が逃げた。

 皮肉なことに、お約束である。

 閉店セールで半額になっていた牙人のスニーカーの下で、小さなガラス片が粉砕されていた。

 こんなところでガラス製品を割った誰かを心の中でなじるが、もちろんそれで状況は変わらない。

 ……いや、まだ気づかれたと決まったわけではない。

 大丈夫だ。戦いに集中している彼らが、このくらいの音……。


「……そこに誰かいるな」

 気づかないわけがなかった……。

「見られていると面倒だ。始末しておけ」

「はい」

 無機質な返事の後、カツカツと、硬い靴音が近づいてくる。

 それは、牙人の平穏な生活をぶち壊す、面倒ごとの足音にほかならない。

 これは、万事休す……。


 ——というわけでもなかった。


「あー、もう。面倒くさい」

 牙人は、その場ですべてを諦めたかのように空を仰ぐと、投げやりにそう言った。

 台詞と裏腹に、どこか吹っ切れたような声音のようにも聞こえた。


「おい、そこのお前。ゆっくりとこっちに出てこい」

「これ、あんまやりたくないんだけどなぁ……」

「……っ! 聞いてんのか!」

「おおー、怖い怖い」

 おどけた調子で言いながら、牙人はドラマで見るように両手を挙げて降参のポーズをとると、彼らの前に身を躍らせた。


「だめだ、逃げるんだ!」

 襲われていた女性は、負傷しているのかわき腹を押さえながら必死に警告してくる。

「……よし、それでいい。痛くないよう一撃で終わらせてやるからな」

 そう言ってにやりと笑った黒ずくめのスキンヘッドの男の掌の上には、先ほど飛び交っていたのが見えた光の玉が煌々と浮かんでいた。


 ところどころ、コンクリート製の建物の壁がえぐれているのは、この玉のせいのようだ。

 周囲には壁から飛び散った破片が散らばり、戦闘の激しさを物語っている。

 ならば、当たればひとたまりもないだろう。

「そりゃありがたい。やる時はぜひそれでお願いします」

「ふん、肝の座ったやつだな」

「……まあ、やれるもんなら、ね」


「ああ?」

 


 ——だが。



「——変身」



 



 怪訝そうに眉を寄せた彼らの前で、牙人の体が強い光を放った。

「……っ!」

「ぁ……!?︎」

「くそっ! 閃光弾フラバンか!?︎」

 突然のことに彼らは驚きの声を上げ、目に飛び入る光から自らの網膜を守るべく、とっさに顔を腕で隠す。


 光が収まり、腕をゆっくりとどけると、そこに立っていたのは……。



 灰色のくすんだ毛並み。

 頭の上から生えた三角形の耳に、臀部からの一房の尾。

 そんな獣の雰囲気をかき消すかのように、体のところどころを覆っている鈍色の金属。

 頭部の形状は獣をかたどったヘルメットのようにも見えるが、確かにそれは生きた狼のものであり、しかし非生物的な雰囲気の機械部品がその貌を飾っている。

 二足歩行の、機械化した狼——とでも形容すべきだろうか。

 装甲を夜の闇の中で妖しく輝かせた獣の怪物は、自らの体の調子を確かめるかのようにぐっと握った拳を見つめ、小さくうなずいて黒ずくめ獲物たちを見据え、少し面倒くささを孕んだ声で言い放った。

 

「——さて、狩りの時間だ」



「……は? 何だよそれ」


「……ぷっ」


「はっはっはっは! 変身って何だよ! ヒーローごっこか? いい歳してよお!」

「くくく……あははははは、ほんとだよ! なかなかすごいマジックじゃないか!」

「けどよぉ……はは」

 そこで、黒ずくめたちは笑うのをやめ。


「ふざけてんじゃねえぞ!? ああ? ヒーロー? バカにしてんのか!?︎」

「おい、君! バカなことをしていないで今すぐ逃げるんだ! 君が逃げる時間くらいは、私が稼ぐ! ここで見たことは忘れて、君は君の人生を送れ!」

「てめぇは黙ってろ!」

「ぐぅっ……!?︎」

 なおも必死に呼びかけてくる女性を蹴りつけると、スキンヘッドの男はこちらに向き直った。

 女性は、呻き声を上げて力なく倒れ込んだ。耳をすませばかすかに呼吸の音はする。気絶しただけのようだ。

 しかし、なんだか拍子抜けだ。この姿になれば、てっきりもう少しびびりくらいはするかと思ったのだが。

 ……まあ、それも今はどうでもいい。

「おい、ヒーロー野郎! 黙ってねえで何とか言いやがれ!」


英雄ヒーロー? 違うな、俺は……」

「ああ?」


 狼の怪物——牙人は、ゆっくりと前傾姿勢をとり、鈍色の腕をだらりと前に垂らした。

 あかのまなこが、妖しげな光を放つ。

 それはまるで、狩りに臨む獣のように……。



「——悪役ヴィランだよ。……元、だけどな」

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