02 君に出会い、新たな扉がひらく






「う……歌って、わたしが? あなたじゃなくて?」

「そ。まず歌って、それから考えよ」


 路上ライブをしているのは彼なのに、どうして萌が歌うのか。

 不思議に思いながらも、彼は話を進める。


「何がいい?」

「そんな、急に言われても……」

「好きな歌手くらいいるだろ」


 ピアノも部活も辞めて、音楽にふれる機会は減っていた。

 最近は勉強に追われて、カラオケにすら行ってない。


「じゃあ、Littoリットの曲、とか……」


 咄嗟とっさに出てきたのは、いま動画配信サイトで流行っているDTMer『Littoリット』だった。


  DeskTop Music   D T M   とは、パソコンを使って作曲をすること。

 そういう作曲者のことを、DTMerと呼ぶ。


 その中でもLittoは、こまかい転調てんちょうや複雑なコード進行が特徴の人気DTMerだ。


「最高じゃん、ぜんぶ弾けるよ。曲は?」

「『shellpink』が好き」

「いい選曲!」


 彼に「ほら、立って」とうながされ、萌はかばんを置いて隣に立つ。


(うわ、これ、緊張する……)


 通行人はちらちら視線をやるだけで、当然誰も立ち止まらない。

 それでも、こんな公衆こうしゅう面前めんぜんでいきなり歌うなんて。


「いくよー」


 考えても、しかたない。どうせ誰も聴きやしないんだ。

 彼の合図で、萌は大きく息を吸った。



 ♪――― 

 くらむような人波の中

 君がすくいあげたサカナ

 水槽のすみで今日も

 じたばた泳いで泡をはく


 弱っちい僕もここなら

 泣いたって気付かれない

 ピンクの貝がら探して

 ぐるぐる泳ぐよ


 おぼれて 泣いて 壊れかけて

 それでも 僕は

 ♪――― 



 萌の想像に反して、立ち止まり、聴く人が少しずつ増えていく。

 足を止めたと思ったら、歩き出す人もいる。歩き出してまた、引き返す人もいる。


 恥ずかしさはあったけれど、マイクもなにもないので、萌は声を張り上げて歌った。


 多くの人が不思議な顔をしながら、立ち止まる。

 こんな、誰が歌っているかもよくわからない歌に、耳をかたむけようとしている。



 ♪――― 

 初恋のshellpink 甘い歌を聴かせて

 君の声をたよりに 僕は泳ぐよ

 いつか僕の世界に 夜空が落ちても

 迷わずゆける 僕は生きるよ


 僕は生きるよ 僕は生きるよ

 僕はこのさきも 泳ぐよ 生きるよ

 ♪――― 



 歌い終えると、拍手がひびいた。

 歌い終えて冷静になって、あれ、と思う。


 たった1曲しか歌っていないのに、想像を越える数の人が集まっていた。ぱっと見るだけでたぶん、30人以上はいる。


Littoリットの曲?」

「あの子、歌上手いねー!」


 拍手をび、なんだか急に恥ずかしくなって、萌は真っ赤な顔でうつむいた。


(こんなとこで、歌っちゃった……!!)


 ふだんの自分とはかけ離れた状況に、萌は動揺どうようしながらも、興奮していた。

 ギターを抱えたまま、彼はニカッと笑う。


「思った以上だ!」

「え?」

「ねぇ、俺と一緒に……」

「こら、リツ! 人集めすぎだ!」


 彼の言葉は、突然けこんできた男の人の声にかき消される。


「うわ、兄ちゃん」

「誰、この女の子?」


 髪をツンツンたてた、背の高い高校生くらいの男の人。

 彼のお兄さん、らしい。


「なんのさわぎだ!」

「君たち学生? こんな時間まで何してんの」


 今度は警察官らしき人までやってきて、萌は緊張して身構みがまえた。


「すみません、俺、保護者です。場所の許可はとってますんで!

 すぐ連れて帰るんで、勘弁かんべんしてください」


 流れるように言うと、お兄さんはギターをケースに片付けて、彼の手を引いていこうとする。


 行っちゃう、と思った瞬間、彼が萌に手を差し出した。


 萌は迷わず、その手をとった。







 手をつないだまま、3人は駅の改札かいさつまで来た。


 まだ、心臓がドキドキしていた。

 けど、改札内の電光でんこう掲示板を見て、はっとする。


「わ、門限すぎちゃう! ごめん、行くね!」

「家まで送る?」

「ううん、駅から自転車だから!」


 彼の質問に答えながら、萌はあわてて定期を取り出し、改札を通った。


「萌!」


 すると、改札の向こうで彼が名前を呼ぶ。


「明日もここにいる。会いに来てよ」


 ちょっと迷いながらもうなずいて、萌はホームへの階段を駆け上がった。


(あれ、わたし、名前教えたっけ……?)


 そもそも、彼の名前も知らない。


 でもそんなことは、今の萌にはどうでもよかった。

 新しい世界の扉が開いたような、そんな出会い。

 明日も彼に会うのが、楽しみでしかたなかった。






 駅に着くと、自転車に飛び乗った。なんとか門限には間に合った。


 お風呂から上がると、お母さんがダイニングで待っていた。


「成績、見たわよ」


 お母さんは、萌の鞄から取り出した成績表とにらめっこしていた。


「やっぱり、暗記が苦手なのね」

「うん……」


 萌のゆううつな気持ちの、スイッチが入る。


「今度、お姉ちゃんに勉強見てもらったら?」

「お姉ちゃんも、自分のことで大変でしょ」


 父親はずっと単身赴任たんしんふにん

 姉が大学進学のために家を出て以来、萌はお母さんとの2人暮らしだ。


 萌は、姉にくらべると成績は思ったようにびなかった。

 お母さんはいつもそれをもどかしく思っていた。


「塾での勉強が合わないなら、家庭教師を頼んでもいいわよ?」


 キリキリと痛むから意識を遠ざけ、萌は笑顔をつくる。


「もう少し、塾で頑張るよ」


 めぐまれた環境にいることは、わかっている。

 それなのに、どうしてこんなに、毎日苦しいんだろう。




 でも、今日は生きていける。

 あの夢のような時間を思い出して、萌は眠りについた。




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