◎2



 名乗った瞬間、オシリスはキンタロウの首根っこを掴んで自身の後ろに引き倒した。


「痛って!」


 後頭部を氷壁にぶつけるキンタロウに構わずに、オシリスは双刃刀の黒い刃をツクモに向けた。そして中央の柄を左右の手交互に掴み回転させると、フイゴに吹かれたように火焔菌が活性化する。火焔菌の生成する炎は渦を巻いて包帯に拘束されて身動きのとれない芋虫のようなツクモに襲いかかった。


火焔菌ホムラ――《炎結えんむすびのごう》」


 タイフーンのような火渦がツクモを突き抜けて辺りの雪を溶かしながら空のキノコ雲に吸い込まれていった。黒焦げになったツクモは売れ残った焼き芋のように地面にポトリと落ちる。オシリスは包帯をたぐり寄せながら氷の洞窟を抜け出すと、ツクモの燃え殻に近づいた。足袋のつま先でつつくようにして生存確認を行うも反応はなかった。オシリスは静かに合掌してからキンタロウへと視線を滑らせた。


「無事か。はい


 オシリスはキンタロウに歩み寄り、双刃刀を握る手とは逆の包帯まみれの手を差し出した。キンタロウはそのひどい火傷を負った手を一瞥する。


「まあ何とかな。包帯忍者」


 そう言ってキンタロウはオシリスの手を掴もうとしたが、突如サッとオシリスは手を引く。そのままオシリスはダムのような氷壁に吸い込まれるように近づいていった。もろに肩透かしを食らったキンタロウはズコーッと前のめりに立ち上がる。


「おい……警察のくせにお約束をするんじゃねェ!」

「お約束を守るのが警察の勤めだ」

「たしかにそうだけどな」


 珍しく論破されるキンタロウ。しかしオシリスは受け答えしながらも目線は氷壁を捉えたまま心ここにあらずの状態だった。正確にはその視線はティラノサウルスと人間団子の大玉転がしに興じる女王スカラベに向けられていた。オシリスは魅せられたように氷壁に手を当てた。ジューッとおよそ人の体温では鳴らない異音が鳴り、氷が手形に溶け始めて辺りにマイナスイオンが放散される。

 こらえきれずにキンタロウは問う。


「そんなに氷が珍しいのか?」

「ああ。だがそれよりも、どうして女王スカラベがこんなことになっている?」

「それはあんたのほうが身をもって知ってるはずだぜ?」


 キンタロウは大袈裟に肩をすくめた。

 するとおもむろにオシリスはガツンッと氷壁に双刃刀を突き立てた。すると真夏の炎天下に放り出された冷凍マグロのように溶け始める。


「おい! あんた、何する気だよ?」

「決まっているだろう」


 オシリスは決然と答えた。


「女王スカラベを氷の牢獄から解き放つ」

「ちょっと待て。女王スカラベが人間に何したか知ってんのかよ?」

「知らん」

「なら教えてやる。女王スカラベは人間を噛み潰して団子にしちまったんだよ。今のこの思わぬ膠着状態は僥倖なんだよ」

「興味ない」

「はあ? それでも本当にあんた警察ケーサツかよ?」


 呆れるキンタロウにオシリスはやむなしというふうに発生した説明責任を果たす。


「スカラベは本官の故郷の里では神聖な生き物とされているのだ」

「それこそ知ったこっちゃねェよ」

「なんだと? これは信仰の自由だ」

「そうか。なら俺が力尽くで止めるのも自由だな」

「やれるものならやってみろ。小僧」


 オシリスとキンタロウが視線を交錯させて火花を散らしていると、地面に横たわる黒いサナギがもぞもぞと蠢動し始めた。キンタロウとオシリスは木炭のように黒いサナギを一緒に二度見して、それから釘付けになった。そしてなんとサナギがビキビキと割れて羽化したではないか。中から赤い羽衣の蛾が窮屈そうに這い出る。

 蛾は言った。


「今、何次元?」


 蛾あらためツクモは驚くべきことに無傷だった。拘束衣に縛られたまま首をコキコキと鳴らして四次元の羽衣をたなびかせていた。

 キンタロウはぼやくように言う。


「そもそもペラペラのもはや二次元のくせに四次元の羽衣とかややこしいんだよ」

「うるせぇを」


 ツクモはあくび混じりに反論した。


「だったらあんちゃんは今現実の、ここでいう現実ってのは三次元のことだが――にいるという証明はできるんかよ?」

「さあどうだろうな。ただ菌たちが俺と世界とを繋いでくれている。それだけで充分だろ?」

「ふうん。あんちゃんは菌が視える助平すけべえなりね」


 ツクモがキンタロウの全身をなめ回すように見ると、オシリスもそれに釣られるように灰色の青年を色眼鏡で見た。


「貴様、獲得者だったのか」

「まあな」


 キンタロウが手短に答えた、その次の瞬間――首筋に鈍い痛みが走った。何が起こったのかといえばツクモが瞬間移動してキンタロウと距離を詰めると羽衣でキンタロウの首を絞めたのだ。


「てめェ、また……ッ!」


 まともに声を発せないままキンタロウは氷壁に叩きつけられた。そのままこめかみをこすりつけられながらツクモとともに急上昇した。氷壁とは言ってもほとんど濡れた岩壁と同じである。背筋の凍るエレベーターはあっという間に最上階に到達すると、ツクモは空中に浮かんだままキンタロウの首を羽衣でさらに強く絞めた。キンタロウの首から上が鬱血して赤く染まり血管が盛大に浮き出る。


「ヴグググググ!」


 声にもならない声が喉から鳴りキンタロウの意識が遠のくなか、必死にもがくも羽衣は無慈悲にするりとキンタロウの手をすり抜けていく。ウナギのように掴めない。そんなキンタロウが気を失う寸前、下方から炎の翼を羽ばたかせたオシリスが猛追した。ツクモめがけて炎を纏った拳を突き出すとツクモはキンタロウから羽衣を解いて防御する。それに構わずにオシリスはツクモを押し上げるようにして打ち上げると、一旦距離を取って旋回したのちラッシュした。


 その間キンタロウは喉を押さえてのたうちながら氷壁を滑り台のように滑り落ちる。その先の燃える双刃刀にぶつかりそうになりつつもジャンプして無事着地した。双刃刀の炎は氷に屈せずメラホメラホと鮭の遡上のように氷の滝を登っており、女王スカラベを救わんと奮闘していた。


 一方、上空では高速の空中戦が幕を開けた。両者、目にも留まらぬ速さでぶつかり合い、炎の残像と赤いオーロラのような軌跡が交錯していた。その速さたるや音が遅れて聞こえるほどでありキンタロウも降る雪の動きで追うのがやっとだった。


「異次元の戦いじゃねェかよ」


 ロケットのように飛び回り空中体術を披露するオシリスをツクモは四次元の羽衣で柔らかく受け流して華麗にいなしていた。次第にオシリスの加速度は上がっていくがツクモの羽衣は湿布のように粘着質について回る。そしてこのままでは埒の空かないと判断したオシリスは一時的にホバリングした。

 それを見てツクモはにやつく。


「もう終わりエンド?」

「いいや、始まりだ」


 オシリスは意気揚々と答えたのち炎を纏った手で右眼を覆った。それからスッと手を離すと右目には太陽の眼の黄金ピラミッドが刻印されていた。

 キンタロウは恐る恐る呟く。


「あんた、その目ん玉は……?」

「菌が視えるのは自分だけだと思うな」


 オシリスはこの世のあまねくすべての菌を視認していた。先ほどまでハートハザードとの戦場だったことも相まってそこら中に残菌が蔓延っていた。


「ツゥーックックック」


 ツクモは笑いながら空中でオシリスと対峙する。


「それが三次元の限界だっつーの。見えるということは同時に見えない死角ができるということなんだぜよ?」

「関係ない。この世に燃えない菌はないのだから」


 オシリスが信頼するように言った瞬間、ちらちらとちらつく雪がボッボッボッボッと次々に点火し始めた。灯籠とうろう飛ばしのように上昇気流に乗るとしばらくしてから雪は消える。おもむろにオシリスは懐から御朱印帳を取り出すとそこから一枚の御朱印ごしゅいんを抜く。左眼を閉じてその前に人差し指と中指で抜き取った御朱印を挟み透かすようにそっとかざした。次の瞬間、オシリスの右の眼球は燃えて水分が蒸発すると、徐々に白目の部分が黒く染まった。


「日出ずるところに光あり。この太陽の眼は菌を視ること、燃やすこと叶う」


 そしてそのオシリスの太陽の眼はまっすぐとツクモを捉えた。


「火焔菌――《日光神宮寺院にっこうじんぐうじいん火村堂ほむらどう》」


 突如、噴水広場の上空に炎柱が何本も立ち昇り蜃気楼しんきろうによって大気が歪むと、いつからそこにあったのか左右対称の炎の神宮寺が建立された。手水ちょうず柄杓ひしゃく、賽銭箱、池を泳ぐ錦鯉、神宮寺内のありとあらゆるものが神々しくも激しく燃えていた。北翼廊ほくよくろう南翼廊なんよくろう尾翼廊びよくろうの先にそれぞれ門が構えられており、東西南北十字を切るような神宮寺の外周を火のついた注連縄が取り囲んでいる。上の辺木が反り返っている反増の鳥居が今にも焼け落ちそうだった。その正面の鳥居の参道を跨いだずっと奥の拝殿の中にツクモは囚われていた。


人間じんかん五十年ってか?」


 ツクモはお道化て言うと、大火事の神宮寺から脱出を試みようとした。羽衣をはためかせて飛行して北翼廊にたどり着くが、その直前に火門がギィーバタンと閉じてしまう。Uターンして南翼廊、尾翼廊に向かうも次々に扉が閉まり、ことあるごとに阻まれた。最後の望みとして鳥居をくぐろうと参道を滑空して突っ込むが、鳥居をくぐる手前でバイーンと見えない透明な蜃気楼の壁に阻まれた。ツクモは完全に火村堂に閉じ込められてしまった。


「信仰と結びつきによる結界かよぉ」


 見えない壁をペタペタとパントマイムするように触るツクモ。

 するとオシリスは子供を叱りつけるように言う。


「鳥居のくぐり方は進左退右。太陽神への礼儀を知らん愚か者が。その身を焦がして詫びろ」


 オシリスがそう言い放った次の瞬間、戦火の炎が集約すると徐々に形を成して巨大な不死鳥が出現した。尾羽からは千羽鶴のような御神籤おみくじが九本垂れており、左右の耳からはお守りがぶら下がっていた。その特異な不死鳥はひと啼きすると熱風を吹かせて羽ばたき、燃え盛るクチバシで火村堂ごとツクモを貫いた。刹那、ひときわ大きな火柱が上がると神宮寺は炎以外なにも見えないほど丸焼けになりお釈迦になった。


烏有うゆうせ」


 そしてオシリスが太陽の眼を閉じると、左手に挟んだ御朱印に神宮寺ごと吸い込まれて封印される。噴水広場の上空からは綺麗さっぱり跡形もなく火村堂は消えた。

 

「敵には回したくねェ包帯野郎だ」


 キンタロウは息を呑みながらも上空の戦いを地上の噴水広場から見上げていた。

 それからオシリスは御朱印を巾着に仕舞うと、順調に解凍されつつある女王スカラベを見て一息つく。プラナリアのように再生する包帯を丁寧に腕にぐるぐると巻き直していた。

 するとそこで虚を突くようにしてオシリスの背後に赤い影が忍び寄る。その人物は拘束衣の黒いベルトが焼き切られており、封じられていた両手が解かれていた。まさか焼け落ちたはずの火村堂から奇跡の脱出劇を成し遂げたというのか。


「おまえ、背中すすけてんよ」


 その人物、ツクモの朱い竜面はすこし焦げついていた。

 オシリスが邪悪な気配に気づいたと同時にキンタロウの体は勝手に動いていた。氷壁に突き立った高温の双刃刀の柄をキンタロウは握ると、ジュッと皮膚が少し焼ける。火傷を負いながらもお構いなしにキンタロウはその場で一回転して勢いを付けてから双刃刀を上空に向かって投擲した。


「オシリス、受け取れ!」


 ブーメランのようにブンブンと回転する双刃刀の真ん中の柄をしっかりと握った。そしてオシリスが振り向いた瞬間、ツクモは自由の身となった右の貫手に殺意を込めて目にも留まらぬ速さでトントンとオシリスの左胸と右胸をひと突きずつした。心臓と菌臓を貫かれて完膚無きまでにオシリスは致命的なダメージを負った。


「ゴフッ!」


 オシリスは血を吐くと、双刃刀の柄を束ねる包帯がほどける。二本に分かれた黒刀が落下し噴水広場に突き刺さった。しかしオシリスは喘鳴ぜんめいしながら悪足掻きのようにツクモの肩を抱く。それからオシリスはツクモの耳元で呪文を唱えたのち、手のひらに載せた炎の羽根に息を吹きかけると羽根はひらひらとツクモの腹部に吸い込まれていった。本能的に身の危険を感じたツクモは咄嗟にオシリスを突き飛ばす。そして羽をもがれた小鳥のようにオシリスは急降下していった。


「包帯野郎!」


 そんな死に体のオシリスを地面に激突する寸前でキンタロウは受け止める。

 荒い呼吸のオシリスは燃えるように熱く真っ赤な血を吐く。すると最後の力を振り絞ってキンタロウの襟を掴んだ。


「灰の字、女王を頼んだ。必ず救え」


 それが精も根も真っ白に燃え尽きたオシリスの遺言だった。キンタロウが包帯まみれの手を取ったのち上空を見上げる。ツクモはべったりと血で濡れた右手で竜面をかぶり直していた。朱い竜面にはオシリスの血痕が付着してさらに赤く染まる。


 とそこで、ズカーンと突如地鳴りが起こった。キンタロウは振り向くとそこには解凍された女王スカラベが仮死状態からの復活を遂げていた。目を白黒させたのちオシリスの亡骸を見つめるスカラベの女王。おそらく冷凍されながらも戦況は見ていたのかもしれない。


 女王スカラベは耳障りなき声を発してから空中のツクモめがけて逆立ちの状態で後ろ蹴りを繰り出した。しかし、ツクモはその間に瞬間移動しており、女王スカラベの眼前に出現する。女王スカラベの複眼のひとつひとつにツクモが映り込んだ。


「おっはー。そしておやすみな――さい!」

「やめろォ!」


 そんなキンタロウの声が虚しく響くなか、ついでとばかりにツクモは拘束を解かれて自由となった左足で女王スカラベの頭部にかかと落としを見舞った。王冠がパカッと割れてグジュッと潰れた頭部が地面にめり込み放射状にひび割れる。女王スカラベはあっけなく葬られた。女王スカラベは最後の力を振り絞り、人間団子をチョチョンと蹴って完全に沈黙した。


 これが三次元の限界。物事を三次元的に捉えているうちは勝てない。攻撃が通じない。まさしく次元が違うのだ。地上から灯火が消え、またしんしんと雪が降る。超巨大キノコ雲から雷鳴が轟き、世界竜のシルエットが浮かび上がった。それを仰ぎ見たのち、キンタロウはもはや見る影もない噴水広場に突き立つ二本のうちの黒刀の一本を抜き取った。それと時を同じくして地割れによって永久凍土がビキビキとひび割れると、もうひとりの恐しい竜が再び目を覚ました。

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