さよならの後遺症

◎1

 実はタツノオトシ号は水空両用艦だった。海底1万メートルから上空10万メートルまで設計上は耐えられるのである。現在、地球上空に広がった大海原にタツノオトシ号は潜水していた。


 それはさておき。

 タツノオトシ号艦内の覗き窓から外をのぞいていたセツは唐突に発作を起こした。セツはまるで深淵をのぞいたように右眼が疼き、魔物を抑え込むように手で右眼を押さえた。しかしセツの右眼の強膜が黒く染まり瞳孔が縦長に収斂しゅうれんする。まさしく竜の眼だ。

 その変貌を見てその場にいたハートハザードの面々らが困惑する。そのなかでひとりだけ途轍もない殺気を露わにした。ナナセは二丁拳銃に手をかけた。

 ところがそれをリューリは片手で制する。リューリの両肩それぞれに乗ったケサランパサランのうちの左肩の白い毛玉のほうがポヨンポヨンと跳ねた。そしてリューリはセツの角の生えかかった頭に左手をかざした。


免疫抑制ケサラン――《ケ・セラ・セラ》」


 刹那、セツは白い球体に包まれると力が抜けたように倒れようとした。それを駆け寄ったアーカーシュが瞬時にセツの小さな体を支える。


「だいじょうぶ? セツちゃん」


 アーカーシュが呼びかけるもセツは右眼を押さえたままで青息吐息だった。


「いったい何が起こったのよんこ?」


 そのマッシュパッカーの疑問に答えたのはセツ本人ではなかった。


「アスペルギルスの呪いだよ」


 どこから現れたのか胡散臭い科学者のクドゥーは続ける。


「艦体を隔てて一瞬すれ違っただけにもかかわらず、セツくんの体に拒絶反応が出るとは正直驚いたね」

「クドゥー、セツちゃんをどうにかしなさい」


 アーカーシュは薄ら笑いを浮かべるクドゥーに詰め寄った。するとクドゥーはアーカーシュの肩を掴んで横にどけると膝立ちのまま苦しむセツの前に出た。


「セツくん、その右眼調子悪そうだね」

「あはは。やっぱり博士の目は誤魔化せんね」


 セツは強がるようにおどけて見せた。


「そこでだ、ちょうどいいものがある。セツくんにこれを授けよう」


 そして大仰にクドゥー博士は右眼用の黒い眼帯を白衣のポケットから取り出し、セツに手渡した。そのアクセサリーを見てアーカーシュは顔を引きつらせる。


「ちょっとクドゥー、独眼竜どくがんりゅうじゃあるまいし年頃の女子にハードル高くない?」

「そんなことはないさ」

「いやそんなことあるでしょ」


 アーカーシュは何かを危惧しているようだったが当のセツは純粋に嬉しかった。


「……そいで、博士これはなんね?」

「それは黒穴ブラホ菌によって体内の菌量のバランスを調整する特殊機能付きの眼帯だ。それである程度までの菌の漏出と暴走は食い止められるだろう」

「ようわからんばってん、ありがとう。博士」

「どうってことはないさ。きみはぼくの大切な実験体だからね」

「そがんことば言いらすばってん、博士は絶対いい人とよ」

「ククク。ぼくは実験室に戻っているよ」


 笑いを噛み殺したように笑ってクドゥー博士は裸のタバコを口に咥える。マッチ箱からマッチ棒を取り出しアーカーシュの紅サンゴの角でマッチをこすり火を点けた。


「あたしの角でマッチこすんな!」


 角から煙を上げながらブチ切れるアーカーシュを無視し、紫煙を燻らせて飄々と手を振るクドゥー博士。その白衣の背中を見送りながらセツは眼帯を嵌めるとスッと痛みもなくなり楽になった。


「セツくん、きみはもうお兄さんとは会わないほうがいい」


 クドゥー博士は背を向けたまま釘を刺すように忠告した。一方のセツのほうはその忠告を受けてしぶしぶ納得したようだった。


「そうやね。おにぃとアルコさんの赤ちゃんも産まれたみたいやし」

「…………」


 そのセツの発言により一瞬にして艦内の空気が固まった。ちなみにディカリア王国が竜災に見舞われてからまだ一ヶ月も経っていない。クドゥー博士は吸い慣れた煙草の煙で咳き込み、その一方黙って将棋を指していたニャルラトホテプとモルドジョーも駒を打つ体勢で静止していた。


 ちなみに今は船内なのでニャルラトホテプは黒猫面を外していたがモルドジョーはガスマスクを嵌めたままだった。ニャルラトホテプの素顔は翡翠の瞳に薄い黄緑色のショートカットの案外かわいらしい顔立ちをしている。しかしそんな二人が指しているのは一般的な将棋とは違って摩訶大大将棋を元にした全く別のものだった。縦19マス横16マスの中に多種多様の駒が配置されており各陣営合計96枚、50種類もの駒が躍動する。十二支の他に獅子や酔象や悪狼や麒麟などいった駒がありさらに菌や免疫などといった駒も存在した。しかしその中でもやはり存在感を放つのは竜王だった。

 一方ハートハザードの竜王にしてボスであるリューリはといえば、セツの天然の一手にリアクションが薄いのはいつものことだったがそれにしても通常より憂い顔に見えるのは気のせいではなかろう。

 アーカーシュは恐る恐る尋ねる。


「セツちゃん、赤ちゃんがどうやってできるのか知っているのかな?」

「え? 好きな人同士が愛し合っとったらコウノリューが運んでくるとやなかと?」

「なにそれ、かわいすぎる」


 アーカーシュはセツを抱きしめて頬ずりした。しかしセツが知らないのも無理はない。それはかごの鳥であり箱入り娘の弊害だった。


「かまととぶっちゃってまあ」


 マッシュパッカーはなぜか憤っていた。嫉妬も交じっていたのかもしれない。


「赤ん坊なんて交尾したらできるに決まってんでしょうが! 今生きてるやつら全員交尾の成れの果てのチ○カスよ!」


 そんな荒れたマッシュパッカーに対抗してアーカーシュはセツの耳を塞ぎ、ナナセは太ももに装着した軍用サバイバルナイフをマッシュパッカーの眉間めがけて投擲した。ストッと小気味いい音が鳴りマッシュパッカーは菌血を噴き出しながら「アババババ」と倒れた。ハートハザードガールズの見事な連携により悪のキノコ大魔神は潰えた。

 それから眼帯を装着したセツをアーカーシュはまじまじと見つめて悪戯っぽく笑う。


「これで×印のガーゼマスクをしたら絵に描いたような不良娘の誕生だわ」

「そいよかね」

「いいかぁ?」


 冗談で言ったつもりのアーカーシュは苦笑すると、一転真面目な顔付きになった。


「本当にこれでよかったの?」

「しょんなか、しょんなか」


 ふたりのその言葉にはきっといろんな意味が込められていた。


「セツちゃんが家に帰りたいと望むなら今からでも私がリューリに話を通すけど?」

「んにゃ。セツ、ここにおりたかもん」


 だって他に行ける場所などないのだから。

 帰り道も逃げ道もなくしてきたのだから。

 セツは覚悟を決めてから自分を鼓舞する。


「そういう星の下に生まれたっちゃけん、がんばらんば」

「がんばらんば、か」


 一緒にはいられないけれど、心はきっと繋がっているとセツは思った。

 リューリのほうはどうなのだろうか?

 妹に会いたいとは思わないのだろうか?

 そしてわたしは?

 するとどうしてかセツの瞳から透明な液体が頬を伝った。


「あれ? おかしかな。もうだいじょうぶなはずやとに」

「セツちゃん、別に泣いてもいいのよ」


 やさしく気遣うようにアーカーシュが言う。

 強がるようにセツは涙をセーラー服の裾で拭った。


「んにゃ、涙はもう雪に変わってしもうたけん。これでよかと」

 

 人生は卵のようなものだ。割ってみるまで中身がどうなっているかわからない。

 一転セツは話題を変えるように明るく努めて言う。


「セツの気のせいかもしれんばってん、なんかひとりおらんくなか?」


 その異変にはじめに気づいたのはなぜかハートハザードではないセツだった。続いてアーカーシュが艦内を眺めた。リューリ、ナナセ、マッシュパッカー(死体)、モルドジョー、ニャルラトホテプ、クドゥー、操縦席のフギンとムニン。

 とそこでアーカーシュは気づいた。


「あっドラのすけ」

「あー」


 そんな誰のとも言えない気の抜けた吐息が漏れた。


「なんだかやけに静かだと思ったら……」


 アーカーシュは頭痛がするようにこめかみを押さえた。

 するとマッシュパッカーは不死身のように起き上がってから言う。


「あの子なにも考えてなさそうだからあっさり脱退しそうよねっと」

「たとえ忍者警察から取り戻せてもスパイの可能性もある。ただでさえ」


 珍しくキノコと意見の一致したナナセは元忍者警察のニャルラトホテプを見やる。ドラのすけがハートハザードに帰ってきたとして100パーセント信じられるのか?

 しかしその疑問を打ち消すようにリューリは一言だけ言った。


「疑心無用」

「なぜわかる、リューリ?」

「疑心無用」


 リューリは同じ文言をナナセに繰り返した。

 これ以上は議論するつもりはないというふうに念押しする。


「要するにドラのすけを信じるってことね」


 アーカーシュは長年の付き合いからリューリがそう言うであろうことをわかっていた。

 それからリューリは無言のまま船長室へと閉じこもった。

 その間もタツノオトシ号は透明な竜の尻尾を追いかけて空に浮かんだ大海原を泳ぎながら深層に潜っていった。大海原は超巨大なキノコ雲を洗い流してトルネードとともに地球の重力を離れて第二の衛星、雨月として成層圏よりも上の宇宙空間に新たな竜の巣を作った。

 その新衛生雨月が各国列強の人工衛星を破壊して、その他の宇宙開発に影響を与えたことは言うまでもない。そんなことを竜は知ってか知らずか雨月は新しい生態系を確立しつつあった。

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