第2菌 無菌姫

◎1

 アルコは無菌城に入るためにまずはターミナルのような外観を模した検疫除染所を通る。ポールに赤いベルトパーテーションの張られた列に行儀よく並び、自分の順番の来たアルコは検疫官に検疫カード(執事に偽造してもらった)を提示した。検疫官はその検疫カードとアルコをためつすがめつして執拗に見比べる。


「貴様、見ない奴だな」

「そんなことないと思いますけれど」


 アルコはそう言いながらもそりゃそうだろうと思う。アルコは王女としてメディアへの露出はほとんど行っていない。しかしガスマスクをしているとはいえ一応歴とした王女なのだ。

 そんなアルコに検疫官は疑いの眼差しを向ける。


「本当に無菌城の者か身体検査させてもらう」

「ギクッ」

「マスクを取れ」

「いや、それはちょっとやめておいたほうが……」


 アルコは面倒なことになってきたと内心焦った。どうしても身バレは避けたいがどれだけ思考を巡らせても名案は思い浮かびそうもない。


「どうした? はやくマスクを取らんか」


 そしてついに業を煮やした検疫官がアルコのガスマスクに手をかけた――まさにそのとき、とある手が伸びて検察官の手を掴み止めた。

 もちろんそれはアルコの手ではない。


「彼女は僕の教え子だ」


 アルコがその声の主を振り返ると白衣を幾重にも纏った人物が立っていた。その手には白いアタッシュケースを提げている。アルコと比肩するほどに高身長かつ、アルコと似たデザインのガスマスクを外すと長い黒髪がさらりと垂れてその端正な顔が露わになる。


「……ホワイトエース先生」


 その人物はアルコの恩師だった。

 ホワイトエース先生は代々ディカリア王室医の家系の生まれでアルコが産まれたときからの長い付き合いである。幼少期のアルコに四種混合ワクチン(ジフテリア、百日せき、破傷風、ポリオ)や麻疹やB型肝炎の予防接種を施してくれたのも、風邪をひいたときに診てもらったのもいつもホワイトエース先生だった。


「やや、これは先生……私のチビが風邪をひいたときはお世話になりました」


 検疫官はかしこまって敬礼した。

 ホワイトエース先生はにっこりと白い歯をのぞかせて笑う。


「元気になってよかったよ」

「はい。もうすっかり元気で家中を走り回っとります」

「それはなによりだ。ASAP《アサップ》、ところで通っていいのかな?」


 ホワイトエース先生が進行方向に目線を向けると検疫官は慌てたように先を促した。


「ああ。それはもちろん。先生の教え子さんの未来を邪魔するわけがありません」


 こんな感じでアルコはあっさり検疫除染所を突破することができた。しばしホワイトエース先生の後ろに付いてアルコは白を基調とした建物の立ち並ぶ無菌街を歩く。それからホワイトエース先生の背中にアルコはお礼を言う。


「先生、助けていただきありがとうございました」

「何のことだい?」

「先生のおかげで私が王女だということが知られずに済みましたから」

「そのことならなんてことないさ」


 ホワイトエース先生は白い息を吐きながら肩をすくめる。


「それよりもなぜプリンセスがあんなところにいたのかな?」

「えっとそれは……」

「まあいい。アルコのことだから何かしら理由があるんだろう」

「すみません」


 謝りながらも口を閉ざす教え子にホワイトエース先生は注意喚起した。


「でもこれだけは言えるよ。近頃のモルド街は不穏な空気を感じる」

「はい。わかっているつもりです」

「そうか。まあ僕も人のことは言えないんだけどね」


 ホワイトエース先生ははにかんだ。


「どうだろう、アルコ。ここはお互い会わなかったことにしないかい?」

洒落臭しゃらくさいですけれどそうですね。そうしましょう」


 そうしてアルコとホワイトエース先生は別々の帰り道に別れた。

 その際アルコはかつての恩師から激励をもらう。


「アルコ、医学の道をまっすぐ精進しなさい」

「はい。ホワイトエース先生。あなたが私の先生で本当によかった」


 アルコはホワイトエース先生の背中を追うのをやめて見送ったのち空を見上げると一面ドームに覆われており一縷の雪も降らない。ここはまるで凍ったスノードームの中みたいな街だ。アルコは襟元をかき合わせながら中心地にそびえる無菌城へと向かった。


               ***


「いい湯~いい湯いい湯~、いい~湯~ですね~。朝昼晩晩も~いい湯で~す~」


 アルコはご機嫌な鼻歌交じりに無菌城の誇る大浴場で入浴を行い一日の疲れと汚れを洗い流していた。この清廉潔白な無菌城には歴代の王室と召使いが住んでいる。暖房設備や医療設備も充実している一方で毎朝のPCR検査は欠かさず行われ万が一この無菌城内で竜痘に罹ったことが発覚すれば即この無菌城を追い出され、モルドの医療施設に放逐される。いわばこの無菌城はディカリア王国の最後の砦なのだ。

 アルコは今日の出来事を洗いざらい思い返しながらふと結露の滴る竜呼びの笛を眺めた。中心の時計の針はまだ回っている。世界は終わっていない。今日も今日とて母なる惑星は回っていた。


 若干のぼせながらザッバーンと源泉掛け流しの湯船からダイナミックにあがると、浴室の外で待っていた二人のメイドのうちもうひとりのメイドを肩車して苦労するようにふんわり純白のバスローブをアルコの背中に載っける。そこまでしてくれるメイドに感謝しながらも気後れしつつアルコは急ぎ足でとある場所へ向かう。

 それは王妃様専用室と書かれたプレートの掛けられたガラス張りの部屋。そこにはすでに先客がおりアルコはその人物に話しかける。


「お父様、お待たせして申し訳ありません」

「いいや。わたしも今来たところだよ、アルコ」


 王冠を頭に載せて赤いマントを羽織ったこの人物こそが何を隠そう、ディカリア王国の14代目国王ディヒガルドである。現時点の家系図上はアルコの父に当たる人物だ。


「お母様のご容態はいかがですか?」

「なんとかお話はできるみたいだ」


 そう言って、国王は目の前の触覚のようなマイクを指さすと横にはスピーカーも備え付けられている。ガラス張りの部屋の向こうにはベッドに横たわる女性。その手首には何本も管が繋がれておりさまざまな医療機器によって常時健康状態がモニターされている。

 アルコは意を決して、マイクのスイッチをオンにしてから母親に話しかけた。


「お母様、体調のほうはいかがですか?」

「ああ、その声は……アルコですね」


 スピーカーから室内のか細くも力強い声が聞こえてアルコはひとまず安堵する。

 アルコの母親であるママリアは末期の竜痘を発症していた。そのため王妃にもかかわらず隔離され、終末医療ターミナルケアで延命している状態だ。おそらくモルドの病院であればすでに息を引き取っているであろう。そしてこのことは一部の人間以外は知らず厳しい箝口令が敷かれていた。この無菌城で竜痘患者が見つかれば大パニックに陥るからだ。今のところ治療法もなく致死率は驚異の100%なのだから当然である。アルコがキンタロウたちに言わなかったのはそういった事情もある。


 いや、これは言い訳だ。


 私はセツちゃんを治したいと口では綺麗事を言いながらも、そのじつお母様を治したいという下心があった。その後ろめたさゆえにお母様のご病気のことをあの兄妹に言わなかったのだ。


「お母様、こんな部屋の外からお話しする無礼をどうかお許しください」

「いいのですよ。私はあなたと話せるだけで幸せなのですから」


 そしてやさしい口調のまま王妃は続ける。


「アルコ、竜呼びの笛は持っているかしら?」

「はい。もちろん片時も離していません」


 アルコはジャラジャラと例の青い歯車笛をたくし上げた。


「ならよかったわ」


 ママリアは安堵の息を漏らした。そしてふと気づいたように尋ねる。


「アルコ」

「はい?」

「何か良いことでもあったのですか?」

「えっと……どうしてそうお思いになられたのですか?」


 白状すればアルコはあの団地の兄妹に竜痘治療の希望を見出している。なぜなら医療設備もなく不衛生な環境下で医者でもない素人の看病を受けて五年も生き永らえている奇跡の少女をの当たりにしたのだから。

 しかしこのことはいくら身内とはいえ患者には言わないほうがいいだろう。過度な期待をさせた結果裏切ってしまうかもしれない。

 アルコは医者の卵として慎重に判断しているとママリアは儚げに微笑むのだった。


「いえ、なんとなくそう思っただけなのだから。気にしないでちょうだい」


 それっきりママリアは黙ってしまった。体表に加えて喉にも竜痘特有の竜鱗のカサブタができており喋るのも辛いのだろう。

 はやく治して差しあげたい。すべての病苦を取り除いて差しあげたい。お母様から生まれた私のこの手で。アルコは両手を見つめてから悔しさを握りしめた。長居をすると逆に気を遣わせてしまうかもしれないと思ってアルコはこの場をあとにする。


「お母様、私はやらねばならぬ研究がありますのでこれにて失礼いたします」

「ええ。がんばりなさい」

「はい」


 答えてからアルコはバスローブを翻すと国王に頭を下げた。


「お父様、おやすみなさい」

「ああ、アルコ。ちょっといいかい」

「?」

「あーなんだ」


 お父様はすこし言い淀んでから照れくさそうに言った。


「あまり根を詰めすぎないように」


 それはお父様なりの精一杯の言葉だった。

 アルコは決意を胸に返事をする。


「はい」


 かならずや私がお母様を治してみせます。そう自分の心に誓った。

 お母様にあとどれほどの時間が残されているのかはわからない。すこしでも一緒の時間を過ごすべきなのかもしれない。しかしアルコはまだ諦めていなかった。きっといつの日かお母様はまた元気になって、いっぱい触れ合って、抱き合って、キスをして一緒に思い出を作るのだ。


 そんな明るい未来予想図を思い描きながらアルコは廊下を大股で歩き自分の研究室へ向かった。薬液シャワー室で陽圧式化学防護服を着込み除染してからバイオセーフティレベル4の実験室に入ると、アルコは夜通し火山灰兄妹の検体の研究に明け暮れた。アタッシュケースから取り出したセツの検体を走査型電子顕微鏡でつぶさに観察したのち、DNAを単離したサンプルを次世代シーケンサーにかけると竜痘菌と同定した。


「一般的な竜痘菌と変わらない」


 アルコは眉をひそめる。

 弱毒性の変異株でもないのになぜ五年もの間セツは生存できたのか。

 シンプルにその答えが知りたい。

 それからアルコは孵卵器(CO2インキュベーター)から水色の培養したヒト細胞の入った培養プレートを取り出す。これは竜痘菌液を接種してから一週間ほど経過したものでポツポツと白いプラークが確認できた。安全キャビネット内にたこ焼き器のような培養プレートを持ち込み、獲得者(キンタロウ)の検体を接種して感受性を検査する。その間にキンタロウの血液を遠心分離機にかけて成分を調べたのだが結果は一般人とさして変わった点はなかった。


 そこでふとアルコは彼のことを思い出す。介抱してくれたことや料理を振る舞ってくれたこと。

 モツ鍋おいしかったなぁ。


「それにしてもクリスマスプレゼントに味噌はないでしょう」


 アルコが苦笑いを浮かべていると、唐突にあのときのやりとりが蘇る。



 ――『簡単に説明すれば、大豆を麹菌で発酵させた調味料だな。ちなみに自家製だ』

 ――『自家製……実に怖い響きですね』

 ――『なんでだよ』



 アルコは実験室内の冷蔵庫を見つめてから小さく呟く。


「……もしかして」


 そのマイナス5度の冷蔵庫の中では丸い包みが静かに息を潜めていた。そのなかにいる菌たちの笑い声がアルコには聞こえた気がした。



 アルコの執事のセバスチャン・サトーは実験エリアの外で待機していた。片手にはトレイを持ちその上には紅茶セットとミルクのピッチャーとアイスボックスクッキーが載っていた。ブォーンと透明なスライドドアが開くと白衣のアルコが休憩のため一時出てくる。


「アルコ姫様、顔色が優れないようですが……」

「あまり食事をとっていませんから」

「なんとおいたわしや」


 サトーはクッキーの載ったトレイを差し向けるがアルコは手で制した。代わりに紅茶のティーカップだけを受け取る。


「心配しないでください、サトー。ご飯なんて食べずとも私はお風呂にさえ入れれば動けますから」

「おっしゃっている意味がわかりませんが、ご無理をなさっては体に毒ですぞ」

「ASAP。そんなことよりも」


 強引にサトーを遮るとアルコの目が光る。


「この時間にサトーがいるということは何かしらの情報を掴んだのですね?」

「はい。恐れながら――」


 本人的には気の進まない様子でサトーは正直に報告した。

 アルコはなんとも言えない表情で紅茶のティーカップを持ったまま聞き入る。


「やはりそうでしたか。洒落臭しゃらくさい」


 最後まで聞き終えてからアルコはすっかり冷めてしまった紅茶に口を付けて一気に飲み下すとフゥーと一息つく。それにはきっとため息も混じっていた。


「実験はいったん切り上げるしかなさそうですね」

「…………」

「悔しいです。あとほんのちょっとで証明できそうでしたのに……」


 アルコは毒虫を噛み潰したかのように呟く。それから白衣を翻して颯爽と歩き出した。


「しばし城の外に出ます」

「左様ですか」

「サトー、いつも通りお父様に知られないように頼みましたよ」

「かしこまりました、アルコ姫様」

「それから」


 アルコは白衣の内ポケットからとあるものを取り出すとサトーに向かってポンッと投げつけた。


「おっとっと」


 と、サトーがトレイを持ちながら曲芸のように器用にキャッチして改めて確認する。それは丸い小包みである。


「はてな?」

「それをお湯に溶かして作ったミソスープをお母様にお出ししてください。毒味は済んでいますので悪しからず」

「これは……漢方の一種ですかな?」


 訝しげにためつすがめつするサトーにアルコは首を横に振る。


「いいえ」


 アルコはこぼれる笑みを隠すように白いガスマスクを被ってから答える。


「医者殺しです」

「……なんと」


 しかしそれ以上は何も聞かず、今ではすっかり追い抜かれてしまった頼もしい背中にサトーは純白の厚手のコートをかけたのち慇懃にお辞儀をした。


「お気を付けていってらっしゃいませ、アルコ姫様」


 それは年の瀬も押し迫った日の出来事だった。

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