照坊主

朝パン昼ごはん

雨の情景から始まる魂の4000字

 朝から雨がざあざあと降っている。

 こんな日は外に出ないと村の者は決めていた。

 いつだったか、曇り空にいそいそと戻る村人の噂を耳にして、けしからぬと領主の使いがやってきたことがあった。

 その時も、数日は雨が降り続いてきたような気がする。

 結局、村の行状を理解していただいてお帰り願えてもらった。

 地元で取れた肉で持てなしたかったが、そのままお帰りになられたのは残念だった。

 しかしあれから村の扱いは幾分やわらかくなったと思う。

 この雨が止めば外に出よう。それまでの辛抱だ。


 うちの子供は聞き分けが良くて助かっている。

 それほどある訳ではない蓄えにも不満を出すことはなく、親の言うことを聞いてくれている。

 こういう時の妻にはほんとうに頭が下がる。

 自分に出来ることは、内々の手入れをすることだけだ。

 枯れ枝をへしおって囲炉裏に火をつぎ足す。

 内に閉じこもってはいるが、方々からのすきま風は如何ともし難い。

 自分はいいが、妻と子供が風邪をひいて貰っては困る。

 これも蓄えが少なくなってきた。雨が止んだらこれも足しておかないとな。

 ふと、妻が注いでくれた白湯の腕がそっと差しだされた。

 荒れた手に、それがじんみりと染みた。

 まったく、俺なんかと違って良く出来た妻だよ。


「降りますね」

「ああ、本当によく降る」


 心配そうな顔をする妻に、俺は弱々しく笑ってみせた。

 妻の不安は自分の不安も同じ。

 夫婦そろって上を見上げれば、閉めた突き出し窓からぽたぽたと水滴が土間に垂れてきている。

 憂鬱さを増す眺めではあるが、外に出るよりはましだ。

 これも晴れたら補強しておこう。

 子供たちの他愛ないさかいを慰めながら夫婦の会話をはずませると、それをやっかむのか家鳴りが酷くなる。

 雨にくわえて風も強くなってきたようだ。

 まったく、ほんとうに嫌になる。

 こんな日は外に出ないと村の者は決めていた。


 妻の身が固くなった。俺の顔も強ばっている。

 互いに目配せをする色は不安でいっぱいだ。

 理由はわかっている。声が聞こえてきたからだ。

 外にいる、何者かの声をだ。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


 それは雨風に負けずに、閉めきった木戸から漏れ聞こえてきた。

 囁くように耳元に近づき、それでいてはっきりと一字一句聞きとれるようにだ。

 子供たちが不安に震えた。それをしずめようと妻が子供たちを両脇にかかえ抱く。

 俺はというと、自分の不安を押し殺すように、ただひたすらに囲炉裏に火をくべていた。

 大丈夫、大丈夫よ。

 妻が子供に言い聞かせている。

 そう、大丈夫。大丈夫なんだ。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


 雨の日は外に出ないと村の者は決めていた。

 外に出ればヤツに出会ってしまうからだ。

 ヤツは何者か? それは誰も知らない。

 晴れになるまでこうやって閉じこもっていれば、危害をうけることは無いからだ。

 わざわざ危険をおかす真似をするなど、正気の沙汰では無い。

 ガキの時分に好奇心見たさに外を覗こうとしたことがある。

 そのときは親父に大分頬をはたかれたのを良く覚えている。

 妻と子供に目をやる。今の俺は、あのときの親父の気持ちが理解できる。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


 声が幾重にもなって外から聞こえてくる。

 この村に近づいてきているのがわかる。

 ヤツは複数いる。子供か老人かもわからない。

 こもった声を響かせながら行進していくのがわかる。

 その合唱は、雨だれのように俺の首筋にひやりと染みこみ、手足を萎えさせ心の臓を震わせる。

 力がはいりすぎて、枝があらぬ方向に飛び、腕を傷つけた。

 だが、そんなことはどうでもいい。外に出るよりはよっぽどいい。

 はやく、はやくいってくれ。

 悶々とそんな憂鬱を黙って耐えていると、外からヤツとは別の声が聞こえてきた。


「た、助けてくれーーーっ!」


 知らぬ声。少なくともこの村で聞いたことはない声だった。

 おそらくは旅人か。馴れぬ道に迷ってこの村に辿りついてしまったのか。

 旅人は、けたたましい音を出しながら次々と戸口を叩いている。


「開けてください! 助けてください!」


 雨中の雷かと思う激しい音。

 だが開ける村人は一人とていない。

 当然だ。

 雨の日は外に出ないと村の者は決めていた。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


 そんな激しい音よりか細い声。

 しかしはっきりと聞こえるその声の主は、近づいてくる。

 村のもとへと。旅人のもとへと。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


「開けて! 開けて! 助けて! お願いだあ!」


 その切迫した声から焦っているのがよくわかった。

 涙と鼻水も混じっているのかもしれない。

 ドンドンと、次は俺の家の木戸が叩かれた。

 俺は囲炉裏から離れ、戸口へと向かう。

 妻が不安そうに俺を見た。俺は大丈夫だと頷いた。

 戸口に立った俺は、つっかえ棒が緩まぬようにしっかりと両手で押さえつけてやった。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


「なんで誰も開けてくれないんだよ! 昼だぞ! いるのはわかってるんだぞ!」


 旅人が叩く衝撃が、戸を押さえる棒をびりびりと震わせる。

 俺はその非難を、両手でがっちりと防ぐのだ。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


「開けてくれよぉ! なんなんだよヤツらはよぉ! 助けてくれよ!」


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


 俺は知らん奴より、妻と子供のほうが大事だ。

 ぼそりと戸口で呟いた声が届いたのか、ふっと振動が消え失せた。

 別の家へと向かったのか。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


「来るなよ! 来るなよぉ! おまえら来るなよぉ!」


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


 叫びが遠ざかる。

 それを追いかけてヤツも遠ざかっていく。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


「ああ、ああ、ああああああ!!!」


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


 声にならない叫び。ささやくような声。

 その距離がせばまっていく。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

「ああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


 何かが引きずり倒される音。

 それが無理矢理引きずられ、もがき苦しむ音。


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ

 

 ――てるてるぼうずてるぼうず あぁしたてんきにしておくれぇ


 それらが唄とともに、山へと去っていく。

 耳からそれが聞こえなくなったと確信できたのは、それからどのくらい経ってからであろうか。

 妻がそっと、肩に手をそえてくれたからかもしれない。


「大丈夫ですよ」


 その優しい声に、俺の緊張はようやく解けた。

 ふと、両手をみれば、まだ少し震えていた。

 おおきく息を吸い込み、ようやく俺は気持ちを切り替えることができた。

 晴れたら山へといこう。

 余計な物が増えたが、せめて菩提は弔ってやろう。

 兎、猪、鹿、熊、狼、そして人。

 ヤツに遭遇したものは、例外なく標的になる。

 動物なら皮を剥がれ、人なら衣服を脱がされ、白い衣に包まされて首をくくらされる。

 その犠牲の数々が、山の木々に吊らされていくのだ。

 俺たちは、晴れの日に村人総出でそれを求めて山に行く

 狩りというものは難しい。馴れている者でも手ぶらになる日だってある。

 しかしこの村は昔からヤツを利用して獲物をとってきた。

 晴れは人の領分。雨はヤツの領分。

 これは領主にも指図できない昔からのしきたりだ。

 それを守っている限り恩恵に預かれるから良いことではないだろうか。

 まあ、たまにこういう輩が出ることもあるが。


 ヤツがいつ頃から棲んでいるのかは分からない。

 親父が小さい頃にはもういたらしい。

 俺はヤツと呼んでいるが、土地の古老はそうではない。

 照坊主てるぼうずと呼んでいた。

 だが名前なんぞはどうでもいい。

 雨の日は外に出るな。ただそれだけだ。

 子供でも覚えられるだろ?

 俺は震える身体を暖めようと、再び囲炉裏へと腰を落ちつけたのだった。

 まだまだ雨は続く。

 こんな日は外に出ないと村の者は決めていた。

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