第3話

 イリエは緊張している。

 クラス替え直後の教室に入る気分だ。呼ばれていない宴席に迷い込んだ瞬間の気まずさもある。

 場違いだが行くしかない。

 顔は微熱があるかのように熱く、体にも汗を掻いていた。《蒼の王》ベル・ヴァジノームの威圧感に慣れる日はいつかやってくる。でないと寿命が縮みそうだ。不老不死の天属が職場での精神的疲労で死ぬなんて、格好悪いにも程がある。それだけは避けなくては、とイリエは立ち上がった。

 好待遇のアルバイト。呪文のように言葉をなぞる。

 最悪の気分で見上げた空は美しく、城との相乗効果で、天使の住まいにでもいるかのようだった。絶対に認めてもらおう、と意気込んだのもつかの間。執務室を出てきた王が今度は背後に立っていた。

「赤い石で飾ったティアラは《紅の女王》によく似合うだろうな」

「陛下の、海と空の混じったような蒼い王冠もとてもお似合いです」

 精一杯の褒め言葉に《蒼の王》はにこりともしない。イリエも笑顔を引っ込めて、真面目な顔を浮かべる。彼女は颯爽と藍色のローブを翻して執務室へ戻っていった。

「死ぬかと思った?」

 騎士はイリエの言葉を覚えていたようだ。

「セラ、私の気持ちを代弁してくれてありがとう。まずいこと言ったでしょうか」

「大丈夫よ。ベルは無闇に監視や盗み聞きなどしないわ。彼女がやろうと思えば、いつでも話は筒抜けだから、配慮するに越したことはないけれど。自分が女王である自覚だけは持ってね」

「気をつけます」

「城主はこのヴァジノーム城全てを、いつでも好きな時に見渡すことができるの。魔術がひと通り扱えるようになれば、あなたにも負ってもらわなくてはらない役目よ。王や女王と私たち騎士の違いはそこにあるの」

「じゃあ失言は陛下がいないときにします」

 十年弱使い続けた言葉使いはたまに顔を出す。男のふりは必要ないのに習慣とは恐ろしいものだ。

「イリエ女王陛下」

 名前に敬称が付いて、それだけでイリエは嬉しくなった。多少は認められたと思っていいのだろう。期待は膨らんだまま持続する。

「私のことは呼び捨てで構わないわ」

「……ありがとうございます、セラ」

「気にしなくていいわ。あと敬語もいらない」

 イリエは難しい顔で沈黙した。悩んでいると顔に書いてあるだろう。

「男のふりもしなくていいのよ」

「そう言ってもらえると安心します」これは本音だ。

 ここにいるだけで命の安全は保障されている。一度目の十二年がどう今の自分に繋がるかは知らないが、もう元の世界に行くことはないだろう。生きていくならここがいい。なんとなくだがそう思える。そのくらいの年数は経ってしまった。

「緊張もしなくていい」

「それは難しいです」

「今すぐじゃなくていいのよ。私がそう言ったと覚えておいて」

 騎士の優しさに、イリエの口角は自然と上がった。「はい」と返事も素直に口から出た。

「これから城を案内するわ。ついてきて」

「わかりました」

 幾重にも重なった城壁は見慣れていたものより高く、なにより美しい。威圧感や無骨さを打ち消すような、見事なものだ。外側とはかなり雰囲気が違う。灰色と黒のコントラストであっても華美に見える造詣は、芸術品と言っても差し支えない。庭木の手入れも行き届いており、天属の住まいであろうと、常に人がいることを実感する。童話に出てくる幽霊や妖精の住むような空間を想像していたので驚いた。

 城の趣が異なる理由を尋ねると、セラは「私は知らない」と短く答えた。《蒼の王》ならば知っているだろうか。質問する勇気がでたら、いつか説明を聞きたいものだ。

 空を見上げると、やはりどこまでも青く澄んでいて、セラの説明を聞いていると観光でもしたような気分になった。

 鍛錬場の周りには武官の休憩所や屋内の鍛錬場、そして医局や厨房がある。一般的な作りは知らないので比較できないが、便利そうだ。使うものにとってそれが快適ならば、合理化してもお釣りがくる。小さな街を見た気分になり、イリエの視線はあちこちへ飛ぶ。

 上位の文官の区画は少し奥の方にあり、三騎士と王と女王でさらに奥の区画を五等分している。自室はどこだろうか、と落ち着かないでいると、王城暮らしに慣れた自分でも見たことのない広さの部屋に案内された。

「ここを自由に使ってね。ベルも了承済みよ」

「ありがとうございます」

「礼は要らないわ」

 お姫様に憧れたかのような寝台が、そこにあった。以前の女王というのは、やはり女性だったのだろうか。もう少し遠慮して欲しいレースと、輝石と、花。それは眩暈を起こすには充分だった。女ではあるものの男として生きてきたので、この部屋の趣味とは合わない。どちらかといえば、イリエは実用的なものが好きだ。

「要望があれば言ってね。このまま使えとはベルも言わないはずだから」

 あの王ならば言いそうだ。その言ってはいけないひと言をしっかり飲み込んで、イリエはセラに微笑む。

 置いてあった紙とペンを借りて、イリエは自分の希望をすらすらと描く。

「絵が、上手いのね」

 芸術全般は唯一の趣味だ。兄弟にせがまれて肖像画を描いたこともある。隣国の姫君や市井で評判の女性の為に贈り物を作ってくれ、と頼まれたこともある。楽器を弾くのも舞を踊るのも姫君が嫉妬する程度には評判だった。よく性別がばれずにすんだものだ。女として育てられずにすまない、などと言うわりには自由にさせてくれた。

 王族だって人である。きっと天属も同じ人なのだろう。

「どうしたの? 手が止まっているわ」

「少し考え事をしてました」

 縁にレースの模様が入っている紙を折りたたんで、同じ柄の封筒に入れる。《蒼の王》ベル・ヴァジノーム様へ、と非の打ち所のない綺麗な字で書く。

 そして勇気を出して聞きたかったことを口にした。

「そうだセラ、大事な質問があるんです。天属って髪は伸びますか?」

 セラは大声で笑い、イリエの頬は赤くなった。

「イリエ、大丈夫よ。心配いらないわ」

 その言葉は信じてよさそうだ。

 少しくらいならお姫様みたいな寝台で眠ってもいい。そう思えた。

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