公爵令嬢、王子様のキスをガン待ちする

亜逸

公爵令嬢、王子様のキスをガン待ちする

「『呪いをかけられたお姫様は、王子様のキスで目を覚ます』作戦?」


 レシナンス公爵家の長女ディアナ・レシナンスは、親友にして伯爵家の長女にして魔法使いでもあるエルシア・ロンドの提案に小首を傾げた。


「そうよ。私があなたに、愛し合っている異性にキスされない限りは永遠に目を覚まさない呪いをかけて、シリウス様があなたにキスするよう仕向ける作戦よ」


 エルシアはそう答えた後、思い出したように「あぁ」と声を漏らし、言葉をつぐ。


「ちなみに、実際に永遠に目を覚まさない呪いなんて物騒なものはかけないから、そこは安心して。私があなたにかけるのは、精々一日二日眠ったままになる程度の呪いだから」

「それはそれで充分物騒だと思うんですけど!?」


 悲鳴じみた声でツッコむディアナに、エルシアはため息をつく。


「これくらいやらないと、あなたにしろシリウス様にしろ、キスすらまともできないでしょうが」

「そ、そんなことないわよ」

「だったら、シリウス様とお付き合いするようになってからの三ヶ月、どのくらい仲が進展したのか言ってみなさいよ」


 不意に、沈黙が二人の肩にのしかかる。

 それから三分ほど待たされたところで、ディアナはようやく口を開いた。


「一週間くらい前に、手を繋げるようにはなったもん」


 かえってきた答えは、子供の恋愛よりも子供じみていた。

 何だったら物言いまで子供じみていた。

 自然、エルシアの口から二度目のため息が漏れる。


「いくらシリウス様が王位継承権が一番下で、婚約なしにお子ちゃまな恋愛をしても許される身とは言っても」

「お、お子ちゃま!?」


 と素っ頓狂な声を上げるディアナを無視して、エルシアは話を進める。


「あんまりチンタラやってると、国王様だって捨て置くわけにはいかなくなってくるかもしれないわよ。実際、国王様はシリウス様に、他国の公族との縁談を薦めるつもりでいるかもなんて噂が出始めてるくらいだし」

「シ、シリウス様に縁談!? そんなの絶対嫌ですわ!」

「そう言うだろうと思ったから提案してるのよ。『呪いをかけられたお姫様は、王子様のキスで目を覚ます』作戦を。愛し合っている異性のキスでしか目を覚まさない呪いをかけられたと知ったら、いくら奥手なシリウス様でもあなたにキスの一つや二つするだろうし」

「ふ、二つは困りますわ!」


 と恥ずかしがるディアナを無視して、エルシアは話を進める。


「それに、シリウス様のキスで呪いが解けて、あなたが目を覚ます様を皆に見せれば、周りの方が勝手に婚約に向けて動いてくれるはず。外堀さえ埋まってしまえば、お子ちゃまな恋愛しかできないあなたたちでも、否が応でも前に進むしかなくなるでしょ?」

「確かにそうかもしれませんけど、サラッとシリウス様のことも不敬ディスってません!?」


 というディアナの言葉を無視して、エルシアは問う。


「で、『呪いをかけられたお姫様は、王子様のキスで目を覚ます』作戦……やるの? やらないの?」


 ディアナは口ごもり、散々モダモダした末に答える。


「やりますわよ」


 こうしてディアナは、愛し合っている異性にキスされない限りは永遠に目を覚まさない――ということにした――呪いをエルシアにかけてもらった。



 そして翌日――



 何をしてもディアナが目を覚まさないことに慌てふためいた、ディアナの父――レシナンス公爵が、こちらの計画通りにロンド伯爵家の屋敷を訪れ、エルシアに泣きついてくる。


「む、娘が眠ったきり目を覚まさないのだ! エ、エルシア嬢! 魔法使いである君の力を貸してはくれないか!?」

「ティ、ディアナが!?」


 舞台女優もくやとばかりの演技力で驚きを露わにしたエルシアは、友人の一大事だの、力を貸すのは当然だのと言って即諾し、レシナンス公爵とともに彼の屋敷に戻り、ディアナの寝室へ向かった。


 エルシアは真剣な表情を取り繕いながら、ベッドで眠りについているにディアナの容態を確かめるフリをして……レシナンス公爵に告げる。


「おじ様……言いにくい話なのですが、ディアナは何者かの手によって呪いをかけられています」

「な、なんじゃと!?」


 そうしてエルシアは、愛し合っている異性によるキスで呪いが解けることをレシナンス公爵に伝え、あまりにも限定的すぎる解呪方法に少しの疑念も抱かなかったレシナンス公爵は、エルシアと恋仲にあるシリウス王子に使いの者を送った。


 ここまではエルシアの計算どおりだった。が、シリウスが駆けつけてくるまでの間に起きた二つの出来事は、エルシアにとっては計算外もいいところだった。


 一つは、一体どこで話を聞きつけてきたのか、自分こそがディアナと愛し合っているとのたま紳士やろうどもが何人もやって来たことだった。


 ディアナが意外とモテていた事実を、エルシアが心底意外に思っていたことはさておき。

 もう一つの計算外の出来事は、呪いで一日二日は眠りっぱなしになるはずのディアナが、もうすでに目が覚めてしまっていることだった。


 シリウスがまだ来ていないのをいいことに、我こそがディアナと愛し合っていると宣う紳士どもがケンカし始め、その異様な熱気にレシナンス公爵が気圧される中、眠ったフリをしているディアナが小声で話しかけてくる。


「ちょっと、なんでわたくしもう目覚めちゃってるんですの……!?」

「これは私の推測だけど、たぶんあなた、下手な魔法使いよりも呪いに耐性があるのかもしれないわ」

「そんなピンポイントな長所、知りたくなかったですわよ……!?」


 そうこうしている内に紳士やろうどもが、こちらのことなどそっちのけでじゃんけんを開始し、それに勝利した青年貴族が鼻の下を伸ばしながらベッドに近づいてくる。

 さすがに見かねたレシナンス公爵が、ディアナと男の間に割って入った。


「ま、待たれよ! 其方そなたまさか、ディアナにキスをするつもりか!?」

「もちろんです。お養父とうさん」


 図々しくもお養父さん呼びする青年貴族に、ディアナは思わず小声でツッコみを入れてしまう。


「ちょっと……! 言うに事欠いてあの紳士やろう、お養父さんとか言いやがりましたわよ……!?」

「気持ちはわかるけど落ち着きなさい……! 起きてるのがバレたらどうするのよ……!」


 エルシアが小声でたしなめている間にも、レシナンス公爵は青年貴族を怒鳴りつける。


「そ、其方のような輩にお養父さん呼ばわりされるいわれはない! それにディアナはユリウス様と恋仲にある! 万が一、いや、億が一ユリウス様のキスでディアナが目覚めなかったのならばともかく、ユリウス様がいらっしゃる前にディアナにキスしようなど、この私が……許さぁ……」


 だが、どうやら怒りのあまり頭に血が昇りすぎてしまったらしく、レシナンス公爵は怒鳴っている最中に白目を剥いて床に倒れた。


 ディアナが悲鳴を上げることを予見したエルシアは、彼女の口を塞いで無理矢理黙らせてから、レシナンス公爵のもとへ駆け寄る。


「おじ様! しっかりしてください!」


 声をかけながらも、レシナンス公爵の容態を確認する。

 あくまでもエルシアが見た限りの話になるが、床に倒れた際に頭を打った様子はない。

 気を失っているが、呼吸はちゃんとしている。


 レシナンス公爵は持病の関係で、昔から興奮しすぎては今のように倒れてしまうことが稀にあったので、おそらくはそれだろうと思ったエルシアは、胸を撫で下ろしながらも「誰か! 早く来てちょうだい!」と従者を呼んだ、その時だった。


 レシナンス公爵に怒鳴られていた青年貴族が、どさくさに紛れてディアナのもとへ向かい、眠っているフリをしている彼女に、今まさにキスしようとしていたことに、エルシアが気づいたのは。


(あいつ……!)


 内心プチッとキレながらも、魔法で青年貴族を吹き飛ばそうとした、その時だった。

 ディアナが眠った体勢のまま、常人には見えないほどの速度で青年貴族に腹パンを叩き込んだのは。


 腰が入らない体勢から放たれたとは思えないほどの威力の腹パンをくらった青年貴族は、白目を剥きながらベッドの脇に倒れ伏す。

 相手が倒れる方向までしっかりと計算に入れていることに気づいたエルシアは、親友でありながらもディアナの腹パン力に戦慄を禁じ得なかった。


 兎にも角にも、青年貴族が気絶をさせた状況を利用しない手はない。

 従者たちがこちらのことを心配しながらレシナンス公爵を別室に運んでいく中、エルシアは親友の唇を狙う不届き者どもに向かって問いを投げかけた。


「彼が、どうして突然気を失ったかわかりますか?」


 誰も彼もが答えられずに狼狽える中、エルシアは言葉をつぐ。


「全ては呪いの力が原因です。皆さんがここに来る前に聞き及んだ話のとおり、ディアナの呪いを解くことができるのは、あくまでも彼女を愛し、彼女に愛されている異性ただ一人のみ。それ以外の異性がキスしようとした場合は、呪いの力によって阻まれ……」


 一旦言葉を切り、ベッド脇で気絶している青年貴族を指でさす。


「ああなります」


 紳士やろうどもが息を呑み、後ずさるのを見て、これなら王子様シリウスが来るまで大人しくしてくれるだろうと思っていたら、


「なるほど。呪いの力か。ならば、魔法使いである僕ならいけそうだな」


 そう言ってエルシアの前に出てきたのは、おそらくはエルシアの家――ロンド家と同様に爵位を与えられた青年魔法使いだった。


 確かに、魔法使いなら呪いに耐性がある。

 もっとも、彼がこれから受けるのは呪いではなく腹パンなので、無理に止めようとはせずに忠告のみで留めることにする。


「私も同じ魔法使いだから忠告しておきますけど、あなたの手に負えるような呪いではありませんよ?」

「ふっ、それは君のような三流魔法使いならばの話だろう? 一流の魔法使いである僕なら、呪いなんてどうとでもできるさ」


 ディアナの呪いがすでにもう解けていることにも気づかないレベルで節穴なのに、よくもまあ自分のことを一流の魔法使いだと言い切れたものだと内心感心しながら、エルシアは切り捨てるように言う。


「忠告はしましたよ」


 青年魔法使いは鼻で笑って返した後、案の定忠告を無視してベッドに近づき、そこに眠るディアナにキスしようとする。


 その後の光景は、完全にエルシアが思い描いたとおりのものだった。

 ディアナが放った、常人には見えない速度の腹パンによって青年魔法使いは一撃で意識を刈り取られ、青年貴族の上に折り重なるようにしてベッドの脇に倒れ伏した。

 その凄惨な有り様を紳士やろうどもから「ひぃ……!」と、怯えた悲鳴が聞こえてくる。


 さすがにこうもまざまざと呪い(物理)の恐ろしさを見せつけられては、紳士やろうどもも尻込みするばかりで、もうこれ以上はディアナにキスしようなどという不届き者が現れることはなかった。



 そして――



「ディアナ!」


 主役のご登場というべきか、血相を変えてやってきた王子様シリウスが、ディアナの寝室にやってくる。

 シリウスは、愛する女性ディアナの親友ゆえに面識があったエルシアのもとにやってきて、短く確認する。


「エルシア……呪いの話はまことなのか?」

「はい。ディアナを呪いから救えるのは、シリウス様だけです」

「……そうか。これも、肝心なところで踏み出せなかったツケなのかもしれないな」


 自嘲めいた言葉を零すと、シリウスは意を決した表情で、眠ったフリをしているディアナのもとに歩み寄る。

 エルシアはおろか、紳士やろうどもさえも思わず息を呑んでしまう。


 シリウスは一度深呼吸をすると、皆の前ということもあってか、それともこれから初めて愛する女性と口づけをかわすせいもあってか、少しだけ頬を赤くしながらも、ゆっくりとディアナの唇におのが唇を近づけていく。


 その最中さなか、エルシアは気づいてしまう。

 シリウスほどではないにしても、ディアナの頬にもうっすらと赤い色合いが差し込んでいることに。


 おそらくはシリウスと同じ理由で頬が赤くなっているのだろうが……ここでバレてしまったら全てが台無しになってしまうので、他の誰にもバレないことをただただ祈るばかりだった。

 そして、シリウスの唇が、今まさにディアナの唇に触れようとしたその時、



 恥ずかしさのあまり反射的に繰り出されたディアナの腹パンが、シリウスの土手っ腹に突き刺さった。



 一撃で意識を刈り取られたシリウスが、ディアナを避けるようにして倒れ伏そうとする。


(アホか――――――――――――――――――――っ!!)


 これまでの苦労をこんなアホな形で台無しにされてたまるかと思ったエルシアは、魔法の力でシリウスの倒れる方向を無理矢理に変えて、


 ゴチン――


 と、鈍い音が立つ勢いで、ディアナの唇にシリウスの唇をぶつけさせた。


「~~~~~~~~~っ!?」


 涙目になりながらディアナが起き上がる。

 口の端から微妙に血が垂れているところを見るに、その涙がシリウスと初めてキスすることができた喜びによって流れたものではなく、唇と唇――というよりも、その奥にある歯と歯がぶつかった痛みによって流れたものであることは明白だった。


 兎にも角にも、王子様――腹パンをくらって気絶中――のキスによってディアナが目を覚ました――ように見えた――のは事実なので、ディアナの唇を狙っていた紳士やろうどもも、事ここに至った以上はもうディアナのことを諦めるしかなかった。



 その後――



 今回の呪い事件を契機にディアナとシリウスが恋仲にあることは社交界中に広がり、エルシアの狙いどおり、二人は外堀を埋められる形でようやく婚約を結んだ。

 誰がディアナに呪いをかけたのかという話は、エルシアがあることないことを言って有耶無耶うやむやにした。

 それでめでたしめでたしと言いたいところだったが、


「エルシア~~~~~~~~~~っ!!」


 久しぶりにお茶に誘われたと思ったら、突然ディアナが泣きついてきたことに、エルシアは思わずビクッとしてしまう。


「な、なによ!?」

「わたくし、シリウス様とのキスをやり直したいのに、どうしてもキスする雰囲気ムードをつくることができませんの~~~~~~~~~~っ!!」

「ああ、そういうこと」


 と、エルシアは得心する。

 血の味と腹パンで彩られたファーストキスなど、ディアナでなくてもやり直せるものならやり直したいと思うところだろう。

 もっとも、そんな愉快なファーストキスは、狙ってやろうとしてもなかなかできることではないが。


「わかったわかった。私がなんとかしてあげるから」


 呆れ気味に了承すると、突然ディアナが抱きついてきて、エルシアは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


「ちょ、ちょっと何するのよ!?」

「ありがとうエルシア! 大好き! 愛してる!」

「あ~~~~もうっ! わかったからくっつくな! 暑苦しい!」


 無理矢理引き剥がしたところで、中庭でお茶をしていた二人のもとに、レシナンス公爵の従者がやってくる。


「ディアナ様……突然のことでわたくしも驚いているのですが、シリウス様が『近くを通りかかったら顔を見に来た』と言って、今屋敷に来ていらっしゃってまして……」

「シ、シリウス様が!?」


 先のエルシア以上に素っ頓狂な声を上げた後、そのエルシアに向かって物言いたげな視線を向けてくる。

 皆まで言わずとも察したエルシアは、諦めたようにため息をついてからディアナに言った。


「私のことはいいから、早くシリウス様のところに行ってらっしゃい」

「ありがとうございますわ、エルシア! この埋め合わせ今度また必ずさせていただきますわ!」


 こちらに向かって律儀に一礼してから、ディアナは早足で屋敷に戻っていく。

 ディアナが屋敷に入るのを確認してから、今度は従者がエルシアに向かって一礼してくる。


「本当にありがとうございます、エルシア様。いつもディアナ様に良くしていただいて」

「わざわざお礼なんてしなくていいわよ。ただ私が、好きこのんでやってるだけだから」

「それでもです」


 従者はもう一度一礼すると、ディアナを追ってエルシアの前から立ち去っていった。

 一人中庭に残されたエルシアは、紅茶を一口啜ってから小さく息をつく。


「ほんとにただ、やってるだけなんだから……」


 そう言って、ではなく、諦めという感情そのものを口から吐き出す。


「私に向かって、大好きとか愛してるとか言わないでよ……ばか」


 言葉はおろか、声音さえも諦めに充ち満ちていた。


 エルシア・ロンドには、墓まで持っていくと誓った秘密がある。


 


 そして愛しているからこそ、この想いを絶対にディアナには伝えないと決めていた。


 ディアナは、真実シリウスのことを愛している。


 シリウスは、真実ディアナのことを愛している。


 そのことを知っていたからこそ、エルシアはディアナを愛しているという秘密は墓まで持っていくと誓った。


 愛しているからこそ、ディアナに幸せになってもらいたかったから。


 自分の愛のせいで、ディアナを困らせたくなかったから。


 だからこの想いは、一生秘密のままにすることに決めた。


 その決断に後悔はない。


 ないけれど……


 一滴ひとしずくだけ塩っぱい味付けが混じってしまった紅茶を飲み干すのは、いつも少しだけ、時間がかかってしまった。

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