第6話 【頭打った?】
28年前と同じく太平洋の波が砂浜に打ち寄せていたが、それもあまり目に入らず歩き続け、ついに例の『気になる木』の前へとやって来た。 50mほど離れたところにあるヤシの木がそういえば朝きた時よりかなり長くなっている気がする。 2倍までとはいかないが1・5倍ぐらいか。
――やっぱり28年過ぎてしまったのか。
『気になる木』は、元々大きいせいかあまり変化は感じなかった。
「これね、『気になる木』 貫禄あるわね。 これならタイムスリップも起せるかもね」
真亜子が大きなモンキーポッドを見上げながら言った。
「この木を14周回ったんですよね」
「14周も、そりゃなんか起こってもしかたないね。 こんなパワー有りそうな木、だもんね」
「じゃ、逆回りに14周してみますね。 真亜子さん、日陰で見ててください」
悟はまた木陰に入ったり出たりしながら今度は反時計回りに回り始めた。 真亜子は、幹から4、5m程離れたところに立って、悟の走りをずっと追いかけた。
――高校の陸上部だった頃、ぼくの走りをただ見ていただけで、付き合って下さいと電話して来た倫子さん、どうしてるかなあ。 ぼくは『いいですよ』と答えたのにあの後、一言も話してなかったなあ。 倫子さんもああやってぼくの走りを校庭のどこかで見ていたのかなあ。 一流高校の陸上部へ行った中学の同級生の一流選手、池田くんの面影をぼくにいだいて期待していたんだろうけど、そんな気配すらないぼくには興味なくなって自分で電話の件は、なかった事にしたのかもしれないなあ。一度も話しかけなかったぼくが一番悪いか。
そんな過去のことを思い出しながら回っていた悟であったが7・8周回った頃、留美を思い出した。
――ああ、早く留美のところへ帰らなければ。待っているだろうなあ。 でも真亜子も気になるなあ。 何をやっている人かなあ? モデル、芸能人、未来人だから綺麗なのか。 ぼくらの時代なら芸能人くらいだなあ。 いやいや、ぼくは、新婚。なんとしてでも帰らなければ。
妻の留美のことを思ったり真亜子を可愛いと思って見たり、そのたびに木陰の中に引き込まれたり出たりジグザグ走行になった。 そのせいか悟は急に息が荒くなり、苦しくなってきた。
――いけない。まだ10周だ。14周走らなきゃ元の時代に戻れないぞ。
今度は、ジグザグというよりも千鳥足という方が近いかっこうでフラフラになりながら走った。
――ここで倒れたらいけない。 真亜子の顔も霞んできたぞ。 大丈夫か、あと何周だ? あと1周か? がんばれ、悟。
あと1周、あと半周となった時、真亜子の顔がほとんど霞んで見えなくなった。 何も見えない状態で、あと半周走っただろうか、最後に前方のヤシの木が見えたところで悟は、意識を無くして、芝生の上に倒れ込んだ。
◇◆◇ ◇◆◆
それからどれだけ経ったのだろうか。 まったく時間の感覚がつかめなかった悟だが、何やら人の気配に目を覚ました。
仰向けに倒れている悟の目の前に二人の男の子が座って覗き込んでいた。 そしてそのお母さんらしい人がその後ろに立って悟を心配そうに見ていた。
――真亜子、留美、どっちだ?
悟は、慌てて立ち上がり、またフラっとして倒れそうになりながら、さっきまで真亜子が立っていた幹の方を見た。
――ああ、頭が痛い。真亜子がいない。
「大丈夫ですか」
お母さんが声をかけた。
「大丈夫です。が、真亜子がいない」
「まあこ?」
「はい、幹のところに綺麗な女性が立っていたのですが」
「綺麗な女性? 私のことじゃないですよね? 幹のところには、さっきまで写真を撮ってる若い二人組の女性がいましたが、もうどこかへ行ってしまいましたよ」
――聖来も来たのか。
「二人はよく似てましたか?」
「いやー、そこまでは覚えていません。 それよりあなたは大丈夫ですか。 頭とか打ってませんか?」
――日本人かぁ。やった、戻ったか。いや2016年にも日本人、居ただろう。
「ぼく、気絶していたんですかね? 頭打ったかもしれません。 2016年でエッチしてましたから」
「エッチ、エッチって何?」
子どもが反応してお母さんに尋ねた。
「なんでもありません」
「子どもの前ですよ。 救急車呼びましょうか」
「いえ、大丈夫です。 留美のところへ早く帰らなければ」
「るみ? 二股なんですね」
「ふたまたって何? 」
また子どもが反応して今度は、悟に尋ねた。
悟はにっと笑って、指でピースをしながら、
「こんな感じ」
と答えると、逃げるように
「ありがとうございました。帰ってみます」
とそこを立ち去った。
どちら回りに回っていたかも定かではなかったが、不思議とホルデイインがある海岸通りの方向は、分かった。
――ヤシの木は短かったなあ。戻ったか。とにかくホテルまで行ってみよう。
悟は、だんだん頭の痛みも取れて、軽快に走りはじめていた。
海岸通りに入り、太平洋の波は朝と変わらないように打ち寄せていた。
ホテルのロビーに入り、悟は思わず
「やった」
と叫んだ。
フロントのメンバーが朝出かけた時とほとんど同じだったのである。 そこには2016年で悟のことを小ばかにした面々はいなかった。
「今年は何年ですか?」
「ナインティーンエイティエイト」
フロントは、悟の意表を突いた質問にややとまどった様子だったが、丁寧に英語で答えた。
「サンキュー」
悟は右手で小さくガッツポーズをしながらお礼を言って小走りにエレベーターへと向かった。 エレベーターの位置や色は2016年と同じであったが悟にはどんどん自信が湧いていた。 どれを取っても朝のよう、しっくりしてきたのである。エレベーターに入り14階のボタンを押した。
今度は出口で具合が悪くなることはなかった。 悟は、1422号室の前に立ち、ノックをした。 一瞬、真亜子の顔がよぎったが、間も無く留美がチェーンを外してドアを開けた。留美は、
「おかえり」
と言うと直ぐに振り向いてまたベッドに戻り、向こう側を向いて寝てしまった。
悟は一応、シャワーをまた浴びたが、コンタクトレンズは外さず留美のベッドに入った。
――確かに留美だ。 戻れた。 留美も何も気にしていない。ずっと寝てたのかな。
部屋の時計は、11:36 出かけた9時ぐらいからはおよそ2時間半が経過していた。
――ひょっとして、気になる木の周りを回っている間に気を失って夢を見てたのかも知れない。真亜子たちは夢の中の登場人物。 ほんとのエッチなんてしてない。隠し子ができる心配はない。
悟は、そう思うと少し安心して、そのまま眠ってしまった。
◆◇
午後になって、留美に起された悟は、夢かもしれない2016年のホルデイインの話をすることもなく、もちろん真亜子とのエッチの話もする事なく、夕方のサンセットディナークルーズ、翌日の運転手付きオアフ島一周ドライブ、また次の日にはハワイ島観光などをして、無事日本へ帰国、佐賀へとたどり着いた。
悟は、時折、真亜子、聖来、超薄型デジカメ携帯電話を思い出すこともあったが、徐々に忘れ、日々の生活や仕事で精一杯となった。 それでも悟と留美は、隣町にマイホームを新築し、やがてバブル時代に突入した。
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