第5話 3ヶ月

 清潔感のある家だった。外観よりも圧倒的に整頓されていて、家主の几帳面な性格が伝わってきた。


「コーヒーでいいかしら」

「あ……」レイが窓の外を見て、「もう午後なので……コーヒーは避けたいです。眠れなくなってしまうので……」

「あら……じゃあミルクを用意するわね。彼女さんは?」

「私もミルクでお願いします」

 

 ひめはコーヒーを飲んでも眠れるが、レイと同じものが飲みたい。


 そうして母親がミルクを準備してくれている間に、


「改めて……さっきはありがとうございました」少女が頭を下げて、「私は……エミリアっていいます。母はゼーラです」

「僕は一ノ前いちのまえ……って、名字はいいか。レイって呼んで」


 レイに続いて、ひめが言う。


「私はひめって言います」名字も名前も、ひめである。「呼び方はなんでもいいですよ。エリザベスでもいいです」

「え……あ、じゃあヒメさんで……」

「はぁい」


 よくわからない会話だった。しかしひめの会話は大抵こんなもんなので、別に気にしていない。


「……」レイは少女――エミリアを見て、「敬語は王族くらいにしか使わないって聞いたけど……」

「あ……そうですね」なのに、エミリアは敬語を使っている。「別に使っちゃいけないわけじゃないんです。王族相手には使というくらいのもので……まぁ、一般人同士なら敬語でも敬語じゃなくても、どっちでもいいですよ」

「それを聞いて安心した」敬語が苦手なレイと、敬語以外が苦手なひめでも適応できそうだ。「それで……助けてって言うのは?」


 エミリアはレイに助けを求めていた。だから、エミリアの家まで来たのだ。


「あ……その……」エミリアは姿勢を正して、「少し前に……父が亡くなったんです。その、父は魔物と人間の間に生まれた子で、私はさらにその子供なので……4分の1ほど魔物の血が混じってます」


 話がそれました、とエミリアは言ってから、


「父は、城下町でよろず屋をやってたんです」

「よろず屋?」

「はい……まぁ、何でも屋さんですね。といっても商品を売ってたわけじゃなくて……依頼人から依頼を受けて解決して、報酬をもらってたんです」


 現代で言う探偵みたいなものだろう、ひめは理解する。


「それでまぁ……父が亡くなって、収入が減ってしまって……」

「私も働いてるんだけど……」母親――ゼーラがミルクを持って現れた。「お父さん……お店はじめるときの資金で……借金してたの。それが結構な額で、返しきれなくて」


 借金をしてお店をはじめたらしい。

 そして、借金を返す前に亡くなってしまったと。


 レイがお礼を言ってからミルクを飲んで、ひめが聞く。


「借金はおいくらなんですか?」

「えっと……少し減って、800万くらいかしら」

「800……」円と比較してどれくらいの額なのだろう。それがひめにはわからない。「……ちょっとこの国の情勢に詳しくないんですが……」

「あら……外国から来たの? そういえば見かけない顔だけれど……」

「外国……まぁ、ちょっと別の世界から来てますね」

「そうなの……」なんと信じてもらえた。「じゃあ物価がわからないってことね……」


 そういうことになる。だから800万と言われてもピンとこない。


「ちなみに……薬草を買おうとしたら、いくらになりますか?」

「薬草……一番安いやつなら、300リールってところかしら。少し前まで、もっと安かったのだけれど」リールというのが通貨の単位らしい。「あなた達の国では、いくら?」

「……私達のいた世界では……薬草はあんまり見かけないですね」

「あら……じゃあ、なんで聞いたの?」

「……ちょっと国民的RPGと比較しようと思って……」


 そのRPGの世界なら、薬草は8くらいだ。


 ……よくよく考えれば……薬草ってあんなに安くていいのだろうか。魔物にやられた傷が、序盤なら全回復する。

 王宮の戦士の傷だって全回復するのだ。そんな素晴らしいものが8でいいのか。


「じゃあ、お米とかはどうですか?」

「そうね……えーっと……」


 それからゼーラとひめは、物の価値を言い合う。

 しばらくその会話は続いて、


「ふむ……」ひめは今まで出た情報をまとめる。「……全体的に1.5倍くらいですかね……」


 現代日本では100円くらいのものが、この世界では150リールだ。

 もちろん地域差や個体差もあるが、大抵は1.5倍くらい。


 つまり800万とは……


「1200万くらいをイメージすればいいと」まぁ、そのぶん給料や依頼料も高いようだから、一概には言えないけれど。「なかなかの額ですね」

「そうね……女1人では厳しくて……」だろうな。800万の借金だ。「とはいえ、コツコツ頑張るしかありませんね……」

「ふむ……」話を聞いていたレイが、「その……お父さんがやっていた何でも屋は、今はどうなってるの?」

「ああ……放置されてますね。売れば結構なお金になると思いますけど……一応主人が買ったお店ですからね。なにかに使えたらいいんですけど……」

「……」レイはなにか思いついて、提案する。「1つ提案です。その何でも屋……僕たちが引き継いでいい?」

「え……?」

「住居兼何でも屋として、僕たちに貸してほしい。もちろん売上の何割かは家賃としてお支払いするよ」


 突然の提案に、ゼーラも困惑しているようだった。


 悪徳な交渉をするなら、このまま押し切ってしまえばいい。


 だけれど、それはしない。レイは性格が悪いが、極悪人というわけでもない。


「少し、考えてみてください」

「そ、そうね……」

「悪い話じゃないと思いますよ。僕たちは住む場所とお店がもらえて、あなた方はその売上が借金の足しになる」

「……」


 ゼーラはしばらく、レイを見つめていた。


 突然現れて、主人の店を借りたいと言っている少年。


 眼の前の少年が信用できるのか……測りかねているようだった。


 詐欺の可能性だってあるのだ。暴漢たちに娘を襲わせて、助けた人はヒーローに見える。そのヒーローが詐欺師である可能性も捨てきれない。


 だが……騙す理由もないはずなのだ。騙すならば金持ちの家だろう。借金まみれで、金のない家から金を取ろうとは思わない。


 悩んだ末に、ゼーラは、


「……いいわよ」承諾してから、「まず3ヶ月……3ヶ月だけ様子を見させて」

「なるほど。3ヶ月で結果を出せと」

「結果を出せなんて言わないわ。ただ……悪いことをしなければ、それでいいの」

「……」レイは肩をすくめて、「……結果を出せと言われる方が、まだマシだね。なにか、やらかすかも」

「そうなった場合は、悪いけどお店は諦めてもらうわ」どうやらゼーラは、ただの優しいお母さんでもないらしい。「でも、きっと大丈夫。あなた達の行動が正義だと思えたのなら、私はあなたたちの味方だから」


 行動が正義だと思えたら。


 レイたちがこの世界の人間じゃないことは、ゼーラも把握している。


 だから縛り方は法律じゃない。ゼーラが正義だと思えるかどうか。

 逆に言うなら、法律違反でもゼーラが正義だと思えばいいのだ。

 

 あくまでも主導権はゼーラにある。それを覆すことはできない。


 ゼーラは想像していたよりも、かなり切れ者であるらしい。


 なんにせよ……3ヶ月ほど、お店を貸し出してもらえることになったバカップルだった。

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