第45話:どちら様でしたっけ?

 吐息をつき、ふと力を抜いたときだった。

 急に何かが勢いよくぶつかってきて、わたしの体が弾かれるように横へズレた。


 思わず短い悲鳴を上げる。

 左肩が何かにぶつかったのは分かった。その拍子にバランスを崩し、結果的に右へ吹っ飛ぶような形になっていた。


 デジャヴ。

 いつぞやは後ろに向かって吹っ飛んだけれど、今度は右だ。


 一瞬の間に、色々なことを考えるものだ。

 オーディンス副団長がこちらへ走ってくるのが視界の端に見えた。

 店員さんも何人か動いているような気がした。神薙がお忍びで来ることはお店に伝えられていて、急に複数の人が駆け出したから、それで異常を察知したのだろう。


 この間のように怪我でもしようものなら、今度はお店の人に迷惑が掛かるし、また騎士団に降格人事でも出ようものなら大変だ。

 気合いで踏ん張らないと、とは思ったものの、勢いがありすぎて踏みとどまれず、陳列棚に激突することになった。


 ガシャン、と音がした。


「い……っ」


 アクセサリーが陳列されている棚だ。

 ぶつかった瞬間、右肘の辺りに強い痛みがあり、電流が走ったように指先まで痺れた。

 これは雷様でもうずくまるやつだ。わたしにも神薙様の意地(?)があるので、頑張ってこらえる。

 直感的に、大事には至っていない気がした。長袖を着ているので、打撲程度ならごまかしが効く。流血騒ぎさえ避けられれば大丈夫だと思った。

 それよりも、商品を壊していないかが気になった。


「リア!」


 ヴィルさんが誰よりも早く猛スピードで駆けつけてきた。

 イケメンはレベルが上がるとワープ機能が搭載されるようだ。きっと、格好良さと速さは比例しているに違いない。イケ仏様も俊敏だし。


 わたしはまんまと抱き寄せられ、また彼の胸の中にすっぽり収まってしまっていた。

 吹っ飛ばされると彼の大胸筋が現れる。これもまたデジャヴだった。


「リア、大丈夫か。ぶつけただろう? 痛むか?」


 あのぅ、ヴィルさん。

 すみません、ちょっとよろしいでしょうか。

 痛いのは、この際どうでも良いのです。

 さっきまで「リア殿」と呼んでいたのに、急に呼び捨てにされていますよね。

 貴方の「雄っぱい」と、このタイミングでの呼び捨て。

 これは、ずるいと思うのです。


 まだ肘は痛かったけれど、もう何がなんだか分からなくなって、ぶんぶんと首を横に振っていた。


 肘以外の場所はすべてが気持ちいい。

 彼の胸は心地良い温もりとフィット感があり、さらには香水の良い香りに包まれていた。

 アップグレードしたイケメンさんには、マイナスイオン発生機能も付いているのかも。癒し効果は森林浴の約二十五倍です(当社比)


 それにしても、わたしは一体何にぶつかったのだろう?

 先程までいた場所を見ると、近くに細身の女性が一人立っていた。

 全然知らない方だ。なぜか彼女は、鬼のような形相でわたしを睨みつけていた。


 どちら様でしょうか?

 どうしてそのようなお顔をなさっているのでしょうか。それではほとんど般若の面です。

 わたし、何かしてしまいましたか? 心当たりは何もないのですけれども、なにぶん慣れぬ異世界ですので、何か粗相をしていたらご指摘を頂きたく……。


 彼の胸の中に収納された状態で、「そういえば血相を変えて飛び出してきたイケ仏様はどうしたかな」など、ぽ~っと考えていた。

 ただ、ここで何を考えても、彼の甘ったるい何かに溶かされてどこかへ行ってしまう。

 見ず知らずの女性の刺すような視線も、般若の面も、わたしに刺さる前にトゲトゲが削られ、消えてしまう。

 多分、ここに潜り込んでいる間のわたしは無敵だ。何をされても痛くないし、怖くもない。

 イケメンもこのレベルになると、核シェルター機能が付くのだろう。俊敏で癒し効果がある核シェルターともなると、高性能すぎて取り扱いが難しそうだけれど、国宝なのだから仕方がない。


「リア、近くのカフェで少し休まないか?」


 それをやられると、わたしが何も言えなくなってしまうのを知ってか知らずか、彼は耳元で囁くように言った。

 頷くと、さっと後ろから肩を抱くようにエスコートしてくれた。


 なんだか、わたし、チョロい気が……。



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