11.映画じゃあるまいし

 キャビネットの裏は応接室だった。くたびれた濃茶のレザーソファーが、黒光りするテーブルを囲っている。

 二人は君島に促され、奥のソファに並んで座った。すぐに、有川と呼ばれていたスポーツ刈りの男が麦茶を運んできた。早速それを飲んでしまった友人を堀田が横目で睨んだが、彼はこれに気づかない。

「何も入れやしませんよ。映画じゃあるまいし」

 その様子に、君島がふんと片頬にえくぼを刻んだ。


「だってよ、堀田」

 麦茶が体内と思考を冷やしたのか、佐々木が澄まし顔になった。堀田は彼に鋭い視線を送り、対面に座る君島へと無表情を向けた。

「高瀬龍司の友人というのは、信じていただけたと言うことでよろしいでしょうか」

「そんな男は知りませんが……ひとまず話は聞かせてもらいましょうか」

 君島の声は低く静かであるものの、警戒と苛立ちを無理やり押さえ込んでいるようにも聞こえる。斜め後ろで待機する有川が、眉尻を下げてちらちらとオールバックの頭頂を見守っている様からも、君島が前情報通りの気質であることがうかがい知れた。映画で言えば、一歩間違えれば大惨事、爆弾解除のワンシーンのような緊張感が張り詰めている。


「斎藤という男が、ここの「会社」に勤めていたと思いますが」

 堀田はひとまず、白を切る君島に合わせて説明を始めた。新宿で、斎藤がビルから転落する現場に居合わせたこと、彼を突き落としたと思しきヤクザ風の男たちが、堀田たちを探しているらしいこと。

「高瀬が言うには、我々が斎藤の死体を見た場所は、藤峰連合のシマだったようで。彼らが斎藤を殺して、その現場に居合わせた我々を口封じのために追っているのではないかと————」


「おいおい、任侠映画の見過ぎじゃないか?」

 形ばかりの敬語はすっぽ抜けてしまい、君島は眉間の皺を歪ませて口だけで笑った。堀田の眉がぴりっと釣り上がり、その声が少し強くなった。

「藤峰連合が嗅ぎ回っていることを、高木が知人から聞いたらしくて」

「あと堀田は火遊びから顔バレ——」

「殺された理由も理由ですし」

 佐々木の言葉にかぶせられた堀田の発言に、君島の眉間の皺がますます陰影を濃くする。

「勿体ぶらずに、教えてもらえないかね」

「すいません、そんなつもり——」


「聞いてくださいよ、斎藤ちゃん、東堂組のシノギを藤峰に横流ししてたらしいんすよ」

 君島の気迫に慄いたのか、慎重に言葉を選ぶ堀田を追い越して、佐々木がぺらぺらと暴露してしまった。君島と有川が驚く向かいで、堀田もまた佐々木の無謀さにぎょっと目を見開いた。

「おかしいと思ってたんだあのシャブ中……!」

 歯軋りの音が聞こえてきそうなほど苦々しく吐き捨て、君島は片膝を揺すった。ほとんど地団駄である。

 藤峰から匿ってもらうどころか、その被害者である斎藤に君島の怒りの矛先が向いてしまった。君島は目の前の二人のことなど眼中から外れたように、俯いて大仰なため息をついた。体感気温がぐんと下がるが、堀田と佐々木の額にはじわりと汗が滲む。


 早々に見切りをつけて、東堂組の手助けを諦めたのは堀田だった。彼は一刻も早くこの場を去らんと話を切り上げた。

「そういう話を、まあ、高瀬からの伝言で預かったのでこちらに伺った次第です」

「きみっ、君島さん、斎藤ちゃんのことちょっと誤解してますよ」

 しかし佐々木は、人一倍往生際が悪かった。彼はソファから降りて床に膝をついた。艶々した机にぐっと上半身を乗せ、君島の顔を覗き込む。

「俺が間違ってるってか」

「違いますって、斎藤ちゃんがおかしいシャブ中なのは事実ですよ」

 死顔しか見たことがないくせに、言いたい放題続けた。堀田は何か言いたげに佐々木を見つめているが、君島の手前、唇を噛んでそれを堪えている。

「この話に続きがあるんですよ。ね、ね、そこまで聞いてください!」

「……なんだ」

 目力のある大柄な男が、目一杯腰を低くして見つめてくる姿に、君島はたじろいだように見えた。佐々木はそれを知ってか知らずか、椅子に座り直して眦を下げ、表情を柔らかくした。


「実はですよ、斎藤ちゃんは藤峰連合に脅されていたらしいって聞きますよ」

「誰から」

「高瀬の知り合いっす。俺たちは高瀬から聞いただけっす」

 よく舌の回る口から飛び出すのは、半分が赤の他人の憶測でもう半分が嘘だ。しかし君島は貧乏ゆすりを激しくするばかりで、真偽を確かめようという素振りはない。

 君島がぐいっと麦茶を飲み干した。すかさず有川がおかわりを注ぐ。

「で、おたくらは何がしたいんだ」

「もう何もしたくないんすよ」

「あ?」

「いや、なんていうかアレっす……堀田ぁ」

 考えなしに好き放題に営業を仕掛けた挙句、行き詰まった佐々木は堀田に泣きついた。

「このままずっと逃げ続けるわけにも行かないので、どうにか匿ってもらえたらと」

 堀田が佐々木の後を引き継ぐと、君島は笑った。器用なことに、彼は笑いながら眉間に皺を寄せている。


「冗談じゃ——」

「俺たちを手元に置いておけば、藤峰を懐に誘い込めるんじゃないですかっ」

 君島が断る前に、佐々木がすかさず案をねじ込む。

「……どういうことだ」

「俺たちは強い味方ができて、東堂組は割りを食った落とし前をつけるチャンスが来る。そう、俺たちを囮にすればね」

「勝手に決めんな」

 囮云々の話はもちろん初耳で、堀田は当然反対した。

「匿いながら囮にするって、どうすんだ」

「それは堀田が考えます」

「勝手に決めんなって」

「だから男三人で押しかけてもむさ苦しくない、清潔でデカい家に匿ってください」

 図々しいことこの上ない交渉が続いた。堀田は自分の意見が誰の耳にも入っていないことを悟り、ソファの背もたれに体を委ねた。


「お話、有難うございました。どうぞお帰りください」

 重い沈黙がたっぷり5分は続いた頃だろうか。君島が一言告げた。堀田は肩を落としてソファから立ち上がる。

「お時間取らせてご迷惑を——」

「夜にはできるよう間に合わせましょう」

「よし!」

 佐々木が天に拳を掲げた。一方の堀田は、呆けた表情で「いいんですか」と聞き返した。

「3日以内にカタがつかなければ諦めましょう。こっちだって、けんかばかりやってりゃいいってモンではないので」

 敬語が戻った君島は、腰を上げると有川に何か指示を出しながら事務室の方へと戻っていった。

 有川に佐々木の連絡先を伝えると、二人は一度事務所を出て連絡を待つこととなった。


「一つ、高瀬に伝言を頼めやしませんか」

 部屋奥の執務机で、君島が苦笑して言った。

「お前を連れ戻そうなんざ思ってねえ、すぐしょっ引かれるキレ症なんていらねえよ、ってね」

 その場の空気が、今日一番ふわりと和らぐ。和らぎついでに、ほのぼのと笑う佐々木の口が勝手に冗談を吐き出す。

「キレキャラは組に一人で十分ですよね」

「なんだと?」

「堀田ぁ」

「知るかよ」

 場が荒れる前に、二人は廊下に逃げて扉を閉めた。

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