2.これってビジンキョク

 佐々木が懇意(仮)のデリヘル嬢に指定されたのは、3人が管を巻いていた居酒屋から数分のホテルであった。

「この辺、確か藤嶺の奴らのシマだった気がすんなあ」

 道中、高瀬が気まずそうに周囲を見回して、猫背気味にそう言った。


「藤峰?」

 堀田が聞き返すと、高瀬は意外そうに堀田を見上げて目を丸くした。

「え、知らないのか。藤峰連合だよ」

「知らんな」

「杉島会の下だよ」

「そっちの名前は聞いたことある程度だな」

「まじ? めちゃくちゃ有名だろ」

「そりゃお前は知っているだろうが、俺は一般人なんだ。ヤクザの下部組織なんて知るわけないだろ」

「でも、裁判慣れしてる一般人なんて俺はお前しか知らないけどな。俺だって裁判所呼ばれたの3回とかだぞ」

「俺のは民事、お前のは刑事。重さが全然違う」

「確かに、お前の方が長引いてて大変そうだよな」


 微妙に噛み合っていない会話、そしてそれに気づいていない高瀬に無言を返すと、堀田はネクタイを寛げてシャツで胸元を扇いだ。

「…………佐々木、女から何か来てないのか、やっぱり今夜はナシとか。そうすれば俺はさっさと家に帰れるんだが」

「というよりさ、俺と堀田、いらないだろ」

 高瀬の言葉に、堀田も無言で頷いた。すると、二人の前を歩いていた佐々木がぐるんと振り返り、ネオンに照らされた充血気味の目をかっ開いて唾を飛ばし気味に言った。

「いるの。俺が落とした女を自慢すんの。ほら、そこの角曲がったらホテルだから、お前らは影から様子を見て、可愛い女子とホテルにしけこむ俺の勇姿を見届けて、一通り悔しがってから帰りなさい」

「ほいほい」


 あっけらかんと佐々木のわがままを受け入れる高瀬とは対照的に、堀田は手首の銀時計を見て苛立っている様子だった。

「分かったから、早く行けよ。俺もあと1時間後に人を呼んでるんだ」

「こわ、いつ呼んだんだ」

「けっ。女を使い捨てるお前みたいな男には、勿体ねえ美人だからな。見とけよ!」

 ぱっとしない捨て台詞と共に、佐々木が角を曲がる。彼が待ち合わせているそこは、大きな繁華街からは少し外れた通りにあった。両脇の建物よりも二、三階分低いそこは、爛々と白光りする看板が、かえって侘しさを強調している古いホテルだ。すっかり酔いが覚めている堀田は、スキップでもしかねない足取りの佐々木の後ろ姿を観察しながら眉を顰めた。


「汚いホテルだな、女が指定するとは思えない。やっぱり何か裏があるんじゃないか」

「お、見ろよ。このホテル、Google マップの評価が1.3だぜ」

「スマホ見るならもう少し影に隠れろ。向こうに気づかれるぞ」

「あ、佐々木がラインしてきた。『ちゃんと見てろよ』、だってさ」

「あいつほんと面倒くさいな」

「『来たぞ!』だってさ。なあ、このよだれ垂らした絵文字、なんなんだ?」


 堀田は高瀬の質問を無視して、佐々木の視線の奥に目を凝らした。まばらなネオンの中を、髪が長くて背の低い女が、ハイヒールで駆けてきた。佐々木が彼自身の顔の前で気障ったらしく手を上げているのを見て、高瀬が失笑を漏らした。

「あいつ、浮かれてるなあ」

「本当に来たな。顔はよくわからないが、身長にしては肉感的かもしれない」

「お前メガネのくせに視力いいな。女限定か?」

「メガネかけてるから視力がいいんだよ、馬鹿」

 女云々の部分は肯定も否定もせずに、堀田と高瀬が軽口を叩き合いながら佐々木を見守っている中、やがて二人はホテルに入って行こうとしたその時だった。


「おい、なんか来たぞ」

「見えてるよ。あれ子供か?」

 女の肩を抱く佐々木に突っかかるようにして、未成年と思しき4名が姿を現した。女から腕をひっぺがされて肩を押された佐々木がよろめき、ビール腹が情けなく揺れていた。堀田は大きくため息をついて、スーツの裏ポケットからパーラメントを取り出すと、口元で火を付けた。

「高瀬、なんかあったら頼む」

「ええ、俺今度人殴ったら、あと何年ムショ行きだと思ってんだ」

「何年だよ」

「知らんけど……多分めっちゃ長いと思う」

「多分大丈夫だ。あいつらだって警察と仲良くはしたくない輩だろう」

「本当かなあ」


 渋る高瀬を連れて、堀田は少し乱れた髪を整えながら佐々木の元に向かった。

「佐々木、何があった」

「堀田ぁ、高瀬ぇ」

「気色悪いからその声とその顔とその体型どうにかしろ」

 佐々木は堀田の毒舌にも笑顔を浮かべて、そそくさと高瀬の背後に回った。突然現れた、真面目そうだがタバコをふかしてスーツを着崩している男と、小柄でありながらやたら人相の悪い日焼けした男に、目の前の若者たちがぐっと身を後ろに引いた。


「すいません、この男が何かしましたか」

 あくまでも口調は丁寧に、道を尋ねるようにそう問うと、若者たちの中でもいちばん後ろにいた背の高い者、おそらく年長者の男が肩を怒らせて前に出てきた。

「いやね、この女の子、未成年なの。未成年をホテルに連れてこうとしたら、これジョーレー違反だから」

「お、俺知らなかったんだよ! てか、未成年が風俗嬢だなんて思わないだろ!」

「知らないなんてね、いくらでも嘘つけんのよおっさん。これ写真も撮っちゃったよ? まずいよね」

 誰かの猿真似と思しき台詞を吐きながら、目の前の若者は、高瀬の後ろから啖呵を切る佐々木に睨みをきかせた。堀田が剣呑な二人に挟まれた高木の様子を、視線だけ横に流して確認する。対照的に、高瀬はへらへらしながら佐々木を指差して笑う。

「だっせえの。これってビジンキョクだろ」

「高瀬、それはな」

「おっさん、美人局つつもたせも読めねえの?」


 堀田がやんわり訂正しようとするのを遮って、若者の誰かがそう言った。堀田と佐々木は咄嗟に高瀬の顔色を伺う。彼はきょとんとしているが、問題ない様子であった。佐々木がやけに猫撫で声で高瀬の肩を撫でる。

「そうそう、俺、引っかかっちゃったみたい。間抜け間抜け、ははは」

「君たち、このことは不問にしてやるから、今日は帰りなさい。君たちだって警察の世話には——」

「はあ? 何言ってんだよ、写真ばらまかれたくなかったら、それなりに対価を払っての」

 メリットとデメリットの比較衡量もできない憐れな彼らとのやり取りに辟易して、堀田は溜息と共に煙を吐き出した。その立ち居振る舞いに、堀田相手では一筋縄ではいかないと感じたのか、彼らのターゲットがその隣に変わる。


「なあ、ビジンキョクのおっさん!」

 年長者の若者がそう言うと、後ろの少年たちも下品に笑い声をあげた。佐々木は背後から高木の横顔を見る。高瀬は口の右端だけ上げて笑っていた。

「はは、まあ、新しく学ぶ機会があって良かったってことかな」

「だっせえ言い訳してんじゃねえよ、チビのおっさん」

「こ、こらこら君たちだって、このおじさんとそんなに身長変わらないじゃないか」

「デブ黙ってろよ。おっさん、友達の前でみじめじゃないの? このデブの代わりに金でも払っていいとこ見せろよ。汚名挽回ってやつ」

「それ、名誉挽回と汚名返上——」

 混ざってるだろ、と堀田が言い切る前に、年長者の若者の体がくの字に曲がって吹っ飛んだ。高瀬が蹴り飛ばしたのだ。


「ストーップ! 龍司ちゃんストーップ!」

 背だけは無駄に高い佐々木が、簡単に理性が焼き切れてしまった高瀬を止めようと肩を揺さぶるが、彼はそれを振り払ってアスファルトに転がる若者に跨がり膝をつく。堀田は目の前の出来事から文字通り目を逸らして、ネオンと街灯に曇った夜空を仰いだ。

「おうコラ、てめえ、俺がなんだってんだよっ」

「堀田、助けて堀田!」

「ガキはべらして、ずいぶん偉いんだなあ、あ?」

 謝罪する間も与えずに、衝動のまま拳を振るう高瀬。必死な声で助けを求めながら高瀬の腰にしがみつく佐々木。ここが畳間でちゃぶ台があれば、不良息子を折檻する昭和の頑固親父と、それを止める健気な妻といったところだ。


 デリヘル嬢が悲鳴を上げながら逃げ出して、あたりの建物から人の視線を感じ始めた頃、堀田は怒れる男の額を軽く叩いた。

「高瀬、高瀬。殴ったらまずいんじゃないのか」

「あ!? ————あっやべえ」

 怒りの対象から顔を逸らしたことで、高瀬はようやく我に帰り口元に手を当てた。

「うわうわ…やばい、どうしよう堀田」

「とにかくこの場を離れるぞ」

「お、俺の写真もどうしよう」

「知らん。そいつのスマホの中にでもあるんじゃないか」

 あくまでも教唆はしない堀田であったが、佐々木は彼の言葉を聞くと呻きながら仰向けに倒れる男のポケットをまさぐってスマホを拝借した。

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