第3話 地上から来た配信少女


 トントントン、とリズミカルな音があかねの耳に入ってきた。


 その身をゆっくり起き上がらせ、こわばった体を大きく背伸びさせてほぐす。


 いつ寝たんだっけ、と記憶をたどらせ―――


「ここどこ!?」


 ばっと柔らかい布団を跳ねのけてベッドから飛び降りた。


 そうだ、自分は転移トラップを踏んで深層へ来てしまった。大ベテランでも命を簡単に落としてしまうと言われる深層に。


 それなのに今いる場所はどこにでもありそうな一室。よく見渡したら何か大きな魚の鱗のようなものや金属でできた熊の彫刻らしいものが飾られてある。


「やっと起きたか。まあ無理もない、キメラと対峙して意識を残してただけ根性はある」


 いい匂いと共に男が歩いてきた。そしてあかねは思い出す、この男がキメラをハンマーだけで倒した張本人である事を。


「まあ警戒は無理もないか。こんなぽっと出に動画配信の人気を奪われたら立つ瀬がないもんな」


 何者かと怪しまれているにも関わらず、男は特に何も思わないような顔で言う。


 その手には水の入ったコップといい匂いがする何かが入った皿が乗った盆を持ち、それをベッドの近くに設置してあった机らしき鉄塊に置いた。


「何もしてないし、毒も入ってない。何かしてたらそこのリスナーが黙ってないだろうな」


 そこまで言ってあかねはテーブルの上に電源の入った、未だに配信が続いている端末にようやく気付いた。


「え、嘘、配信まだ続いてるの!?」


「結局、キメラには逃げられたが君を残して放置するほど人の心が無いわけなないんでね。ついでにその端末も拾っておいた。時間にして2時間くらいか?よく電池が持つものだと感心したよ」


 地上の技術は進んだなぁ、としみじみと感じている男をよそにあかねは画面を食い入るように見ている。



:生きててよかった!

:生還記念 ¥5000!

:マジでなにもされなくて草

:いつ襲われてもおかしくなかった

:あの人何者?

:キメラに何したか聞いたけど納得できなかった

:あかねちゃんの寝顔代 ¥10000!

:スヤスヤで助かる。寝てる時もお腹の音なってたよ ¥1000!

:道中は音だけだった

:無事でよかった



「…………よかった、私、生きてるんだ」


 助かったと実感できた彼女はポロポロと涙を流す。


「転移トラップを踏んだんだったな。まあ無理もないだろ。今の上の階だどうなってるかは知らないが、ここの方が重苦しい雰囲気してるだろ?」


「うん、オーガも怖かったし蛇も怖かった…………」


「これに懲りたら来るのはもうやめとけ。事故で来たならともかく、覚悟をもって来たなら俺は助けないからな」


「え?それって」


「最後に来たのは確か13年前だったはずだ。他に面白半分で来た奴もいたと思うが、悲鳴だけ聞こえて手遅れだったからな」



:13年前?

:伝説の4人のことっぽい

:知ってて助けなかった?

:なんだこの上から目線

:でも実際に強いんだよね

:つまり、あの遠征隊ももしかしたらもっと生き残れたってこと?



「え、えっと、待ってください!それって」


「喋りすぎたな。とりあえずこれ食え。その後は上の階層まで送ってやる」


 途中で会話を切り上げた男はシチューと水を残してあかねから離れていった。


 疑問と不信が残る中、彼女のお腹からくるると空腹の音が鳴る。



:お中の音助かる ¥500

:やっぱり空腹には誰しも勝てない

:怪しい男の料理食べるの?やめとけ



「毒は抜いてあるからなー」


 コメントを見透かしたように男から声を掛けられる。


「これ、元は毒だったの?」


 明らかにコクのある高級なシチューの匂い。それにつられて腹の音が鳴り、恐る恐るスプーンを手に取りシチューを掬う。



:やめといたほうがいいって

:至れり尽くせりやん

:何か変な薬盛られてるかもしれないよ



 コメントからは制止の声。されど空腹には勝てない、彼女はゆっくりとスプーンを咥えて入れシチューを口の中に流した。


「お、お…………」



:行ったー!

:チャレンジャーがすぎる

:大丈夫?



「おいしぃ〜!」



:草

:これはメシの顔してる

:だらしない顔好き

:普通に美味そうに見えてきた



「今まで食べた中で濃厚で、でも生臭いとかはないしまろやかでスッと飲み込める!液体なのに口の中で溶けてなくなるような、雪が溶ける感じでスーッと入ってくから喉越しも凄くいい!あ、鶏肉っぽいのも入ってる」


 一度口をつけたら止まらない。はぐはぐと夢中になりながらシチューを掬っては食べ、掬っては食べを繰り返す。


 あまりの緊張感の無さと美味そうに食べる姿にコメント欄は呆れつつも羨ましがり、新たな盛り上がりを見せる。


「林檎も剥いておいたから良かった食べてくれ」


「食べる!」



:餌付けされてて草

:もしかして全部深層産の食べ物?

:高級品ばっかじゃん

:ずるい!食べたい!

:いっぱい食べる君が好き



 あまりにも美味しそうに食べる為、男はデザートに林檎を用意していた。最初に包丁の音が聞こえていたのは林檎を切るためだったようだ。


 生配信中ということを忘れて食事を続け、そして林檎もいつの間にか完食していた。


 既に同時視聴者は100万人を超え、あかねはふぅと幸せなため息を吐く。


 満腹で安全な場所に居たら気が抜けるものだ。されど、彼女も中堅探索者。このままお世話になりっぱなしではないし、ここにいる部屋、そしてそれを作ったと思われる男が何者なのか。


 命は惜しいが明かしておかなければならない。


「あの、改めて聞くんですけどここはどこですか?」


「ダンジョンの深層、その一角を削った場所だ」


 男は当然のように答えた。


「それじゃあ、貴方は誰なんですか?」


 本命の質問。ダンジョンに潜る者である以上、大抵の名を調べつくしたあかねに男のような人は全く心当たりがない。


 何よりも、一人で深層に潜れる人間など聞いたこともない。


「それは…………」


 意味ありげな笑みを男は浮かべる。彼女をもてあそぶかのようにしっかりと間をおいて。


「まだ秘密だ」



:そこは明かせよ

:本当に誰だよ

:無名で活動?

:目立つのが嫌な奴が一定数いるけど、どうしてダンジョンに潜ってるんだろう

:腹立つ

:マジで情報が無いんだが?

:よく見たらこの部屋の素材ヤバくね?



 焦らしてなお答えないという最低なリアクションにコメント欄は大荒れ。


 この男、分かっててやってるなとあかねは思い、苦笑するしかなかった。


「代わりと言っては何だが、比較的安全な場所まで送ってやる。俺のことについては答えられないことは多いが、深層で俺が理解していることは教えてあげよう」


 代わりに転がるのは深層についての情報という下手な金よりも価値があるもの。


 今でもバズりまくってウハウハで、投げ銭も既に普通の人生で一生稼げるか分からない額が動いているのにさらに美味しいネタが舞い込むことが確定した。


「本当ですか!やったぁ!」


 最初こそ絶望的だったが、それを挽回どころか幸運以上の成果を得ることが出来たあかねはとても嬉しそうに、まさに恵比寿顔な笑みを浮かべた。


 後に、彼女は恵比寿のあかねと呼ばれることになる。

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