幸せにしかなれない王子

秋犬

これは、王子とツバメのお話

 むかしむかし、ある国に幸せな王子がいました。王子は時の王妃が魔女に願い、「絶対に幸せにしかなれない呪い」をかけてもらっていました。そのため、王子の周囲に不幸は一切起こりませんでした。常に満ち足りて、愛に溢れ、信頼と友情を育み、時に流す涙は後に王子の心を強くしました。それだけ、王子は幸せでした。幸せにしかなれない王子なのですから、当たり前です。


 ある冬の始まりの寒い日のことでした。年頃になり、王子は婚約して結婚の儀を明日に控える身となっていました。花嫁も無事王宮に到着し、明日のためにと使用人全員が大慌てで準備に取りかかっていました。


「そうだ、たまには一人で外へ行ってみよう」


 王子の周りに普段はたくさん控えてる従者も、婚礼の準備のため各自がどこかへ出かけていました。これを幸いと、王子は禁じられている一人での外出を試みました。冬の始まりの外気は冷たく王子を包み、王子は一人で出かけてきたことを少し後悔し始めました。


 王宮の外壁に沿って歩いて行くと、外壁に少女がひとり座り込んでいました。着ているものも薄汚れていて、それまで王子が見たこともない姿をしていました。王子が少女の姿に驚いていると、王子に気がついた少女が話しかけてきました。


「なんだい、兄ちゃん。仕事かい?」

「いや、君はそこで何をしているんだ?」

「何もしてないよ。もうじき冬だから、もう少し温かい場所へ行くんだ」

「温かい場所?」

「そうだ、こんなところで夜に寝てたら凍え死んじゃうじゃないか」


 王子は少女が決まった住居を持たないことに驚きました。


「君は、一体何者なんだ?」


 少女は王子の身なりの良さを見て、ニヤニヤと話し始めました。


「アタシ? アタシはツバメだよ。あちこち渡り歩いて暮らしてるのさ」

「渡り歩く? どうやって?」


 王子はツバメの暮らしぶりが想像できませんでした。


「なーんも知らないんだな。どうもこうも、その日その日お願いして回るのさ。どうか一晩泊めてくださいって、ついでに飯ももらうんだ」

「どうしてそんな願いを聞いてもらえるのだ?」


 王子の無垢な質問にツバメは声を出して笑いました。


「いいね、兄ちゃん才能あるよ。惚れ惚れするね」


 ツバメは決してその理由を話そうとはしませんでした。


「しかし君、君はもう大人なのか?」

「大人なもんか、見りゃわかるだろう?」


 まだ成人に満たないであろうツバメは肩をすくめてみせました。


「なんだ、アタシが可哀想だって思ってるんだろう、どうせ」

「そ、そんなことは……」


 王子がツバメの存在に驚いていたのは間違いありませんでした。生まれてから今まで「不幸」というものを知らずに来ていたのですから、ツバメの境遇に同情も憐憫も思い浮かびませんでした。


「別にアタシはいいんだ。あんたもさっさとどこかに行きな」


 今まで見たことも想像したこともなかったツバメの存在が、王子に何をするべきかを考えさせました。


「せ、せめてこれだけでも!」


 王子は懐の短刀を取り出しました。柄にルビーが埋められた、大層な値打ちものでした。しかしツバメは短刀に目もくれず、王子を冷たい目で見上げました。


「兄ちゃん、あんた何もわかってないね。アタシはこんなもんいらないよ」

「しかし、これがあれば君の生活も楽になるだろう?」

「別にアタシは楽な生活なんか望んじゃいないよ」


 ツバメは立ち上がると、じっと王子を見据えました。


「それならその剣で今すぐ兄ちゃんが死んでみせてくれよ」


 ツバメの言葉に王子は驚きました。


「アタシは施しで生きてるんだけど、施されることが何なのか知らないだろう幸せ者のあんたから何かをもらってもちっとも嬉しくない。どうせあんたはいいことをしたって思うだけだろう? それで誰かに褒められて、どうせアタシのことなんか覚えていない。施しをしてやろうって奴はみんなそうだ。アタシのことなんかどうでもいいんだ、ただあんたの自己満足がしたいだけなんだろ?」


 王子は、ツバメの言っていることがよく理解できませんでした。


「そんなにアタシをどうこうしたいなら、今すぐ鉱山事故で死んだ父ちゃんを生き返らせろ。責任を取らなかった会社をどうにか罰しろ。働きづめで死んだ母ちゃんを救ってくれよ。できるか? あんたにアタシの人生背負えるってのか?」


 ツバメは王子にせせら笑うように言いました。


「出来もしないくせに。アタシはアタシのクソみたいな人生を生きていくしかできないんだよ。だったら、ここで何にも知らないキラキラした奴が死ぬところを見た方が何倍も楽しくて仕方ないね」


 ツバメの激しい言葉に、とうとう王子は何も言い返せませんでした。項垂れる王子から、ツバメは短刀をひったくりました。


「でもせっかくだから、これはもらっておくよ」


 更に驚く王子からツバメは走って離れたあと、捨て台詞を投げつけました。


「幸せになんかなるもんか。そんなもん知ったら生きていけなくなるんだ。アタシはこれ以上を望みたくないんだよ、バーカ」


 ツバメはそのまま笑いながら走り去っていきました。王子はただその場に立ち尽くすしかありませんでした。


 ***


 王子が王宮へ戻ると、行方の知れなくなった王子を探して従者たちが慌てていました。王子が戻ってくると、従者たちはほっとした表情を浮かべました。


「王子様! どちらへ行っていたんですか!?」

「少し、散歩に行っていただけだよ」

「短刀はどうされたのですか!? あれは大事なものですよ!」

「……貧しい少女に差し出した」


 それを聞いて、従者はにっこり笑いました。


「それはそれは……王子様は大変よい行いをされましたね。神様もお喜びになっているでしょう。短刀以上の、値打ちのあることですよ」


 王子はそれから一晩、ツバメのことを考えていました。彼女の境遇について、寝泊まりするところを探す術、施しの意味を知らないと言ったこと。全てが王子にとって理解を超えていました。


 ***


 翌日、厳かな婚礼の儀が開かれました。王子は祭司の前で誓いの言葉を述べ、美しい花嫁と永遠の愛を誓いました。盛大な宴が開かれ、多くの人が祝福に訪れました。


「なんて素敵な結婚式なんだ!」

「末永くお幸せに!」

「素敵な花嫁様。王子様は幸せね」


 目の前に広がるのは、どこまでいっても幸せな光景でした。温かな家族に友人。いつも世話になっている従者、騎士。そして祝福を運んでくる多くの人。おいしいご馳走に満ちあふれ、とてもきれいな服を着て、目の前にはとても美しい花嫁がいます。


(ツバメは今一体どこにいるのだろう)


 王子はずっとツバメのことを考えていました。日中は穏やかな天気でしたが、夜になると冷え込んできます。今夜は彼女は無事に温かい寝床にありつけたのだろうか、そんなことが気になります。


「ねえ、何を考えていらっしゃるの」


 部屋で二人きりになった花嫁が心配そうに尋ねました。


「何でもない……ただ、一人の少女のことを考えていたんだ」


 花嫁は無垢な顔で笑いました。


「まあ、他の人のことを気に掛けるなんて、なんて思慮深い方なんでしょう」


 花嫁の言葉に、生まれて初めて王子は傷つくということの意味を知りました。


(思慮深い? 僕は、今まで何も知らないでいただけなんだ)


 はっと気がついた王子は王宮の窓から外を見渡しました。夜の闇は見渡す限り王子の目には何も捉えることが出来ませんでした。それでも、王子はこの街のどこかでツバメが寒さに震えていることを確信しました。


(違う、彼女だけじゃない。きっと、もっといるんだ)


 王子はツバメの姿をありありと思い出しました。


「何故、何故見ようとしなかったんだろう」


 それまでの自分が嫌になり、王子は自分で自分の目を抉ろうとしました。しかし、幸せにしかなれない王子は自分で自分のことを傷つけることができませんでした。


「もう何も見たくない、これ以上自分だけが傷つかないなんていられない」


 驚いた花嫁が部屋を飛び出して行きました。王子の頭の中には去り際のツバメの笑い声が響いていました。


(幸せになんかなるもんか。そんなもん知ったら生きていけなくなる)


「わからない……幸せって何だ? 傷つかないことが幸せなのか? 人の心に触れることも、悲しみも知らないで、一体僕のどこが幸せだって言うんだ……」


 絶望に沈む王子の元へ、従者が駆けつけました。


「王子様、一体どうなされたんですか?」

「何故だ、何故わかってあげられないんだ……こんなに不幸なことがあってたまるか」


 従者は落ち着いた様子で言いました。


「どうなされたって言うんですか。さては、婚礼の儀で大変お疲れになったようですね。今日のところはぐっすりと休んで、また明日考えましょう」


 そして、従者が王子の額に手をやると王子は静かに倒れ込みました。ベッドに王子を寝かせると、従者はやれやれといった顔つきになりました。


「全く、世話が焼けるわね……一体何があったっていうのかしら」


 従者は王子の寝顔を眺めながら呟きました。


「大体無理なのよ。絶対幸せにしかなれない、なんて。普通に生きていれば嫌なことのほうが多いでしょう。その度に私が嫌な記憶を消せだなんて、全くお笑いだわ。あんな女と契約なんかしなければよかった」


 従者は王子に呪いをかけた魔女でした。王妃との契約に従い、王子が絶対幸せになるよう常に王子を見張り続けていました。昨日の婚礼の儀の前に王子が失踪し、その後から様子がおかしいことを従者は見抜いており、その後始末をする機会を狙っていました。そこへ王子の様子がおかしいと花嫁が駆け込んで来たため、こうして王子の元へやってきたのです。


「それにしてもかわいそうね。明日には考えたことも悩んだことも、全部忘れてしまうんだから。なんて幸せなんでしょう、涙が出てしまうわ」


 魔女はそっとあのルビーの柄の短刀を王子の手に握らせました。


「さあ、朝には悪夢はおしまい。全てをなかったことにして、また幸せな日々を送りましょうね」


 魔女は再び王子に呪いをかけると、部屋から出て行きました。王子は朝まで眠り続け、朝になる頃にはツバメのことなんかすっかり忘れて、また幸せな暮らしに戻りました。そして花嫁と末永く仲良く睦まじく、幸せに国を治めたということです。






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