まだらの蛇 その五

「ここはもう十分だ。次は隣の栗結の部屋を見せて貰うぞ」


「それは無理です」と、咲蓮嬢は即答した。「継父の部屋には鍵がかかっているのです」


「そんなこと俺には関係ない」


 先生は咲蓮嬢の部屋を出ると、懐から針金を取り出して栗結の部屋の扉の鍵穴に挿し込んでガチャガチャと動かすと、ガチャリと音がして扉を引いた。


 それを見て咲蓮嬢はア然とした。


「感心しちゃダメですよ。本当なら犯罪なんですから」と私は言った。


 栗結の部屋は咲蓮嬢の部屋──正確には姉の元・寝室──よりは少しだけ広かった。

 壁には熊や猪の毛皮が貼られていて、その他にも、無造作に敷かれた布団と大きな金庫が置かれていて、床には酒瓶がいくつも転がっていた。

 そんなむさ苦しい部屋には不釣り合いなワカメのような観葉植物が部屋の片隅に置かれていた。

 あの野蛮な大男の趣味が園芸とは意外だった。

 それと、もう一つ目を引くものがあった。左側の壁には神棚があったのだ。それも隣室の壁掛け時計の真裏にあるようだった。

 先生も神棚をまじまじと見ていた。


「ワトソンくんも気になるか」


「ええ、この部屋の神棚と隣の壁掛け時計には、何か秘密がありますね・・・・・・」


「よし。ワトソンくん、しゃがめ」


「へ?な、何でですか?」


「何でって、神棚を調べるために決まっているだろう。ほら、さっさとしろ」


 先生に言われて仕方なく私はしゃがむと、先生が肩の上に座ったので一瞬、「うっ」と声を漏らしてしまった。私は先生を肩車しながら、フラフラと立ち上がった。


「ワトソンくん、しっかり立て。神棚が調べられないだろう」


 先生に偉そうに言われてムッとしたことで体に力が入ったので、結果的に脚を踏ん張れた。


 先生は神棚をゴソゴソと動かしていたが、すぐに「やはり、思った通りだ・・・・・・」と呟いた。「もう良い、降ろせワトソンくん」


 そう言われて、私はゆっくりとしゃがんで先生を降ろした。


「それで何か分かったんですか、先生?」


 だが、先生はむっつりとした暗い顔をして、何か考え事をしているようだった。すると、咲蓮嬢が急にそわそわしだした。


「あの・・・・・・、そろそろ継父が帰ってくる頃だと思うのですが。もし、あなたたちを部屋に入れたことが知られたら、どんな酷い目に遭うか・・・・・・」


 しかし、先生は無反応だったので、私が肩を軽く叩くとやっと我に返った。


「ああ、スマン。この辺にしておくか。さて、咲蓮嬢。君の命を守るためと、姉上の死の真相を暴くためにも、あらゆる点で俺の言うことを忠実に守ってもらう必要がある」


「はい。必ず守りますわ」


「よろしい。では、俺とワトソンくんが君に付きっきりで君を護衛するために、一緒に隣室で夜を明かす。

 恐らく、栗結は帰ってきたら君が寝台で寝ているかを確認するハズだ。だから、少々危険だが君には布団に入って眠っているふりをしてもらう。

 ワトソンくん、この事件も大詰めだ。気を引き締めろよ」


「は、はい。依頼人の命が関わっていますからね。油断なんかしませんよ」


 隣室に戻ると、咲蓮嬢は部屋の明かりを消して布団に入り、私と先生は部屋の片隅に座り込んで寝ずの番をした。暗い部屋で音を立てずにじっとしているせいもあったが、その日の晩はとても長く長く感じられた。

 誰も一言も口を利かないので、聞こえてくるのは外の木々が風でこすれる音と庭で放し飼いになっている動物たちの鳴き声、そして私たちの息遣いだけだった。

 あまりにも静かなので、緊張している私の心臓の鼓動まで聞こえるんじゃないかと思うぐらいだった。

 その時――、廊下からドスドスドスと大股で歩く足音が聞こえてきたので、私と先生は手で口を押えて一切音を出さないように体を丸めた。

 部屋の扉が静かに開いて、栗結の鬼のような顔がニュウッと現れたので、私は思わず体が強張ってしまった。咲蓮嬢も寝たふりがバレないように一切、身動きをしなかった。

 ここで私たちの作戦がバレたら全てが終わりだ。早く栗結が去らないかと誰もが心の底から念じていると、栗結がそっと扉を閉めた。

 その瞬間、私は胸をホッと撫で下ろした。扉が開けられていたのは、ほんの数秒だけだったが、私たちにはそれが数分にも感じられた。


「気を抜くなワトソンくん。ここからが本番だぞ」と先生が声をかけた。「音を立てずに静かに寝台に近付くんだ。いいな?静かにだぞ」


 私たちは慎重に四つん這いで寝台に近づいた。

 寝台の横まで来た瞬間、咲蓮嬢の頭上の壁掛け時計の振り子の部分からパッと光が漏れた。


「え?どうして時計から──」私は思わず声を出してしまったので、先生が肘で突いた。


 壁掛け時計を凝視していると、振り子の部分が開いて急に口笛が聞こえてきた。そして、時計から平べったくて長いウネウネと動く“何か”が這い出てきた。

 私は本能的に咲蓮嬢の腕を掴むと思いっきり引っ張って寝台から引きずり出して、咲蓮嬢を避難させようとした瞬間、その“何か”が私の胴体に巻き付いて締め上げてきた。

 あまりの力の強さに骨がきしみ胴体がちぎれると思った。

 その瞬間。突然、ゴオオオオオオッ!!という轟音と共に赤い光りが眼に映った。同時に巻き付いた“何か”の力が緩まって体から外れたので床に倒れた。

 ゲホゲホと咳き込む私を咲蓮嬢が抱き起こしてくれた。


「大丈夫ですか、ワトソンさん!」


「ええ、何とか・・・・・・」私は弱々しく答えた。


「危なかったなワトソンくん」と言う先生の方を見ると、手には杖が握りしめられていた。


「新たに発明した杖型火炎放射器さ。あの怪物には効果てきめんだったみたいだな」


 その時、栗結の部屋から世にも恐ろしい叫び声が響いた。それと何かかが暴れまわるような音も聞こえた。

 あとで分かったことだが、悲鳴は村中に聞こえたそうだ。

 私は戦場でも味わったことがない恐怖を感じた。咲蓮嬢も恐ろしさのあまり、私の頭を抱き締める力が強くなった。

 やがて、悲鳴が聞こえなくなり暴れ回る音も治まった。


「い、今のは一体何だったんでしょうか?」私は恐る恐る呟いた。


「終わったんだよ、全てが終わったんだ。初めからこうなる運命だったのさ。立てるかワトソンくん?念のために銃を持っていけ」


 先生に続いて私たちは廊下に出た。隣の栗結の部屋の前に立って、扉を二度叩くも中から返事は無かった。

 先生は取っ手を掴むと静かに扉を開けた。すると、そこには凄惨な光景が広がっていた。

部屋は滅茶苦茶に荒らされていて、血だまりが床一面に広がり、血飛沫が壁や天井にまで届いていたのだ。

 そして、部屋の真ん中には栗結が首を吊っていた。いや、正確には栗結の首には、まだら模様の蛇が巻き付いていたのだ。

 栗結は白眼を向き口から泡を噴いて、首はあり得ない方向に曲がっている。身体中は傷だらけで血がおびただしく流れていた。息絶えているのは明らかだった。


「いやあああああっ!!」


 継父の変わり果てた姿を見た瞬間、咲蓮嬢は悲鳴をあげて失神したので、私はとっさに彼女を受け止めた。


「せ、先生。あれは一体何ですか?あれが咲蓮さんのお姉さんが言っていた“まだらの蛇”なんですか?」


「ワトソンくん、あれは蛇じゃない。よく見てみろ」


 先生に言われて咲蓮嬢を廊下に寝かせてから、“まだらの蛇”を見てみると、それはまだら模様の植物だった。


「東洋に生息している食虫植物の“蔓奴隷喰まんどれいく”だ。俺も実物を見るのは初めてだ。君も昼間に栗結の部屋で見ただろう」


 先生に言われて、私は昼間の記憶を必死に辿った。


「───!!もしかして、あの観葉植物が!?」


「そうだ。君を襲ったのも、あの植物さ」そう言いながら、先生は扉をそっと閉めた。


「この事件には、いくつか不可解な部分が多すぎたんだ。まず、咲蓮嬢の姉、樹理が死に際に遺した『まだらの蛇』という言葉から、地元の警察たちは、凶器は蛇だと思った。

 だが、蛇は人間の命令通りに動かない動物なんだ」


「え?でも、印度では蛇を笛で操っているじゃないですか?」


「やれやれ、君は医者のくせに、そんなことも知らないのか。蛇は耳が聴こえない生き物なんだ。

 だから、蛇使いは笛の音色じゃなくて、笛の動きで蛇を操っているように見せているのさ」


「そ、そうだったんですか・・・・・・」


「ああ。だが、植物は音楽を聴かせると成長が早くなるという話は聞いたことがあるだろう。あの蔓奴隷喰は音に反応して、生き物を毒針で弱らせてから捕食する生態を持つんだ。

 栗結は口笛の音色で蔓奴隷喰を操れるように調教したんだろうな。樹理が夜中に何度も聴いていた口笛はその実験さ。調教に成功するといよいよ殺人を実行したわけだ。

 まず、樹理が眠るのを見計らってから、蔓奴隷喰を壁際に置く。

 そして、隣室と穴で繋がっている神棚と壁掛け時計の扉を開けると、口笛を吹いて蔓奴隷喰を操って穴から侵入させて今度は寝台で眠っている樹理まで下っていて毒針を刺して命を奪ったのさ。

 暗闇の中でウネウネと動く長い物を見れば、誰だって蛇だと思うだろう。それに、まさか植物が襲ってくるとは思わないからな。 その結果、警察は凶器を蛇だと決めつけて必死に探すも見付からず捜査はお蔵入り、というワケさ」


「なるほど・・・・・・。でも、どうして今回に限って蔓奴隷喰は栗結を襲ったんでしょうか?第一、何故栗結は樹理さんたちを殺そうとしたんですかね」


「そりゃあ、俺が火炎放射器で攻撃したからさ。植物は火に弱いからな。突然、炎を浴びせされて驚いた蔓奴隷は蔦を引っ込めると部屋で暴れ狂って飼い主の栗結を誤って殺してしまったのさ。

 それに、咲蓮嬢が言っていただろう。自分たちが結婚するときに母親からの遺産を三分の一ずつ分配するようにと。

 前夫と妻の遺産を頼りに暮らしている無職の男からすれば自由に使える金が少なくなるのは大問題だ。

 栗結が村人たちに喧嘩をふっかけたり、猛獣を庭に放し飼いにしたり浪士を敷地内でうろつかせていたのも自分の印象を悪くして、娘たちに男が寄り付かせなくするためだったんだろうな。

 だが、樹理が男と交際していることを知ると蔓奴隷喰を使って彼女を殺害することを思い付いたのさ」


 ──以上が最蘭館で起こった『まだらの蛇』事件の事の顛末である。

 最蘭邸の恐ろしい惨劇から少しだけ月日が経ち、世間は聖夜クリスマスを迎えていた。私は真麻さんが作ってくれたご馳走を食べていた。

 先生はと言うと、その横で数匹のハエを金魚鉢に入れて蓋をして、提琴ビオロンの弦を指で弾いて音色を聴かせていた。何でも、ハエが半音にどう反応するかの研究で、嫌う音が分かればその音を流すだけで家からハエがいなくなる───らしい。

 そこへ真麻さんが封筒を持って来てくれた。


「先生、ワトソンさん。あの咲蓮さんというお嬢さんからお手紙が届きました」


 私は封筒を切って手紙を取り出した。手紙には、咲蓮嬢は婚約者の阿見青年と結婚すると、忌まわしい惨劇が起こった最蘭邸を出て夫の家に引っ越し、夫婦で雑貨屋を営んでいると書かれていた。


「咲蓮さん、やっと平穏な生活が送れそうですね」私が先生にそう話しかけるも、無反応だった。


「先生、聞いてます?」


 先生は提琴の弦を指で弾きながら、「すでに解決した事件の関係者からの手紙なんてどうでもいい。今の俺はこの実験にしか興味が無いんだよ」


 私は「流石に薄情過ぎないか?」と思った。


 ちなみに、『まだらの蛇』事件は世間には「二年前に沙里庄の最蘭館で起こった須藤 樹理嬢の変死の真相は、継父の栗結 雷蔵氏が食虫植物の蔓奴隷喰を操り殺害し、もう一人の義娘も同様の手口で殺めようとした結果、失敗して自分が命を落とす羽目になってしまった。そして、この事件を解決したのは。最初の事件で見当外れな結論を出した壇ノ浦警部」ということになっていた。

 さらに、柳生 二郎兵衛の兄殺しの事件の真相を解いたのも虎井手警部ということになっている。

 これで、私が真実を世間に知らしめなくてはいけない事件が、二つ増えたことになった。

 ご馳走を食べ終わったら、さっそく執筆に取りかかろうと思う。

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宝積寺進の名推理 @book101060

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