第30話 知らない我が家

 暫くの間、電話相手に怒声を響かせていた門松は、スマホから耳を放した途端に、ガックリと肩を落として、


「……航平君。

 あの阿呆にしっかり確認しんかったことで迷惑を掛けたわ。

 本当にすまんかったな。

 明日には、正規のお手伝いさんがくるさかい、今日の所は出前で済ましてくれるか?」


 と、絞り出すような声で謝罪する。

 その姿に憐憫を感じた航平は、


『……こっちこそ、父親がすみません』


 と心中で謝罪する。

 子供と同年代の少年に、謝罪されても困るだろうと。


「一応、アメニティ関連は整っとるはずやし、電気水道にガスも通っとる。

 航平君は2階にある自室を使ってくれ。

 北嶽の嬢ちゃん達は1階の客間を適当に使うってくれるか?」

「私は2階の空き部屋でも、或いは夫婦同室……」

「はいはい。

 お嬢は黙りましょうか。

 すみません、門松さん。

 よろしくお願いします」


 門松の仕切りに、異を唱えようとした桃花の口を塞いだ江手野少年。

 羽黒家に近しい門松に対して、これ以上の不用意な言動は不利益にしか繋がらないのだ。 

 しかし、


「……小梅、美桜」

「「……!

 お嬢様を離せ!」」


 ……ガブリ!


 状況を把握している従者の気遣いは、主人とそれに盲目な仔犬達によって阻まれる。

 江手野少年の両手にそれぞれ噛み付いた少女2人は、少年の手から血が出るほどに強く牙を突き立てた。


「いっ! ったい!

 何すんのよ! このバカ犬ども!」


 不自然に高い叫び声を上げながら、幼女2人を払い除ける江手野少年は続けて、


「お嬢もいい加減にせいって言ってるでしょ!

 あなたは婚約者候補の1人に過ぎないっつうことが分からないんか?!

 これ以上下手なことをして、羽黒家の不評を買えば、北嶽の面目にも泥を塗るんやで!」


 と、主人を諫めた。

 つくづく苦労性の従者である。


「……まあ、江手野少年がいるから大丈夫やと思うが、寝る時は鍵を掛けるんやで?

 ワイもそろそろ帰りたいし、出前の料金はコイツで払っておいてくれや」


 主従のやり取りを脇にこっそりと航平へ耳打ちし、万札を握らせる門松。

 年頃の男女を放置するのもどうかと悩んでいた門松ではあったが、一晩くらい大丈夫だろうと自分に言い聞かす。

 下手に深みにハマると自分まで、八神邸に泊まる羽目になりかねないと不安に駆られたのだ。


「ちょ!」

「大丈夫やって!

 北嶽の嬢ちゃんもあれで名家のご息女様やからな?

 ……そんじゃ、喧嘩せんように仲良うしたってな!」


 当然、門松の思惑に戸惑う航平だが、リンカートの社長様は、さっさと帰り支度を整え始める。

 彼は彼で、これから仕事が山積みとなっているのだ。

 幾ら、鬼の血筋と言っても、良いところのお嬢様である桃花が、婚前交渉を企むような大胆な行動力を発揮するとは思っていない。

 ……航平が出会い頭に唇を奪われたと言う情報を知らないので。


「門松さ……」

「……八神君。

 門松社長は羽黒家への報告とかがあるんだろうと思うよ?

 その報告が為されれば、羽黒家も動き出すはずだし、此処は見送る方が後々の為になると思うよ?」


 なおも呼び止めようとする航平に、囁くように見送るべきだと告げる江手野少年。

 さすがに勝手が分からない八神邸で、いきなり暴走することは考えにくい。

 ならば、1秒でも早く牽制要員を派遣してもらう方が、将来的に安全だと助言したわけだ。


「もちろん、僕も出来るだけ八神君を助けるつもりだ。

 ……猿橋家を出し抜こうとする北嶽には思うところがあるしね」


 更に耳打ちしてくる内容から、これが江手野少年としては不本意な同行だと知れる。


「……分かった」

「ありがとう。

 八神君」


 ……ドキッ!


 渋々、納得する航平に穏やかな笑顔を向ける江手野少年。

 先ほどまでの北嶽桃花の言動により、やや疲れを感じていたせいか、航平は妙なときめきを感じて、暫く悶絶することになるのだった。

 ……つくづく、可哀想な少年である。

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