飴の発注と、新たな幹部


 戦闘訓練の修了認定を受けた当日の夕方、あたしは店長に何やら魔法を掛けられた。額を指先でつんと軽く突かれただけ、だけれども。

 その魔法の効力は、今までペンダントで誤魔化し続けていた異世界風居酒屋あすかろん本店に掛かる魔法への正式な対抗措置であり、店に携わる者として認められた証であるらしいの。

 「実際には少し意味合いが違う」と店長は言うも、似たようなものだとも言う。

 あたしにゃ意味がサッパリですけど、そういうものだと思うことにしたわ。


 この日、あたしは約一ヵ月にも及ぶ狩猟研修を終えた。

 今後は店長の補佐に務めつつ、店長候補の修行に邁進する、はずよ。




からん、からん


 以前と何も変わらず、今日も朝の八時に無事遅刻もせずに出勤を果たした。

 通勤ラッシュの混雑回避と痴漢避け対策に金属バットを携帯しようか、本気で悩むわ。


「おはようございます!」


「…………あぁ、おはよう」


 今日の店長は珍しくも、あたしの挨拶への返答が遅れる。

 しかも普段なら仕込み作業をしていても不思議ではない時間帯に、キッチンカウンターの上ではあれど何やら書き物をしていた様子。

 ロダンの考える人ともドイレのベルフェゴールとも取れる姿勢に萌えつつも、あたしは店長が何をしていたのかと気になった。当然、気になる以上は覗くに限る。


 もちろん紙面を、よ?


 普段なら更衣室で着替えた後、爪の垢までブラシで洗うのだけど、今日は特別だ。こういう特別を店長は嫌うけど、あたし的には特別な日なの!


 A4のコピー用紙を前に店長は考え込んでいた。無作法にも調理場に踏み込んだあたしに気付くこともなく……。

 きっと店長は、あたしが更衣室に向かったものと思っているのよ。


「ちゃんと埃を払って手洗いうがいを済ませるように。オープンキッチンとはいえ普段着での立ち入りは許可できないな」


 うん、バレてたわ。

 店長の定めた調理場へ立ち入る条件はすこぶる厳しい。

 今のあたしはそれを無視した形なのよ。でも今日に限って店長の反応は弱々しい。普段なら言語道断と蹴り出されても不思議ではないのに。


「佐藤さん。来週の火曜と再来週の火曜と再々来週の火曜、出勤してもらえないかな?」


 頭を抱え考え込んでいた店長が、バッと音がするように顔を上げると言った。

 そ、そう言ったのだ。突然すぎて、あたしもちょっと驚いたの!


「全然平気です。出られます。けど、何があったんですか?」


「いやぁ、突発でバーティーが入ってね。地味婚の披露宴なんだけど、話を持ってきたのが知己でね。特別な食材を用意しなきゃいけなくなって、その関係で最低でも三週間は必要なんだ」


 火曜日というとお店の定休日で、あたしの確たる休日だ。

 でも、あたしはつい先日、戦闘訓練の修了認定を受領している。毎週月曜を返納していたけど、その必要もなくなった。

 それにこう言うと寂しい女みたいで嫌なんだけど、地元の友人には大学を中退したことは秘密にしているし……過去に親友と思っていた友達とも疎遠なままなのよね。だから、休日はいつも家でゴロゴロするしかなくて……。


 そんな中、店長からお声が掛かるならば一も二もなく参戦するわよ! 当然でしょ。だってレストランは闘いなのよ。繁忙期は本当に戦争なの。


「ありがとう。佐藤さん、本当に助かるよ。レオは大会前の追い込みらしくて、その日は出られそうになくてさ。ヘルプを頼もうにもリエルは出席者側で……って、この話を持ってきたのがそもそも虎太郎……レオの父親なんだよね」


 レオはゴリマッチョな見た目通り、スポーツ特待生で大学に入学してる。

 講義は単位を落とさないギリギリを狙い、お店に働きに来ている。でもスポーツ特待生である以上、そう簡単に部活をサボることはできないと以前ぼやいていたっけ?

 「狩りが訓練になる」なんて言い訳は通らないんだとか。当たり前でしょ。


「その件も兼ねて飴の注文に行くから。佐藤さん、今日は狩りはナシの方向でよろしく」


「え、あ、はい」


 狩りと言っても過剰に在庫を抱えるわけにもいかず、在庫が薄くなりつつある獲物を狙って狩ることが求められるのよ。現在は猪肉が若干不足気味ではあるけれども、在庫が枯渇しているわけでもない。

 なので今日のあたしは元々狩りへと向かうつもりはなく、先日チームを組んだヴェオとルフェイに協力してもらい、あたしは異世界語の勉強をするつもりだったのよ。


 レオから提供された書き取りドリルに店長から借りっ放しのペンダントと、それとなく仲良くなった協力者がいれば、異世界語の勉強が捗ること捗ること。


 あたしが片言でミミズがのた打ち回ったような文字を読んでも意味がわからないだけだけど、現地の人が読むとあら不思議! ペンダントが訳してくれるの。なので最近の午前中は専ら異世界語の勉強に充てていたのよね。





 それから、いつものように本店地下の真っ暗闇に覆われた部屋を、店長の手を握りながら通り抜けたはず、なのだけど……。


「あの店長、アーミル支店に向かうのでは?」

 

「いや、ガダウェル支店に向かう」


 通り抜けた先にあったのは本店のコンクリ―トでも、アーミル支店の木造のものでもないのよ。

 ただの土。固められた土という質感しかない、土の廊下と階段というには粗末な坂。そして、店長の口から放たれた『ガダウェル』という初めて聞く支店名に疑問符が浮かぶ。

 戦闘訓練が修了して以来、仲良くなったルゥ族の女性戦士二人の言を借りれば、ルゥ族は店長の眷属であるという。また、そこには幹部候補生のあたしも含まれるとか。

 この際、はっきり言おうかしら。意味不明だと!



 ともかく、異世界風居酒屋あすかろんというお店は、あたしの想像以上に大所帯であることはもう明白なの。ただ、その範囲をあたしはまだ理解できていないの。

 あたしの正直な感想としては理解したくもないのだけど……。やっぱり、そう上手くはいかないものよね。

 店長から幹部候補生と呼ばれるからには、それだけの理由があるのよ。きっと。



「あれ? おとうさん」


 お、おとうさん!?

 これはきっとあれよ!

 レオの兄さん呼びの再来だわ。あたしはもう騙されたりしないわ!


「よぅ、エマ。今日は新幹部候補生の紹介と飴の注文が最優先ではあるんだが、パステヤージュの依頼に、ドラゴン狩りの打ち合わせもある」


「こっちはもう大した仕事は残っていないわ。だから聞いてあげる」


 坂道を見上げても、あたしには相手の姿すらまだ見えていない。

 でも聞こえてくる? ううん、ペンダントを通して聴こえてくる声の印象は若い女性のもの。まさか……本当に店長の!?




「佐藤さん。彼女はうちの幹部のひとり。エマ……ん~、エマなんだっけ?」


「エマはエマニエル。この魔術用品店兼工房の管理を任されているわ」


「そうそう。ちょっとアレなフランス映画の夫人と同じだったな!」


 あ~うん、変な心配をして損した気分だわ。

 店長にもこの子にも血の繋がりがないことは今の応答ではっきりしたもの。普通、自分の娘の名前を忘れる父親なんていないでしょうに。

 妙な納得の仕方をしている店長の言動は理解できないけど、ある意味安心ではあるわね。


「エマ、彼女は佐藤伊織さん。先日、基礎戦闘訓練を無事に修めて、正式に君の後輩になった」


 店長があたしの紹介を終える間もなく、エマニエルさんはあたしに抱き付いてきた。それはもう目を見張っていても追い付かない速さで。しかもきつく抱き付きすぎ!


「……ドラゴニュート?」


「いいえ、エマはデモニア」


 エマニエルさんは、アーミルの街で会ったシシルさんに似ている。

 プラチナブロンドのシシルさんに比べると、青紫色の髪の毛はやや地味に感じるけれども、あたしの黒髪に比べれば十分派手な部類よね。

 角の形状も耳の上、こめかみから少し前に向かいそこから真上へと突き出す、結構エグイ形をしている。顔を伏せた状態で突撃されたら刺さりそうだわ、あたしに。


「ちょっとエマニエルさん? 力を抜いて痛いわ」


「ごめんね。そんな他人行儀じゃなくて、エマと呼んでイオリ!」


 あたしと同年代に見えるのに、なんだか精神年齢が幼くない? しかも、やたら人懐っこい性格をしている。たぶん、あたしの気のせいではないよね?


「エマ、一旦離れて」


「うん!」


 凶悪な角の形状を除けば、実際にすごくかわいいのよ。

 妹みたいな感じ、とでも言うのかしら?


「佐藤さんとは先輩後輩の間柄として今後よろしくやってくれ。それより仕事の話だ。水飴と砂糖は次回佐藤さんに持参してもらうとして、材料の支給分作ってもらえればいい。必要なら極小魔石も冒険者ギルドから仕入れて構わない」


「魔石はまだ在庫があるわよ。どうせ二束三文だもの、ルゥ族と共同で大量に購入してあるわ」


「そうか、ならいい。では次、ウエディングケーキのパステヤージュを任せたい。土台は俺が作るが装飾に関わる暇はまずないし、そっちはエマの方が得意だろ」


「イオリに手伝ってもらってもいい?」


「前日、前々日までならな。当日はエマにも給仕のヘルプに入ってもらうからそのつもりで」


 店長は矢継ぎ早にエマと仕事の段取りを話し合うのだが、聞き捨てならない単語が幾つかあたしの耳がペンダントを介して拾う。

 それは店長の言葉であったり、エマの言葉であったり、どちらも捨てがたい。

 打ち合わせの邪魔をしていいのかと悩んだ挙句、あたしは思い切って挙手した。してみた、とも言う。反応が無ければ無いで、それはそれで諦めるつもりではあったの。


「あの、アーミルに冒険者ギルドはないとレオは言っていましたし、ルゥ族がどう関係してくるのかと不思議に思いまして……」


 あたしの言葉が尻すぼみになってしまうのは、二人の打ち合わせを邪魔しているという自覚があるのと同時に、喋りながらも疑問が尽きないから。


「ごめんね、佐藤さん。説明不足で申し訳ない。

 ここはアーミルの街がある惑星とはまた別の惑星。そしてルゥ族は元々、この惑星の住人でね。魔石関連で俺が向こうに連れ出したんだ。現地で加工した方が効率が良いからね。ただ、若い世代は向こうで育った者も少なくはないかな」


 訊いたあたしも悪いけど、素直に答えてしまう店長も大概だと思うわ。

 地球・日本からアーミルの世界へ、そしてまた別の異世界へと。うちの店長がやりたい放題にすぎる。


 あたしは頭痛を覚え、考えるのを放棄し両手を頭上へと挙げた。ハングアップよ。

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