第31話 Worlds end(5)

「……冗談でしょう、シツツメさん」


 凛音は呆然と呟く。知らず知らずのうちに、乾いた笑いが滲み出ていた。

 凛音の視線の先には、血だまりの中に倒れるシツツメの姿があった。動く様子は無く、どう見ても致命傷である。仮にまだ心肺停止状態ではないとしても、ここから助かる方法などはない。

 ようやく見つけることのできた、異なる世界を繋ぐことのできる存在。それが目の前で死んでしまったことに、凛音は理解が追い付かなかった。


(死んだ……死んだ? シツツメさんが? こんなに呆気なく? 私の目的を達成するのは目前だったのに──またゼロからのスタート? いや、そもそもシツツメさんの言ってことが本当なら、私はここに閉じ込められてしまったの?)


 ふらふらと力無い足取りで地面に倒れるシツツメに近づいた凛音は、吐き気を催すほどの血の匂いを感じながら、恐らくは既に絶命しているシツツメを見下ろしていた。

 シツツメが言っていたことが本当ならば、このダンジョンの最下層と他のフロアを繋いでいる道はシツツメの能力によって断ち切られてしまい、もうここ以外にどこにも行けない、完全に隔絶された空間となってしまっていた。つまりは異世界からの干渉を受けることもなくなり、ダンジョンとしての機能が停止してしまったことになる。


 元より、シツツメの狙いはそれだった。このダンジョンの最下層に繋がっている道を途切れさせてしまえば、もう異世界の住人による侵略という脅威は無くなる。ただ能力を使用したシツツメは二度とここから出れなくなってしまうのだが、その本人は死んでしまっている。シツツメがそれを選んだのは、可能性を完全に潰すためだ。

 だがその結果として、凛音はここに置き去りにされてしまった。もうここ以外に世界は無く、後は緩やかな死を迎えるのみである。


「嘘だ──こんなのが私の終わり? あんな見世物になるような真似をしてようやく、世界と世界を繋ぐことのできる能力者を見つけられたのに……」


 凛音は頭を抱え、ぐしゃぐしゃと搔き乱す。無情にも突き付けられている自分の最期を認めたくないのか、凛音は「うう……!」と今にも泣きそうな声を漏らしてしまう。あまりの不安と恐怖からその場にうずくまり、指先でがりがりと地面を掻きむしっていた。その指先の爪は剥がれ、じっとりと指先に血が浮き出ていた。


(どうすれば……どうすればいい? ……そうだ、シツツメさんの意識がほんの一瞬でも戻れば、まだ可能性は──)


 血の気が引き、青白くなった顔を上げて、凛音はシツツメを見た。だが凛音は目の前の光景に思わず「え?」と声を上げてしまった。それは全く想像もしていなかったことだ。


 血まみれで倒れていたシツツメの姿が、忽然と消えてしまっていたのだ。あるのは地面を赤く染めている、大量の血だけだ。凛音は四つん這いの恰好のまま、今の今までシツツメが倒れていた場所を必死に調べるも、何も見つけることはできない。まるで神隠しにでもあったかのようだった。


「どうして……? まだ意識があって、能力を使ったの……? じゃあ私は、ここで一人きり……?」


 シツツメが実は生きていて別の階層に渡ったのか、それとも本当に神隠しにあったのか。だがそれは凛音にとってもう意味の無いことであり、一人残された凛音に残された可能性は完全に潰えてしまったことになる。

 凛音は目の前の巨大な扉に頭を打ち付けると、ボロボロと涙を流した。自分の運命を悟り、そして今までしてきたことが全て無駄に終わってしまったことを理解する。


「何のために……私は、こんな……嫌だ……こんなところで、一人で死ぬなんて……」


 掠れた声で呟くも、それに応える者は誰もいない。多くの人間に見られてきた凛音は人知れず、隔絶されたこの空間で時間をかけて死へと向かっていった。



 ◇



「君がその方法を選択するとは、思わなかったよ」


 西洋風の飾り付けがされた部屋の中、その中央に置かれた椅子に座っている長い黒髪の少女は、どこか悲し気に口にした。その少女はかつてシツツメを救い、自らを管理者と名乗った少女だった。

 椅子に座る少女の目の前には、血まみれのシツツメの体が力なく横たわっていた。その瞼は閉じられており、もう開くことは決して無い。シツツメはもう死んでしまっているのだから。


「正直なことを言えば、君にあのダンジョンの管理を任せた時に、君が選択した方法を伝えることもできた。でも私はそうしなかった。自分にできないことを人に頼んだんだ、あんなことはさせられないと思った」


 少女は目の前で横たわるシツツメが死んでしまっているのを知っている。これは独り言になっているが、シツツメに語り掛けているようだった。


「本来ならば私がしなければいけないことだったけど、私にはあのダンジョンを異なる世界から完全に干渉を受けなくさせるということはできなかった。あまりにも、外部からの影響がありすぎたんだ。だけどたったひとつだけ、方法があった。君が選択したことだよ」


 少女は椅子から立ち上がると、シツツメの体の前で膝をついた。手を伸ばし、その肩にそっと手を触れる。指先に血が付着したが、少女は気にしてはいない。


「外ではなく、中から異世界からの干渉を断絶させる。だがそれをするには、あのダンジョンの最深部まで潜り、最も影響を受けやすい場所で道を途切れさせる必要があった。君の試みは成功したけど、結果として君もあの場所に残されただろうね。だけどあの隔絶された世界から君をここに連れて来られたのは、皮肉にも君がもう死んでいるからだ。死んでしまった者に影響も何も無い、ただのそれになってしまったんだから」


 目を閉じた少女は、シツツメのために祈りを捧げているようにも見えた。しばらくして目を開けた少女は「だからこそ」と静かに言った。


「君をあの寂しい場所ではなく、君がいた世界まで戻すことができる。私以外に誰も知ることじゃないが、君はあの世界を守った人間なんだ。せめてそれぐらいはさせてもらうよ──余計なお世話だと、君は言うのかも知れないけどね、シツツメ君」


 少女は立ち上がり、そして指先をぱちんっ、と軽やかに鳴らした。次の瞬間にはシツツメの遺体はこの部屋から綺麗に消え去っていた。床には血の汚れすらない。

 そのまま椅子に腰かけた少女は、ひとつ息を吐いた。


「できることなら、本来の寿命が訪れるまで彼には生きて貰いたかったね──信じてはもらえなかったけど、気に入っていたのは本当だったから」



 ◇



 シツツメと凛音がダンジョンへと潜り、時間にして数時間が経過していた。夜桜市には季節の変わり目を告げるように、肌寒い風が吹いていた。

 その夜桜市のダンジョンの第一階層に、全身血塗れの遺体が発見されたと通報があったのは更にそこから数時間が経ってからだった。

 通報を受け、駆けつけた藤村はその遺体がシツツメだと一目ですぐに気づいた。

 シツツメが店に置き忘れていたスマホには藤村からの連絡や、伊月が勇気を振り絞って送ったであろう、デートの誘いの連絡も届いていたが、それらがシツツメの目に入ることはもう無い。


 シツツメは誰も知らない中、世界を守った。だが同時に、自分も終わらせてしまったのだから。

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