第29話 Worlds end(3)

「なるほど、このダンジョンの最下層はこういう形をしているのですか。そしてここから先はシツツメさん、本来ならば貴方しか立ち入れない領域ということになる」


 凛音は目の前にしているそれを見上げながら、感慨深そうに口にした。横に立ち、同じようにしてそれを見上げるシツツメの顔は浮かない。シツツメが今置かれている状況を考えればそんな顔をしてしまうのも当然なのだが、理由はそれだけではない──そんな印象がシツツメにはあった。


 シツツメが凛音と共にやって来たのは、夜桜市のダンジョン。その最下層にあたる、第十六階層だ。能力を使い、凛音と共にここに渡って来たシツツメだが本人にとってもこの場所に来るのは、あの出来事に遭遇して以来となる。


 このダンジョンの最深部はまるで神殿の内部のようで、厳かな雰囲気すら漂っている。そして二人が立っている場所は、祭壇と思われる場所だった。シツツメと凛音の目の前には巨大な扉が聳え立っており、大の大人が何十人いても開けられそうにないほど立派である。


「ここに来るまでの間にシツツメさんが話してくださったことが本当ならば、最下層であるこの第十六階層──シツツメさんはこの門から先に進もうとしたところで、別世界へと迷い込んでしまった……ということですね。そこで出会った管理者なる存在に関しては、私が確かめる術はありませんが、それはどうでもいいことです。シツツメさんがこの門を開け、異世界への道を繋いでくれるのであれば」


 凛音はシツツメから様々な事情を聞き出していた。本来ならばシツツメは過去にあったあのことは誰にも話すつもりは無かったのだが、伊月を人質に取られているに等しい状況では凛音から訊かれることに全て答えざるを得なかった。それでもシツツメが出会った管理者に関しては、凛音も半信半疑であるようだったが。


「……本当に異世界への道を繋いでも良いって言うのか?」


 シツツメは凛音を横目に見ながら、絞り出すような声でそう言った。普段のシツツメからは考えられない、思い詰めた──あるいは追い詰められた中で出すような声だった。そんなシツツメの声が新鮮だったのか、凛音はおかしそうにくすりと笑ってから「ええ」と頷いた。迷うような素振りは無い。


「元々、それが目的で私はこの世界へとやって来たのですから。そうでなければ、卑怯とも言える手段を用いてまでシツツメさんに動いては貰っていません」

「俺が聞いているのは、異世界への道を繋いだことによって、凛音──お前がいた世界だけじゃなく、他の世界ともここと繋がってしまうってことだ。そうなったら当然、争いが起こる。……お前がどれだけこの世界にいたのかは分からんが、それでも少なからず身を置いていた場所だろう。犠牲になってしまうかも知れない連中のことを考えているのか?」


 シツツメは微かな望みに縋るかのように、そう言って凛音を説得した。現に凛音はこの街でも短いかも知れないが生活を送り、学校には友人たちもいるはずだ。その思い出が彼女を思い留まらせることができればとシツツメは考えているのだろうが、凛音は「何を言うかと思えば」と口にすると、呆れたように首を振る。


「確かにそうなるかも知れませんが、そうなったとしても傷つくのはシツツメさん──貴方がいるこの世界と、そこに住む人々でしょう? 私が気にするところではありません」

「お前はこの世界で何かを感じたり、何かを得たりすることはなかったのか?」

「得たとすれば、それはシツツメさんという存在だけです。私がダンジョン配信などというものを始めたのも、この世界の情報を集めるため。シツツメさんのことをその最中に知れたのは幸運でしたし、私を崇め、命令を聞いてくれる人間たちが湧いたのは好都合でした。お陰で色々と動きやすくなりましたから」


 凛音のその言葉が全て本心だというのが、シツツメには分かった。同時に凛音はこの世界に何の思い入れも無いということも。全ては自分がいた世界のためにしていたことだったのだ。


「聞きたいのはそれだけですか? 他に無いのであれば──シツツメさん、始めて頂けますか。私の世界のために」


 そう言った凛音はシツツメの背中に手を添えて、そっと押し出す。シツツメは一歩、二歩と歩き出し、巨大な門の前まで辿り着いた。凛音は何も言わずにシツツメの背中を見つめているが、その目には隠し切れていない興奮が浮かんでいた。

 シツツメは右手でその門に触れようとした。だが寸前で右手から力を抜いてだらんと下げると、成り行きを見守ろうとしていた凛音に向き直った。


「……どうしたのですか、シツツメさん。まさか今更、断ろうというつもりですか?」

「ああ、そのまさかだ。お前の頼みを聞くことはできない」


 凛音はふう、と溜息を吐く。そしてつい先ほどとは逆の立場になるが、説得をするように凛音はシツツメにこう言った。


「シツツメさん、貴方が異世界への道を繋がなければ、伊月さんが危険に晒されることになりますよ。……ああ、なるほど。もしかしたら、私一人をここに置き去りにして地上へ戻るつもりですね? 確かにシツツメさんでなければ、異世界への道を繋げませんから。私一人がここにいても、意味は無い。ですが──」


 人差し指を立てた凛音は、上を指差す。


「自力で地上まで戻ることは可能です。もしそうなれば、戻った時に私はこう言いますよ? 「シツツメさんに乱暴されそうになり、抵抗したらその場に置き去りにされた」と。そしてシツツメさんの言い分は私が別の世界の人間で、自分がいる街を守ろうとするために、私を最下層に置いて来たというもの。普通ならどちらを信じると思いますか?」


 自分で言ったその言葉が面白かったのか、凛音は思わず口元を手で覆っていた。だがそこで凛音は別の考えが浮かんだようだ。むしろそちらの方が可能性としては高いと思ったのか、口元を覆っていた手をシツツメに向け、不敵に笑った。


「もうひとつありますね。それは私をここで倒してしまうという考えでしょう? でもシツツメさん、今の貴方は武器を何も持ってはいません。しかし、油断は禁物という言葉があります。……私としてはこの手段は、なるべく取りたくはありませんでしたね」


 凛音は残念そうに目を細めた。そしてシツツメに向けていた手をひゅん、と軽く撫でるように動かした次の瞬間、シツツメの右膝から血が噴き出す。その場に倒れ込みそうになるのを左足一本で無理矢理に堪えるも、シツツメの表情は痛みのせいで歪んでいた。

 凛音の周囲には黒い小さな球体がいくつも旋回していた。凛音がダンジョンの外でも使用可能な能力であり、凛音は防御不能と思われるその黒い球体のひとつを撃ち出し、シツツメの右膝を貫いていたのだ。シツツメの足元には大量の血が零れ落ちており、血の匂いが凛音の方にまで漂ってきている。


「まあ要は、痛みに訴えかけるという手段ですね。しかしこの方法を取ると、シツツメさんの能力の使用に弊害が出る恐れがありますが……」


 こつ、こつ、とローファーの足音を鳴らし、凛音はシツツメに歩み寄る。右膝を貫かれたシツツメは動くのを諦めているのか、元々逃げるつもりは無いのか、その場から動こうとはしない。


「本音を言うと、シツツメさん。貴方の存在は脅威なのですよ。ですから異世界への道をシツツメさんが繋いだら、私はシツツメさんを殺すつもりでした。しかし利用価値も大いにある。……シツツメさん、事が済んだら私の住む世界に迎え入れると約束しましょう。待遇は勿論、手厚いものを約束します」


 凛音はそう言いながらも指先を動かし、黒い球体の射線上にシツツメの体を捉えた。断れば、またあの球体に体を射抜かれることは容易に想像できる。

 しかしそれでもシツツメは、首を縦には振らなかった。


「断る。お前もこの世界に少しでもいたのなら──」

「くどい」


 シツツメの言葉は、凛音の冷たく吐き捨てられた言葉によって遮られた。そして凛音が指先を弾いた瞬間と同時に、シツツメの左腕が黒い球体によって撃ち抜かれる。腕から手、そして指先を伝って、血が床に流れ落ちる。それぞれ貫かれた箇所からの出血は大量で、このまま放っておいては命に関わることは明らかだった。


「私はこの世界に何の情も未練も無い。八雲伊月も、貴方との関係性から脅しに利用できると考え、友好的に接しただけだ。シツツメさん、貴方にその気が無いのであれば、私が地上に戻った後、見張っている男たちに命令を下す。それでも足りないのなら、シツツメさんの他の友人にも危害を加えようか」


 凛音はもう取り繕う必要性も無いと判断したのか、圧力を増した口調で血まみれのシツツメに脅しをかける。痛みと出血、その両方のせいか顔を青白くさせているシツツメに凛音は静かに指先を向けた。その指先には黒い球体が浮かんでいて、シツツメの返答次第ではそれも撃ち出すつもりだろう。


「これ以上の出血をすれば、能力を使用することもできなくなる。地上に戻れず、貴方はここで死ぬだけだ。それが嫌なのなら、今すぐに異世界への道を繋ぐんだ──これが最後の忠告になる」


 凛音としては正直なところ、シツツメが死んでも構わない。だがそれは、異世界への道を繋いだ後の話だ。その前にシツツメが死んでしまっては、次、いつこんな絶好の機会が巡ってくるのかも分からないのだから。シツツメの逃げ場を全て無くしたと確信した凛音は、流石にシツツメが折れると思った。


「ああ、そうだな。最後の忠告だったよ。踏みとどまって欲しかった。お前のために──あるいは、俺のために」

「……何を言っている?」


 だからシツツメが呟いた言葉に、凛音は訝しそうに眉根を寄せた。痛みと出血のため、意識が朦朧としているのかも知れない。だがその中で、シツツメは言葉を続ける。


「あの管理者にこのダンジョンを任されてから、色々と考えた。迷っている人たちを救う以外に、他に効率的な方法は無いかってな。俺の「繋ぎ、渡る」という能力は不完全にも程がある。でも自分の能力の見方を変えてみて、気づいたことがあったんだ」


 シツツメは何故か自嘲気味に笑い、巨大な門に背中を預けるとその場にずるずると座り込んでしまった。凛音はシツツメが一体何を言っていて、何をしようとしているのか見当もつかない。だがいつでも攻撃ができるよう、指先は向けたままである。


「試したことは一度も無い。だけど俺の考えが正しければ、多分成功する。……もしかしたら、この方法を思いついた瞬間にそうするべきだったのかも知れない。そうしていれば少なくとも、俺だけで済んだはずなんだ」


 シツツメは右手をゆっくりと動かすと、自分の左胸の辺りをぎゅっと掴んだ。そうしながらも、シツツメは肩を小さく揺らしている。笑っているのか、それとも泣いているのか。


「でも俺はそれができなかった。……皆と、この街で過ごしていたかったからな。その時間が短いとは言え、凛音──お前もそうであって欲しかった。どんな形であれ、伊月や他の奴らとも友達だったんだろ?」

「泣き落としか? 最後の手段がそんなものとは、聞くに堪えな──」


 凛音は自分の言葉を、最後まで言い切ることができなかった。何故ならば、途轍もなく嫌な予感がしたからだ。全身を寒気が支配するような、初めての感覚に凛音は足がすくんでしまいそうになった。

 その原因は明らかだ。目の前の、シツツメが何かをしようとしているのだ。


「凛音。お前と、お前の世界に住む連中の目論見は失敗だ」


 シツツメはお返しとばかりに不敵に笑って見せ、言い放つ。


「ここ以外に世界はなくなってしまうからな」

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