第21話 To be or not to be, that is the question(5)

「しかしまあ──本当に良く戻って来てくれたな、四季。まさか十一日間もあのダンジョンに入っていたなんて、最高記録じゃないか?」

「確かに今までで一番長かったな。最後の方は正直、意識が朦朧としていた。キメラの火球で負った火傷が、丁度良い気付けになってくれたな」


 藤村とシツツメが和やかな雰囲気で会話をしているその場所は、夜桜市内にある病院の個室だ。ベッドに仰向けに寝て、点滴を受けながらのんびりとした様子で体を休めているシツツメは入院患者が着る病院着を着ており、体の至る所に治療を受けた証拠であるガーゼが張り付けられていたり、包帯が巻かれていたりとやはり相応の外傷を負っているようだった。

 シツツメが御柳の息子と思われる白骨化した遺体と腕時計を発見し、ダンジョンの第一階層まで戻り、藤村に連絡を入れた瞬間にシツツメは意識を失ってしまった。意識が戻った時には夜桜中央病院に担ぎ込まれた後で、有無を言わさずに入院という処置を取られていた。そもそも、シツツメの意識が戻ったのが丸一日以上経過した後だったので、確認を取ることはしていなかったが。


「診断結果によると、大怪我は無いみたいだが擦り傷だの裂傷だの火傷だの、細かい傷が多いな。その上、ここに担ぎ込まれた時点で脱水症状にもなっていたし、睡眠不足に加えてダンジョン内という状況下で活動し続けたことによる、極度の肉体的疲労及び精神的疲労──入院は当然だな。少なくとも一週間以上は安静にしてくれだとさ」

「やれやれ。またしばらく、店を閉めておかなきゃいけないのか。……で、藤村。鑑定の結果はどうだったんだ?」

「ああ。四季が持ち帰ったあの骨を鑑定したところ、御柳さんの息子さんで間違いない。あの腕時計も、御柳さん本人に確認をしてもらったが、息子さんが着けていたもので合っているみたいだ」


 藤村からの報告を聞いたシツツメは「そうか」と短く呟けば、息を吐いて病室内の天井を見上げた。その表情は心なしか、ほっとしているように見える。ようやく肩の荷が下りたシツツメを見て藤村も「お疲れ様だったな」と労いの言葉を送るが、その後に「だけどなあ」と頭を掻いた。


「お前、ダンジョン内に入ることを誰にも連絡しなかっただろ」

「別に連絡する必要も無いだろ。死ぬつもりなんて無かったし、現にこうして帰って来ている。不都合でもあるのか?」


 欠伸をするシツツメに対し、藤村は深い溜息を吐いた。


「あったんだよ。俺にじゃなくて、お前の店に良く顔を出している夜桜高校の生徒たちにな。直接俺の所に来て、四季が今どこにいるのか訊かれたんだ」

「そうなのか。雨宮か伊月辺りか? 後で入院中だって連絡しておいてくれ。まだ眠いんだ」

「四季へのお見舞いが許可された時に、もう連絡を入れている。そろそろ来るんじゃないのか。それにしても、お前一体どう言い訳するつもりなんだ?」

「あー……どうしたもんかな。何か上手くやり過ごす方法は──」


 シツツメが考えを巡らせながら天井に視線を彷徨わせていると、「シツツメさん!」という声と共に個室のドアが勢いよく開かれた。のそりと体を起こしたシツツメがそちらに目を向けてみると、制服姿の伊月がそこに立っていた。その後ろには琉衣もいて、「おいここ病院だから静かにしなきゃ」と伊月に慌てて注意をしている。

 伊月はそのまま真っすぐにベッドで体を休めているシツツメの傍まで歩み寄ると、ガーゼが張り付けられていたり、包帯が巻かれていたりと明らかに無事とは言えないシツツメの様子を見て、目に涙を浮かべていた。伊月の様子を見た藤村は一歩後ろに下がると、シツツメに視線を送る。後は何とかしろ、と言葉が無くてもそう伝えようとしているのが分かった。


「よう、伊月。お見舞いか? こんなザマだが、怪我自体は大したことはない。一週間ちょっともあれば、退院できるらしいからな。でも来てくれたことは、嬉しいよ」


 とシツツメが言っても、伊月は何も言葉を返さない。目に浮かんでいる涙を手の甲で拭うと、ぐすりと鼻をすすった。まさか泣かれてしまうとは想像していなかったのか、シツツメは次に何を言うべきなのかまったく思いつかなかった。死ぬつもりなど毛頭なかったし、生きてちゃんと戻って来たのだから問題無し──というのは、流石に都合が良すぎたようだ。


「おい泣くなよ、伊月。何の連絡も無しっていうのは、確かに心配かけたかも知れないけど、こうして生きて戻って来ただろ? 問題無いじゃないか」

「……シツツメさんのバカ! 一言くらい何か言ってよ!」


 伊月は泣き顔をそのままにシツツメに大声で言えば、背中を向けてそのまま病室から去って行ってしまった。琉衣は「お、おい伊月!」と声をかけるも、伊月を病室に留まらせることはできなかった。病室の入口とシツツメの顔を交互に見た琉衣は悩んだ挙句、持ってきた差し入れのフルーツの盛り合わせを机の上に置くと「ごめんシツツメさん、また来る!」と言い残し、伊月を追って病室から出て行った。


「やっちまったな、四季。女子高生──それも美少女を泣かせるとは、男として最悪だぞお前」

「うるさいな。……まさか泣かれるとは思わなかった。ダンジョンに入る前に、連絡のひとつでもしておけば良かったか?」

「ひとつではなく、私も含めてふたつですね、シツツメさん」


 藤村とシツツメの会話に、聞き覚えのある声が参加する。二人が視線を向けた先には、凛音が立っていた。藤村が思わず身だしなみを整えている最中、凛音はぺこりと頭を下げてから病室内に入ると、ベッドの上で体を休めているシツツメの傍に歩み寄る。命に別状は無いが、かと言って無事でもないシツツメの様子を見た凛音は、小さく首を横に振った。


「シツツメさん、私に連絡をして下さればこの前のように敵の処理は私がしたのに。シツツメさんがここまでする必要が、本当にあったのですか?」

「あったから、ここまでしたんだ。こうしなきゃ、俺に依頼をした人は生きながらに死んでいた。それを俺は見過ごすことができなかった。それだけだ」

「お人好しと言うべきなのか、頑固と言うべきなのか……やはり興味深い方ですね、シツツメさんは」

「そりゃどうも。……わざわざそれを言うためにここに来たのか?」

「それもありますが、ちゃんとお見舞いが目的ですよ。お見舞いの品はこれです」


 凛音はメモ用紙を一枚、シツツメに渡した。それを受け取り、シツツメはそこに書いてあることを確かめる。メモ用紙にはスマホの電話番号が記されていた。その番号を凛音に見せたシツツメは「相変わらずの自己肯定感だ」と、感心半分呆れ半分に苦笑を浮かべる。


「雨宮の電話番号だな、これは」

「はい。後できちんと連絡を入れてくださいね。私から連絡先を渡した人は、シツツメさんが初めてなんですから。それと──これから私のことは、凛音と呼んでください。拒否はさせません」

「呼び方なんて別にどうでも……」


 とシツツメが言いかけながら凛音をちらりと見上げれば、非常に不満げな表情を見せていた。先ほどの伊月を思い出したシツツメは「あーあ」と諦めたように溜息を吐く。


「分かったよ、凛音。……これでいいんだろ?」

「ええ。まだ若干不自然ではありますが、その内に慣れてもらいます。余り長居をしてはシツツメさんも休めないでしょうから、これで失礼しますね。ああ、それと──八雲さんには、ちゃんと謝った方が良いですよ、シツツメさん」


 凛音はそう言ってから藤村に「では失礼します」と笑みを浮かべ、病室から出て行った。凛音が去った後、メモ用紙を指先でぴらぴらさせているシツツメに藤村は「どういうことだよ!」と全力で食って掛かっていた。


「何で雨宮凛音の連絡先を渡されてんだ!? くそっ、顔が良い男はこれだから……」

「凛音からしたらそういうのは大して意味ないんじゃないか?」

「じゃあ何が重要なんだ!? さらっと凛音って呼んでるし!」

「そう呼べって言われたからな。断ったら面倒なことになりそうだから、仕方なくだ。それよりも藤村、そろそろ寝たいから一人に──」


 とシツツメが藤村に言おうとした時、「失礼します」と男性の声が聞こえた。お見舞いの人間が多いなとシツツメが入口に視線を向けると、そこにはシツツメに捜索の依頼をした初老の男性、御柳がいた。御柳は病室に入ると、ベッドの上のシツツメに深々と頭を下げる。


「ありがとうございます、シツツメさん。息子の遺骨と遺品を探し出して頂いて、本当に感謝の気持ちしかありません。……何とお礼を言っていいのか」

「頭を上げて下さい、御柳さん。俺がそれらを発見できたのは、完全な偶然です。恥ずかしながら、その偶然がなければ俺は何の成果も無しで戻るところでした。自信満々にあんなことを言っておきながらです」


 とシツツメが情けなさそうに言うも、頭を上げた御柳は「そんなことはありません」と力強く口にする。シツツメを頼ってやって来た時に比べれば、別人のように活力──生きる力が戻っているように見えた。


「シツツメさんがあのダンジョンの中にいる間に、思ったのです。私と、行方不明になった息子のためにここまでしてくれる方がいるというのに、私はこのままでいいのかと。……私はあのダンジョンで死ぬつもりでした。生きる意味もないのなら、せめて息子の少しでも近くで死のうと思った。ですがそんなことをしても、何の意味も無い。何よりも、私たちのためにここまでしてくれているシツツメさんに、申し訳ない──そう思ったのです」


 御柳はズボンのポケットから、シツツメがダンジョン内で見つけ出した御柳の息子の遺品である腕時計を取り出した。その腕時計の針はもう止まっていて、時を刻んではいない。


「息子の遺骨は生まれた地へ、そして遺品は私の手に戻って来ました。……息子をあそこから救い出してくれて、本当にありがとうございます。私もシツツメさんのお陰でようやく、これからを生きて行けそうです」

「……御柳さん、この言葉を知っていますか? 生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ──まあ、これは最も有名な訳ですが」


 ふいにシツツメから投げかけられた質問に御柳は困惑したような表情を見せるが、少しばかり考えた後に「シェイクスピアですか?」と言った。シツツメは頷く。


「生きるべきか死ぬべきかなんて、そもそも問題にするようなことじゃない。生きるべきなんです。何があっても。だから御柳さんが生きることを選んでくれたのが、俺は何よりも嬉しいんです」

「……ええ、生きてみせますよ。これからの人生を。存外、捨てたものではないでしょうから」


 御柳は明るく笑って見せる。シツツメもそれにつられたように、小さく笑っていた。そんな中、一人腕を組んで悩んでいる様子の藤村は「なあ、四季」とシツツメに声をかける。


「さっきの言葉って、夏目漱石じゃないのか?」

「……冗談なのか本気なのか、それが問題だな」

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