第20話 To be or not to be, that is the question(4)

 大型連休を終え、久しぶりに学校への登校を迎えた生徒たちは連休中に何をしていたかという話で盛り上がっていた。家族や友人と旅行に出かけたり、部活の遠征で休みが潰れたり、地元でのんびりしていたり等々、思い思いの連休を過ごしているようだった。

 クラスメイト達がそんな話をしている中、伊月は頬杖をついた格好で席に座っており、その表情は浮かない。連休が終わってしまい残念──という風には見えず、何か別のことで悩んでいるようにも見えた。それに気づいたのか、琉衣が伊月の傍に歩み寄ってくると「おい、どうした?」と声をかけた。


「何かすげえ表情が暗いぞ。休みが終わったのがそんなに残念か?」

「いや、そうじゃなくて……琉衣も知ってるでしょ? シツツメさんのこと。この連休中、ずっと留守にしていたじゃない。今日も朝にお店を確認してみたんだけど、閉まったままだったし……どうしたのかなって思って」

「うーん、多分旅行にでも行っているんじゃないか? シツツメさん、ダンジョンでのこともあるからなかなか遠出なんてできなかっただろうし、この機会に羽を伸ばしてるんだよ」

「そうだったら良いんだけど……メッセージを送っても既読にもならないし、電話も繋がらないし……もしかしたら、ダンジョンに入っているんじゃないのかなって」

「ダンジョンに入ってるって、この連休中にずっと?」

「私も八雲さんと同じことを考えていました」


 そこにやって来たのは、凛音だ。クラスメイト達からの朝の挨拶に「皆さん、おはようございます」と麗しい笑顔を浮かべ返しながら伊月の隣の席に座る。そして言葉を続けた。


「私もこの連休中、シツツメさんの所へ窺いましたが、お店の方は開いていませんでした。それを考えれば、八雲さんのその予想は当たっているんじゃないかと」

「ちょっと待って、雨宮さん。シツツメさんが本当にダンジョンに入っているとして、この連休中一度も戻って来ていないんなら、それって結構ヤバいんじゃないの?」

「シツツメさんの命が、ということですか?」


 凛音の考えを聞き、琉衣は慌てたように身を乗り出す。いくらシツツメとは言え、あの最高難易度を誇る夜桜市のダンジョンで安全が保証されている訳ではない。それにもし何かあれば、シツツメの適応者ハイブリッドの能力ならばすぐに戻って来ることができるはずである。だがシツツメは戻って来てはいない。

 戻って来ないのか、それとも戻って来れない理由があるのか。最悪の想像が伊月の頭の中をよぎったのか、「そんなことある訳ないでしょ!」と声を上げ、それを否定する。その声の大きさに教室内にいる生徒たちは驚き、伊月に視線を向けていた。それに気づいた伊月は恥ずかしそうに視線を下に向け、そのまま口を開いた。


「……もしダンジョンに入っているとしても、シツツメさんならすぐに戻って来れるじゃない。きっと旅行で遠出しているだけよ」

「それならば良いのですが仮にダンジョンにいるとした場合、シツツメさんが戻って来れない理由があるはずです。例えば……行方不明者の捜索が難航している等の理由が考えられます」

「そしたらこのゴールデンウィーク中、ずっとダンジョンに潜ってるってことになるよね、雨宮さんの理屈だと。……うん、きっと旅行だって! 楽しすぎて、連絡することも忘れてるんだよ」


 あのダンジョンに一週間は潜るなど、普通では考えられない。琉衣も伊月の不安を払拭させるように、必要以上に明るく振舞っていた。

 だがどうしても悪い考えが拭い切れないのか、伊月の表情は暗いままだ。隣の席に座る凛音は何かを思いついたようで、「確かめてみましょうか」と口に出す。それを聞いた伊月と琉衣は怪訝そうに凛音に視線を送る。


「シツツメさんのご友人に、藤村さんという方がいるのはお二人も知っていますよね? その藤村さんに聞けば、シツツメさんがダンジョンに入っているのか分かるのではないでしょうか」



 ◇



 シツツメが夜桜市のダンジョンに入り、捜索を開始してから約十一日が経過していた。シツツメは現在、第八階層まで捜索を進めている。第二階層から第七階層まで、シツツメは可能な限り細かな所まで捜索をしていた。だがあくまでも可能な限りであり、シツツメをもってしても捜索が不可能な場所も存在し、そこまでは確認することはできていなかった。

 しかしそれでも、ここまで捜索するのに十一日という時間がかかっていた。その間にいくつもの人骨や、このダンジョンに取り残されて命を終えた遺体を見つけたが、いずれもシツツメが捜索している御柳の息子の手がかりは存在しなかった。手がかりと言っても、その息子が着けていたという腕時計の写真一枚だけで、それが形として残っているかどうかすらも分からないのだ。シツツメのこの捜索は、あまりにも無謀と言えた。


(……今日で十一日目か。喉が渇いた……脱水症状になりかけているな。持って来た食料と水は、もう無くなってしまった。この十一日間で、どれくらい睡眠を取れた……? まだまともな思考ができるのが救いか)


 シツツメは第八階層の、中世の城のような作りをしているが、さながら迷路のように入り組んでいるダンジョン内の一角に腰を下ろし、背を壁に預けて座っていた。その表情はまさに疲労困憊で、目の下にはくっきりと隈が浮かび上がっている。シツツメが着ているタクティカルスーツには返り血の跡が残っており、ダンジョン内を徘徊する怪物を倒した際に付着したものだと思われるが、所々タクティカルスーツが破けている部分から見えるシツツメの体には、切り傷や擦り傷など細かい傷がいくつも確認できた。これまで捜索を続けることができているので、骨折などの大怪我は負ってはいないようだが、確実にシツツメの体力を蝕んでいた。


(これ以上は流石に命が危ないな──今の状態でも、第八階層から第一階層まで俺自身を繋いで、戻れるかどうかという瀬戸際だ。あれだけ大見得を切っておきながら、何の成果も得ることができず戻るのか……何とまあ、情けないもんだ)


 シツツメは自嘲の笑みを浮かべると、ゆっくりとその場に立ち上がった。ぐらりと立ち眩みが襲い、視界がぼやける。自分の命を考えるのならば、すぐにでも能力を使用して上に戻るのが最善手だ。誰もシツツメのことを責めることはできない。

 立ち上がったシツツメはぼやける視界で、自分の掌を見た。ボロボロの手だ。何度か握ったり開いたりしてみるが、思ったように力が入らない。みっともなく、情けない姿だが──俺はまだ生きていると、シツツメはぎゅっと手を握り締めた。


(俺がやらなければ、あの人は死んだままなんだ。生きるべきか、死ぬべきか? 冗談じゃない、生きなきゃいけないんだよ。絶対に)


 満身創痍の状態だったシツツメを奮い立たせたのは、気力──言うなれば根性だ。だが根性というのは、ただ漠然と生きて日々を過ごしていれば手に入るものではない。何かを成すために今までどんなことをしてきたのか。その積み重ねによって、結晶のようにできあがるものだ。だからこそシツツメは自分自身を立ち上がらせることができた。


「本当の限界まで残り半日ってとこか。やれるだけやってやるさ」


 そうシツツメが呟いたところで、ひたひたと足音が聞こえた。シツツメは腰に差している二本の鞘からナイフを引き抜き、右手と左手でナイフを握り締める。かつてこのダンジョンの最下層近くで、シツツメが入手したそのナイフは刃こぼれのひとつもしておらず、まるで水に濡らしたかのように刀身は磨ぎ澄まされている。銃弾は全て使い切ってしまったため、このナイフで戦うしかない。可能ならば適応者ハイブリッドの能力を使用せずに済ませたいとシツツメは考えていたが、通路の曲がり角から姿を現したそれを見て、どうやら難しそうだなと舌打ちする。

 シツツメの前に現れたのはライオンの頭を持ち、胴体は山羊、そして蛇の尻尾をおぞましくくねらせている異形の存在──キメラだ。シツツメから漂う血の匂いを嗅ぎつけたのか、その眼光は鋭くシツツメを捉えていたが──キメラは不意に、口を大きく開けた。まさか欠伸をしている訳ではないだろう。


「ちっ!」


 シツツメはキメラが何をしようとしているのか、気づいたようだ。咄嗟にナイフを握っている両手を交差させるようにして、前方を振り払う。その次の瞬間、シツツメの視界が赤く染まると同時に肌を焦がす強烈な熱を感じた。

 キメラは大きく開けた口から、火球を吐き出したのだ。その火球でシツツメを焼き殺し、食うつもりだったのだろう。だがキメラが吐き出した火球は、前方にいるシツツメを焼き殺すことができていなかった。人間を黒焦げにするには十分すぎる火力を持っている火球は、シツツメの適応者ハイブリッドの能力によって切り裂かれ、通路の至る部分を焦がすだけに留まっていた。

 シツツメはナイフの斬撃とキメラが放った火球を繋ぎ、斬れるはずのない火を斬って直撃を免れたのだ。だがそれでも多少の火傷は負ってしまったようで、痛みに顔をしかめている。


「くそっ、いきなり火を吐きやがって……!」


 悪態をつくシツツメだが、それを聞いて前方にいるキメラが手加減をしてくれるはずもない。火球を防がれたことで、直接攻撃に切り替えたようで勢いよくシツツメに向かってくる。シツツメからすればあのまま火球を連発された方がずっと厄介だった。このままライオンの牙でかみ砕こうと飛び掛かってくるキメラに、シツツメは能力を使用して一刀両断にしてしまおうとナイフを振りかざした。


 だが普通ならば戦闘などとてもできない、満身創痍の状態から根性で立ち上がったシツツメには、先ほどの火球の攻撃と能力の使用は非常に堪えたようだ。眩暈でぐらりとよろめいてしまったシツツメは能力を使うことができず、後ろに倒れ込むことでキメラの鋭い牙をギリギリで回避する。そのままごろごろと転がったシツツメはキメラと距離を取ってから起き上がり、体勢を立て直す。だがシツツメの視界はぼやけ、その上ぐらぐらと揺れてしまっている。今のままでは能力の使用は勿論、戦闘を行うことすらも難しいだろう。


「千載一遇のチャンスを逃したかな……?」


 シツツメはやれやれと口にすれば、前かがみになりもう一度飛び掛かろうとしてくるキメラを前にナイフを構えようとした。正直なところ、もう一度回避できるかどうか怪しい。カウンターの要領で能力を使い、一撃で仕留めるしかないが──火球の攻撃に切り替えられれば、殆ど詰みだ。今の状況はまさに最悪と言えた。

 思わずよろめいたシツツメの体が、通路の壁に当たった。それを見逃さず、キメラが再び飛び掛かってくる。だがキメラが飛び掛かるその前に、シツツメの耳は「がこんっ」という何かが作動したような音を聞いていた。

 次の瞬間、飛び掛かったキメラの視界からシツツメの姿が消えた。牙は再び空を切る。キメラはライオンの頭を動かし、ぎょろぎょろと注意深く眼光を動かして周囲を探るも、シツツメを見つけることはできなかった。

 能力を使用し、シツツメは逃げた訳ではない。罠にかかってしまったのだが──結果的に、それでキメラから逃げることができた。


 いわゆる隠し扉のスイッチが通路の壁の一部に組み込まれていたようで、シツツメはそのスイッチを知らず知らずに押してしまい、壁の一部が回転扉のように回って、キメラの前から消えたように見えたのだ。意図せずして隠し部屋に入ってしまったシツツメは床に倒れ込んでいたが、ゆっくりと体を起き上がらせると、周囲を見渡した。天井から無造作にぶら下がっている照明によって、薄暗くはあるが部屋の中を確認することができる。

 シツツメが迷い込んだ隠し部屋は、さほど広くはない。ゲームであればここに財宝がありそうなものだが、そう言った類は何も見当たらなかった。では他に罠があるのかと言えばそうでもなく、ただ殺風景な隠し部屋の風景があるだけだ。


 シツツメは先ほど自分がこの部屋に入ったと思われる壁の場所を調べてみたが、何も反応は無い。入ることはできるが、出ることはできない部屋──もしここに迷い込んだら、ゆっくりと死んでいくしか選択肢は無いようだ。

 だがあの恐ろしい黒い球体を操る凛音や、シツツメであればここから出ることは造作もないだろう。しかしシツツメが能力を使ってこの部屋から出たとしても、また捜索を再開するだけの体力は残ってはいない。今のシツツメの状態では、能力を使用できるのはせいぜいあと一回という、まさにギリギリの状態だった。

 そんなシツツメはこの何もない部屋の片隅に、何かを見つけた。床に落ちていたナイフを拾い上げ、警戒をしながらその何かに歩み寄るシツツメだったが、その正体を見て、シツツメは二本のナイフを鞘に収める。


 それは白骨化した遺体だった。一体いつこの部屋に迷い込んだのか分からないが、出ることもできずに朽ち果ててしまったのだろう。あるいは自分もこうなる可能性があったなと考えながら、シツツメは更に歩み寄ると、骨ではない何かが落ちていることに気づく。身をかがめ、その何かを確かめたシツツメは目を見開くと、背中に背負っていたリュックサックを下ろし、中からハンドライトと一枚の写真を取り出す。ライトで照らした写真には腕時計が写っており、骨の中に紛れていたその何かを、シツツメは手に取り埃を払って、ライトで照らす。


 シツツメの手には、もう針が止まってしまって時を刻むのを放棄している腕時計があった。その腕時計は、御柳の息子が着けていたという腕時計のデザインとまったく同じものだった。


「まさか……そうなのか?」


 唯一の手掛かりである腕時計がここにあるということは、この白骨化した遺体が御柳の息子だという確率が高い。皮肉にも出口のないこの隠し部屋が、手掛かりである小さな腕時計を形そのままに残しておいてくれたようだ。

 シツツメはその止まった腕時計をリュックサックの中に入れ、ライトで白骨化した遺体の周辺をくまなく調べる。他に何か残っていないかと確認しているシツツメの指先が、床の一部をごしごしと擦ると、そこには何かが彫られたような跡があった。くっきりとしたものではないが、何とか文字になっている。床の一部には、こう刻まれていた。


『お父さん、ごめん』


 文字を読んだシツツメはその場にぺたんと座り込むと、白骨化し、物言わぬ御柳の息子をじっと見つめていた。シツツメと同じように意図せずここに迷い込んでしまい、そして死んでいったのだろう。あるいは適応者ハイブリッドだったのかも知れないが、この状況を打破することはできなかったようだ。

 見つけることができたのは、完全な偶然だ。この隠し部屋に迷い込まなければ、シツツメは何も見つけることができなかった。

 それを自覚しているのか、シツツメは力なく笑う。


「疲れたなよな、お互いに。……うんざりだろ、こんな暗いところは」


 ぽつりと呟くシツツメのその声はこんな場所にいるというのに、穏やかだった。

 リュックサックを背負い直したシツツメは、御柳の息子の遺骨にそっと手を当てる。


「帰ろう、一緒に。君の親父さんが、ずっと待っているんだ」

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