弔辞

 

 本日はお忙しいところ、和田島イサキの葬儀にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。友人代表としてご挨拶をさせていただきます。

 友人代表、と言いましても、正直なところ私と和田島が特別仲が良かったかと言われると、そうは思っていません。友誼の重さは必ずしも時間と比例するものでないとはいえ、私が和田島と過ごしてきた時は、他の友人たちに比べると十分の一にも満たないでしょう。高校生の三年間、あの使い古された部室でのささやかな時間の堆積のみが、私と和田島イサキの繋がりの、ほぼ全てなのですから。


 高校の文芸部で出会った和田島の印象は、乳がでかいだけの何もできない愚図でした。

 高校生の頃の彼女は不健康に痩せていて、酷い近眼のせいでいつも猫背でした。曲がった針金のような体つきに、不相応に大きく膨らんだ乳房がばつが悪そうにぶら下がっていました。

 彼女は私よりもいくらか身長が高いはずですが、彼女のことを見上げたことは一度だってありません。指は細長く、けれど節くれだっていて、いつも掛けていた分厚い眼鏡と相まって、なんとなく南米の昆虫を連想させました。他人と会話をすること自体に慣れていないのか、愛想笑いの声は甲高く不自然で、下手な笑顔は神経が麻痺したように非対称でした。自己評価の見積もりが低く、いつも誰かの顔色を窺っていて、そのくせどうしようもなく不器用で不注意でした。

 人生には至る所に暗くぽっかりとした穴がいくつも点在していて、我々はその穴にうっかり落ちてしまわないように、注意深く歩く必要があります。彼女にしたってそれは変わらないはずなのに、どうしてだか、ちょっと目を離すと、そのどこに繋がっているのかもわからない真っ黒な木のうろに、頭から突っ込んで泣き叫んでいるのです。

 私の知る和田島イサキはそういう人間でしたから、当然のように私は彼女を見下し、侮りました。石ころ程度の取るに足らないものと考えていたのです。ですから、一年生の九月、最初の文化祭で彼女の作品を読んだとき、私の胸に去来したものは感動や感嘆ではなく、狼狽と揺らめきでした。


 当時の文芸部では、毎年の文化祭の折に合同誌を発表するのが慣例でした。一年生を含めた部員全員で、短編や詩を持ち寄って小冊子を作るのです。

 はっきりと、この葬儀にも参列している文芸部の友人達には申し訳ないのですが、はっきりと言ってしまうと、我々の合同誌はお世辞にも出来が良いものだとは言えませんでした。

 テーマの一貫性はなく、モチーフへの理解は浅薄で、知見に乏しく、ひどく荒削りで、稚拙でした。ただ、「作品を通してどうしても何かを訴えたいのだ」という衝動だけは評価に値するかもしれません。今になって思えば、言葉を覚えて二十年も経っていない子供達の書くものですから、そうであるのが当然だとも言えます。けれど、和田島イサキだけは違いました。

 彼女の作品は、高校一年生にして卓越した域に達していました。彼女の内側からまろび出た文章は、激しく脈動する火山であり、同時に谷底のせせらぎのように静かで無垢でした。コピー機で印刷しただけに過ぎない合同紙の、彼女のページだけが、目に見えない巨大な気配を放っていました。

 私はひどく動揺しました。あのみじめな猫背の同級生の胸のうちからそんな作品が生み出されたことを認めたくなくて、何度も読み返しては歯噛みしました。時間をかけて読み返すごとに、自分の作品が陳腐で矮小なもののように感じられ、喉を掻きむしって破りたくなるのです。

 動揺に変わった嘲弄は、次に憎悪に変わりました。彼女が私よりも優れていることを、絶対に認めるわけにはいかない。私は脳みそにぱんぱんに怒りを詰め込んで、残りの高校生活を執筆に費やしました。二年生の合同誌も三年生の合同誌も、只々彼女に勝つためだけに書きました。けれど、どうしても自分の小説が彼女のものより優れているという実感を持てるものではありませんでした。私の文章は進歩していましたが、彼女だってそれと同じくらいか、それよりもさらに上達していたからです。

 何よりも問題だったのは、私自身が小説を書く意味から、伝えたい事や訴えたい事がそっくりそのまま抜け落ちて、「和田島イサキに勝つこと」にすげ変わっていたことでした。

 苦心と懊悩のなかで、持てる技巧を凝らして作られた私の作品は、テーマ性を失い空虚な悪臭を放っていました。それは私自身、無意識下で薄々わかっていた事で、何よりも傷ついたのは、それを読んだ和田島イサキの顔でした。

 あろうことか彼女は、その空っぽの作品を読み込んで、あの左右非対称の愛想笑いで誉めたのです。

 それが彼女の本心からのものなのか、あるいは完全なお為ごかしなのか、それらがないまぜになったものなのか、今となっては知る由もありません。ただ、結果として、当時の私は激昂し、原稿を投げつけ、彼女の頬を平手打ちしました。あまりに強く叩いたせいで、彼女の眼鏡は吹き飛び、部室の長机に当たり、硬質な音を立てました。部員の誰もが驚いて沈黙し、私と和田島を交互に見比べます。私の胃の中では、愚かな行為への罪悪感と、それでも叫ぶことをやめてくれない怨嗟と怒りがぐちゃぐちゃになって吹き荒れていました。和田島は、やはり笑うだけでした。申し訳なさそうに、へつらうように微笑んで、猫背をよりいっそう丸めるだけでした。

 私は部室を飛び出し、そのまま卒業まで、文芸部に足を運ぶことはありませんでした。


 次に彼女と会ったのは、高校を卒業してからしばらく経ったあとのことです。

 その頃の私は、詩や小説とは随分遠い場所で生きていました。九州の大学に進学し、一人暮らしを始めてからの私は、何かに打ち込むことからはすっかりと足を洗い、最終学歴を履歴書に書くためだけの勉強と、大人になることへの支払い猶予を引き伸ばすことに腐心していました。タンクで茹で死ぬカバのような、無為で、生暖かく、非冒険的な日々です。ものを書くこと自体が嫌いになってしまったわけではありませんでしたが、一切の意欲や気概のようなものは、私の身体の中からすっかりと消えてしまっていました。彼女に抱いていた、巨大で暗い怒りに似た嫉妬でさえもです。それではいけないと思いましたし、それでいいとも思いました。でも、それは自分の意思だけではどうにもならないことなのです。


 マンションの郵便受けに突っ込まれた小包を見つけたのは、そういった生活も終わりに差し掛かる、四年生の春のことでした。

 送り主の名前は小包のどこにも書いておらず、中には汚い字で「献本」と書かれた紙切れと、一冊の文庫本が入っており、表紙には見たこともないタイトルが記されていました。

 当然のことですが、筆名にも見覚えはありません。そもそも、一介の学生でしかない私に、献本が送られてくること自体がありえないことです。けれど、送り状に書かれていたのは間違いなく私の名前と住所で、私は訝しみながらもその本を読んでみることにしました。

 最初のページを繰って、すぐに誰が書いたものかわかりました。

 高校時代、何度も何度も、目に焼き付けるようにして読んだあの筆致そのものでした。平原をまっすぐに突き進む嵐のように激しく、岩の裂け目に育った水晶のように瑞々しい、彼女の筆致。どこか懐かしい場所から送られてきた手紙に似た感触に、私は息をするのも忘れて読み進め、空が明るくなるまで何度も何度も読み返しました。

 それが和田島イサキとの、いびつな再会でした。


 無為な生活を送る私とは裏腹に、職業作家になった和田島が、どうやって引っ越した私の住所を知ったのか。何を思って〝献本〟を送ったのか。それは私にわかることではありませんでしたし、これからもずっと理解できることではないでしょう。

 ただ、それを読んだ私の胸に去来したのは、意外にもあのどす黒い怨嗟と怒りではなく、「それは、そうだろう」という納得でした。たかだか中堅どころの出版社の、たかが新人賞程度、和田島イサキに獲って獲れないはずがないのだと。

 それは、そうだろう。

 すんなりと、私の意に反して、勝手に腑に落ちた感想は、本当にただそれだけのものでした。対抗心を燃やしたり、猛り狂って机に齧り付き、ペンを取ったりできるものではなかったのです。

 当然の結果は、当然でしかない。それは何かを燃やす燃料にはなり得ない。

 私はその本を引き出しの一番奥にしまって、何事もなかったかのように、タンクで茹で死ぬカバの日々に戻りました。次に彼女と会うのは、それからもう少し後になってのことです。


 というより、最期に、ですが。

 最期に和田島に会ったのは、彼女が亡くなる一週間と少し前のことでした。彼女の病状を知ったのは、文芸部時代の共通の友人から聞かされてのことで、十何年かぶりに会う和田島は、あの頃と変わらないように見えました。元よりひどく不健康そうな見た目でしたから。

 けれど、声は掠れ、身体を起こすのも億劫そうでしたし、タオルケットの隙間からちらりと見えた足は、治療のせいで水風船のように浮腫むくんでいました。病院特有の、据えた排泄物と消毒液の匂いの中で、頭の奥の方の原始的な器官が、「この女は近いうちに確実に死ぬのだな」と機械的に結論付け、私の理性と感情を交互に諭しました。

 私たちは二言三言、挨拶を交え、それからただ黙りました。それは別に、我々の高校時代の関係性だとか、私個人の和田島に対する感情だとか、そういったものとは関係がありませんでした。死に瀕した肉体というのは、ただただ億劫なのです。闘病の痛みと疲れと、薬物がもたらすまどろみのなかで、彼女にはもう、それだけの力しか残されていませんでした。彼女はただ、窓の外を見つめ、私もそれに従いました。見慣れた東北の片田舎の、灰色の風景。観光的でなく、さして美しくもない、ただ人々が生きているだけの風景です。我々は随分と長い間、言葉もなく、それを見つめていました。そうして随分時間が経ったあと、和田島は言いました。「ねえ」と。「ねえ、いつかの文化祭、あの作品、すごく好きだった」と。

 彼女の頬には、あの不器用で非対称な笑顔が浮かんでいるように見えました。

 返事は、しませんでした。その話をするには私たちには多くの時間が流れすぎていたし、それを埋め立てる時間もありませんでした。

 その日から、私は小説を書くことを再開しました。あの頃と変わらず、テーマの一貫性はなく、モチーフへの理解は浅薄で、知見に乏しく、ひどく荒削りで、稚拙な小説を。彼女との面会時間、彼女の居る病室で、一言も言葉を交わすこともなく、ただ「和田島イサキに勝つ小説」を。

 愚かなことだと笑うかもしれませんが、その時の私はただ信じていたのです。もし、万が一、ここで私が和田島を平伏させるくらいに美しく完成された完璧無比の作品を作り上げられたなら、彼女が私を憎んでくれるかもしれない、と。あのどす黒く身を焼き燃え輝く、怒りと怨嗟と呪いと嫉妬が、彼女を奮い立たせ、生かしてくれるかもしれないと。


 もちろん、結果としてそのようなことはありませんでした。彼女は死に、小説は書き上がりませんでした。現実はあくまで現実で、物語ではありません。時間と空間と物理法則は我々の頭上に平等に降り注ぎ、例外を許してはくれません。それがあの、愚図で小説を書くしか能がない、憎むべき友人であってもです。

 けれどでも、だからこそ、彼女はまだ生きています。美しくも激しい、儚くも瑞々しい、あの筆致の中に、彼女は生きています。


 ねえ、皆さん、彼女は、ずっと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る