弔辞

逢坂 新

和田島イサキについて

「乳がでかいだけの何もできない愚図」と評したところ、いくつかの小さなうなり声があった。腐った用水路に落ちる雨音に似た、低く静かなさざめきだ。

 それらの八割がたには非難の色が付いていた。眉間に皺を寄せるものもいたし、はっきりと敵意の視線を向けてくるものもいた。残りの一割は困惑の表情を浮かべ、もう一方の一割は「案の定やりやがった」をそれぞれの方法で表現していた。

 それもまあ、仕方のないことだと思う。故人を悪しざまに罵ることは、この国においてもろ手を挙げて歓迎されることではない。それが我々の文化であり、思考回路であり、言い方を変えれば信仰でもある。


 重ね重ねこれは仕方のないことだ。他ならぬ彼女自身が、私に依頼してきたことなのだから。

 たとえ彼女がただ乳がでかいだけの愚図であろうと、私にそれを頼むということがこういう結果を産むことを予測できなかったわけがない。結果責任は彼女にあり、言い方を変えれば彼女が望んだことですらあるのだ。


 私はまぶたを閉じ、彼女と過ごした幾ばくかの時間と、彼女自身についての記憶に思いを馳せる。けれどでも、この期に及んでもそれは上手くいかなかった。彼女の心臓が止まってから葬儀までのささやかな時間、その間じゅう何度もそうであったように、記憶は秩序だった思い出としては再生されなかった。それらは個々の細かい断片として、ちょうど強風の落ち葉のように、私の空洞の中を不規則に通り過ぎる。

 セーラー服のごわごわとした着心地や、安っぽい合板で出来た長机のつるつるとした表面や、フレームの塗装がぼろぼろと剥がれた安物の分厚い眼鏡。そういった寸断された質感の記憶が私の腹の中を吹き抜け、そのたびに低く重たい風音が耳をついた。


 だから言っただろう、と思った。どうして私なのだ、とも。

 あなたの最期を、死を、追憶を、温かく優しく美しく語れる人間は、他にいくらでもいただろうに。


 私はため息をつき、それから目を開け、参列者たちを睨み返す。

 敵意の成分は比率を変えず、けれど静かに私の次の言葉をじっと待っているようだった。

 であれば、私に出来ることはたった一つしか残っていない。


 背筋を伸ばし、胸郭を空気で膨らませ、下腹に力を込めて、怒りと憎悪と呪いとともに、彼女の名を唄おう。

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