第三話 火野朱音


「んー! やっぱり自分の部屋は最高だな」


 ベッドの上で目を覚ました真夜は、上半身を伸ばす。慣れ親しんだ自室での睡眠は快適だった。異世界の癖で、強固な防御結界を張って、何人たりとも侵入できないようにしていた。これを突破できるのは、よほどの術者か妖魔でなければ不可能だろう。


「本当に帰ってきたんだな」


 体感的には四年の月日が真夜の中で流れている。


「今日はマッグでハンバーガーでも食うか。ポテトとシェークにナゲットも捨てがたいな」


 とにかく今は元の世界を満喫しよう。


 ピンポーン


 備え付けられたインターホンが鳴り響く。ここは個人用の1LDKの賃貸マンションだ。


 しかも今日は土曜日で、学校も休みのはずだ。


「MHKの集金でも来たのか?」


 ピンポーンピンポーンピンポーン


 何度も連続して鳴るインターホン。確実にまともな相手ではない。


 そしてこんなことをする相手に、真夜は心当たりがあった。


「ったく。あいつは本当に子供か。はいはい、今出るよ」


 がしゃりとチェーンとドアの鍵を開けると、部屋の前には予想通りの人物が立っていた。


「遅い! あたしがこんなに朝早くから来てあげたのに、すぐに出てきなさいよね!」


 ぷんすかぷんすか怒っているのは、キラキラとした朱金色の長い髪を、黒いリボンでくくり、ツインテールにした少女だった。


 身長は百七十と女性にしては高いが、胸はどこか慎ましい。青い透き通った瞳が印象的な美少女である。


 白いトップスに黒のデニムを着こなしており、スタイルの良さが表れている。


「朝っぱらからテンション高いな、朱音(あかね)は。て言うか、わざわざって、お前が住んでるのって、俺の部屋の隣だろうが」


 呆れたように真夜は彼女に言う。


 火野朱音ひの あかね。真夜の部屋の隣の部屋に住んでいる少女だ。真夜的には四年ぶりの再会であり、当然ながら、一切変わらぬ姿の彼女に思わずこみ上げてくるものがあった。


「細かいことは気にしないの! それよりも、もう九時よ? いつまで寝てんのよ」

「今日は土曜日だろ? 別に学校が休みの日くらい、寝てても問題ないだろ?」

「何言ってんのよ! 貴重な休みだからこそ、一日の時間は貴重なの! と言うわけで、あんたこれからあたしに付き合いなさい」

「何がと言うわけでだ。意味がわかんねえぞ」

「ふふん。この心優しい朱音さんが、真夜を鍛えてあげるって言ってんのよ。感謝しなさいよね? この火野一族きっての才女であるあたしが、休みの貴重な時間を割いて、あんたに付き合ってあげるんだから」

「悪いけどそういう押し売りは結構だから。じゃあな」


 バタンと真夜はドアを勢いよく閉じた。その光景に、朱音はぽかんとした表情を浮かべるが、即座に顔を真っ赤にして怒り出した。


「こらぁーっ! なんでドア閉めてんのよ!? このあたしが稽古をつけてあげるって言ってんのよ!? しかも今日は、実地訓練として妖魔退治のおまけ付きなのよ!?」

「それのどこに俺が喜ぶ要素があるのか、甚だ疑問なんだが。と言うよりもツッコミどころしか無いだろ。そもそもその妖魔退治ってのは、お前の仕事じゃないのか? あと、こんな所で大声でそんな事を言うな」


「大丈夫! 結界は張ったから、誰にも聞こえないわよ!」

「才能と能力の無駄遣いだろ、それ」

「いいじゃないの! こんな美少女と一緒に妖魔退治に行けて、なおかつ修行も出来るのよ! どこが不満なのよ!?」

「不満しか無いだろうが! あと自分で自分を美少女とか言うなよ。痛すぎるぞ」

「誰が痛い子よ! とにかくここを開けなさい! 今すぐ開けなさい! すぐに開けなさい! いいから開けろって言ってるのよ!」


 真夜はこのままでは扉が殴り飛ばされるのではないかと思い、護符をドアに貼り付け強化する。朱音はどんどんと手でドアを叩いている。


 彼女も本当に破壊する気はないだろうが、怒りで力加減を間違ったりするかも知れないので、念のためだ。


「開けろって言ってるの! 聞こえないの!? ねえってば!」


 声を張り上げるが、真夜はその悉くを無視する。


「無視? 無視するの!? このあたしを無視するつもり!? 無視して良いの!? 良いと思ってるの!?」

「朝から元気な奴だな、ほんと」


 扉の向こうでなおも彼女は叫び続けている。結界を張っているとは言え、近所迷惑になりそうだ。


「いいのね!? このあたしにそんな態度を取って!? だったらあたしにも考えがあるわよ!? わかってるの!? あたしが本気になったら、大変なことになるわよ! いいの!? それでもいいのね!?」


 朝っぱらからテンションの高い奴だなと真夜は呆れる。そもそもどうしてあいつはこんなに自分を構うのかと、疑問符を浮かべる。昔からの知り合いで、さらに隣に住んでおり、同じ退魔師同士とは言え、いまだにこのような気安い関係が続いているとは思ってもいなかった。


「片や星守の落ちこぼれで、片や六家の一角の火野のお嬢様なのにな」


 独り言を漏らしながら、真夜は扉の向こうで一人で馬鹿騒ぎしている少女――火野朱音の事を考える。


 彼女は容姿こそ日本人離れしているが、退魔師六家における火野一族の歴とした宗家のお嬢様である。


 現当主の弟の娘であり、母親が日本人とイギリス人とのハーフであった。そのためクォーターなのだが、その実力は火野一族の中でもトップクラスの使い手である。


 星守一族と火野一族はそれなりに交友関係があった。六家の中では火野は星守と一番繋がりが強いと言ってもいいだろう。


 それでも星守の落ちこぼれと言われている真夜が、昔からの顔なじみとは言え、火野のお嬢様と懇意に出来るのは奇跡のような物だろう。


 異世界から帰還した今ならばともかく、それ以前の真夜とではとてもではないが、実力差がありすぎて歯牙にもかけられないであろう。


 小さい頃からそれなりに関係があったが、まさか数ヶ月前、このマンションに引っ越しをする時、まさかお隣になるとは思いもしなかった。


 その頃からさらに、朱音は真夜を何かにつけてこのように突っかかってくる。


「ねえ! ちょっと! 本当に無視するの!? 何、何よ……、ほ、本当に無視を決め込むつもり? い、いいのね? ほ、本当に大変な事になるわよ? そ、それでもいいの!?」


 声が震えてきたので、あっ、これは少し泣きが入ってきたなと真夜にはわかった。朱音は何故か真夜に無視され続けると、このように弱気になる傾向があった。涙目になり、叫くようになる。何ともメンタルが弱いなと思う。


 だが厄介なのが、その後の霊力の暴走である。


(あいつの場合、マジで大変な事になりかねねえ。なまじ霊力が高い分、暴走した時の被害も大きい。しかも火野一族。霊力を炎に変換するのに長けた一族。あいつが本気で暴走したら、被害が恐ろしいことになりそうだしな)


 火野一族の宗家の人間として、力の制御ができないのはどうなのかと思われるが、名家のお嬢様が一人暮らしをしているのも、そこの辺りとも関係している。


(確か修行ってことらしいからな。あんまり放置しても後が厄介だし、そろそろ相手をしてやるか。せっかくの休日だが、四年ぶりの朱音の我が儘だ。少しくらい付き合ってやってもいいか)


 世話の焼ける妹のような感覚かもしれない。相手は昨日ぶりだが、真夜としては四年ぶりだ。懐かしくも思ってしまう。


「はいはい、俺が悪かったよ。そう朝っぱらから怒って拗ねるな」

「す、拗ねてなんか無いし。た、ただあんたが素直にあたしの誘いを受けないから悪いのよ」


 ドアを開けて、もう一度朱音と会話を始めると、彼女は顔を赤くしてそっぽを向く。


「とりあえず、俺も今起きたところだから、準備する。朝も食ってないしな。準備できたら知らせるから、部屋で待っててくれ」

「ふ、ふんだ! そんな事言って、あたしが見てない間に逃げるつもりでしょ! そうはいかないわよ!」

「いや、お前は何を言ってるんだ?」

「だ、だからあんたの準備が出来るまで、あんたの部屋で待っててあげるわ! 感謝しなさい!」

「………」


 バタンと真夜は笑顔で再び扉を閉めた。


「ちょ、ちょっと! 何でまた閉めるのよ!! 開けてよ! ここ開けなさいよ! あっ、あたしに見せられない物があるんでしょ! 主にエッチな本とか!」

「違うわ! 何でそうなるんだよ!」

「だったら入らせなさいよ! じゃないと真夜がエッチな本をいっぱい持ってるって言いふらすわよ!」

「風評被害も甚だしい! ……わかった。いいぞ、そう言うなら入って確認しろ」


 ドアを開け、朱音を招き入れる。部屋は多少散らかっているが、やばい物は置いていない。


 真夜はエロ本は一切持っていない。そういった類いのものは、もっぱらパソコン上に入っているので、見つかることも無い。


 パソコンはロックをかけているし、よしんばロックを解除して中身を探られても、隠しファイルに入っているし、そちらにもパスワードが必要だ。


 ファイル自体の名前も普通の物だ。朱音が見つけられるわけも無い。


「お、おじゃましまーす」


 どこか挙動不審になりながら、朱音は真夜の部屋へと入ってくる。キョロキョロと周囲を見回している。


「ひ、久しぶりの真夜の部屋だ」


 そわそわした朱音は、興味津々に真夜の部屋を観察している。


「べ、ベッドの下にエロ本が……、無いわね」

「無いって言っただろ」

「じゃ、じゃあどうやって? はっ、まさか手当たり次第に女の子を!?」

「お前はどれだけ俺を貶めたいんだ」


 いい加減に腹が立ってきたので、思わず朱音を睨んでしまった。


「そ、そんな怖い顔しなくても良いじゃないの。……それと真夜。何か雰囲気がいつもと違わなくない?」

「……どこがだ?」

「何て言うか、前より気配が落ち着いたって言うか、どっしりとしたって言うか。何て言ったら良いのかな? お父様や叔父様みたいな雰囲気って言ったら良いのかな。それに今のも、昨日までだったら、睨まれても何にも感じなかったのに、今だと凄い威圧感を感じるのよ」


 どうやら朱音は、真夜が強者の気配を纏っていると言いたいらしい。それともどこか年上の大人の気配とでも言うべきものを感じたのかもしれない。


(精神年齢的には二十に近いから、大人びたって言えるのか? それに流石に勘がいいな。少し殺気が混じったか? それを感じたのかもな)


 あながち、朱音の言葉も間違っていないかも知れない。その分、真夜からすれば朱音が子供っぽく感じてしまう。その分、彼女がこのように騒ぎ、真夜に対して接する態度も、微笑ましいというか、子供が大人に構ってほしがっているようにも思えてしまうので、嫌な気持ちにはならない。


「何、その顔? 何でそんなに微笑ましいような顔をしてるのよ?」

「別に? それよりも俺も用意したいんだが」

「あっ、そうね。じゃああたしはここで待たせてもらうから」


 そう言って、朱音は真夜のベッドにごろんと横たわった。


「おい、こら。なんでベッドの上なんだよ」

「別に良いでしょ? 床よりは綺麗だと思うし。ここでゴロゴロして待つから、真夜はさっさと準備してきなさいよ」

「何て横暴な奴だ。はぁ、今日だけだぞ、お前のこんな我が儘に付き合うのは?」

「ふふん。それは真夜の今後次第ね」

「何が今後次第だ。ったく。やれやれ……。顔洗って歯、磨いてくる」


 真夜は朱音に背を向け、そのまま洗面所へと向かう。


 対して朱音は、真夜の姿が見えなくなったのを確認すると、そのままベッドに置かれていた枕を抱き寄せ、顔を埋めた。


(えへへ。真夜の匂いだ)


 気づかれないように、細心の注意を払いながら彼のベッドの上で至福の時を過ごす。


 真夜に突っかかった態度をいつも取ってしまうが、それは素直になれない事への裏返しだった。


(……でも急に押しかけて、やっぱり真夜、怒ってるかな? でも準備はしてくれてるし、そこまで怒ってないわよね? でも怒ってたらどうしよう。あとで埋め合わせをすれば大丈夫かな?)


 急に不安になってきた。真夜を振り回すと言うか、色々とちょっかいをかけるのはいつものことだが、今回は流石に強引すぎたと反省している。


(でも、今日は、と言うよりも昨日から霊感が何か嫌な予感を伝えてるのよね。しかも真夜に対して)


 朱音の霊感は鋭く、そこから与えられる直感や勘は、昔からよく当たった。昨日も虫の知らせのように、変な霊感が働き、よく眠れなかった。


 そのまま夜中に真夜の所に突撃しようかとも考えたが、こんな夜遅くに行っては彼の迷惑になるために、悶々としたまま、朝まで我慢することにした。九時にしたのも、真夜が寝ていた場合、朝早くに起こすのも忍びなかったからだ。


(夜の真夜の部屋の気配は、なんだかよく分からないけどいつもと違ってたわね。真夜がいるってのはわかったけど、何か変な感じがしたし)


 真夜の張った結界の影響で、朱音はいつものように真夜の気配を感じることが出来なかった。彼の結界は、外部からの侵入を完全に防ぐだけではなく、中で何が起こっても、外部から一切何の変化も感じさせなくする物であった。


 だから朱音が如何に気配を探ろうとも、何の変化も無い真夜の気配しか感じられなかった。もっとも、真夜は只寝ていただけなので、変化も何も無かったのだが。


(それにしても、今日の真夜は昨日会った時と随分と違う気がするのよね。いつも以上に安心するって言うか、どこか包み込むような気配と言うか。はっ! 包み込むって何考えてるのよ、あたしは!?)


 悶々と変な方向に考えが進みそうになるのを、何とか軌道修正する。


(と、それよりも今日の事よ。なんとか来てもらえたんだから、しっかりと真夜に経験を積んでもらわないと! 真夜も星守の人間なんだから、絶対に強くなれるはずよ。強くなってもらわないと、あたしが困るんだからね)


 そう。朱音には何がなんでも、真夜には強くなってもらいたかった。


 彼と出会い、色々とあった。そして彼の素性を知った。星守の落ちこぼれ。それを何とか払拭したいと朱音は考えていた。


 そのためには、経験を積んで強くなってもらう以外には無い。仮にそこまでの強さが無くとも、実績を積み重ねれば、誰も彼を落ちこぼれと蔑む事は出来なくなる。目に見える功績があれば、人は陰口は叩いても、正面からの罵倒は少なくなる。


(実績と経験を積めば、真夜だってもっと自分に自信を持つはずよ! それにきっと強くなれる。うん、あたしの勘がそう言ってるから!)


 自分の勘を朱音は信じている。だから何がなんでも真夜を妖魔退治に連れ出すのだ。


(妖魔退治って言っても、下級までだし、それならあたしがフォローすれば失敗も無いだろうし、怪我しないようにきちんと見守ればいいもんね。それにあたしがいれば、中級までは対処可能だし)


 妖魔にはランクがある。下から最下級、下級、低級、中級、上級、最上級、特級、超級、覇級と九つのランクがある。実際にはその上にもう一つランクがあるのだが、それは例外中の例外として、形としてだけ存在するので、退魔師達はあまり重要視していない。


 今回の妖魔も下級の妖魔で、真夜一人ならばともかく、朱音がいれば問題ないと思われた。朱音の実力は、上級妖魔もタイマンで倒せる程だ。


(理想はあたしよりも強くなってほしいけど、そこまで望むのは酷だろうし。でも最低限は強くなってほしいな)


 そうしてもらわなければ色々と困る。今後の事を考えて、朱音は力強く拳を握る。


(それにしても、別に心配することはなかったかな? 何か嫌な予感がしてたんだけど……)


 何かは分からないが、まだ霊感が嫌な予感を告げている。どうにもモヤモヤが晴れない。


(まあいいわ。今日一日、真夜と一緒にいれば何か分かるかも知れないしね。もし何か良くない物が来ても、対処すればいいだけの話よ)


 そう考えながら、朱音はベッドの上で真夜を待つ間、一日一緒に居られることを喜びつつ、彼の匂いを堪能するのだった。


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