嘆きのパツキン
そうざ
Lamenting Blonde Beauty
僕の密かな愉しみに昼飲みがある。
駅ビルの地下に犇めき合っている、往年の懐かしい飲み屋街が好みだ。夕刻を過ぎてサラリーマン達が醸す喧騒よりも、昼下りのまだ準備中の店もある時間帯の寂れた雰囲気の方がより良い。
行き付けよりも、その日の気分でふらりと立ち寄る方が更に風情が感じられる気がしてならない。今日もその手法で暖簾を潜る事にした。
「らっしゃいませ~」
狭い店だ。座席の半分は地下通路に食み出している。
先客が一人居た。こういうシチュエーションも結構好きだ。ほんの一時、仮初めの飲み仲間になって他愛のない会話に花を咲かせる。
「ここ、宜しいですか?」
戸板を流用したような小さなテーブルと、酒ケースを引っ繰り返して座布団を敷いただけの座席に居たのは、金髪の中年女性だった。
珍しい。中年女性だからではなく、金髪が本物の金髪、つまり白人だったからだ。
女は僕をまじまじと見た。既に目が座っているようにも見える。用心されたかと思った矢先、軽いノリが返って来た。
「どうぞどうぞ、飲みましょ飲みましょ」
「日本語、お上手ですね」
「そりゃあ、もう何十年も暮らしてっからね。ぺらぺらよぉ」
「ご出身はアメリカですか?」
「アメリカに居た頃もあったけどねぇ、もう何十年も行ってないわ、もう良いわ」
「よっぽど日本が気に入ったんですね」
「まぁね、未だにパツキンねーちゃんってだけで特別待遇される事があるかんね」
そう言うと、パツキンねーちゃんは甘そうなカクテルをぐびぐびっと煽り、直ぐに、お代わり~っと店員に告げた。
「あぁた、昼間っから飲み屋街をほっつき歩いてて、結構なご身分ねぇ。分かった、外回り中にサボってんでしょ?」
「僕は勤め人ではありません」
「じゃあ、何? 空間プロデューサー? それともエグッ……エグティブ、エグデグテブ、ぷろじゅーさぁ?」
低アンコール飲料だけでこんなに酔うとは実に面白い。僕の人間観察モードに火が点いた。
「どちらでもありません。某団体の顧問です」
「コモン?」
「アメリカの某団体としか申し上げられませんが、顧問料で生計を立てて――」
「USA! USA! あぁ~、昔を思い出しちゃうわ」
「アメリカではどんな生活を?」
「こう見えてもね……モテたわよ~っ♪」
ぐびぐびっ。
「お綺麗ですものね」
「言うわね~っ、あたしの肩書には『美女』が付いてたからねっ」
ぐびぐびっ。
「ほう」
「今じゃすっかり過去形~って思ったでしょ?!」
「いや、別に」
長葱とチャーシューの和え物、鶏軟骨の唐揚げ、もやしのナムルが届いた。僕が来る前に頼んでいたらしい。
「ジョージ……とっくに死んじゃったなぁ」
「恋人ですか?」
女は口に付けたグラスを慌てて離した。
「違う違う。何て言うか、私を有名にしてくれた人ね」
「ショービズ界の方ですか?」
「ちょっと違うけど、まぁ、スポットライトを浴びた気分になれたわ」
ぐびぐびぐびっ。
「しかし、長続きしなかったんですね?」
ぐびっ。
「そうなのよっ!」
いよいよ目付きがおかしい。
「後からノコノコやって来た連中が全部かっ攫って行きやがったのよっ!」
言いたいだけ言わせてやろう。この女は愚痴りたくて酔っ払っている。
「裏の政府機関に取り入って美味い汁を吸いやがってからにっ。ケッタクソ悪ぃったらありゃしないっ!」
我々のやり方はもっと狡猾だった。脅威を与え、不安を掻き立て、容易には意思の疎通が出来ないというイメージを刷り込む事で、まんまと大国との裏取り引きにも成功した。要は前時代の牧歌的存在を反面教師にしたのだ。
金髪美女がさっさと酔い潰れてしまったので、僕は二人分の精算を済ませて店を後にした。
街中で特定の周波数を発する個体を見付ける事がある。そんな時、安全保障上問題があるかどうかを確認するのも僕の役儀だ。
あの女は酔っ払った所為で特に電波がだだ漏れだった。最初は何と無防備な奴だと呆れたが、途中から、実は見付けて欲しくて無意識に放っていたのではないか、と思うようになった。
長い地下通路を振り返ると、女がよろよろと向こう側へ去って行くのが見えた。
半世紀以上も前の
彼女は既に危険分子たり得ない。金星人が金髪美女だった素朴な時代はもう戻って来ない。パツキンねーちゃんの帰る場所はこの宇宙から完全に失われたのだ。
嘆きのパツキン そうざ @so-za
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