未成年

希人

第1話

一つ違いの姉、弟の交流


缶ビールを飲もうかと思ったばかりだというのに、玄関のチャイムが鳴った。

ドア・チェーンを外すと、姉の優子がふらっと入ってきた。

「ただいま。お出迎え、かたじけない」

「酔ってるな?」

「分かる?」

分かるに決まってるだろうと言いたかったが、黙ってダイニングキッチンへ戻った。人のことより自分のビールだ。

「何よ隆、あんたビールなんか。受験を控えているってのに」

「姉さんの合格を祝ってやろうと思ってさ。いいじゃないか。そっちだって未成年だろ」

「そっか、まあいいか、私にもちょうだい」

まだ飲むのかと言いながら、冷蔵庫からもう一本取り出し、テーブルに頬杖を突いた姉の前に置いてやった。

「サンキューじゃあ乾杯」

僕は黙ったまま。もうすぐいなくなってしまう姉に乾杯のしぐさをして見せた。

もうそろそろ四月になる。桜も蕾が膨らみ始めてきた。

父も母もそれぞれが飲み会で、今夜は遅くなるという。

姉も友人たちとお別れ会だったはずだ。

生まれてこのかた姉とは離れて暮らしたことがなかった。二日後には東京に行ってしまう。

「何よ。嫁いでいく娘を見る父親みたいな目で見てないで、座んなさいよ」

「ばーか。俺、部屋で飲むわ」


部屋に入ってⅭⅮをセットしようと思ったが、それも面倒くさくなり、ビールをぐっとあおってベッドに倒れた。

「ね、入ってもいい?」

顔だけのぞかせた姉と目があった。僕は黙ったままでいたが、姉はスーッと体を滑らせるように部屋に入った。

いやとかダメとか言わなければ了解したものと同じなのだ。

「何、あんたまだこれ聞いてんの?」と言って、姉はデッキに半分入れっぱなしのⅭⅮをかざすようにして、それからセットした。僕が高校入学のときに姉自身がプレゼンしてくれたキース・ジャレットだった。軽快なピアノ演奏が流れる。

姉は僕の足元のベッドの端に腰を下ろした。

「この曲、私の初恋の人が好きだったの」

「ええ、そうだったのか?その人、どうしてる」

「東京行っちゃった。一年先輩なの」

姉はその先輩に淡い恋心を抱いていたが、先輩には付き合ってる人がいて。姉の気持ちには気づきもしなかったのだという。

「あんた好きな人いるの?」と突然こちらに降ってきた。

「いないよ、そんなもん」

「そんなもんなんて言い方しないでよ。あっ、そっか。あんたの高校ほとんど男ばっかだもんねえ。暗い高校生活を送ってるんだ」

「女がいれば明るくなるもんでもないだろう」

僕は負け惜しみを言ったが、姉はあっさり、そうかもねと答え、そして僕の隣に身体を倒して来た。僕はあわてて体を横にスライドさせた。

「なんだよ、狭いのに」と文句を言った。

姉は僕の方へ首を回し、しばらく僕の顔を見ていたが、それから顔を天井に向けた。

「私、本当はちょっと不安。今まではさ。父さん、母さんがいて、そしてあんたもいるところで暮らしてきたんだけど。これから本当に、一人なのね」

「寂しかったらいつだって帰って来れるじゃないか。そんなに遠くもないし、電話もインターネットもあるし」

「そして、そして・・・あんたも来年は東京に来るし・・・」


幼い頃、僕はいつも姉の後を金魚のフンのようにくっ付いて遊んでいた。

ころんだり、ひっくり返ったりすれば、その都度優しく叱りながら、姉は面倒を見てくれた。少し大きくなって、それぞれが一つの部屋を与えられるようになると、お互いに悪口を言い合うこともあったが、それもできなくなる。

ということはどういうことなのか?

「どうせいつかは嫁に行くんだし。その予行演習だと思えばいいさ」

「何よ、その言い方?私がいない方がいいの?」

「まさか、ばあさんにになるまで、ここにいるわけにもいかないだろう?」

「ええいるわ。ここにいて、あなたの嫁さんをいびってあげる」

互いにつまらない悪口を言いあった。

だが突然、姉は僕の首に腕を巻き付けしがみつき、泣き出した。姉ではなく、妹のように。子供の頃から一度も泣いたところを見せたことのない姉。髪が僕の顔にかかって、僕の知らないかぐわしさが漂っている。キースはまだ自分の指を鍵盤に委ね、長い旋律を引き続けている。だが、いつかは終わってしまうということを僕は知っている。この曲も、そして若い姉の肩を抱いているこの時間も。


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未成年 希人 @maroodo

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