第二十九話 "お姉ちゃん"

「はぁ……人、多っ……何でこの時間なのにこんなに人が……」

まだ17時台だというのに、駅の中は人で溢れていた。

「お姉ちゃん、大丈夫……?」

「ちょっと人の多さに酔っただけ……すぐ大丈夫になるから心配しないでいいよ……」

どちらかといえば一人でいる方が好きな雪穂は、あれだけの人がいるという状況に全く慣れていなかった。

風子がいないという時に人の多い場所に行く、という経験がなかったのだ。

よって、人の多さに酔う、ということすら、彼女にとっては一切の想定外だった。


「……マジで大丈夫?」

「ほんとに大丈夫なんで。あと3分、3分くらいしたら収まる…いや5分くらいかかるかな…10分かかるかも……」

「ぷっ…どれよ」

「あたしにもわからん!!」

顔をすっかり真っ青にしながら、適当なことを言ってごまかす雪穂の姿に、一華はそれが少しおかしかったのか、思わず吹き出してしまう。


一華の介抱を受けながら、雪穂は目的地であるショッピングモールを目指す。

だんだんと酔いも収まってきたのか、気分の悪さもマシになってきて、着く頃にはすっかりそれが取れていた。

「…ちょっとよくなってきたかも」

「そりゃよかった。そうだ、何でアタシがここに来たのかというとですね~?」

「いうと……?」

「双葉ちゃんに服でも買ってようかなーと思って!ほら、いつまでもそれだとちょっとあれっしょ?だからさ」

「なるほど……」


雪穂は改めて、双葉の服装を見る。

おそらく、保護された時の服装そのままだったのだろう。それなりに上等そうな服ではあったものの、それもすっかり薄汚れてしまっていた。

確かに、これでは一華が「アレ」と言ったのも、頷けるなと心の中で納得をする。

「雪穂ちゃんももうちょっと可愛いの着てもいいんだよ~?」

「結構です」

手をわきわきと動かす動きに不審さしか覚えず、雪穂は食い気味に断る。

「ポテンシャルはあると思うんだけどなー。というかもうちょっと華の女子高生なら身だしなみにも気つけなさいな。大事だよ?」

「そういうもんですかね……」

「そういうもんだよ」


そんな会話をしながら、3人はショッピングモールの中を歩く。

時々物珍しいものを見るようにして、双葉が目を輝かせて周りを見ているのを、雪穂と一華はほほえましく見ていた。

「やっぱ連れて来て良かったっしょ?」

「いやほんとナイスアイデアでした。あたしだけだったら思い浮かばなかったと思うんで、すごい感謝してます」

「そりゃよかったー。いやぁ。アタシも子供と遊ぶのはあんま得意じゃないなって思ってたんだけど、雪穂ちゃんにそう言ってもらえるなら嬉しいや」

一華自身も、少し慣れてきたのだろうか。最初のぎくしゃくとしたような雰囲気が、だんだんとなくなってきたような気が、雪穂にはしていた。


「……あ」

エレベーターを昇ったところで、見覚えのある顔を発見する。

「その2人の組み合わせなのも珍しいけど、何で子供連れてこんなとこ歩いてんだよ」

「あっイオリンじゃんやっほー」

「…お友達?」

「うんまあ、お友達。珍しく暇そうじゃーん」

明らかに怪訝な顔をしている伊織を前に、2人は気にせず話しかける。


「…クソッ、こんなとこで会いたくなかったんだけどよ。一華さん一人だけなら誘拐を疑ったんだけどな。お前もいるなら違うって言いきれるわ」

服装こそいつもと少しだけ印象が違うが、話してみれば、いつも通りの調子だった。

「失礼なこと言わなーい。アタシがそんな罪犯すように見える?」

「残念ながら。…保護してきたんだよな、その子供」

「そうだよ。イオリンこそ何してんの?買い物?」

「お察しの通り。今日の夕飯の買い出し。今夜空が一人で選びに行ってるから、俺は今ここで暇潰ししてんの」

「何、妹に買いもの行かせて暇潰ししてんのアンタ」

「別にいいだろ。役割分担だよ役割分担」

「それ役割分担って言うのかなぁ……」


「あとそれと、気を付けとけ。近くに悪魔の出現報告がある」

伊織はそう小声で忠告すると、そのまま踵を返して去って行った。

「今の人…女の人なのに、男の人っぽかった。変わってる」

「あー、むしろ逆。まあ変なやつだし口は悪いけど悪いやつじゃないから」

「世の中色んな人がいるからねー。双葉ちゃんも大人になったら色々こう、変わった人にも会うことになるだろうから」

双葉に伊織のことをどう説明しようか、2人は少しだけ迷ったが、出来るだけ言葉を選んで説明することにした。

「そうなんだ……」

納得したのかしていなかったのか、双葉は小さく頷く。


その時、スマートフォンが震える。

「ん、どしたん?

「メッセージか何か入ってるかも。多分友達から」

内容は、風子からのメッセージ通知だった。メッセージには、『話し合ったら、許してもらえた』という簡潔なものだった。

それよりも雪穂は、スマートフォンに表示された時間の方が目に入った。

時刻は17時45分。そろそろ家に帰らなくては、まずい時間だ。

それにこの時間ならば、空も真っ暗になっていることだろう。

「…ごめん。帰らないといけない。双葉ちゃん、遊ぶのはまた後でお願い」

いい加減心配させるのもまずいしなぁ…。何なら、これでも帰る時間ギリギリだし…などと考えていたところ、足が止まる。


「もうちょっと、一緒にいて」

双葉が袖を掴んで、自分を止めに入ったのだ。

「お別れするの、いやだ」

既に彼女は涙目だった。目を潤ませる双葉を前に、雪穂はもう一度、考え直す。

何とか事情を説明して、帰るのを遅らせるべきだろうか。

「そっか。そうだよね。じゃあ、もうちょっとだけ一緒にいようか」

尋常じゃない力だった。

あの細い腕のどこに、そんな力があるのだというくらいの勢いで、右腕を掴まれたのだ。


「………これはちょっと、あれかもなぁ」

すごい力で掴まれて少し痛む右腕を押さえながら、雪穂は小声でひっそりと呟く。

何故なら、潤んだ目で自分を止める双葉からは、あの時の澤田や、公園で出会った男などから感じたような嫌な気配が、わずかだが感じられたから。

「雪穂ちゃーん、どしたーん?ボーっとして」

「何でもない。それよりほら、お母さんに言い訳のメールしてくるから、それまで待って」

母親への言い訳のメールを打ち込んでから、雪穂はまた歩き出す。


胸に残るほんのわずかな不安を抱えながら。

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