第二話 悪魔祓い
「私たちのお仲間になりませんか?」
雪穂は突然告げられた言葉に、動揺を隠せないでいた。
何より、『この男は何故自分の名前を知っている?』
尊と伊織は勿論自分の名前を知っているはずだ。だが、この男に対してはそもそも顔を合わせたのすらこの瞬間が初めてだ。
「…あの、何で私の名前知っているんですか」
「それがそんなに気になりますか?」
「気になるに決まってるでしょ。知らない人にいきなり名前呼ばれて、こっちとしちゃ怖いんですけど」
「…私そんなに怖いですかねぇ?」
青年は首を傾げる。雪穂の言いたい意図が上手く伝わっていないのか、それともわざとはぐらかしているのか。いずれにせよ、雪穂の警戒は全く解けなかった。
「怖いっていうか怪しいよな」
「僕には伊織の感覚はよくわからないが」
「そりゃ尊は生まれた時から黒崎さんと一緒にいるし、その感覚はわかんねぇだろうよ。あんたにとっちゃ父親みてえなもんなんだからさ」
黒崎と呼ばれた男は、雪穂には尊と同い年かあるいは少し年下くらいに見える。それが『父親のような存在』と呼ばれていることに、雪穂はますます不気味さを覚えた。
「あの、あたしって今悪魔が憑いてる状態なんだよね?本来なら殺されるかもしれないとかなんとか、伊織くんに聞いたんですけど」
「ええ。本来ならその通りですよ。ですが私はあなたに可能性のようなものを感じているのでね」
「可能性?」
「可能性です。何せあなたはその状態で自我を保っているのですから。先ほどの儀式で魔障が治らないということは、つまりあなたはとうに悪魔に憑かれている。しかもかなり強力なものが。
それなのにほとんど表向き影響すらなく自我を保てているのであれば、むしろ悪魔を退治する側に回ればかなりの戦力になる…そう考えたのですよ」
理屈は雪穂にも理解できた。だが、それでも彼女に首を振る理由がなかった。
「あなたのお仲間になることによって、得られるものがないとハイとは言えない」
こんな状況になっていながら、雪穂の心にある感情は『帰りたい』という気持ちだけだった。
母親を心配させているからというのもあるが、何より安らぎを得られる場所から長く遠ざかっていることが、彼女にとって無自覚ながら大きなストレスになっていたのだ。
雪穂としては、早いところ話を終わらせて帰宅して、何事もなかったように日常を送りたい。そう考えていた。
「おっと、そう来ましたか。ですがその場合……私たちはあなたを討伐しなくてはいけなくなるかもしれませんね」
青年…黒崎は怪しく微笑む。相も変わらず整った顔立ちだが、どこか目が笑っていないような不気味な笑みに、思わず雪穂はたじろいでしまう。
「あなたが理性を失い獣と化せば、その瞬間にあなたは私たちの敵になる。しかし、お仲間になればそれを抑える方法を教えます。これでいいでしょう」
雪穂は正直、こんな面倒事に巻き込まれるのは御免だった。
「悪魔退治なんて危険に決まってる。私は絶対にそんなことしたくない」
「困りましたねぇ……」
「もしかして、首を縦に振るまで言い続ける気?」
この青年は、自分に「ノー」を言わせる気がないと、そう判断した雪穂は、青年を精一杯の力で睨みつける。
「…どうしましょう。私こういった相手との交渉は苦手なんですが」
「交渉っつかほとんど脅しなんだよアンタのは。つーか俺に振るな」
「あなたの方が歳も近いですし、接しやすいでしょう。少しだけお願いしますよ」
黒崎は諦めたのか、あるいは伊織に期待しているのか。伊織の方へと目線を向け、やがて彼に話を振ることに決めた。
「あー、さっき説明してなかったがな。悪魔が憑いてるってことはそいつの精神を悪魔に乗っ取られるリスクがあるってことだ。俺らとしてもお前に暴れられちゃ困る」
「そこまでは何となくわかってる」
「まず一つ俺の感情としてな。俺は人を殺したいわけじゃない。殺したいのは悪魔だけだ。だから、お前は俺たちに協力する。しかし、代わりに悪魔の影響を抑える方法を教える。これでどうだ」
黒崎からの言葉を、伊織は繰り返した。伊織としては、これで何が変わるんだと思っていたのだが、雪穂からの返事は伊織にとって、少し予想外なものだった。
「協力っていうのがどの程度かによるかな。もし毎日悪魔退治にし出かけてくださいとか言われたら、流石にあたしも無理」
「素人にそこまでの仕事はさせねぇよ。そうだよな?」
「まあ私としてはそのつもりでしたねぇ。多くても週に1回程度、軽いアルバイトのようなものだと思ってください。報酬も出しますので」
「ま、まあ。週に1回程度なら……?」
そのくらいなら私生活を脅かされる心配もないだろうと考えた。雪穂にとっての心配は、命が危なくなるかどうかというよりは、自分の今までの日常が脅かされないかどうか、そちらの方だったのだ。
「決まりですね。ささ、こちらをどうぞ」
黒崎は雪穂に、何かペンダントのようなものを手渡してきた。輝く宝石のようなものが埋め込まれているそれを、おそるおそる雪穂は受け取る。
「あの、これ何ですか?」
「その石は悪魔の影響を遠ざける効果があります。あくまで遠ざけるのみですので、完全にゼロにすることが出来るわけではありません。ですがこの石そのものは貴重品ですので、もしなくした場合代わりを用意するのは少々難しいです」
「あの、何でそんな貴重なものをわざわざあたしに?」
「それがないとあなたは自分の自我を保てなくなる恐れがあるからですよ」
自我を保てなくなる。あまり実感の湧かない話だったが、そんなことになるのであれば、これはよほど大事なものなんだろうと考え、雪穂はそのまま受け取った。
「必ず肌身離さず持っていてくださいね。少し外す程度ならともかく、長時間外していてはまた悪魔があなたに干渉してきますから」
「…わかりました」
「いやぁ、しかしあなた。八坂という苗字で少し心当たりがあったのですが」
男は雪穂の顔を、覗き込むようにまじまじと見る。
「何、どうしたんですか」
「いやぁ、あなたもしかして弥一郎のお孫さんか何かです?随分と似ていた気がしましたので」
「弥一郎なら私の、父方の祖父ですけれど…祖父がどうしたんです?」
「なるほど。弥一郎の孫娘ですか。それなら本当に悪魔祓いとして才能、あるかもしれませんね」
まさかこの男から祖父の名前が出てくるとは思わず、雪穂は困惑する。
「彼は優秀な悪魔祓いで私の旧友でした。もう亡くなってそれなりに経ちますが…まさかこんなところでその孫娘に出会えるとは。月並みな言葉ですが、運命という言葉は存在するのかもしれませんね」
「……ん!?」
目の前の男は、どう高く見積もってもせいぜい30代程度の年齢だった。それが…祖父と旧友だったとは、雪穂にはとても思えない。
「…ねえ伊織、この人いくつなの?」
「少なくとも80は超えてると思う。正確なのは自分でもわかんねーらしいから、下手したら90いってるかもな」
「……えっ、マジ……?」
「何でこんな若々しいのかは俺でも知らないからな。若造りとかいうレベルじゃねえし。なんか変な術でも使ってるって噂だ」
「…頭、おかしくなりそう」
「だよな、俺だって改めて言ってみて思ったもん」
「八坂さん、今日はもう帰っても大丈夫ですよ。それと伊織くん、私の年齢の話はいいですが、若く見える理由については秘密だったと言ったでしょう?」
「…ってなことで俺たちにも隠してるから、お前は気にすんなよ」
「いや、気にな……うん、まあ。いいか。早く家帰って休もう……」
雪穂の激動の夜は、ようやく終わりを迎えそうだ。
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