第42話 突然の邪魔立て

 琉生は必死で来た道を戻る。


 その姿を見た前友は大いに不満だ。


「何だよ、せっかくお膳立てしたのにどうして屋上から離れるんだよ」


 戦況をリアルタイムで表示する地図を見ることができる客たちのなかには、琉生が本当にチャンスだったことに気付いていたものもいる。

 彼らからすれば琉生の退却は謎でしかない。

 先を行く五人の生徒が仁内とやり合うなか、その漁夫の利を狙って人形に触れることは十分可能に思われたのだが。


「残念だけど気付かれたみたい」


 桜帆はカラーボールの動きで、すべて察した。


「ボールが全部お兄ちゃんに突撃してる」


 あ~あと、失望の声を漏らす観客たち。


「息子は死んだか。つまらねえ一生だったな」

「せっかく彼女ができたのにねえ……」


 ヒイヒイと足をばたつかせて逃げる息子に向かって手をあわせて祈る、血も涙もない両親であったが……。


「大丈夫です。すぐ気付いたから逃げ切れます」


 桜帆が言ったとおり、琉生は敵の射程内からの逃亡に成功した。


 これは仁内にとって不満の残る結果だ。


 何しろ敵は琉生だけではない。

 一人に戦力を集中させすぎると、当然、他の敵はフリーになる。


 前友司のガイドによって先を行っていた五人の生徒は屋上に悠々とたどりつくことができてしまうし、ひとしくん人形に触れるチャンスもでかくなる。


 これを放置するわけにはいかない仁内は、琉生への攻撃を中断せざるを得ず、すべてのボールを屋上に移動させた。


「反応が早い」


 即座に逃げられたので追いつけなかった。

 この素早さは予想以上だと認めざるを得ない。

 無論、これは黒魔子の判断の良さだろう。


「本当に耳が良い。


 凄いではなく、可哀想と言い切った校長。

 この言葉も彼女の耳に届いているかもしれない。


「もう打つ手はないんじゃないかな」


 仁内は笑いながら、迫ってきていた五人の生徒たちを返り討ちにした。

 悔しそうな五人の叫びを背に受けながら、仁内はどこかにいるはずの黒魔子にはっきり自分の意思を伝えた。


「同じ手はもう通用しないよ?」


 次から次へと迫ってくる生徒たちのワッペンをことごとく変色させ、圧倒的な力を見せつけるシルヴィのサブリーダー。


 カラーボールを自分の守護霊のように従わせ、常に余裕の笑みを浮かべるその姿は、もうゲームのラスボスにしか見えない。


 その異様な姿を見て、ある女子高生は言った。


「もう詰んだんじゃないの?」


 桐山美羽である。

 グラウンドに設置された露店でひたすらスイーツを食べた彼女は大いに満足し、帰宅しようとしていた。

 校門前にいた一文字本郷連合軍に黒魔子親衛隊までいることに気付くと、親友の相田李衣菜からここの羊羹が破壊的にうまいと教えてもらい、それが本当に悶絶するほど美味かったので、しばらく留まって食べ続けていたようだ。


 と、あくまで彼女の楽しみは食であり、仁内のお遊戯には一切関心がなかったから、第三者の意見としてずばり真相を突けたのである。


「もう時間まで逃げ切れれば、それで良いじゃない」


 いったい甘い物をどれだけ体内に入れれば満腹になるのか、桐山美羽は常に口の中をもぐもぐ動かしている。


「一番にならないと本郷くんを光ちゃんに取られるって、黒魔子ちゃんすごく焦ってるみたいね」


 黒魔子親衛隊として推しに全力で協力している相田李衣菜。

 黒魔子の役に立てることは嬉しいが、


「相手がなんであれなのか……、それだけがわかんないんだけどね」

「ね」


 近くに「あれ」の親御さんがいるからあまり大きな声は出せないが、桐山と相田はクスクスと小さく笑いあう。


「じゃあ、私は先に帰るよ」

「うん、また連絡するね」


 互いに手を振って別れると、桐山は学校を離れた。


 交差点を通り、歩道橋を上り、いつものように富士山を見ながら橋を歩き、トントンとリズム良く階段を降りていく。

 階段を降りきったタイミングで、一台のパトカーが桐山の前に停車した。


「ちょっ、なによ……」


 この前もこんな感じで車に通せんぼされ、野蛮な連中に大事なものを盗まれた経験があったから、彼女は焦った。

 とはいえ相手は警察だから強盗なんて恐ろしいことは起きないと思うけど、警察に止められるのはそれはそれで怖い。


 助手席の窓が開いて、優しそうな男性警官が声をかけてくる。


「桐山美羽さんだよね? 山梨県警のものだけど、ビックリさせて申し訳ない」

 

「いえ、この前はお世話になりました……」


「学校に聞いたら帰るところだと話を聞いてね」


「そうなんですか……?」


 桐山の表情がかすかに曇る。

 実は彼女は風間と仁内にこう警告されていた。


「学校経由で近づいてくる連中がいたら、どういう立場であれそいつは敵だから用心しなさい」


 そう言われていたし、万が一のための警報ブザーも受け取っていた。


「昨日の事件で進展があって、どうしても報告したかったんだ。ちょっと署まで同行してもらえないかな?」


「今ですか?」


 うんうんと頷く警官。

 運転席の警官はこちらを見ず、後部座席にはもうひとり警察官がいる。

 そいつもこっちを見ない。


「……」


 桐山美羽は鞄の中に手を突っ込んだ。

 学校から貰っていた警報ブザーをいつでも使える状態にするためだ。


「一度家に帰っていいですか。両親と一緒に行きます」

 

 パトカーに背を向け、早足で来た道を戻る。

 急いで学校に戻ろうとした。


 学校に行こう。

 校庭に戻れば、あの人たちがいる。


 彼女の脳裏に浮かんでいたのは風間あやめと仁内校長だった。

 何かあったら、すぐ来いと二人は言ってくれた。


「おい、待て!」


 大声で呼び止める警察官を無視し、桐山は走った。

 必死で前だけを見て走った。


 そして持たされていたブザーのスイッチを押した。





 それから数分もたたないうちに仁内大介の元に大神完二から通信が入った。


「予想通りだ。マオーバの残党が桐山をさらったぞ」


「そうか」


 ひとり、またひとりと湧いてくる生徒たちをあしらいながら、仁内は静かに屋上から外の景色を見つめる。


「捕まったのは桐山くんだけ見たいだね。相田くんは無事かな?」


「大丈夫だ。まだ学校にいる」


「では杉村くんに連絡するとしよう」


 通信を終えると、仁内はスマホを手に取り、杉村光に着信を入れた。





 桜の木から仁内に勝つための作戦を考えていた黒魔子であったが、彼女も異変にはすぐ気付いた。


「桐山さん……?」


 手で口を押さえ、耳を研ぎ澄ます。


「さらわれたの……?」


 車の走行音。

 苦しそうなうめき。

 騒々しい男たちの声。


 バタバタと体を震わせる音……。


「琉生くん、どうしよう」


 まるで迷子になったかのように、オロオロする黒魔子。


「どうしよう。桐山さんが大変なことになってる……」


 そう呟いたとき、琉生は黒魔子が驚くくらい早く返事をした。


「行かなきゃ!」


「でも私が行くと琉生くんが……」


「いやいやいや! 俺なんかより桐山さんの方が絶対優先だよ!」


 考えなくても分かりそうなもんだが、黒魔子にとっては琉生と離れることがこれ以上ないくらい不安要素なのである。

 黒魔子がその力を存分に発揮できるのはあくまで琉生が近くにいることで彼女が安心できるから、なのだ。


「でも……」


「行ってあげて! 俺は俺で何とかする! 桐山さんを助けるのも、一兆円貰うのも、俺たちならできる! やれることは全部やろう!」


 興奮しすぎて、一兆ポイントが一兆円になっているが、琉生の気迫みなぎる言葉は不安で折れそうだった黒魔子の意思をガチガチに強くさせた。


「……すぐ戻るね!」


 桜の太い枝から飛び降り、一文字真子は一気に駆け出した。

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